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辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第四部
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第二章 魂を鬻ぐ者Ⅴ

 ガイウスとの会談から一週間後、シオンとイグナーツは総長を通じ、改めて教皇からの勅令を受け、ノリーム王国正常化の任務に赴いた。

 騎士団本部を出発してから丸一日が経った今、シオンとイグナーツはノリーム王国行の汽車に乗り、小国地帯を西に向かって横断中だ。


 先頭の機関車を含めて六両で編成された列車――その最後尾は特等車になっており、シオンとイグナーツは貸切で利用している。豪邸の一室を彷彿とされる豪奢な装飾が施された車内に座席は六席だけ存在し、いずれも大人一人が寝そべるほどの大きさを持つソファであった。


 シオンとイグナーツは、テーブルを挟んで対面に並ぶソファに着席し、それぞれ荷物の整理なり、任務の準備を進めていた。


「そういえば、貴方と任務に赴くのは初めてですね」


 ふとイグナーツが、膨大な数の書類をテーブルに置きながら言った。シオンは、スーツケースの中の衣服を整理する手を止めた。


「アンタは基本的に一人で任務に当たっているイメージがある。もしくは、リリアンと一緒にいるか」

「そうですね。大陸各地に飛び回ることも、副総長になってから減りましたし。行くとしても、人形を使っての移動がほとんどです」

「今のアンタはどっちだ?」

「本体ですよ。今回は、そうした方がいいと思いまして」


 イグナーツの言う人形とは、人間の死体などを自分の姿に模した状態で遠隔操作する魔術のことだ。人形は物理的な攻撃で損傷しても即座に修復するうえ、本体は安全圏に身を隠すことができるため、身の危険が伴う任務では非常に重宝する。一方で、騎士の超人的な身体能力を完全に再現できなかったり、人形を介して扱える魔術には制限があったりといったデメリットもある。単純に扱うだけでも高い技術力を求められる魔術だが、その有用性は使うことのできないシオンでも充分に理解していた。


「本気でやらないと勝てそうにない奴がいるのか?」


 今回はデメリットを避けての事なのかとシオンは思った。人形越しの戦闘では手に負えないような戦力があるのかと。

 しかし、イグナーツは首を横に振った。


「いいえ。単純な戦力の話で言ってしまえば、私と貴方が本気で暴れたら現地の武装勢力を皆殺しにできると思いますよ。まあ、ガリアの残党の規模が実際どれだけのものかは現地で確認する必要はありますが。ですが、それはガイウス――いえ、教会としての本意ではない。無論、我々騎士団としても」


 イグナーツはテーブルの上に、さらに書類を積み上げた。


「私が人形を持続的に稼働できる時間はおよそ三時間。それを過ぎれば強制的に人形との接続が解除され、次に接続するまでに一時間以上のインターバルが必要になります。今回については、あの国の状況を一瞬でも見逃したくないため、本体で行くことにしました」

「何か状況が切迫しているのか?」

「切迫している、といえばそうですが――もう手遅れと言っていいかもしれないです」


 イグナーツはテーブルに並べられた書類をいくつか手に取り、その束をシオンに差し出した。


「ガイウスから提供された事前情報です。せっかくなので、この流れでブリーフィングをしてしまいましょうか」


 渡された書類を受け取り、シオンはまず流し読みを進める。


「これは……」


 一通り目を通したところで、シオンは嫌悪に顔を歪めた。

 その反応を予め察していたかのように、イグナーツが肩を竦める。


「まず先に、私と約束しましょう。私たちはお互いにブレーキ役になること。おそらく、あの国では“胸糞が悪い”なんて言葉では済まないようなことが起きています。私も、貴方も、感情的になって現場をかき乱すなんてこと、絶対にやらないよう相互に監視しましょう。もちろん、それ以前に自制が大事ですが」

「ガリアの残党、やりたい放題だな」

「ええ。もう亜人か人間かなんてお構いなしです。残存する軍事力を使い、亜人は当然として、もともとのノリーム王国の国民までも隷属させている有様です。この状況になってまだ一年も経っていませんが、すでに独自の身分制――いえ、ガリア残党による支配体制が出来上がっています」


 書類に書かれていたのは、ノリーム王国の現況だった。具体的な数字を用いた詳細こそなかったが、表面的な国の状況が生々しく綴られている。とりわけ、ガリアの残党による民間人の扱いについては、何の耐性もない一般人がその文章を目にしただけで気分を害するだろうと思えるほどに凄惨だった。

