第一章 父と子とⅡ
推敲と修正は後ほどやります・・・。
2月あたりまで更新遅めになりそうです・・・。
「想像以上に閑散としているな」
オルタは、牛車の停留所から少し離れたところにあった。山の麓にある小さな湖を中心にした農村であり、シオンとエレオノーラは牛車から降りたあと、十五分ほどその湖に向かって緩やかな傾斜を下った。
オルタに着いて開口一番にシオンが言った通り、人気はほとんどない。建ち並ぶ家屋も手入れや修繕がされておらず、扉や窓が割れていたり、蔦や苔を纏っていたりで、未だにヒトが住んでいるのか、疑わしい有様だった。
「昔はもう少し活気があったんだけどね。御者のおじいさんの言う通り、イザベラがこの地域に目を付けたからこうなったんだと思う」
オルタの寂れた景観を見たエレオノーラが、郷愁と憂いに目を細めた。
そんな彼女を、シオンは憐憫の眼差しで見遣る。
「……この地域を管理している総督は誰なんだ?」
「オルタはどの属州にも入っていない、アウソニアでも珍しい村なんだ。だからこそ、アタシたち母娘が正体を隠しながら生活できていたんだけど」
二人は話しながら村の中へ歩みを進めた。
視界に村人が映ることこそなかったが、家屋の窓や物陰からは、微かなヒトの気配が感じ取れた。
「視線を感じる。今でも完全な無人、というわけではなさそうだ」
文字通り、針で指されるような視線を僅かながらに感じた。湖から漂う冷たい空気も相まって、妙な肌寒さを覚える居心地の悪さだった。
本来であれば、エレオノーラの家に行くのであれば、村の中に入る必要もなかったのだが、彼女が一目だけでも今のオルタを確認したいと言ったため、こうして足を運ぶことになった。しかし、結果はこの通り――始めからわかっていたが、歓迎されるようなものではまったくなく、早々にその選択をしたことが悔やまれた。
この辺で切り上げ、さっさと目的の場所に行こうと、シオンがエレオノーラに提案しようとした――その時だった。
不意に、二人の背後から敵意にも似た気配が近づいてきた。
「ちょっと、アンタら」
振り返ると、そこには老いた女が一人、立っていた。歳は六十を超えているだろうか、それよりもさらに上か――顔のいたるところに深い皺を刻み、目つきが非常に悪い。頭部をスカーフで丸ごと覆い、ケープのようなぼろぼろの外套を身に纏っている。
女は、シオンとエレオノーラを交互に見遣ったあと、じろりとさらに目つきを鋭くした。
「外のヒトかい? 何の用でこの村に来たのかは知らんけど、ここには何もないよ。さっさと帰んな」
いきなり辛辣な言葉を投げ、さらにはシオンたちの足元に唾を吐きつけてきた。
よそ者に対して風当たりが冷たい村はシオンも幾度となく経験しているが、ここまであからさまなのも初めてだと、辟易して溜息を吐く。
「長居はしない。用を済ませたらすぐにここから出る」
「……若い男と女がいったい何の用があるんだかねぇ。盛る場所探してるんなら、他を当たりな!」
女は最後に悪態を吐いて、しっしっと、まるで魔除けをするように勢いよく手を振った。
言われなくてもと、シオンが早速踵を返す。そんな彼の耳元に、エレオノーラが顔を近づけた。
「外のヒトに敏感になってるみたい。昔は人当たりのいい村人が多かったんだけど――」
「ちょっと待ちな」
エレオノーラが故郷のフォローを入れようとした時、突然、女が声色を変えて呼び止めてきた。先ほどまでの敵意剥き出しの声とは打って変わり、驚きに上擦っている。
何事かと、シオンとエレオノーラは同時に女に振り向いた。
すると、
「アンタ……もしかして、エレオノーラちゃんかい?」
女は、双眸を震わせながら、しわがれた声を弱々しく発した。
「エレオノーラちゃん? エレオノーラちゃんなんだろ!?」
よろよろと、女は両手を頼りなく前に出しながらエレオノーラに近づいていく。
そこで、エレオノーラも何かに気付いたように、ハッとした。
「……カーラ、おばさん?」
エレオノーラが、女の名と思しき言葉を発した途端、女は、感極まった様子で嗚咽を漏らした。そして、両目から大量の涙を流しながら、エレオノーラに向かって倒れこむように縋り付く。
「生きてたんだね……! 生きてたんだね……!」
カーラと呼ばれた女は、困惑するエレオノーラの腰のあたりで、辺りも憚らず咽び泣き始めた。
「お母さんのこと、残念だったねぇ……ごめんねぇ……! 何もできなくて、ごめんねぇ……!」
そうやって何度も謝罪の言葉を述べたあと、ついに大声を上げて地面に両膝を付いた。
