第三章 相克Ⅰ
東のガリア公国、西のログレス王国――シオンたちは、エルフの森を避けるように、その大国間の国境を南側から超えた。ログレス王国最東端の駅から汽車に乗り、一行はさらに西の王都を目指す。
時刻は早朝五時を過ぎたあたり。夜行便の汽車の中で、シオン、ステラ、エレオノーラの三人は、向かい合わせの四人席に座っていた。道中、シオンとステラは、各々の正体と、王都を目指していることを包み隠さずエレオノーラに話した。下手に誤魔化し、教会魔術師であるエレオノーラに探りを入れられる方が危険と判断してのことだ。
ステラはともかく、シオンのこととなれば、教会魔術師であるエレオノーラは間違いなく敵対する立場にある。あくまで、教会の庇護のもとに活動を許されている魔術師である以上、教会に追われる身である黒騎士とは相容れないはずだ。
いざとなれば、シオンが口封じにエレオノーラを始末することも厭わないと考えていたが――
「ふーん」
話を聞き終えて、エレオノーラは、興味もなさそうに鼻を鳴らした。緊張に身構えていたステラが、拍子抜けして肩を落とす。
「ふーん、って……エレオノーラさん、興味なさそうですね」
「まあ、アンタが王女であることに関しては」
「そんなはっきりと……」
「つまり、ステラの件に関していえば、アンタの正体を誰彼構わずにべらべら喋らず、今どこにいるかをガリアの連中に黙っておけばいいってことでしょ? いいよ、それくらい。別にアタシ、ガリアの軍人でもないし」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
ステラが、エレオノーラの両手を握って感謝の意を示した。次にシオンが口を開く。
「ステラはともかく、俺のことは教会に知らせなくて大丈夫なのか? 仮にも教会魔術師だろ?」
「アンタが黒騎士だって全然知らなかった――こう言い切れば大丈夫なんじゃない? 最悪、脅されていましたー、とか何とか言ってやり過ごすよ。ていうか、やっぱり騎士だったんだ。どう考えてもアンタの身体能力、普通の人間じゃなかったもんね。辛抱強く付いてきて正解だった」
シオンは、心底どうでもよさそうに振舞うエレオノーラの様子に一抹の不安を覚えつつ、彼女の最後の一言が気になり、さらに質問を続けた。
「黙ってくれることに関しては有難いが――なんでお前は俺たちについてくる? 興味本位にしては、少し行き過ぎている気がする」
「興味本位の域は出ていないよ。まあ、半分は成り行きだけどね。ガリアには求職で訪れていたんだけど、国内であんな騒動に巻き込まれちゃあ、もうあの国にのんびりいることもできないし、とりあえずアンタたちについていこうって思っただけ」
ステラは少しだけ気の毒そうに眉根を寄せた。
「もしかしてエレオノーラさん、ガリアの出身でしたか?」
「いや、アタシはアウソニアの出身。だから別にガリアを追い出されたところで何も未練はないから安心して。むしろ、結果的に、アンタたちのお陰で胸糞悪い実験の片棒担がされることもなかったし。それなりに感謝してるよ。まあ、それはそれとして――」
そこでエレオノーラは、シオンを改めて見遣った。
「残り半分の動機の方がアタシにとっては重要なの。シオン、アンタ、黒騎士ってことは背中に〝騎士の聖痕〟彫ってるよね? しかも、〝悪魔の烙印〟付きで」
目を輝かせながら訊いてくるエレオノーラを見て、シオンは怪訝な顔になった。
「何だ、その目は?」
「ここから本題なんだけど――シオン、アンタが黒騎士であること黙っててあげるから、アタシにその背中の印章を調べさせてよ」
エレオノーラからのその取引は、シオンはある程度予想できていた。魔術師であれば、教会が最重要機密としている〝騎士の聖痕〟のことを調べられる機会が与えられれば、目を輝かせて食いつくはずだからだ。
シオンがエレオノーラの提案に回答しようとした時、不意にステラが手を挙げた。
「あの、私、印章とか魔術とか全然わからないんですけど、エレオノーラさんみたいな教会魔術師でも〝騎士の聖痕〟と〝悪魔の烙印〟って珍しいんですか?」
「珍しいというか、騎士以外が目にすることなんてまずないよ。教会魔術師のアタシでさえ見せてもらえないんだから。あの収容所にいた教会魔術師たちは色々調べていたみたいだけど、あれはホント、特例中の特例。多分、教皇を後ろ盾にしていたってのが大きいだろうね」
今の話でアリスのことを思い出したのか、ステラが少しだけ気落ちしたような表情になる。すかさず、シオンは話の流れを変えるように口を挟んだ。
「教会は〝騎士の聖痕〟の特異性を長いこと自分たちだけのものにしている。大陸史が始まってから今まで、その絶対的な権威を失わないでいられているのも、それを隠し通せているからだ」
