終章
ガリア公国粛清から三日が経った日――騎士団副総長にして議席Ⅱ番イグナーツ・フォン・マンシュタインは、ログレス王国の王宮に赴いた。ステラ女王陛下との密会――先の粛清における諸々の結果を報告するためだ。
とりわけ、ガリア公国に攫われていたログレス王国民の返還について話が交わされ――
「ガリアに攫われた国民を取り戻していただき、誠にありがとうございます」
女王専用の執務室、その隅に備えられた賓客用のテーブルにて、ステラは深い感謝の意をイグナーツに伝えた。
ガリア軍は侵攻の口実としてログレス王国民を乗せた軍用車を爆破したのだが――その実、軍用車には誰一人として乗り合わせていなかった。事前にステラが騎士団にガリア大公の手口とその懸念を伝えたことで、騎士団が先んじて返還対象となる国民を救出したのだ。
先のステラの感謝は、自国民全員を無事に保護することができたことに対するものだった。
それを見たイグナーツは、謙虚な面持ちで首を横に振る。
「陛下のご助言あっての奪還でした。ログレス国民が軍用車に収容される前にダミーとすり替えられたのは、陛下のお力添えあってのことです」
対するステラも、同じく控えめに微笑した。
ほんの少し前までは、年相応に照れ隠しを見せた少女であったが、名実ともに一国の王になってから、ステラは急速に大人びていった。多忙な毎日を送っているためか、同年代の少女と比べ、その雰囲気には大人特有の憂いと落ち着きが宿っている。
「相変わらず、お忙しそうですね」
そんなステラを見て、イグナーツは口走ったように言った。
ステラは、疲労で曇った青い双眸を自身の膝元に向ける。
「色んなヒトに協力していただいてはいますが、まだまだ問題が山積みで」
「口を酸っぱくして言わせてもらいますが、どうかほどほどに。陛下に倒れられては、今までの苦労が水の泡ですから」
「肝に銘じておきます。ところで、なんですが――」
そこで区切ったステラの表情は、打って変わり、少し明るいものになった。
「シオンさんたちはご無事ですか? 作戦は成功したとリリアンさんから聞いてはいたんですが、シオンさんから個別に連絡とかはまだないので……」
先ほどまでの大人びた顔から一変、友人の近況を伺うステラは、年相応の無邪気な様子を見せた。
そのギャップに、イグナーツは小さく笑う。
「ええ。ガリア粛清の仕事も落ち着いてきたので、近々、エレオノーラと一緒に陛下に会うつもりだと言っていました。今日にでも連絡が来るのでは?」
「シオンさんたち、忙しそうですね」
「シオンに限った話ではありませんが――今は、教会が非常に不安定な状態です。我々騎士団はまだ忙しいだけで済んでいるのですが、問題は教皇庁です」
イグナーツからの不穏な言葉に、ステラは再び表情を険しくした。
「何かあったんですか?」
「今回のガリア粛清、予想以上に反響が大きかったようです。大陸諸国からはある程度の理解を得ており、世論もそれなりに落ち着いてはいます。が、枢機卿団をはじめとした教会上層部が荒れ始めました」
「荒れ始めた?」
「直近、ガイウスは二回の粛清を執行しました。それらはすべて枢機卿団への相談なしに実行されたため、最近は枢機卿たちがガイウスに対して反発の声を強めているようです」
「それは、教皇を罷免しようとしている騎士団にとっては僥倖ではないんですか?」
ステラの疑問にイグナーツは頷いた。だが、一概には喜べないと、眉間には深い皺を寄せている。
「仰る通り、チャンスと言えばチャンスです。ですが、大きな懸念があります」
「懸念?」
