第四章 王都奪還 前編Ⅲ
王都奪還に向けての作戦会議が日次定例的に行われるようになってから、騎士たちはもちろんのこと、ステラも食事の時間一つ見つけるのが難しい状況になった。昼夜問わず膨大な量の資料に目を通し、内容を頭に叩き込む――必要とあれば、騎士団からの提案に異を唱えることもあった。目まぐるしい日々が過ぎ、気づけば最初の会議開催から、今日ですでに一週間が過ぎていた。
たまには、シオンたちと何気ない世間話をしたいと思うこともあったが、そんな時間は贅沢だと言わんばかりに、五分の余裕さえあれば、すかさず様々な仕事がイグナーツから差し込まれた。
ようやく、シオンとエレオノーラと、ゆっくり話ができる状況になったと思ったのも束の間――結局それも、作戦会議の延長線上だった。
「すみません。印章の解析中にお邪魔しちゃって」
ステラは、急ぎ、シオンとエレオノーラに確認したいことがあり、彼の部屋を訪れた。
シオンが寝泊まりする部屋は、ホテルの一般利用客用の部屋だった。ちょうど今、エレオノーラがシオンの背中の印章解析中とのことで、ステラは運よく、二人が部屋に揃う場面に居合わせることができた。
ステラは、借りてきた猫のような所作で、控えめにソファへ腰を掛けた。
そのすぐ近くでは、背もたれのない丸椅子に腰をかける上半身裸のシオンと、彼の背中の印章を熱心に調べるエレオノーラがいた。
「気にしなくていい。前に旅をしていた時も、こんな感じで話すことが多かっただろ。それに、今はお互い忙しい身だ。都合のいい隙間時間を見つけるのも一苦労する」
シオンはそっけなく言ったが、ステラは少しだけ居心地悪く、エレオノーラを見遣った。
「まあ、それはそうなんですけど……」
エレオノーラは、ステラの視線に気づき、きょとんとした顔で小首を傾げる。
「なに?」
「い、いえ、なんでも……」
シオンとの二人きりの時間を邪魔されて気を悪くしていないかと、ステラは気を揉んでいた。だが、意外にもエレオノーラはあっさりとした反応で、特に気にした様子もなかった。
ステラがそれに密かにホッとしていると、
「それで、急ぎで話したいことってなんだ?」
シオンが訪ねてきた。
ステラは気持ちを真面目に切り替えて、手にした冊子の資料をシオンに渡す。
「王都へ突入するための段取りについて、至急、シオンさんとエレオノーラさんに実現性を確認してほしいと、イグナーツさんから言われました。シオンさんたちが首を縦に振れば、そのまま私が承認することになっていまして」
シオンは資料を受け取りながら、眉を顰めた。
「俺たちに? 百歩譲って、実行者の俺に訊くのはわかるが、なんでエレオノーラにまで?」
「そりゃあもちろん、アタシもついていくからに決まってるでしょ」
にべにもなく言い放ったエレオノーラに、シオンは眉間の皺をますます深めた。
「本気か?」
「なに、ついてきちゃダメなの?」
「いくら何でも危険すぎる。俺たち騎士ですら危険な作戦と言われているんだぞ」
シオンの言葉を聞いて、エレオノーラは呆れた様子で息を吐いた。
「そんなの今に始まったことじゃないでしょ。大丈夫、アンタたちには迷惑かけないから」
「迷惑って……」
「それに、これはイグナーツ卿とプリシラからの依頼でもあるの」
シオンの表情が驚きに歪んだ。
「イグナーツはともかく、プリシラが?」
「イグナーツ卿には、継続して、つきっきりでシオンの“悪魔の烙印”の解呪をお願いされたんだ。ほんの少しでも時間の余裕があれば、印章の解析と解呪を進めてほしいって。あの人としては、一刻も早くシオンを全盛期の状態に戻してほしいみたい。まあ、今回の戴冠式の件とは別に、後々、教皇たちとまたドンパチ始まった時を見越してのことなんだろうけど」
「プリシラは? 何てお前に言った?」
「サポートを頼むって。空で、もしも敵襲に遭った時、強力な迎撃できる魔術師が欲しいって言われた」
「迎撃? 操縦席から身を乗り出して火球でも飛ばすのか?」
「さあ? 具体的にどうするかはプリシラの方で考えるって言っていたから、任せちゃった。妙に低姿勢だったのが気になる――というか、気持ち悪かったけど」
そう言って、エレオノーラは肩を竦めた。シオンは、どことなく納得していない、難しい表情で口をへの字に曲げていた。だが、特にそれ以上、何かを言うこともなかった。