「……なるほど」
ステラが納得したところで、シオンは再度エレオノーラを見遣る。
「今俺が言った通り、これは教会が隠したがっているものだ。それを調べるっていうことは、教会への敵対行為と認識されても言い逃れできないぞ。そこまで理解して、この取引を持ち掛けているのか?」
脅迫染みたシオンの言葉だったが、エレオノーラは嗤笑気味に鼻を鳴らすだけだった。
「当然。教会が怖くて魔術師やっていられますかって話――教会魔術師だけど」
シオンは観念したように息を吐き、目を瞑った。その後で、改めてエレオノーラを見据える。
「わかった。どのみち、俺はその取引を受け入れるしかないからな」
「交渉成立だね」
エレオノーラが満足そうに微笑んだ。ステラが不意に小さく声を上げたのは、そんな時だった。
「街が見えてきました」
ステラは車窓を開けた。線路を囲む木々の隙間から見えてきたのは、空に向かって無数に伸びる白煙と、山に囲まれた都市だった。
「炭鉱都市リズトーン――大陸屈指の炭鉱街です。できることなら、観光で訪れたかったです」
そう言ったステラの顔は、どこか寂しげだった。
※
「街に着いて早々何言い出すかと思えば、金貸してくれって……」
そう言ってエレオノーラは、シオンを軽蔑の眼差しで睨みつけた。その隣で、ステラが苦笑する。
「まあ、シオンさん、完全に無一文ですし……」
「だからって、昨日今日会った女に金借りる?」
エレオノーラが呆れると、シオンは特に悪びれた様子もなく、
「教会魔術師ならかなり稼いでるだろ」
と言い返した。
「いや、それ何の理由にもならないから。それに――」
エレオノーラは、苦虫を嚙み潰したような顔のまま周囲を見渡す。
ここは、リズトーンの市街地にある古風な骨董店――壁に並べられた棚には、古今東西から仕入れた珍妙な物が、所狭しと並べられている。何故、こんなところに来ているのかというと、
「武器がほしいって言ってんのに、なんでこんな所に来てんの?」
シオンの武器を調達するためだった。エレオノーラとしては、てっきりガンショップのような店に入ると思っていたようで、彼女は首を傾げるばかりであった。
「剣の類の武器が欲しい。だが、今時そんなものを扱う店なんて、こういう骨董店くらいだ」
「なるほどね」
シオンの回答に、エレオノーラはそれきり興味を失ったように肩を竦めた。
店の奥には、シオンの読み通り、複数の刀剣が壁にかけられていた。武器として使われなくなった刀剣は、美術品としてその価値を見出されているようだ。シオンは、真っ先にとある剣に手を伸ばした。黒い鞘に白い柄、刀身は細長く、微かに湾曲している片刃の剣だ。
「変わった剣ですね」
ステラが覗き込んできた。
「この大陸ではない、遥か東の異国の剣だ。〝カタナ〟と言うらしい」
シオンは刃の状態を確認ながら答えた。
「へー。それがいいんですか?」
「昔、現役で使っていたのがこの剣だ。馴染みのある武器があって助かった」
シオンは刀を手に店主いるカウンターに向かった。
「これ、いくらだ?」
「百万フローリンだね」
「は!?」
それまで、店内に並べられた骨董品を暇そうに眺めていたエレオノーラが、血相を変えてシオンと店主に詰め寄った。
大陸共通の通貨単位であるフローリン――このログレス王国での一般成人の月当たりの収入が、約三十万フローリンと言われている。つまり、この剣は三ヶ月分以上の給料の値段ということだ。
「百万って、アンタ、それちょっとした車買えんじゃないのさ!」
「その剣、手に入れたのは偶然だけど、貴重な異国の剣だからね。美術品としての価値が高くて、それなりに高値がついてんだよ」
店主が説明すると、エレオノーラはシオンの肩を強く握った。
「他のにして」
「教会魔術師なら百万くらいポンと出せるだろ」
「んなこと言ったらアンタだって元がアレだったんだから相当な額稼いでんでしょうが!」
「俺の口座なんてとっくに凍結されてるだろうし、資産も取り上げられているはずだ」
エレオノーラが顔を顰めながら押し黙る。シオンは、自身の肩を掴む彼女の腕を握りながら、
「いつか必ず返す。それでも足りないなら体で払う」
真面目な顔でそう言い切った。
「はぁ!?」
酷く裏返った声を上げたエレオノーラの顔色が、怒りと驚きと恥ずかしさで、真っ赤に染まる。
「重労働なら何でもこなす。好きなだけこき使え」
「――っ!」
エレオノーラは眉を吊り上げながらシオンの腕を払った。そういう意味かよ、ビビったわ、と苛立ちながらぶつぶつ独り言を呟く。そんな二人のやり取りを傍らで見ていたステラが、
「何か、収入のない紐男が口説いてるみたいで、傍から見たらイメージ悪いですよ」
白い目で、そう苦言を呈した。