「今のガイウスなら、枢機卿団を解体することも考えられます。もしそうなれば、教皇庁はいよいよガイウス一派に染め上げられます。極論、ガイウスを政治的に抑え込める者がいなくなるに等しい。最悪、我々騎士団との全面戦争に発展しかねません。私たちはただでさえ教会内部で敵対関係にある状態です。ガイウスが教皇庁のすべてを掌握すれば、強引に事を起こし、教会内部を武力で整理することも可能性としてあり得ます」
イグナーツの見解を聞いたステラが、沈痛な面持ちで目を伏せた。
「結局、教皇は何を目的に動いているんでしょうか……」
「辿り着くのは、やはりその疑問ですね」
ステラが頷き、イグナーツはさらに続ける。
「ここまでのガイウスの計らい事、戦略的かつ計画的ではあるものの、長期的な成果を得ようとしているようには思えません。ガリアとの癒着が暗に囁かれていた状態で、そのガリアをここぞとばかりに粛清した――先ほど、大陸諸国からの一定の理解を得ているとは言いましたが、実際のところ、これからどうなるか。今でこそ教会の権威がまだ効いているため、表立って批判する国はありませんが、その状態もいつまで持つか不明瞭です」
不意に、ステラはソファから立ち上がった。それから、徐に窓際に付く。
「シオンさんは、これからどうするんだろう……」
窓から見える王都の景色を眺めながら、憂いと悲哀で表情を曇らせた。
※
騎士団と十字軍によるガリアの粛清後、シオンとエレオノーラはエルフの集落に滞在していた。“リディア”の日記の翻訳をエルリオに頼み、その結果を受け取るためだ。騎士団には、ガリア軍からの報復を警戒しての必要滞在として、三日の猶予を得ている。
そして、今日がその最終日であったが――
「黒騎士殿」
集落の少し外れにある高台の森でシオンとエレオノーラが佇んでいたところ、不意に族長のエルリオがやってきた。その手には、シオンが渡した“リディア”の日記と、
「翻訳、終わったのか?」
別の紙の束が握られていた。おそらくは、翻訳結果がまとめられたものだろう。
シオンに訊かれ、エルリオは頷いた。
「ああ。滞在期間の最終日になってしまい、申し訳ない」
「こちらこそ無理を言ってすまない、礼を言う。それで――」
「翻訳した結果を伝える前に、ひとつ約束をしてほしい」
突然、エルリオはシオンの言葉を遮るように言った。その語気には、焦りや緊張のような色が込められている。
「約束?」
シオンが怪訝になると、エルリオはより表情を険しいものにした。まるで、何かに追われているような焦燥感が滲み出ている。
「私たちエルフは、“これ”に一切係わらなかった。それを約束してくれ」
そう言って、エルリオは日記と紙の束を見せてきた。
「どういう意味だ?」
「それと、質問がひとつ」
有無を言わさない勢い、そしてただならぬ雰囲気に、シオンとエレオノーラは思わず息を呑む。
「これを書いたのは、あのシスター・“リディア”だと言っていたな? 長年、亜人の人権復興に努めた身であるにも関わらず、教会の意向によって非業の死を遂げた、あのハーフエルフだと」
「ああ。それで、何が訊きたい?」
そこで、エルリオは一度区切った。それから先の言葉を、発するべきか否かを迷っているようにも見えた。
数秒の沈黙のあと、徐にエルリオが口を動かす。
「彼女は、本当は何者だった?」
思いがけない問いかけに、今度はシオンが言葉を失う。戸惑い、隣のエレオノーラと困惑した顔を見合わせたあと、改めてエルリオを見遣った。
「どういう――」
「“これ”は、日記なんて可愛らしいものではない」
強い口調で放たれたエルリオの言葉に、シオンとエレオノーラは揃って目を丸くした。
「聖王教の言葉で表すなら、“黙示録”――これには、世界を終末へと導く方法が書かれていた。そして――」