 もともとの国の主要機関はどれも機能しておらず、暴力によってガリアが独裁的に統治している。また、男は一切の休みを与えられず死ぬまで労働力として使い捨てられ、女子供は人身売買の商品、あるいは兵士たちの慰み者として使役されているというのが、大多数の民間人の状況らしい。


「その体制を作ったのは、資料に書いてある通り、ガリア軍の大佐――ヴィクトル=シール・ド・ゴウラという教会魔術師です。銘は“冥府の統率者”。生物の死体を自在に操ることを得意としています。私が使役する精霊の下位互換と思っていただければ。一応、ガリア軍の主力とされていましたが、個人の戦闘力は貴方が倒したギルマンの足元にも及びません。一方で、彼はガリアの貴族出身であり、ガリア大公カミーユ・グラスとは懇意にしていたようです。その縁もあって、ノリーム王国を占領下に置いたあと、ガリア大公が軍事拠点化を進めるにあたり、ゴウラをそこに派遣しました」


 そう言ってイグナーツが見せてきた書類は、教会魔術師の個人プロファイルだった。そこには写真が添えられており、ガリアの軍服を纏った顔色の悪い大男が写っている。


「教会魔術師なら、こいつの免許剥奪を名目にカタを付けることはできないのか?」


 シオンの提案に、イグナーツは首を横に振った。


「ゴウラの教会魔術師の免許を剥奪したところで大人しくなるとは思えません。逆に、一層過激になって手に負えなくなる可能性もあります。なので、現地の武装勢力を一気に無力化する方法を取りたいところです」

「それこそ俺たちが力づくで制圧するしかないんじゃないのか?」

「最終的には私たち二人で大暴れすることになると思いますよ。ですが、独立を認めてしまった手前、制圧を目的にした先制攻撃を仕掛けるわけにもいかない。そのため、彼らから仕掛ける時期を見計らいます」


 時を待て、という説明に聞こえたシオンは眉を顰めた。


「見計らう? 待つだけってことか? それに、奴らから仕掛けるっていうのは、教会に対してか?」

「現在、ゴウラ一派はノリーム王国を元に新たな国を建てようとしています。その政策の一環として、領土拡大を目論んだ周辺諸国への侵略を計画中です。そのターゲットになっているのが、ノリーム王国の北側と隣接するトレイニア聖国です」

「トレイニア聖国は確か……」


 トレイニア聖国――シオンは、眉間の皺をさらに深めた。

 何故なら、


「ええ。聖王教の分派である真聖派を国教にしている国です。我々、正道派とは浅からぬ因縁を持つ国ですね。とはいえ、直近百年以内については良好な関係を築くことができていますが」


 “もう一つの聖王教”であったからだ。

 太古においては一つの宗派しかなかった聖王教だが、およそ千年前に宗派が大きく二つに分かれた経緯を持つ。教皇を最高指導者として元来の本流を組む方は正道派と呼ばれ、シオンたち騎士団や一般的に大陸で修道会と呼ばれる組織もここに属している。

 対して真聖派は、正道派の組織が腐敗していた時代、個人の身分格差や国の経済状況から生じる教会からの待遇の違いに不満を持った信徒たちが、聖王の教えを新たに解釈して創られた宗派だ。


「だからといって、俺たち正道派の人間が正面から協力を申し出たとしても、トレイニア聖国は素直に首を縦に振らないだろうな」


 シオンがそう言ったのも、真聖派の創設理由が正道派への不満からなるものであるためだ。事実、つい二百年前までは、正道派と真聖派は同じ聖王教であるにもかかわらず、互いに異教として敵視していた背景がある。両者の歩み寄りが始まったのは、近代の科学技術の発展に伴う信徒たちの信仰心の希薄化を契機とし、互いにその対策を講じることになったからであった。そのため、比較的良好な関係になったと言われるのも、聖王教の歴史の長さを鑑みれば、つい最近の出来事である。


 また、トレイニア聖国という国そのものが真聖派の発祥の土地であり――


「ええ。あの国は真聖派のトップである“導師”を国家元首に据えています。そして、真聖派の根源的な考えは、“ヒトは皆、聖王の唱えた教義のもとに平等であり、信徒の総意により選ばれた導師たる存在が唯一の聖王の代弁者である”ため、同じ聖王教であっても教皇庁や騎士団の言うことに大人しく従うとは到底思えません」


