第二章 魂を鬻ぐ者Ⅳ
シオンとイグナーツが会談の間から退室し、それから間もなくステラとガイウスによるログレス王国復興の協議が進められた。主な論点は、今回の侵略被害に伴う経済的損失と政治面での人材補填だった。ガリア公国が教皇庁の決定によりアウソニア連邦の属州と化したため、賠償金、および経済支援については、ステラからの言い値が教皇であるガイウスの一言返事ですべて承認される形となった。また、ステラが取り仕切ることになる王政には現状の絶対君主制を維持する方針となり、まだ政治に疎いステラを補佐するため、ガイウスが選定した国内の有力貴族――無論、ガリア公国に最後まで抵抗していた者たちを当座的に起用し、新しい官僚制を敷くことになった。
こうして一時間ほどで議論がまとまり、協議が今ちょうど終わりを迎えるところだった。
「本日はありがとうございました。ログレスの再興にここまで手厚くご支援いただき、感謝いたします」
ステラは着席したまま、深々と頭を下げた。ガイウスは多くの人々を亡き者にしようと画策している男ではあるが、今回の協議での対応は誠実そのものであり、真にログレス王国を復興するために働きかけている点については、疑うまでもなくステラも感じ取っていた。
しかし、それでもガイウスに対する疑念と敵意は拭えない。国の再建という目的そのものに嘘偽りはないのであろうが、シオンたちが同席していた時に聞いた話の内容の限りでは、それすらもガイウスの企てる凶悪な計画の一部であることは容易に想像できた。
自国を手厚く支援してくれることには有難い一方、やはり利用されている実感があまりにも強いため、今後、この男に対してどう振る舞うべきか、ステラは苛まれた。
「……あの、何か?」
そんな胸中が顔に出ていたのか、協議が終了してもなお、ガイウスはステラを見据えたままだった。
そうやってステラが不安げに訊くと、
「まだ話したそうな顔をしているな」
ガイウスはそう応えた。
「シオンたちが同席していた時に話した件だろう。まだ少し時間がある。訊きたいことがあれば、時間の許す限り答えよう」
これはチャンスなのだろうか――ステラは、まだ何かガイウスから情報を引き出せるのかもしれないと、この提案を受け入れることにした。
「ログレスの復興に協力いただけているのも、先ほど猊下からお聞かせいただいた計画の一部のため、なんですよね?」
おずおずと顔色を伺うように質問してみたが、ガイウスはあっさりと頷いた。
「そうだな。君が人類の指導者になった際、ログレスという国が新たな時代の基盤になる。それを見越してのことだ」
今なら何を訊いてもすべて答えてくれるかもしれない――ステラはそんな淡い希望を頼りに、さらに続ける。
「王都キャメロットが“セフィロト”の効果範囲から外れているのも、それが理由ですか?」
途端、ガイウスの表情が微かに変わった。“セフィロト”――間違いなく、ガイウスはこの言葉に驚きの反応を見せたのだ。それまで何事にも動じていなかったガイウスの意外な変化に、ステラも釣られて驚く。
「……驚いた。“セフィロト”の存在まで知っていたのか。マリアとリディアの日記からシオンたちがそれを知り、君に伝えたのか?」
これまで何を言っても淡白な切り返ししかしなかったガイウスが、初めて他人の話に食らいついた。
ステラは、両手に拳を握り締め、意を決する。
「“セフィロト”は、創世の魔術を行使するために必要な印章、ですよね? 仰る通り、シオンさんたちから聞きました。過去に聖王が用いたとされる特殊な印象で、その実態は、“セフィラ”と呼ばれる十個の印章を繋げた巨大な連結印章であり、かつて聖王が利用した“セフィラ”が大陸各地に残存していること。そして、後に生み出される“騎士の聖痕”にも応用されることになったことも」
ステラの説明を受け、ガイウスは傾聴の眼差しを返す。
「吸血鬼の国――ダキア公国で見た大陸の地図は東側を上にしたものでした。その時、このユリアラン大陸が巨大な樹のように見えたのを覚えています。シオンさんたちからセフィロトのことを知らされてピンときました。大陸の東側を上にした地図にセフィロトを重ねると、セフィラの一つである“ネツァク”が、ちょうどダキア公国に位置していました。私をガリアの目から遠ざけていた時、猊下はネツァクの印章の存在を確認することも目的にしていたんですね?」
ガイウスは数秒黙ったあと、観念したように息を吐きだす。
「恐れ入った。その通りだ。ネツァクだけが、聖域にある写本から情報を引き出せなかった。そのために、吸血鬼たちの内部紛争を利用し、調べることにした」
「ですが、セフィロトが巨大な連結印章である以上、構成要素のセフィラは“パス”で繋げなければなりません。聖王は当時、国と国を繋ぐ巨大な街道や河川を利用していたと、日記を読んだシオンさんたちから聞きました。しかし、千年以上たった今、それらはもうすでに存在しません。たとえセフィラだけが今も完全に存在していたとして、術を発動させることはできないはず。まして、これからかつてのパスに代わるものを造ろうとすれば、途方もない時間と労力がかかります。猊下は、どうやって創世の魔術を発動させるつもりですか?」
それまで興味深げにステラの話を聞いていたガイウスだったが、興ざめしたかのように、すんと態度を変えた。
「それを言うわけがないだろう。君から騎士団に伝えられては、計画に大きな支障が出る。情報を引き出すにしても、少し焦りすぎだ」