エルリオが鬼気迫る表情で翻訳結果の一部をシオンに見せつける。
「教皇アーノエル六世ガイウス・ヴァレンタインが、それを実行しようとしていることも」
※
「猊下! いったい何を考えておられるのですか!」
ガリア粛清から数日が経ったある日、アウソニア連邦、聖都セフィロニア――教皇庁本部のあるルーデリア大聖堂に隣接する礼拝堂にて、教皇を含めた枢機卿らによる緊急会合が行われた。
身廊の両端には、中央の線を挟む形で向かい合わせに五十を超える木の椅子が並べられ、そこに同じ数の枢機卿が漏れなく座している。主祭壇の手前には、教皇アーノエル六世ガイウス・ヴァレンタインと、直属の部下である四人の枢機卿が彼の両脇を固めるように二人ずつ座っていた。
そんな厳かな景観に反し、怒号が室内で反響したのは、一人の老齢な枢機卿によるものだった。
「ガリアを粛清したばかりか、国そのものをアウソニア連邦の属州として取り込むなどと! そんなこと、大陸諸国が認めるわけがないであろう!」
それを皮切りに、身廊に並ぶ枢機卿たちから次々と同意の声が上がる。
「もはや侵略者の所業ですぞ! どうか、思い止めてくだされ!」
神聖な場に相応しくない喧騒で満たされた時、不意にパーシヴァルが椅子から立ち上がった。聖職者らしくない飄々とした佇まいを見せつけ、騒ぐ他の枢機卿たちに嫌悪の感情を抱かせることで静かにさせる。
「仕方ないんじゃないんですかね。粛清後のガリア公国は荒れに荒れています。隣国であるログレスかアウソニアが統治するしか、安定は取り戻せないかと。ログレスは自国の復興に精一杯の状況ですし、消去法でアウソニアがやるしかないですね」
すると、枢機卿の一人が勢いよく椅子から立ち上がった。
「それらしい理由を並べたところで、傍から見れば侵略以外の何ものでもないぞ!」
激しい剣幕だったが、パーシヴァルは羽虫の交尾を目の当たりにしたかのような顔で肩を竦める。
「それ、ガリアがログレスを代理統治した時に言ってほしかったですね。なんであの時はだんまりだったんですか?」
パーシヴァルの指摘を受け、枢機卿たちは一斉に静まり返った。
それを見たランスロットが鼻で笑う。
「結局のところ、あなた方は保身しか考えていないのでしょう。大陸同盟の早期締結、それに向けての段取りをガリアが勝手に実行してくれるのであれば、見て見ぬフリをするだけだ。自分たちは安全圏にいたまま、望む方に事が進む」
主祭壇の方から、ランスロットとパーシヴァルの小さな嗤笑が起こった。
それを見た先の枢機卿が、額に青筋を浮かべながら再度口を大きく開けた。
「そ、その件についてはそなたたちも同意したではないか! むしろ、十字軍結成のためにガリアとより懇意にしていたのは猊下ではないか!」
「懇意、ねぇ……」
言われて、パーシヴァルが面倒くさそうに顔を顰める。反論がないパーシヴァルを前に、枢機卿はここぞとばかりに勢いを増した。
「どうした!? 何か言い訳があるのなら――」
「千億六千万フローリン」
ぼそりと、パーシヴァルが言った。途端、それまで捲し立てていた枢機卿の顔から、すっと表情が消える。
「ミシェル枢機卿猊下、これまでに貴方がガリアから受け取った献金の総額です。教会の帳簿に載っていないので、賄賂って言った方が適切ですかね? とんでもない額ですね。国でもつくるつもりだったんですか」
怒鳴り散らしていた枢機卿――ミシェルに向けて、周囲から冷ややかな視線が送られる。
だが、
「他人事のように見ていますが、他の方々も色々やっているみたいじゃないですか」
パーシヴァルはその光景を侮蔑の眼差しで見遣った。手には数枚の紙が握られており、それをつまらなさそうに眺める。紙には、枢機卿の名前と、“彼らの犯した罪”が書かれていた。
