第一章 父と子とⅤ
エレオノーラの旧宅前に戻ったシオンたち――そこでシオンは、ガリア粛清からこれまでの事の経緯をイグナーツに説明した。
イグナーツは新しい煙草に火を点けると、納得した様子で紫煙を大きく吐き出す。
「――なるほど。それで、エレオノーラが幼少期まで住んでいたこの家に訪れたと」
その後で、イグナーツは芳しくない面持ちで微かに首を捻る。
「正直、ガイウスたちの関係がどうだったのか知るためにここを調べても、何も期待はできないですが――まあ、さほど労力のかかることでもない。納得のするようにしなさい」
そう言われたシオンは、イグナーツを静かに睨んだ。
「エレオノーラが混血であることと、父親がガイウスであることを知っていたアンタは、“マリア”のことも知っていたのか?」
「存在は知っていました。彼女はガイウスが連れて、騎士団に処分されましたから」
“処分”というモノを扱うようなイグナーツの言葉に、エレオノーラは少しだけ寂しそうに眉根を寄せた。それに気づいたシオンが、殊更に表情を強張らせる。
だが、イグナーツはいたって冷ややかだった。
「今はいちいち言葉を選びませんよ。気分を害したのなら、後で謝ります」
エレオノーラはイグナーツとは視線を合わせず、小さく首を横に振る。
「いえ……大丈夫です」
シオンはそれを横目で見遣ったあと、さらにイグナーツへ質問を続けた。
「じゃあ、ガイウスと“マリア”の関係は?」
「それは知りませんでした。あのガイウスが、まさかハーフエルフと体の関係を持っていたなんて、当時は微塵も思わなかったですから。まして、自ら処分するために連行した女と」
「ならアンタは、エレオノーラはガイウスと誰の子供だと思っていた?」
「何だか含みのある言い方ですね。どういう意味――」
「“リディア”がハーフエルフだってことも、アンタは最初から知っていたんじゃないのか? エレオノーラが、ガイウスと“リディア”の間に産まれた子供だと予想したことは?」
語気を強めたシオンだったが、イグナーツは特に面食らった様子もなく、淡々と溜息を吐いた。
「さて、どうなんでしょうね」
イグナーツは煙草の火を消し、改めてシオンを真摯に見る。
「もしもの話をするのであれば――“リディア”の生体情報を手にすることがあったのなら、私が彼女の正体――彼女がハーフエルフだと知ることもあったでしょう。ですが、影響力こそ大きかったものの、“リディア”はあくまで一介のシスターにしかすぎませんでした。教会魔術師や騎士のように、血液検査を必ず受けさせられる身分ではなかったですからね」
果たしてこの男の言うことをどこまで信じればよいのか――シオンは、一抹の疑念を払拭できず、さらに顔を険しくする。
それを見たイグナーツが、やれやれと呆れ気味に肩を竦めた。
「そんなことより、さっさと家の中を調べなくてよいのですか?」
それもそうだと、シオンはエレオノーラと顔を見合わせた。
すると、イグナーツが小さく笑って自身の魔術で造り出した即席の椅子に腰を掛ける。
「家の中には、貴方たち二人で入るといいです。またガイウスたちがここに戻ってくるとも限りませんからね。私はここで周囲を見張っています」
そう促され、シオンとエレオノーラは緊張の面持ちで家の中に入った。
玄関扉を開けると、そこにはすぐにダイニングがあった。二人掛けのテーブルには、クロスと花瓶が置かれたままだ。すぐ近くの壁際にはガスコンロではなく小さな竈を備えた古い様式のキッチンがあり、食器や料理器具が当時の状態で置かれていたことから、今もなお微かに生活臭のする雰囲気が漂っていた。埃を被っており、蜘蛛の巣も所々張っているような有様だが、家具なども形を保ったままだ。
かつての自宅を目の当たりにしたエレオノーラは、どことなく嬉しそうに、それでいて物憂げに目を細める。
「もっとぼろぼろかと思ったんだけど、綺麗な方かも」
シオンは、そんなエレオノーラに一度許可を得ることにした。
「家の中、探るけどいいな?」
エレオノーラが無言で頷き、シオンは家の奥に向かって足を踏み出した。
歩き出すと、木造の床が酷い音を立てて軋んだ。抜けることはなさそうだが、不注意で躓くくらいのことは起きそうなほどに痛んでいる。
それから二人は、本棚や食器棚といった家具を中心に、“当てのない物探し”を始めた。いったい何を見つければよいのかわからないまま、とにかく家の中を探索する。
黙々と手を動かすシオンの傍ら、エレオノーラは昔の私物などを見つけて、懐かしさと郷愁に感嘆の声を上げていた。
そんな調子で約三十分の時間が経った時、
「どうかな? 何かありそうだった?」
「まだ何も見つけられていない」
諦めるにはまだ早いが、ガイウス、“マリア”、“リディア”、あの三人の関係を知るのに繋がるものは、やはりないのかもしれないと、頭の中に浮かび始めた。
しかし――
「あれ……?」
不意に、エレオノーラがキッチンの周辺で立ち止まった。その視線は、下の石畳に向けられている。家の一階は、キッチン周りの床だけ木造ではなく、石造りだった。
「どうした?」
シオンが隣に付くと、エレオノーラは落とし物を探すような所作で床を手でなぞった。
「ここ、床下に小さな物置があったはず……」
「物置?」
「うん。って言っても、樽半分が入るか入らないかくらいの大きさしかない、食材の保管庫。その取り出し口の蓋だけ石畳じゃなく、木の板だったんだ」
シオンは、エレオノーラが手を当てる部分を注意深く見る。すると、マンホールの蓋より一回りほど大きいサイズで、四角い妙な繋ぎ目が床にあることを確認した。おそらくは、その物置の蓋を魔術で塞いだ跡だろう。
「エレオノーラ、魔術で床の表面を取り除けるか?」
シオンに言われ、エレオノーラは頷いた。様々な印章を記した手帳を懐から取り出し、そのうちの一ページを破って手に取る。そのあとで、物置の蓋があったと思われる箇所に破った紙を置き、魔術を発動させた。青い微かな光を出したあと、石畳の下から、エレオノーラの言う通り、取っ手の付いた木製の蓋が姿を現す。
シオンは躊躇いなく取っ手を掴み、蓋を開けた。瞬間、鼻腔を突く強烈な腐敗臭に二人は顔を顰める。
そして、そこには――
「……あった」
腐った食材の上に、少し大きめの麻の袋が置かれていた。袋の中身は、さらに何重にも麻の袋や布で覆われており――最終的に取り出されたのは、
「――“リディア”さんのと同じ表紙の、日記だ」
一冊の日記だった。それはエレオノーラが言った通り、古代エルフ語で記された“リディア”の日記と同様のものであった。
早速中身を確認しようと、エレオノーラが一枚捲った矢先――
「何か落ちた」
ひらりと、小さな紙が一枚、床に落ちた。
シオンがそれを手に取り、確認すると、
「写真――」
かなり色褪せた、古い写真だった。辛うじて三人――いや、四人が映っていることがわかる。
一人は男、もう二人は女、そしてもう一人は、女の一人が抱える生後間もない赤子だった。
さらに、写真の下の方には、メッセージが一つ手書きで残されていた。
「――“最愛の夫と、娘と、妹に、神の祝福があらんことを”」




