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辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第四部
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第二章 魂を鬻ぐ者Ⅱ

 教皇とログレス王国女王の会談――それは、シオンたちがマリアの日記を手に入れてから三週間後に設定された。


 会談の場を利用してガイウスから事の真相を聞き出すため、イグナーツはまずステラにその旨を打診した。シオンの予想通り、ステラはその申し入れを快諾してくれた。問題はガイウスだったが――ガイウスには、ステラから話を通すことになり、意外にもあっさりと同意を得ることになった。


 そして、今日はその会談の日であり、シオンとイグナーツは会場である王都キャメロットの王宮に赴いていた。騎士の正装を身に纏い、厳かな面持ちで回廊を闊歩する。宮殿職員の案内で通されたのは、会談の間と隣接する控室であり、そこにはすでにステラがいた。小奇麗な黒のスーツを纏うその姿には、以前シオンと共に旅をした世間知らずの少女の面影は完全に消え失せている。


「急な申し入れをご快諾いただき、感謝いたします、陛下」


 豪奢な内装の控室、そこの一人掛けの椅子にポツンと座っていたステラが立ち上がると、イグナーツはそう言って深々とお辞儀をして見せた。シオンも後に続いて腰を折ると、ステラは居たたまれない面持ちで首を横に振る。


「私にできることなら、可能な限り協力します。それに、私も教皇の真意は気になりますから」


 面を上げたイグナーツだったが、その顔には依然として敬意と感謝の念が強く込められている。


「ご配慮、痛み入ります。しかも、我々の議題を優先いただけるとは」

「イグナーツさんもシオンさんもお忙しいでしょうし、話すなら先の方がいいと思って。教皇も了承してくれました」


 ステラはそう言って、不意にシオンとイグナーツの後ろに視線を送った。


「あの……エレオノーラさんはいないんですか?」


 その問いにイグナーツは頷いた。


「ええ。私たちが教皇と直接会話の場を設けることに、同席できるのはステラ女王陛下一人というのが条件でしたから」


 ガイウスと会話の場を設ける条件に、同席するメンバーをガイウスが指定するというものがあった。今回の会談には、シオン、イグナーツ、ステラ、そしてガイウスの四人だけが参加することが認められていた。


 イグナーツの回答を受け、ステラは不安げに眉根を寄せた。


「エレオノーラさん、大丈夫ですか? シオンさんから色々聞いてはいますが……」


 言いながらステラはシオンを見遣る。

 シオンは神妙な顔で肩を竦めた。


「取り乱したりはしていないが、さすがに滅入っているようだ。今はとにかく休ませている。今日も、あいつは騎士団本部に残してきた」


 それを聞いたステラは、一言、そうですか、と気遣わしげに息を吐く。


 今回の会談を設けるにあたり、マリアとリディアの日記から得られた情報はステラにも事前に共有されることになった。それはイグナーツの判断であり、ステラを信頼してのことだ。

 日記の内容を知ったステラはかなり動揺していたが、彼女はそれ以上にエレオノーラのことを案じた。長い間苦楽を共にした友人であり恩人でもエレオノーラのことを、多忙の身でありながらステラは常に気にかけている。


 シオンはそのことを嬉しく思う反面、エレオノーラが立ち直るかどうかは先行きがわからないため、どうにも歯切れの悪い複雑な感情を抱いていた。


 そんな胸中が漏れ出したかのように、部屋の中が嫌な沈黙で満たされそうになった――次の瞬間、回廊側の部屋の扉がノックされた。

 間もなく扉が開かれ、姿を現したのは宮殿職員だ。


「陛下、教皇猊下が会談の間に入られました。準備が整いましたら、そちらの直通の扉からお入りください」


 職員はそう言って、部屋の中にあるもう一つの扉を丁寧な所作で指し示した。


「わかりました。猊下の案内、ありがとうございます」


 職員が一礼をして退室すると、ステラはシオンとイグナーツに向き直った。


「シオンさん、イグナーツさん、準備はいいですか?」


 重たい口調で問われた二人は、険しい表情でしっかりと首を縦に振った。


「ああ」「はい」


 それを合図に、ステラは教皇が待つ部屋の扉に手をかけた。

 両開きの大きな扉が仰々しい音を立て、ステラの手に押されて開く。


 会談の間は、天井の中央に大きなシャンデリアを備えた広大な部屋だった。刺繍の入った赤絨毯が満遍なく床に敷かれており、壁には古くに作られた多くの絵画が並べられていた。