「あの……」
そんな時に、ステラが恐る恐る口を開いた。
「こんなこと言うのもあれなんですけど――エレオノーラさんは、この件――戴冠式に関してはほとんど無関係じゃないですか。協力してくれるのはとてもありがたいんですが、そんな風に敢えて危険なかかわり方をしなくても……」
「無関係とか、傷つくわぁ」
ステラの言葉を聞いて、エレオノーラは大袈裟に嘆いた様子を見せた。ステラは慌てて立ち上がる。
「そんなつもりで言ったんじゃ――」
「わかってる。アンタの言いたいことは、ちゃんと理解してる」
しかし、エレオノーラはすぐに笑顔になり、優しい口調でそう言った。
「なら、なんで……」
「今さら、でしょ? ここまで一緒にやってきたんだもん。友達が一大事の時に知らんぷりなんて、それこそできないって」
言われて、ステラは面食らったように固まる。
“友達”――まさか、エレオノーラからそんな言葉が出るとは、思ってもいなかったのだ。もとより、身分を隠して一般社会に溶け込んだ生活を送っていたステラには、真に心を許せる友人はおらず、常にどこか、一定の距離を置いて他人と接していた。同年代の学友から友人であると言われても、嬉しいという感情が生まれる一方で、申し訳なさと、空虚な思いを募らせることが多かった。
自分の正体を知る者が、自分の生活圏にほとんどいないことに、ステラはいつも、言葉で表現できない、人生のもどかしさを感じでいた。
だが、エレオノーラは違った。
この数か月の間で、生死に係る苦楽を共にしたエレオノーラには、かつての日常生活で係わってきた者たちとは一線を画す、明確な信頼があった。
ステラは、冷静な頭になってからそれを感じると、不意に目頭が熱くなり、妙な気恥ずかしさも相まって、もじもじと落ち着きのない動きをしてしまった。
それを怪訝な顔でエレオノーラが見遣っていると――
「この資料の最後のページ、どういうことだ?」
唐突にシオンが、神妙な声でそう言った。
「え?」
「ガリア軍が“気象兵器”を利用している可能性あり――この文面だけだと、相当まずいものがあるように見えるが」
部屋の扉がノックされたのは、その時だった。
許可をいう間もなく、扉が開かれる。
「失礼しますよ」
入室したのは、イグナーツだった。
イグナーツの唐突な来訪に、ステラたちは揃って驚く。
それには構わず、イグナーツはステラの対面のソファに腰を掛けた。
「それ、私から直接話しますね。ステラ王女から説明してもらおうと思いましたが、今さっき、新鮮な情報が手に入ったので」
シオンは、資料の最後のページを開き、イグナーツに突き付けた。
「イグナーツ、教えてくれ。この“気象兵器”って、どういうことだ?」
「昨日までは、あくまで可能性でしかなかったんですが、ついさっき、事実になりました。ガリア軍は、“王の盾”を気象兵器として利用する術を持っている」
「“王の盾”を?」
“王の盾”――王都の南部によく出現すると言われる、巨大な積乱雲の塊のことである。
イグナーツは、懐から新たにもう一つの冊子を取り出し、シオンに手渡した。
「ガリア軍の暗号化通信を盗聴し、カルヴァン・クレール氏が復号してくれたメッセージ内容です。ここにばっちり書かれています」
冊子を受け取ったシオンはすぐに目を通した。
「“本日より、”王の盾“内部の高出力帯電状態を二段階強めることが決定。これに伴い、教会魔術師を二名増員することにした。王都南沖の戦艦に配備するため、至急、受け入れ準備を整えよ”――つまり、“王の盾”はガリアにとって空の防壁になっているということか?」
シオンの問いに、イグナーツは頷いた。
「そういうことですね。ガリア軍もさすがに馬鹿ではなかったようで。ステラ王女が空を利用する可能性をちゃんと考慮していたようです」
「じゃあ、空を使っての突入は諦めるのか?」
「いいえ、そこは変えません。ただ、突入組には注意してほしいことが増えました」
「注意?」
シオンが首を傾げた。ステラとエレオノーラも同じ反応を示し、イグナーツの回答を待つ。
「“王の盾”ですが、どうやら内部は“雷爆弾”状態のようです。ざっと調べてみた限り、騎士である我々であっても、生身で入れば即黒焦げになって昇天してしまうほどだとか。おそらく、“天使化”した騎士でも、継続的に受ける雷撃に再生が追い付かず、無事では済まないでしょうね」
