第一章 父と子とⅠ
教皇庁本部、ルーデリア大聖堂――教皇の執務室へと続く回廊にて、ランスロットはパーシヴァルとすれ違った。特段、用もないためにランスロットはそのまま素通りするつもりだったが、
「ランスロット? ガイウスなら今は留守だよ」
すれ違いざまに、パーシヴァルがそう言った。
ランスロットは足を止め、パーシヴァルに振り返る。
「猊下はどこに?」
「さあ? 毎年恒例の三日一人旅、とだけ」
肩を竦めたパーシヴァルに、ランスロットは嘆息した。
「今年ばかりは控えていただきたかったのだがな。騎士団とシオンの件もある、万が一ということも――」
「大丈夫でしょ。ばったり出くわしたところで、ガイウスがシオンにやられることなんてないさ。騎士団も、いきなりガイウスに斬りかかるなんてこと、今はしないだろう」
パーシヴァルはそう言って、再度肩を竦めた。だが、ランスロットは納得してない面持ちで、表情を険しくする。
「不服そうだね。何が気に食わない?」
パーシヴァルが訊いて、
「ガイウス様は毎年、いったいどこに赴いているのか。お前は知っているか、パーシヴァル?」
ランスロットは逆にそう訊き返した。とぼけた顔でパーシヴァルは首を傾げ、ずれた眼鏡の位置を直す。
「さあ? 興味ないから調べてもいない。彼のプライベートに首を突っ込んで、あまりいいこともないだろうしね。ただ――」
「ただ?」
「僕は、ガイウスが“墓参り”をしているんじゃないかと思っている」
“墓参り”――その言葉が、ランスロットの表情を怪訝に歪めた。
「……例の“哀れなハーフエルフ”のか?」
それを聞いたパーシヴァルが、どこか厭らしい顔つきで微笑する。
「その言い方、気を付けなよ。万が一、ガイウスが耳にしたら、その首飛ばされるかもよ」
「何故そう思う? まさか、お得意の人形でガイウス様の後を付けたのか?」
「まさか。そんなことをしたらすぐにバレて殺される。ただの勘さ」
パーシヴァルはランスロットの問いに飄々と答え、さらに続けた。
「ランスロット、てっきり僕は、ガイウスの復讐の話を聞いて、君はトリスタンと同じように失望するものと思っていた。でも、そうはならなかった」
「だからどうした?」
「君は、ガイウスに何を求めている? ただ、妄信しているわけじゃないだろ? 最近になって、僕はそう思うようになった」
「何も。私はただ、ガイウス様の望みを叶えたいだけだ」
冷たく突き放すようなランスロットの言葉に、パーシヴァルは苦笑した。
「まあ、なんだっていいや。ガイウス大好きな君は、絶対に裏切ることはないだろうしね」
ランスロットは、ふん、と鼻を鳴らし、踵を返した。
しかし――
「――アウソニア連邦西部、オルタ。中心部に湖を有する小さな農村さ」
パーシヴァルが、小悪魔の囁きのような声で、そう言った。
「ガイウスはそこに向かっている。興味があるなら、行ってみたら?」
※
シオンとエレオノーラは早々にログレス王国を出国し、アウソニア連邦西部に向かって移動した。鉄道を乗り継ぎ、車と馬車を利用して丸一日――小さな町で一泊したあと、目的地であるエレオノーラの故郷に向かうため、薄い霧のかかる早朝、今は牛車に乗って草原の街道を移動中だ。その牛車は本来であれば貨物用だが、運賃を払えば貨物スペースの余り部分に乗ってもよいとのことで、二人はそれを利用することにした。
御者は、自称七十歳を超える人間の男で、くたびれた鳥打帽を被り、色褪せたパイプを呑気に吹かしているのが印象的だった。
「若ぇ二人が、こんな田舎に用なんて珍しいなぁ。何しに行くんだい?」
牛車に乗って十分ほど経過した頃、御者が思い出したように、しわがれた声で二人に訊いてきた。
不意な問いかけに、エレオノーラは戸惑いながら口を動かす。
「さ、里帰りみたいなものです。ちょっとこの辺に――」
「近々、結婚するから、ずっと昔に世話になった知人に挨拶しに行くだけだ」
「――!?」
しかし、シオンがいきなり突拍子もないことを言い出し、エレオノーラは赤面しながら次の言葉を失った。そうしている間にも、シオンはさらに続ける。
