第二章 王女の決意ⅩⅠ
エレオノーラが、魔術で作り出した蔦でフレデリックを縛り上げる。その傍らでは、シオンとステラが、フレデリックの鞄をひっくり返して中の書類を漁っていた。
不意にステラが、あっ、と声を上げた。奴隷の売買記録を見つけたのだ。
「街で聞いた通りです。直近二年以内に収容所に入れられたエルフたち、そのほとんどがどこにも出回っていないです」
隣では、シオンが別の書類に目を通していた。そこには、魔物の生成実験記録と、極秘と書かれた文書があった。シオンはそれらを雑に捲っていき、斜め読みを進める。
「――亜人への〝騎士の聖痕〟適合実験?」
シオンは驚いた声を上げ、直後にフレデリックへ鋭い視線を向けた。
「おい、何をやっているのか理解しているのか? こんなこと、まさかお前の独断でやっているわけではないだろ? 誰の指示でやっている?」
らしくなく、シオンはやや語気を荒げながら詰め寄った。しかし、フレデリックは鼻を鳴らした。
「貴様ら、一国の領主である私にこんなことをしてただで済むと思うなよ。すぐにでも軍が――」
その言葉の続きは、フレデリック自身の絶叫に遮られた。シオンが、彼の手の小指を折ったのだ。
「誰の指示でやっている?」
「き、貴様! 絶対に殺してや――」
シオンはさらに薬指を折った。フレデリックは歯を食いしばり、押し殺した叫び声を上げる。
「誰の指示でやっている?」
「知らんな! それよりも、さっさと私を解放しないと――」
瞬間、フレデリックの左目から鮮血が吹き出した。シオンが、エルリオから譲り受けたナイフで切り裂いたのだ。先ほどまでとは比にならない絶叫がフレデリックの喉から迸り、堪らずステラは目を逸らした。エレオノーラも、思わずといった感じで顔を顰めている。
「誰の指示でやっている?」
シオンは、返り血を頬に受けてもまったく動じた様子もなく、淡々と訊き続けた。
フレデリックは呼吸を整えた後で、
「……きょ、教皇様だ! アーノエル六世――ガイウス・ヴァレンタイン様だ!」
観念して答えた。途端、シオンの目つきが変わる。
「何で教皇が、たかが一領主のアンタと仲良くしている? 実験は何が目的だ?」
シオンは、ナイフをフレデリックの指と指の間に入れ、徐々に食い込ませていく。フレデリックは完全に恐怖に飲まれた顔になった。
「こ、答える! 答えるから、止めてくれ!」
「早く言え」
「ガリア公国での次期大公選挙で教会が私を支持してくれる見返りに、エルフの奴隷たちを使って実験に協力することにした! 教皇様は〝騎士の聖痕〟の研究を独自に進めていて、人間以外の種族に適合することがあるのかを気にされているのだ! 教皇様が私にこの話を持ち掛けたのは、この土地がエルフの森に近いために、実験材料となるエルフを潤沢に調達できるからだ!」
壊れたジュークボックスのように、フレデリックは早口で説明した。シオンはナイフを突きつけたまま、さらに問い詰める。
「〝騎士の聖痕〟は幼少期の人間にしか適合しない。それを知っていて実験に加担したのか?」
「そ、そんなことは知らない! 教皇様が数人の教会魔術師の研究者をこちらに寄越して、実験そのものは彼らに任せっきりだった! うまくいかないとは研究者から報告を受けていたが、亜人に〝騎士の聖痕〟を刻印することでどうなるかなんて、私は全く知らないんだ! 本当だ、信じてくれ!」
普段あまり感情を出さないシオンが、露骨に怒りで顔を歪めた。そこへ、ステラが恐る恐る近づく。
「あの、〝騎士の聖痕〟っていったい何なんですか?」
「騎士の化け物染みた身体能力を実現させるための特殊な印章だ。一時的なドーピングと違うところが他の印章とは一線を画すところだ」
「それは、どういう――」
「騎士を作るために、〝騎士の聖痕〟は五歳前後の人間の子供に刻まれる。その後、成長期の間に厳しい訓練を経ることで、〝騎士の聖痕〟は宿主の肉体を徐々に強靭なものに作り替えていく。結果、騎士は生物としての遺伝情報になんの異常をきたすことなく、必要最小限の副作用で化け物染みた強さを手に入れる」
「つまり、騎士のアホみたいな膂力は魔術で手に入れたものであるけれど、魔術で一時的に強化したものではなく、あくまで本人の身体機能そのものってこと」
最後のまとめは、エレオノーラが補足した。エレオノーラは、〝騎士の聖痕〟にやたらと詳しいシオンを見て、訝しげに眉を顰めた。
「ねえ、アンタさ、やっぱりただのイケメンじゃないよね。〝騎士の聖痕〟についてそこまで詳しい人間なんて、そうそういないはずなんだけど」
「お前の質問に今答えるつもりはない」
シオンが言うと、エレオノーラは軽く舌打ちをして肩を竦めた。
ぴりぴりした空気に怯えながら、ステラはさらに伺いを立てる。
「そ、その〝騎士の聖痕〟を亜人に施すと、どうなるんですか?」
「死ぬ」
間髪入れずに、何も濁すことなくシオンが答えた。
「〝騎士の聖痕〟は幼少期の人間にしか適合しない。人間であっても、大人に刻めば急速な肉体劣化が始まって死ぬ場合がある。亜人に至っては、細胞の異常活性が起こり、そのまま命を落とす」
「じゃ、じゃあ、収容所から出てこなかったエルフは――」
「実験で死んだんだろうな」
シオンは吐き捨てながら、フレデリックを射殺すような目で睨みつける。その視線に、フレデリックは今にも泣き出しそうな顔で声を震わせた。
「わ、私も亜人に〝騎士の聖痕〟を施すとどうなるかなんて知らなかったんだ! それに、もともと捕えたエルフたちはいつも通り奴隷市場に回す予定だった! だが、騎士団分裂戦争後に教皇様が急に話を持ち掛けて――」
「ハーフエルフの子と、成人の男のエルフを連れ去ったな? 今どこにいる? 収容所か?」
「しゅ、収容所だ! 教皇様に言われて、すぐに実験を始めるように指示を出した!」
シオンとステラが、同時に顔から血の気を失わせた。
シオンは、フレデリックを縛る蔦を力づくで解くと、その老体を床に放り投げた。フレデリックは情けない声を上げながら、シオンを見上げる。
「は、話せることは全部話した! 頼む、もうこれ以上は――」
「これから収容所に向かう。お前には人質になってもらうぞ」
シオンの顔は一切の感情を失っていたが、それがこの上ない怒りを表していた。




