第六章 騎士団分裂戦争Ⅲ
「どうされました? どうぞ、ご着席ください」
硬直するステラに、ガイウスが穏やかな声でそう言った。
しかし、ステラは呆然としたまま身動きすることができず、それに反応することができなかった。
「貴女がいつまでもそこに立っていると、一向に会談を進めることができませんが」
先にガイウスが円卓に着席した。
そこでようやく、ステラは、ハッとして自身の置かれている状況を再確認した。見ると、ガイウスのみならず他の首脳陣も、早く席に座れと、無言の圧をかけている。
ステラは、フォーゲルに背を支えられるようにして、円卓の席に着いた。震える膝をうまく曲げられず、腰も完全に引けていた。
「よろしい」
ガイウスが背もたれに体重を預け、満足げに短い息を吐く。
「さて、まずは先ほどの回答といきましょう」
そして、いきなりそう話を切り出した。
何の心の準備もできていないステラが驚きにまた戸惑うも、ガイウスは待ってはくれなかった。
「確かに、私はガリア公国と協力関係にありました。十字軍の創設も、かの国の協力あってのことです。騎士団に代わる治安維持を目的とした軍事組織を短期間で造り上げるには、軍事大国であるガリアのノウハウが必要不可欠でした」
あっさりとガリア公国との関係を認めたことに、ステラだけではなく、フォーゲルを始めとした各国首脳陣からも驚きの声が上がる。
ガイウスは軽く右手を挙げ、ざわつきを鎮めた。
「ご安心ください。十字軍の創設に係わること以外に関して、ガリアと必要以上に距離を詰めてはおりません。十字軍の運用が開始された今となっては、すでにガリアとは疎遠になりつつあります。特定国家へ依存しないという教会の独立性は維持しておりますので、ご承知おきを」
そう言って、何の問題がないということを主張してきた。
これまで怯えと恐怖に畏縮していたステラだったが、その言葉によって怒りの感情が触発された。
「嘘を、言わないでください……!」
声を絞り出すように言って、勢いよく椅子から立ち上がる。
「代理統治を名目にしたガリアのログレス侵攻を、今なお黙認しているじゃないですか!」
ステラは喉に力を込め、感情任せに声を出した。
「それだけじゃない! 騎士団分裂戦争の直前にあったガリア軍による亜人の粛清! それも教会が――教皇庁が黙認したと聞いています! それだけのことをしておきながら、今はもうガリアと協力関係にないだなんて、よくも――」
「まず、代理統治に関しては黙認せざるを得ませんでした」
ガイウスの一言は静かだったが、異様な圧が込められていた。これにはステラも堪らず、慄きに怒りを抑え込んでしまう。
「どういう意味ですか?」
「ログレス王国の政界には大きく二つの派閥が存在しています。ひとつは、ステラ王女を次の女王にすることでこれまで通りの王族を中心とした絶対君主制を励行しようとする保守派。そしてもうひとつは、より高度な民主主義へ近づくために王族の権力を憲法で規制した立憲君主制を目指す改革派。貴女の祖母である前女王が崩御された直後に力を持っていたのは、改革派でした。そして改革派は前女王の崩御を機に、政体を本格的に立憲君主制へと変えるため、ガリア公国へ後援を求めていたのです。私の言いたいこと、もうお分かりになりましたか?」
ガイウスに問われた時、ステラの脳裏に、三ヶ月前にログレス国内の廃村で会ったトーマス大臣の姿が思い浮かんだ。ステラにも心当たりがない話ではなかった。
「……ガリアがログレスを代理統治しているのは、あくまでログレス国内の政治的な意向だと?」
「その通り。教会は、教会法によって、大陸諸国への過度な政治的干渉を禁止されています。ゆえに、例えログレス王国が国家存続の危機に瀕したとしても、それが同国の政治が招いた結末であるのならば、我々としてはそれを認めざるを得なかった」
ステラは、風船が萎むように、ゆっくりと席に座り直した。目を見開いたまま、口を半開きに、活力を失うように膝を曲げる。
「心中お察ししますよ。貴女の身の安全が脅かされていたのは、他ならぬログレス王国内にいる政治屋たちが原因です。貴女のような年端もいかない少女相手に、なんとも薄情な話だ」
つまり自分は始めから自国の人間に命を狙われていたのだと理解し、ステラは茫然自失に言葉を失った。虚しさと怒りが合わさった複雑な感情が胸中に渦巻き、小さな吐き気を催す。
「騎士団分裂戦争の直前にあったガリアによる亜人の粛清騒動も同じような話です。元より、ガリアと亜人の仲は古くから険悪です。たまりにたまった負の感情が互いに爆発し、今回のように激しく衝突することは何も今に始まったことではない。あのような出来事は、二千年近い大陸史の中で腐るほど起きた。事実、教会が仲裁に入るまでもなく、すでに事態は沈静化しています。それでよいではありませんか」
そんなステラを気遣うこともなく、ガイウスは一方的に結論を言ってきた。
他の首脳陣はというと、ガイウスが放つ圧倒的な威圧感に押し黙ってしまい、この件に関して何一つ問いかけることができないでいた。
「さて、これで質問の回答はよろしいですか? よければ、本題へと移りましょう」
その刹那の沈黙を了承と受け取ったのか、ガイウスが話題を変えようとしてきた。
呆けていたステラが、顔色の悪いまま、ガイウスを見遣る。
「……本題?」
「ステラ王女、貴女にはログレス王国の王都で開催される戴冠式にご出席いただき、そこで新たな女王に就任してもらう」
――今、この男は何と言った?