ガイウスから指摘され、ステラは、うっ、と顔を顰める。
「だが、そこまで整理できたことは賞賛しよう。特に、大陸の形を樹に準え、セフィロトを重ねたのはいい着眼点だった。このことはすでにシオンたちにも?」
ステラが首を横に振ると、ガイウスは小さく鼻を鳴らした。
「ならすぐに伝えるといい。おおかた、確証を得ていなかったため、不用意に自分の推理を言いだせなかったのだろうな。だが、見事正解だ。あいつらも、君の成長に驚き、喜ぶだろう」
ガイウスはそこで一度区切り、足を組み直した。
「他に訊きたいことは?」
「この計画の最終目標は、いつごろに決められたんですか? 少なくとも、ガリアがログレスを実効支配した時――いいえ、前回の聖王祭の時点でも、私を人類の指導者にしようとは考えていなかったと思っています」
「君を指導者にする案が出たのは、ゼーレベルグで君を含めた各国首脳陣と会った時――それの少し前だ」
「どうして、そんな案が出たんですか? イグナーツさんが言っていたように、私はまだ子供です。とても人類を導くような存在にはなりえないと……」
「シオンたちに言った通りだ。それに、政治のやり方は、その能力に長けた信頼できる者に任せればいい。今回の協議で話したようにな。無論、暴走しないために監視などの仕組みは必要だが」
ステラは納得せず、さらにガイウスに睨みを利かせた。
「私を指導者にする案が後発的に出てきたというのなら、この計画は、もともとどういう構想だったんですか? それこそ、シオンさんを黒騎士に仕立て上げた当時は」
ここでガイウスの視線が微かに泳いだ。
「当初は指導者を立てる予定はなかった。ただ単純に、計画の障害となる騎士団の動きを鈍らせ、ガリアを利用して騎士団に依存しない独自の軍事力を身に着ける――そして最後に、多くのヒトを魂へ昇華させるつもりだった」
「では、イグナーツさんが言っていた破滅願望そのものだった、ということでしょうか?」
「それは違う。最初に言ったように、長年にわたる教会中心の社会体制をリセットするという点に変わりはない」
「何故、そうする必要が? 本当に、愛する者を失った憎しみや怨恨――復讐心だけで、こんな恐ろしいことを思いついたんですか?」
刃物の切っ先を通すような声色でステラは訊いた。すると、ガイウスは軽く顔を伏せ、項垂れるような体勢で固まる。
そして、
「――このままいけば、人類はあと百年もせずに滅亡する可能性がある」
何が苦しいのか、押し殺すようにして、小さく言い放った。
突然の宣告に、ステラが呆然とする。
「え?」
「俺の見解ではない。写本――聖王が出した確率の話だ」
ガイウスは頭を上げ、改めてステラを見遣った。
「聖王によって施行された教会による人類の管理体制が、約二千年近くたった今、ついに綻びを見せ始めた」
「どういうことですか?」
「以前、ダキア公国で君に似たような話をしたことがある。教会は独占的に保有する騎士と高度な魔術のおかげで長い間人類を権威のもとに支配していたが、近代化に伴う急速な技術革新と大量生産の時代が到来したことで、それを維持することが難しくなった。その先に訪れるのは、力を付けた各国による、抑圧からの解放を名目にした争いだ。そして、高度に発達した科学技術は際限なく争いのための力となり、人類は自らの手でその歴史に幕を下ろすことになるだろう」
「そんな馬鹿な――」
何を突然、そんな飛躍的な話を――そう思ったステラだったが、言いかけて、すぐに口を閉じた。
何故なら――
「とは、思えないはずだ。ガリア公国が、そのいい例だったからな。仮に俺たちが十字軍の結成にあの国を利用し、粛清しなければ、あの国は強力な軍事力を身に着け、大陸のあらゆる国家を蹂躙していたかもしれない。そうなれば、数十年後には大陸史上最悪の暗黒時代が到来していただろうな」
ガイウスの言った通り、すでにその片鱗をステラは目の当たりにしたからだ。もしガリア公国があのまま野放しにされていれば、その脅威はいずれ教会をも凌ぐ可能性があったかもしれない。
だが、それでもステラは納得できなかった。
「でも、たとえそうだとしても……猊下、貴方が――今この大陸で一番強い権力と軍事力を持つ貴方が、大陸各国にそうならないよう働きかければ変わるのでは? 教皇という絶対的な力があれば、人類を滅亡寸前にまで追いやらなくても――」
そう言いかけて、ステラは吃驚した。あの冷酷無慈悲なガイウスが、これまでに見せたことのない表情をしていたからだ。そこに映るのは悲哀――彼の金色の双眸が、初めて感情に揺れていた。
「――俺も最初はそう思っていたさ……」
そして、ぽつりと、懺悔するかのように言った。
それにステラが呆気に取られている間、ガイウスは一瞬にして顔つきをいつも通りに戻した。
「ヒトはそう簡単に変わらない。変わるには長い年月が必要だ。だが、待つにはあまりにも時代の流れが早すぎる」
ぴしゃりと、ガイウスは場の空気を引き締める。
「それに――」
ガイウスは一息ついて、椅子の背もたれに身体を預けた。
「シオンとイグナーツも、次の任務を終えたら今言った俺の考えに一定の理解を示すかもしれないな。無論、だからといって俺に迎合することは万に一つもないだろうが」
そう言って軽く天井を仰ぐガイウスに、ステラは眉を顰めた。
「どういう意味ですか?」
「今のノリーム王国は、地獄だ」