 そんな部屋の中央に、木造の長テーブルが一つ置かれている。

 テーブルを挟んでシオンたちの前に座っているのは、ガイウスだ。


 ガイウスは三人の姿を確認すると、まずはステラに目礼をして見せた。ステラはそれに応じる形で深々と腰を曲げて礼を返す。


「お待たせいたしました、教皇猊下。本日はお忙しいなかお時間を頂き、誠にありがとうございます」


 大陸のあらゆる権力者の頂点に立つ存在である教皇――大陸四大国であるログレス王国の女王であってもその序列は一つ下に当たる。


 ガイウスは目の動きで三人に着席を促した。


「結構。早速だが、騎士たちとの話から始めようか。それで――イグナーツ、シオン、俺に何を訊きたい?」


 ガイウスの対応は教皇としてではなく、個人としての振る舞いに見えた。

 シオンとイグナーツは席に着いて早々アイコンタクトを交わす。それから口を開いたのは、イグナーツだ。


「単刀直入にお聞きします。私たちは貴方がやろうとしていることを知りました。人間、亜人に係わらず、人類すべてを魂だけの存在にしようとしていると。何故、そんなことを?」

「個人的な復讐と世界平和の実現、以上だ」


 ガイウスは即答したが、イグナーツは始めからそう返されることを知っていたかのように小さく鼻を鳴らした。


「もう少し具体的に教えてくれますか? 今の回答で我々が納得するとも思っていないでしょう」


 ガイウスは無表情で、目つきもどこか無機質な雰囲気を携えていた。


「“あの家”に訪れたうえでこうして会話の場を設けたということは、マリアが残した日記を見たな。あの日記には、俺とマリア、それにエレオノーラとリディアの関係が記されていたはずだ。その問いにわかりやすく答えるなら――シオン、以前のお前と同じだ。愛した女を理不尽に失い、その原因となったすべてに復讐するつもりだ」


 ガイウスに鋭い視線を向けられ、シオンは反射的に身構える。イグナーツはそれを軽く制止し、その後でガイウスを見た。


「復讐の対象は?」

「リディア、イザベラ・アルボーニ、聖女アナスタシアの三人、それとこの世界の仕組みそのものだ。ちなみに、その三人への復讐はすでに全員済ませた。リディアとイザベラは知っての通り、聖女については数週間前にな」


 突然の告白に、シオンたち三人は揃って驚愕に目を丸くさせる。聖女の安否については、ガイウスたちにその身柄が預けられてから一切世間には知られていなかったが――まさか、すでに始末されていたとは。シオンは当然として、イグナーツすらも把握していなかったのだ。

 イグナーツがガイウスを睨みつける。


「すでに聖女を!? なんてことを……」

「じきに訃報が大陸中に伝えられる。今、パーシヴァルたちが後任の手続きも含めて準備を進めているところだ」


 まるで何気ない明日の予定を伝えるかのような淡々としたガイウスの説明に、イグナーツは堪らず顔を顰めて黙った。

 その間に、今度はシオンが口を開く。


「あの三人は、どうしてマリアを死に陥れたんだ?」

「もとは聖女のくだらない嫉妬と自尊心から生まれた姦計だ。リディアがハーフエルフだと知った聖女があいつを脅してマリアの居場所と情報を聞き出し、それをイザベラ経由で騎士団に密告させた。結果、俺が自らの不始末を片付けるという形でマリアを連行することになり、その後、処刑が執行された」


 不気味なほどに抑揚を欠いたガイウスの声色に、シオンは嫌な焦燥感を覚える。


「何故、そうまでして聖女がマリアを?」

「聖女は俺に惚れていたらしい。リディアからマリアの存在と俺との関係を知り、嫉妬に狂って実行したそうだ。シオン、お前にもそれらしい話は心当たりがあるだろ? お互い、女の嫉妬には頭を悩まされたな」


 シオンのその焦燥感は、次の瞬間には怒りに変わった。ガイウスから挑発のような言葉を受け、シオンは堪らず歯噛みする。


 お前がプリシラを利用したのだろうが――喉にまで出かかったこの言葉を、シオンは有りっ丈の理性で飲み込んだ。

 それから一呼吸おいて、シオンは続ける。


「リディアは聖女の計画に巻き込まれただけだろ。どうして彼女まで殺すことにした?」

「単純な話だ。リディアが俺たちを裏切った――それを赦せなかった」

「裏切った?」

「リディアとマリアは自分たちが混血であることを決して公にしないと、姉妹の間で誓いを立てていた。だが、リディアは聖女に弱みを握られ、マリアの居場所をやむなく伝えることになった」