思いがけない言葉にステラが唖然とし、
「何よりも貴女が望んでいる未来だ。私たちに協力していただけるというのであれば、その未来をお約束しましょう」
ガイウスは畳み掛けるようにそう続けた。
※
雲一つない快晴の下、大統領府の敷地にある大公園――大統領府の建物から二キロほど離れた場所のベンチに、シオンたちは座っていた。
時刻は正午を過ぎ、気温がそろそろその日の最高気温に到達する頃だ。とはいっても、今はまだ二月の初旬である。雪こそ積もっていないものの、吐く息は微かに白く、アウターは欠かせないほどに冷え込んでいた。
「ステラ、大丈夫かな?」
エレオノーラが、目の前にいる無数の鳩をぼんやりと見ながら言った。
「信じるしかない。ステラはなんだかんだで機転が利くし、度胸もある。怖気づいて何かやらかすということはないだろう――多分」
隣に座るシオンが、同じく前を見ながら、自信なさげに答えた。
「無駄に心配して無意味にストレスを抱える必要もねえ。信じるしかないってんなら、大人しく会談が終わるのを待ってようや」
隣のベンチに座るユリウスが、どこかで手に入れたパンを千切っては鳩の群れに投げ付けながら、つまらなさそうにそう提案した。
その隣に座るプリシラが、快晴の空を軽く仰ぎながら、溜め息を吐く。
「それにしても、まさか大統領府から追い出されてしまうとは。念のために周辺を警護しようと思いましたが、それすらも地元の警察たちに止められてしまうのは予想外でした。まして、大統領府からこんなにまで離れろと言われるなんて」
「自国の力だけで今回の会談を取り仕切りたいという強い思惑を感じるな。何か主導権でも握りたい理由があるのか、それとも騎士を立ち入らせたくない理由があるのか、少し気になる」
国の政府が、要人警護などの場で騎士の協力を断ること自体は特別珍しいことでもなかった。だが今回に限ってはその主張があまりにも強く、露骨とさえ思えたのだ。
「ま、何にしても俺たちがここで喋っても意味あるものにはならねえんだ。王女が帰ってくるまでのんびりしてようぜ」
「緊張感のない男だ。あと私の隣で煙草を吸うな」
ユリウスが煙草に火を点け、それをプリシラが苛立ちながら止めた。それから二人は、いつものくだらない言い合いを始める。
「ねえ、シオン」
そんな時、不意にエレオノーラがシオンの顔を覗き込んだ。
「もしこの会談がアタシたちにとって有益なものじゃなかった場合、次はどうするの?」
「……そうだな。色々考えはあるが、まずは――」
しかし、シオンはそこで言葉を止めた。
直後、大公園の鳩たちが、一斉に空へと羽ばたいていく。
そして、
「アルバート……!」
三人の円卓の騎士が、こちらに向かって歩いていた。
「シオン、ステラ王女の身柄を騎士団へ返してもらおう」
騎士の戦闘衣装に身を包んだ三人――Ⅴ番レティシア、Ⅵ番セドリック、Ⅶ番アルバートは、静かに各々の武器を手に取った。




