第二章 魂を鬻ぐ者Ⅰ
「エレオノーラのこと、他の議席持ちにも説明するのか?」
イグナーツの私室――これまで入手した情報の整理を終え、一息ついたタイミングでシオンがそう切り出した。
聞かれて、イグナーツは咥えようとした煙草をいったん止めた。
「いいえ。時を見計らって、総長には私から伝えます。現状、総長以外は身内でも信じられませんから」
「相変わらず猜疑心が強いな」
シオンの言葉にイグナーツは肩を竦める。
「私にそれは褒め言葉にしかなりませんよ。機密情報の共有範囲は必要最低限にすることが、計画を円滑に進めるうえでの原則です。念のための確認ですが、私たち以外でエレオノーラが混血だと知っているのはステラ女王陛下と、村にいたエレオノーラの知り合いの女性、それとガイウスで間違いないですか?」
シオンは頷いた。
「ああ。ステラのことは信じていい。ああ見えて口が堅いし、発言には頭をよく使っている」
「知っています。問題はガイウスですか。パーシヴァルたちにもその事実を伝えている可能性はありますが、ひとまずは放置しておきますか。最悪、存在するだけで計画の障害になりえるエレオノーラを始末することも考えられますが、いま彼女の身に何も起きていないことを鑑みれば、その手段は取らなさそうです」
「マリアの日記、それと一緒にあった写真を見た限りでは、ガイウスは産まれたばかりのエレオノーラに確かな愛情を持っていたように思える。だからエレオノーラを生かしているのか?」
シオンの疑問に、イグナーツは小さく鼻を鳴らした。それから煙草に火を点け、大きく吹かす。
「さあ? 私はガイウスではないので。少なくとも、ガイウスはちょっと前まではエレオノーラが自分の娘であると知らなかったと思われます。以前、私にエレオノーラの正体を問い詰めたことがありましたが、恐らくその時に勘付いて独自に調べたのかもしれませんね。成人したエレオノーラの顔写真を見て、自分か妻の面影を見たことは大いに考えられます。だからと言って、急に愛情を取り戻したとも考えにくいですが。それに、どちらかと言えば私は貴方とは違う見解です」
「なら、アンタはどう考えている?」
「エレオノーラの存在が脅威ではなくなった――もうすでに奴らの計画がその段階まで進んでいるのではと考えています。自分が愛した女よりも、騎士である自身の影響力と責務を優先した男です。それくらい非情になれるはず」
しかし、シオンは腑に落ちない面持ちで眉を顰める。
「マリアの日記には、ガイウスがマリアより騎士としての立場を守るように説得するつもりだと書かれていた。そして、それは現実になった」
「それが?」
「俺は、それがどうしても気にかかる」
その一言を聞いたイグナーツの目が、すっと細められる。
「結局、貴方はガイウスの動機を知りたい、そういうことですか?」
イグナーツは、まだ長い煙草を灰皿に押し付けたあと、改めてシオンを見遣る。
「シオン、貴方なら察することができるのでは? 何故なら貴方もそうだったから。リディアを助けることよりも、彼女の遺言に従った。結果、大陸中の反ガリア思想を持つ亜人弾圧に踏み切ったガリア軍を単身で相手取り、教会を混乱状態にさせることになった。まあ、それもすべてガイウスが裏で手引きしたことであると知った今となっては、貴方を責めるつもりは微塵もありませんが」
そう諭したイグナーツであったが、シオンの表情はいまだに険しいままだった。ガイウスの動機など知ったところで事態が好転することもなし――そのことはシオンも理解はしているが、殊更に不服であると顔に出ていた。
イグナーツは軽く天井を仰ぎ、長い呆れの溜め息を吐いた。
「騎士団分裂戦争以降、私も貴方の扱いがかなりうまくなったようです。このまま駄目だ駄目だと言い続けたら、また勝手な行動をするのは目に見えている」
不意にイグナーツは前のめりになり、シオンに鋭い視線を向けた。
「この件についてガイウスと直接話しますか? 無論、私も同席させてもらいますが」
思いもよらない提案に、シオンは目を丸くさせる。
「できるのか? 今、騎士団はそう簡単に教皇と接触できないはずじゃ……」
「これはまだ調整中の話ですが――近々、ステラ女王陛下が教皇と会話の場を設ける予定です。その場を少し利用させてもらえれば、いけるでしょう。当然、陛下とガイウス、両方の許可が必要ですが」
おそらくは、ログレス王国復興に向けた協議の場だろうと、シオンは考えた。ガイウスと接触することができる限られた機会――これを逃すことはできない。
シオンは一気に覇気を得たように、体に力を込めた。
その直後、
「その場では絶対にガイウスに斬りかからないと約束できるのであれば、手配してみましょう。もしその約束を破った場合は、私は躊躇いなく貴方を処分します。どうします?」
イグナーツが釘を刺すように、鋭く言った。
しかし、シオンは臆することもなく、力強く首を縦に振った。
「頼む。約束も絶対に守る」
「何に誓って?」
さらにイグナーツが問いかけ、シオンは少し沈黙する。それから数秒経ったあと、その赤い火のような双眸をイグナーツに返す。
「自分の騎士の矜持に誓って」
シオンの応えに、イグナーツは小さく笑った。
「よろしい」