そこでようやく、エレオノーラは事態を把握したようだった。足元で泣き崩れるカーラの両肩を支えながら、エレオノーラもまた目にうっすらと涙を浮かべ、言葉を詰まらせていた。
「知り合いか?」
シオンが訊くと、エレオノーラは静かに頷いた。
「……このヒトは、カーラおばさん。昔、村の外れに住んでいた時、アタシたち母娘のことを気にかけて色々良くしてくれたんだ。それと――アタシたちの正体を知る数少ないヒトでもあるの」
なるほど、と、シオンは小さく言って体の緊張を解いた。
エレオノーラが、カーラの背中を撫でながら、その顔を覗き込む。
「おばさん、アタシは大丈夫だよ。そんなに謝らないで」
「よかった……! エレオノーラちゃんだけでも生きてて、本当に良かった……!」
※
カーラが落ち着いてから、シオンとエレオノーラは彼女の家に案内されることになった。古めかしいレンガ造りの小さな家で、風化してぼろぼろになった箇所は隙間風が入るほどに痛んでいた。
エレオノーラは、家の中央にある二人掛けのテーブルにカーラと向かい合って座り、この村に訪れた事の経緯を話した。
一通りの説明を聞き終えたカーラは、悲哀と憐れみの感情を顔に浮かべながらも、優しく微笑した。
「……そうかい。きっとお母さんも――“マリア”さんも喜ぶよ」
カーラには、昔住んでいた家の様子を見ることで、エレオノーラの母親――“マリア”を慰霊すると説明した。
カーラは続けて、エレオノーラをじっと見つめる。
「それにしても驚いたよ。すっかり美人さんになっちゃって。そのピンク色の髪もよく似合ってるじゃないか。アタシはちっちゃいときの金髪の方が好きだけどねぇ」
まるで親戚のように、エレオノーラのことを褒めた。
それを聞いたエレオノーラは照れ臭そうに笑ったあと、少しだけ表情を真面目に戻す。
「あのね、おばさん。急にお願いしちゃうんだけど、アタシたちがここに来たってことは――」
「当然、誰にも言わないさ。もし誰かに聞かれた時は、若い男女が新婚旅行中に道を間違えて迷い込んだとか、適当に答えるよ」
すると、またもやエレオノーラは、嬉しそうな、恥ずかしそうな、なんとも言えないにやけ顔になった。
二人が座るテーブルから少し離れたところで壁を背に立つシオンは、夫婦の設定なんて一言も伝えてないのに新婚旅行なんて発想どこから生まれた、と不思議に思いつつも、
「外からヒトが来ること、やっぱり相当珍しいのか?」
カーラの先の発言を聞いて生まれたもう一つの疑問の方を訊いた。
すると、カーラは物思いに耽るように天井を仰ぐ。
「そうだねぇ。少なくとも、アンタたちが来るまでは直近半年は誰も来なかったよ」
その回答に、シオンは眉根を寄せた。
「……誰も?」
「そうさ。こんな何もない村に来るもの好き、そうそういないよ」
御者の老人の話では、確か昨日、何者かが墓参りにこの村を訪れていたと言っていたはず――シオンはさらに続けた。
「昨日、誰も来なかったのか? 牛車の御者が、昨日、墓参りのために誰かがここを訪れたと言っていたが」
「確かに牛車のジジイは昨日もここに物資を運びに来たけど、そんな奴、アタシは見てないねぇ。あ、でも――」
カーラは、何かを思いついたような声を上げた。
「村に入ってこなければ、牛車に乗っていたとしても気づくことはないと思うよ。アンタたちも牛車使ったならわかるだろ? 停留所からこの村までちょっと距離があるの。もしかしたら、その墓参りをしに来たってヒト、村の外の方に向かったのかもねぇ。ただ、村の外に墓なんかあったかどうか……」
シオンとエレオノーラは互いに視線を交わし、双方、違和感を覚えることを無言で伝えあった。
次に、エレオノーラが口を開く。
「ねえ、おばさん。昔、アタシとお母さんが住んでいた家、まだあるんだよね?」
「あるのは間違いないはずだけど、アタシももう何年もあそこには近づいていないから、今はどんな姿になっているか。新しくヒトが住んでいるなんてことも聞いてないし、こう言っちゃなんだけど、最悪、獣の巣やごろつきたちの隠れ家にされているなんてことも……」
「そっか……」
エレオノーラは少しだけ寂しそうに言って、椅子から立ち上がった。
「ありがと、おばさん。知っているヒトに会えてよかったよ」
「もう行くのかい?」
「うん、あまり時間がなくて」
カーラも椅子から立ち上がる。
「そうかい。気を付けてね」
カーラは、暫く物寂しそうにエレオノーラを見ていたが、それ以上呼び止めることなく、大人しく頷いた。