「人身売買、児童への性的虐待、小国の政界掌握――ちょっと調べただけで、ここにいる半数以上の枢機卿がそれらに深く関わっていることが判明しました。ヒトによっては何十年も前からやっていたようですが、騎士団分裂戦争後、聖職者たちの監査役でもある騎士団の力が弱まった途端、より好き放題やってくれたようで」
無音に近い静寂が礼拝堂を満たす。しかし、間もなくして、ミシェルによってそれは破られた。
「だ、だから何だというのだ! その事実があったとて、猊下たちの所業が赦されるわけではない! そもそも、前の教皇を暗殺し、新たな教皇に就任する際に、それらを我々の弱みに脅迫してきたではないか! 今さら突き付けられたところで、何も驚きはせんわ!」
ミシェルの発言を契機に、枢機卿たちから同意の声が湧き上がる。そうだ、そうだ、と、礼拝堂は再び喧騒に包まれた。
パーシヴァルが長い溜息を吐く。
「ここまで潔く開き直られると、何も言い返せないですね」
「とにかく! これ以上、権力任せに勝手なことをするというのであれば、枢機卿団は猊下の辞任を求める! これは、枢機卿団の総意だ!」
「総意なんて勝手なこと言わないでください。少なくとも僕ら四人の枢機卿は、誰一人としてそんなことを求めてないですよ」
「黙れ、若造が! 殺し屋紛いの騎士崩れどもが枢機卿になること自体、本来あってはならんことなのだ!」
その言葉を聞いた四人の枢機卿のこめかみが、ピクリと動いた。その小さな変化に込められた殺気が、場内に静けさを取り戻す。
パーシヴァルがガイウスの隣に付いた。
「ですって、猊下。どうします?」
空気が異様に張り詰めるなか、ガイウスはパーシヴァルに手を差し出した。
「パーシヴァル、リストを」
パーシヴァルから紙を受け取ったガイウスは手早く内容を確認し、数秒の間にすべてを読み終えた。それから紙をパーシヴァルに返し、背もたれに体重を預ける。
「……もう少し大人しくしてくれていれば、楽ができたんだがな。せっかくの根回しが、台無しだ」
「何を!?」
ガイウスの発言に食って掛かろうと、ミシェルが身廊の中央に勢いよく出る。
しかし、
「貴方たち枢機卿団のお考えはよくわかりました。それには一定の理解を示します」
続いたガイウスの言葉と態度に、ミシェルは表情を和らげつつ踏みとどまった。
「では――」
「ええ。もう用済みです」
刹那、ミシェルの頭部が光の柱によって跡形もなく焼失した。彼だけではない。紙に名前を書かれていた、ここに居合わせるすべての枢機卿の頭部が、同様にして焼き潰された。
一瞬の沈黙のあと、生き残った枢機卿たちから一斉に悲鳴が上がる。
恐怖と絶望の叫びが、礼拝堂の空気を歪に震わせた。
そんなことには我関せずと、ガイウスたち五人は椅子から立ち上がり、出入口に向かって身廊の中央を歩み出した。
「生き残った枢機卿たちはいかがいたしますか?」
「静かにするなら、今まで通りだと伝えておけ」
ランスロットの質問に、ガイウスは淡々と答えた。
続けて、
「枢機卿団が一気に半数以下になった。仕事を増やしてくれたな、ガイウス」
「そう言うな、ガラハッド。優秀なお前たちなら些細な事だ」
ガラハッドの文句に、ガイウスは肩を竦めた。
次に、
「こうなっては、もう後には引き返せません。いよいよ、ですか?」
「ああ、計画も大詰めだ。近々、最後の仕上げに取り掛かる」
トリスタンの確認に、ガイウスは深く頷いた。
そして、
「この腐った世界は、俺たちが変える。どんな手を使ってでも――悪魔に魂を売ってでもな」
濁った金色の瞳を携え、ガイウスは重々しくそう言った。
第三部 了