 だから利用されただけではと、シオンはさらに眉根を寄せる。

 困惑するシオンを尻目に、イグナーツが変わった。


「自分の身可愛さに姉を売ったリディアを赦せなかったと?」

「実姉を売ったという点についてはそうだが、自分の身可愛さとは少し違うだろうな」


 まるで読めない話に、シオンは苛立ち混じりにガイウスを睨む。


「どういう意味だ?」

「リディアは、自身が混血だとバレることより――シオン、お前の身を案じた」


 予想外の言葉に、シオンは当然として、イグナーツとステラも呆けた顔になった。


「俺の身を、案じた……?」

「聖女はマリアの居場所を聞き出すため、リディアを二つの要素で脅した。一つはリディアが混血であること。もう一つは、リディアが管轄する孤児院の存続とそこで生活する孤児たちの安全だ。当時は、お前もまだ孤児としてそこにいたな。つまり、あの女は実の姉より、お前を含めた孤児たちを優先したということだ」


 呆然とするシオン――ステラが、ハッとして身を乗り出した。


「猊下、以前ダキア公国でお話しした時、貴方はこう仰っていました。リディアさんのことが憎い、だからシオンさんを苦しめたと。ようやく、その意味がはっきり理解できました。自分が受けた苦しみ――大事なヒトが誰かに裏切られた苦しみを、リディアさんにも与えようとしたんですね。師である貴方がシオンさんを裏切ることで……」

「理解が良くて助かる」


 ただの悪趣味な仕返しであったことを明かされたにも係わらず、ガイウスの顔はいたって平然としていた。

 むしろ、イグナーツの方がその不快さに羞恥心を覚えたような顔つきになった。


「まさか、とは思いますが、そのためだけにシオンを弟子に迎え入れたのですか?」

「いや、シオンが俺の弟子になったのは偶然だ。“帰天”を扱える素質を持つ従騎士は、同じく“帰天”を使える騎士を師にしなければならない。当時は俺以外に条件を満たす騎士はいなかった。俺はその機会を利用したにすぎない」


 胸糞が悪いと、今にもイグナーツの口からそんな言葉が吐き捨てられそうだった。

 イグナーツは、静かになってしまったシオンを横目で見る。


「シオン、話を続けるのが厳しければ、席を外しても――」

「アンタは始めから俺を利用していただけってことか?」


 イグナーツの気遣いに反し、シオンは毅然としていた。その赤い双眸には、強烈な敵意が宿されている。


「そうなるな」


 ガイウスの応えに、シオンは敵意を殺意に変えた。


「それを聞けて良かった。今度こそ躊躇いなく、何の迷いもなく、アンタに斬りかかれる」


 シオンの声色は、まるで刃を通すように鋭く、冷たかった。隣のイグナーツとステラが、堪らず息を呑むほどの気迫である。


 そして、それを真正面から受けたガイウスは――


「それでいい」


 弟子の成長を目の当たりにしたかのような眼差しで、淡々と、しかし無表情ながらも満足そうにしていた。


 いったいこの師弟は何を考えて生きているのか――イグナーツがそう言いたげな顔で呆れの溜め息を大きく吐いた。


「三人への復讐心については概ね理解しました。リディアがそうとして――聖女は主犯だから、イザベラは実行犯だから、といったところでしょう。では、世界の仕組みに対する復讐とは?」

「ステラ女王陛下には前に話したな。亜人は聖王が造り出した存在だと。そして、亜人が人間を支配し、それに対抗するために騎士が、その後の管理体制のために教会が生まれたと。お前たちもマリアとリディアの日記を見たのなら、その辺の知識は得ただろう」


 三人が沈黙で同意すると、ガイウスはさらに続けた。


「混血が認められない世界こそが、マリアを死に至らしめた原因だ。これを変えることこそが、俺の復讐の最終到達点であり――真の平和へつながる架け橋だ」


 それを聞いたイグナーツが、殊更に嫌悪に顔を歪めた。同時に、ガイウスに侮蔑の眼差しを送り、小馬鹿にした笑いを漏らす。


「だから全人類を魂に変えてしまえと? 人種、もとい肉体がなくなり、胡乱な意識だけが残る存在になれば、確かにこんな面倒な問題は起こらないでしょうね。ですが、あまりにも極端で浅はか、発想そのものが馬鹿げている。平和を享受するべき存在すらも消し去った世界にいったい何の価値があるのか」

「平和を享受するべき存在なら残る」


 ガイウスの切り返しに、イグナーツは面食らった。それはシオンとステラも同様で、暫し会談の間に無音の時間が流れる。


 ガイウスは、その金色の瞳をステラに向けた。


「確定しているのは、ここにいるステラ女王陛下が、まずその一人」


 その言葉に、さらに三人は困惑に黙ってしまう。


「俺がただ全人類を皆殺しにするだけだと思ったか?」


 ガイウスは少し疲れたように息を吐き、椅子に座りなおした。


「復讐の話がもういいなら、次に移ろう。世界平和の実現についてだ」

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