「で、注意っていうのは?」
「決して生身で入らないでください、ってことです。まあ、普通に考えて雲の中に生身で飛び込む人間なんていやしませんが――シオン、貴方は何をしでかすかわかりませんからね。とりわけ、貴方には念を押して強く言っておこうと思いまして」
イグナーツの刺すような言い方に、シオンは殊更に顔を歪めた。
「いくら俺でも、さすがに飛行機から飛び降りて雲の中に――」
「貴方、聖王祭で聖都を急襲した時、飛行機から飛び降りてきたでしょう。否定しても説得力ないですよ」
そうやってイグナーツに畳みかけられ、シオンは、うぐっ、と呻り、黙り込む。
「まあ、シオンではなくても注意が必要なのは変わりないです。飛行機は“王の盾”よりも高い高度を飛びますが、島に着陸するタイミングや気象状況によっては内部を突っ切る必要があるかもしれません」
それを聞いたステラが、ぎょっとして目を見開いた。
「え、それって、自爆覚悟で特攻しろってことですか!?」
「いやいや、まさか。ちゃんと飛行機には、雷爆弾を受けても大丈夫なようにしっかりとコーティングを施しますよ。なので、もし“王の盾”内部を飛行することがあった時は、決してキャノピーは開けないでください。わずかでも開けたら、即感電死の未来が待っていますので」
イグナーツの回答に、シオンが苦虫を嚙み潰したような顔になる。
「キャノピーを開けるなって、それこそ不要な心配じゃ……。好き好んで飛行機の操縦席を全開にする奴なんていないだろ」
「普通の人間なら、そうですね。ですが、貴方とユリウス、プリシラはそうもいきません」
「どういう意味だ?」
イグナーツの意味深な言葉に、シオンは顔を顰めた。
「実は、ガリア軍が対空用に備えている軍備は気象兵器だけではなくてですね、お得意の魔物軍団もしっかり配備しています。最後の方のページ、見てください」
言われた通り、シオンは冊子の最後のページを開いた。ステラとエレオノーラも、彼の後ろから覗き込む。
そこに書かれていたのは、王都南部の状況を簡易的に示した解説図だった。紙面の左側に王都のある島、右側下に海と艦隊、上に積乱雲が描かれており、さらにその上に、複数の竜が記されていた。
「飛竜を“王の盾”上空に配備しているようです。貴方たち突入組は、これを突破しなければなりません」
途端、シオンがいつになく険しい表情になった。
「空で魔物を相手にする、しかも飛竜か……」
「私の言いたいこと、察しましたかね? 貴方たち騎士であれば、キャノピーを開けて飛竜を直接攻撃した方がいいと考えるでしょう。一応、飛行機にも機関銃を積み込む予定ですが、一朝一夕で身に着けた操縦技術でどこまで対応できるか。飛行機で飛竜を相手にするなんて前例がなく、良くも悪くも未知数ですもんね」
「この作戦、見直した方がいいんじゃないのか? 飛竜の数にもよるが、迎撃手段が限られているのに飛竜の群れの中を突破するのは――」
「あ!」
シオンの提案中、ふとステラが声を上げた。
「もしかして、エレオノーラさんが同行する理由って――」
「さすがはステラ王女、察しがいいですね」
イグナーツが、にやりと口を動かした。
「エレオノーラには、対飛竜の主力になってもらいます。プリシラが操縦する飛行機に専用の武装を施し、エレオノーラの火の魔術を砲撃として利用できる状態にします。これにより、機関銃とは比べ物にならない、高火力かつ広範囲の攻撃を継続的に叩きこむことができるはずです」
その説明に、エレオノーラは合点がいったように何度も頷いた。
「だからあいつ、嫌っているはずのアタシに、お願いするような態度で言ってきたのか……」
イグナーツがソファに深く腰を掛けなおし、背もたれに体重を預けた。
「どうですかね? 今の話も含めて、空からの強行突破作戦、実現できそうですか?」
誘うような訊き方に、ステラたち三人は少し間を置いた。
だが、五秒もせずに、
「現状、これしか妙案がないんだろ? だったら、やるしかない」
シオンが言い切った。
それを見たイグナーツが、十分な期待値を得たと、微笑を口元に宿す。
「そうでなくては。黒騎士シオン、頼もしい限りです」