そのあと、シオンとエレオノーラが家を出ると――
「ちょっと、アンタ」
唐突に、カーラがシオンを呼び止めた。
「エレオノーラちゃんのこと、しっかり守りなさいよ」
妙に険しい顔つきで、カーラがそう言ってきた。
いったい何を思っての発言だろうと、シオンは怪訝になったが、
「ああ」
もとよりそのつもりだと、短く答えた。
※
「結構、村から離れてるんだな」
カーラの家を出てから二十分が経過した。シオンとエレオノーラは、オルタの村から一度牛車の停留所近辺まで戻り、そこから目的地のある山の中に向かって歩いた。
幸いにも山の中は木々の密度が薄かったため見通しが良く、麓の湖と村も見下ろせるほどに視界は良好だった。しかし、思いのほか傾斜があり、そう気軽に足を運ぶ場所ではないことであると、シオンはすぐに実感した。
「そうだね。歩いて三十分以上はかかるかも。山の方に向かっていくから、道のりも険しいし、小さい時は村と行き来するのもそれなりに大変だったよ」
苦笑しながら、それでいて昔を懐かしむように、エレオノーラは言った。どことなく嬉しそうにしているエレオノーラを見たシオンは、少しだけ安心した面持ちになった。
「あのカーラとかいう女はお前たちの正体を知っていると言っていたが、他の村人たちはどうだったんだ?」
「おばさん以外は知らないはずだったよ。お母さんは里を追われたエルフで、アタシはお母さんに拾われた人間の子供ってことで世間には通してたから。血の繋がっていない母娘を演じるのは、子供ながらに寂しかったよ。だからこそ、お母さんと一緒におばさんのところに行った時は楽しかったな。あのヒトだけが、アタシたちが本当の母娘だってことを前提に接してくれたから」
機嫌よく話すエレオノーラ――しかし、唐突に眉根を寄せた。
突然、シオンがしゃがみ込み、地面を確認し始めたからだ。
「どうしたの?」
エレオノーラが覗き込むと、シオンは厳しい表情を見せて返した。彼が添える手元の地面には、小さな抉られた地面の跡がある。それは間違いなく――
「靴跡だ」
「靴跡?」
「それもまだ新しい」
何者かが付けた靴跡だった。人通りがまずないと言っていいこの道を、いったい誰が通ったのか――シオンの胸中に、一抹の不安が生まれる。
「誰だろう。この先、アタシが住んでいた家くらいしかないのに。旅人とかかな?」
しかし、シオンはその問いに即答しなかった。
「シオン?」
「……この足跡、革靴だ。それも、恐らくはフォーマルな場で使われるような」
エレオノーラが再度訊くと、シオンは靴跡をなぞりながら答えた。
「仮にお前の言う通り旅人だとして、こんな悪路を革靴で移動するのは不自然だ」
「遭難者とか?」
「見通しの悪い山なら山頂に向かって歩くことも考えられるが、ここからでも麓の村と湖が見える。遭難者なら村の方に向かうはずだ」
「もしかして、御者のおじいさんが言っていた墓参りに来たヒト? でも、こっちの方角にお墓なんてないはずだけど……新しくできたのかな?」
「わざわざこんな険しい山道の先に墓を作ることも考えにくい。誰かはまったく予想つかないが、念のため用心しておこう」
それからさらに十分、二人は山中を歩き続けた。
やがて傾斜が緩やかになり、木々も少なくなってくる。かつてエレオノーラが母親と一緒に住んでいたという家が、すぐそこにまで迫っていた。
そしてついに、目視でその家を確認できる距離にまで到達した。家は丸太造りの一階建てで、一般的な家屋よりも小さかった。屋根は劣化で所々剥げ落ち、外壁には様々な植物が纏わりついている有様だ。
しかし――
「……誰かいる」
家の玄関前にある小さな切り株に、何者かがこちらに背を向ける形で腰を掛けていた。おそらく、先ほどの靴跡の主だろう。それに、シオンが予想した通り、旅人にしては身なりが整っており、黒いコートにスーツ姿で、その景観にあってはあまりにも不自然だった。
「――!?」
直後、シオンはその赤い双眸を見開いた。
――まさか……。
エレオノーラを置き去りに、その人物に向かって勢いよく走り出す。
――まさか……!
何故なら、その背中には、“嫌というほど見覚え”があったからだ。
――まさか!
ガイウス・ヴァレンタイン――シオンの師であり、エレオノーラの実父である男の姿が、そこにはあった。
12/15更新
ちょっとプライベートが大変な状況でして、今週もお休みです・・・。
年末年始にならないと少し厳しそうな所感であります・・・。