「暫く会っていないから今もここに住んでいるかわからないが、とりあえず足を運んでみることにした」
シオンの回答に、御者は眠たそうな目を大きく見開いた。
「そりゃめでてぇ! 美男美女でお似合いだわな! こんな時代に珍しくいい知らせだ!その知人ってのも喜ぶだろうよ」
御者はパイプを口から外し、大声でシオンの嘘を祝福した。だが、すぐに気の毒そうに眉根を寄せる。
「でも、あの辺にはもうヒトはほとんど住んでねぇからなぁ。水を差すようなこと言って悪いが、もしかしたらその知人も、どこか別のところに引っ越しちまっているかもしれねぇ」
「それも承知だ。俺たちも、あまり期待はしていない」
「そうか? でも、会えるといいなぁ。めでたいことは、一人でも多くに伝わった方がいい」
淡々と出鱈目なことを言うシオンに対し、エレオノーラは赤い顔を彼の耳元に近づけた。
「(し、シオン! アンタ、急に何言いだすの!?)」
「余計な足を残したくない。ただでさえ人通りの少ない道だ。何もしなくても目立つ。ありふれたそれらしい理由で誤魔化した方がいいだろ」
「そ、そう……」
シオンの説明に、エレオノーラは幾分か心臓の鼓動を落ち着かせ、大人しくなった。
そこへ、御者がさらに話を続ける。
「それにしても、今時の若者にしちゃあ随分と律儀だなぁ。知人に会うためだけにこんな辺鄙なところに牛車使ってまで来るなんて、酔狂なもんだ」
「そんなに珍しいのか?」
シオンが怪訝に訊くと、御者は大きく頷いた。
「ああ。ヒトを乗せることなんて、二、三ヶ月に一回あるかどうかだ。あの辺に住んでる奴らは自前の馬で移動するからな。外の奴らが金払ってまでここに来ることなんて、まずないねぇ。まあ、俺は思わぬ臨時収入が入って大助かりなんだが」
御者の言葉通り、牛車の乗車賃は法外とも言える料金だった。しかし、徒歩でいけば半日以上かかることを鑑みれば、移動の疲労を少しでも抑えるためにやむをえない支出であった。
上機嫌に笑う御者を見て、エレオノーラは小首を傾げる。
「そんなに過疎ってるんですか?」
「ああ。もう十年以上前の話だ。ラグナ・ロイウの総督だったイザベラってやつがあの地域に茶々入れ出すようになってから、大勢のヒトがあの土地を離れていった。まったく、いい迷惑だよなぁ。でも、そのイザベラもつい最近死んだんだろ? 教皇様の逆鱗に触れたかなんだかで、最近できた十字軍って軍隊に粛清されたとか。まあ、色々好き放題やっていたみたいだからな、自業自得ってやつだ」
イザベラ――かつて、エレオノーラが復讐のために仕えていたラグナ・ロイウの総督の女だ。その名前を聞いた途端、エレオノーラの顔に悲哀と後悔の色が浮かぶ。イザベラの密告により、母親がハーフエルフだとばらされたことで人生を狂わせられた身としては、複雑な感情を抱かざるを得なかった。なぜなら、イザベラもまた、激動の時代に狂わされた人間であり、我が子を愛した母親でもあるため、一概にその死を喜べないというのが、エレオノーラの本音であった。
胸を痛めたエレオノーラに代わり、シオンが御者との会話を続ける。
「この牛車を利用するのは、俺たち以外にどんなヒトがいる?」
すると、御者は、物忘れを思い出すような顔で斜め上を向いた。
「ん? まあ、お前さんたちみたいなヒトが多いな。昔からそこに住んでいる知人に会いに行くとか、年取った両親の様子見に行ったりだとか。昨日送った奴なんかだと、“墓参り”だって言ってたなぁ」
「“墓参り”?」
「ああ。所謂、イケオジってやつか? 小奇麗な身なりで、いい雰囲気の男前なんだわ。そいつ、毎年毎年、この時期になると決まってその“墓参り”に来るんだわ。今時珍しい偉丈夫だよ」
その会話を最後に、三人は目的地まで言葉を交わすことはなかった。御者が居眠りを始めたこともあり、シオンとエレオノーラも、長旅の疲れを癒すため、身を寄り添い合う形で仮眠をとった。
そして、それから六時間の後――
「よし、着いたぞ。アウソニア連邦でも何もないことで有名な村、“オルタ”だ」
御者の言葉を受け、二人は目を覚ました。
眼前に広がるは、小さな湖を中心にした農村――オルタと呼ばれる村だった。