 イグナーツの説明通り、正道派の教皇に相当する存在自らが統治する国だった。


 シオンは、芳しくない顔でため息を吐く。


「それで、どうする?」

「トレイニアもガリア残党による侵略計画を気にしており、その対策を進めているとのことです。なので、手土産を以て、あの国を懐柔してみようかと」


 手土産という不可解な言葉に、シオンは怪訝になった。


「手土産?」

「ガリア残党の戦力は我々もまだ正確に把握できていません。それはトレイニア聖国も同じ状況だろうと、ガイウスたち教皇庁は予想しています。私も同意見です。ですので、私と貴方の二人でノリーム王国の現況、およびガリア残党の保有戦力などを調査し、それをトレイニアに伝えることで正道派との共同戦線の打診を図ります」


 それらしい作戦に聞こえるものの、その実現性にシオンは懐疑的になった。


「あまりうまくいくとは思えないな。ガリアの残党が過激な動きを見せ始めたのは、教会がガリアを粛清し、独立を認めたが事が発端だ。それを槍玉に挙げられて、逆にこっちに矛先が向くことだって考えられる」

「その時は適当にガリア側の戦力を盛って、否が応でもこちらの手を借りないと勝機が見込めないと思い込ませます。最悪のケースにはなりますが、ガリア残党がトレイニアに武力侵攻することを確認できれば、他国への侵略行為に対する粛清と称してノリーム王国を制圧する大義名分が得られます。ガイウスもきっと私たちが暴れることをオーケーするでしょう。トレイニアは、勝手なことをするなと文句を言ってくるかもですが」


 その捕捉に、シオンはさらに眉根を寄せる。


「どちらにせよ、時が経てばノリーム王国を制圧するチャンスが訪れるってことか。ならどうして、わざわざトレイニア聖国と共同戦線を張ろうとする?」

「騎士団の味方を少しでも増やし、ガイウスを少しでも困らせたい。これにつきます。戦闘が始まれば実行役となるのは私と貴方です。つまり、騎士団がトレイニア聖国に対して直接プレゼンスを見せつけることになる。要は、教皇庁ではなく騎士団に恩を感じさせるように仕向けたいんですよ、できるだけね。なので、教皇庁が許可を出しての粛清ではなく、トレイニアが騎士団の力を借りて迎撃したという形にしておきたい。トレイニアには、我々の引き立て役になってもらいつつ、水面下での協力者になってもらいます」


 何とも抜け目ないことを――シオンは、改めて目の前にいる男の腹黒さを認識した。思わず表情に出てしまい、苦虫を嚙み潰したように顔を顰める。


「アンタ、普段からこういう仕事の仕方――しているな……」


 言いかけて思い出したのは、かつてグリンシュタット共和国でお見合いの悪戯をダシにされたことだった。今思えば、あの時はとても穏やかで平和なひと時であったなと、シオンは密かにしみじみとする。


「シオン、覚えておくといいですよ。仕事はただ完遂するのではなく、付加価値を付けることで真に世の中に貢献するものだと。そのためには多少の悪だくみも必要です」


 悪びれた様子を一切見せずに、ハハッと短く笑うイグナーツ――そんな上司に、シオンは冷ややかな視線を返した。


「いつか本当に酷い恨みを買われて殺されるぞ」

「慣れています。おかげで大陸各地に配備した人形のストックが足りなくなってきているのが最近の悩みです。あれも結構ガタが来やすい代物ですしね」


 おそらく、恨みを買った誰かから日常的に人形を攻撃されているのだろう。果たして今の話を笑えると思って言ってきたのか、シオンは困惑した。


「反応に困る冗談はやめてくれ」

「いいじゃないですか。もう少しで、冗談でも笑えない現場を目の当たりにするんですし、今のうちに肩の力を抜きましょう」


 イグナーツは仕切り直すように言って、煙草を取り出す。


「ともあれ、お互い感情の起伏には気を付けましょうか。ガイウス曰く、あの国は今、“地獄”らしいので」


 そう言って火を点けたあとの黒い双眸は鋭く、思わずシオンも気を引き締めるほどだった。

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