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辺獄の黒騎士  作者: シベハス
第二部
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第四章 蝋の翼Ⅳ

 ブラウドルフを出発してから一時間ほど北に向けて歩いていた時、何の前触れもなく周囲の天候が急変した。つい十分ほど前までは月の見える晴夜であったにも関わらず、今では五メートル先も見えないほどの吹雪になっている。


「早速吹雪いてきやがった」


 防寒具に身を包んだユリウスが、眼鏡を外しながらぼやいた。眼鏡を懐にしまうと、一歩先を歩いているシオンへ早足で近づく。


「おい、本当にこのまま突き進むのか!?」

「ああ」


 シオンは振り返ることもなく、足を止めずに答えた。ユリウスが、若干腹立たしそうに渋い表情を作る。


「町の奴らは基地まで三十キロはあるって言っていたぞ! このペースだと半日はかかるんじゃねえのか!?」


 町から基地へと続く地上の道は想像以上の悪路であった。林の中央を雑に拓いた一本の道は碌に舗装されておらず、雪に隠れている岩のせいで小さな傾斜が幾つもある有様だった。それに加えて、この悪天候である。常人離れした体力と身体能力を持つ二人であっても、雪と傾斜に足を取られ、思うように進められないでいた。


「おい、聞いてんのか!?」


 反応のないシオンに、ユリウスが手のオイルランプを軽く振りながら声をかける。

 そんな時、ふとシオンが足を止めた。


「何かいる」

「あ?」


 ユリウスは訝しげに眉根を寄せたが、すぐに彼も異様な雰囲気に気付いた。

 夜の闇と吹雪のせいで、それが何なのかはわからないが、両脇の林から幾つもの視線を感じる。

 二人は息を潜めて、さらに周囲の気配を読み取った。


 直後、風の音を裂くような奇声が迸る。

 両脇の林の陰から、左右それぞれ、何かが飛び出してきた。それらは雪をかき分けながら猛スピードで二人へ肉薄し、大柄な影に反して不気味な金切り声を上げる。

 そして、シオンとユリウスは踵落としの一発で、それらを地面に叩きつけた。


「コボルトか」


 雪の上に血を吐き散らしながらのた打ち回るそれを見て、シオンが吐き捨てるように言った。


 コボルト――一見すると熊のような姿をしているが、それよりも体格はよりシャープで手足も長く、どちらかといえば人型に近い。頭こそ犬や熊といった獣の風貌をしているが、体中に満遍なく生やした体毛は新雪のように白く、さながら童話や伝承で語られる雪男を彷彿とさせる。寒さや雪に強く、このような寒冷地で群れを成し、道行く人を強襲して餌にする魔物だ。


「雪で気配しかわからねえが、群れに鉢合わせたみたいだぜ」


 ユリウスの言葉を裏付けるかのように、周囲の林から唸り声が幾つも上がる。


「どうする? 一匹ずつ虱潰しに相手するか?」

「そうするしかないだろ」


 そう言ってシオンが抜刀したのを合図に、ユリウスも防寒用の手袋を外し、鋼糸を備えた戦闘用のグローブを露わにした。

 コボルトたちが一斉に林から飛び出してきたのは、その直後だ。

 人間の大人より一回りほどの大きさがあるにも関わらず、その犬とも熊ともつかない獣の頭から発せられる雄叫びは背筋が凍るほどに不気味で甲高い。

 大口に備えられた狩猟用ナイフのような鋭い牙が、二人に迫る。


 しかし、シオンとユリウスは特に動じることもなく、コボルトの群れに淡々と応戦した。

 シオンの刀とユリウスの鋼糸が、コボルトたちの頭部を上顎から容赦なく断ち斬っていく。コボルトたちから子犬のような悲鳴が上がるたびに、雪が赤く染められた。時間にしてものの一分――十頭以上はいたコボルトの群れは、黒騎士と騎士の手によって、見るも無残な肉塊へと変えられた。


 不意にユリウスがコボルトの死体に近づき、頭を足で転がす。


「まさか、こんな早くに魔物に遭遇するとはな。町出てまだ五キロも離れてねえだろ。こんだけ町に近い場所に魔物が出るんなら、日常的に被害が出ていてもおかしくねえな」

「ああ。だが、町の様子を見た限り、そんな雰囲気もなかった」


 刀の血糊を払いながらシオンが同意すると、ユリウスは芳しくない顔になって溜め息を吐いた。


「やれやれだぜ。お前の嫌な予感、当たるかも――」

「ユリウス!」


 ユリウスの言葉を遮り、シオンが咄嗟に叫んだ。同時に、シオンはユリウスの首根っこを掴み、瞬時にその場から飛び退く。

 直後、先ほどまでユリウスが立っていた場所から、轟音と共に白い柱が上がった。何かが上空から落ち、その衝撃で雪を捲り上げたのだ。


「なんだ!? 砲撃でもされたのか!?」

「いや、これは……」


 捲り上げられた雪が吹雪の強風で浚われると、落下したものの正体が露わになった。

 それは――


「ハルバード? なんでこんなところに?」


 一本のハルバードだった。成人男性の身長ほどもある長大なハルバードが、地面にクレーターのような陥没跡を残していた。

 この場にあまりにも似つかわしくない異物を目の当たりにして疑問を抱く二人だが、それに解を出す間もなく、


「来るぞ!」


 吹雪の暴風を切り裂くように、再度ハルバードが二人に向かって飛来してきた。それも今度は、一本や二本ではない。隊列を成す小魚の群れのように、無数のハルバードが襲ってきたのだ。


「おい、シオン! このハルバード!」

「ああ、間違いない!」


 シオンとユリウスは、雨のように降り注ぐハルバードの強襲を避けながら認識を合わせた。二人はこの攻撃に覚えがあった。

 そして、


「そこか!」


 シオンたちのいる場所から二百メートルほど基地方面に進んだ先、吹雪の隙間に小さな人影が垣間見えた。

 シオンは“帰天”を使い、“天使化”状態となる。赤い光と稲妻が周囲に迸り、夜の雪景色を不気味に染め上げた。

 それから間髪入れず、シオンはその人影に向かって突進した。“帰天”によって何倍にも増幅された脚力が雪を地面ごと捲り上げる。そこからさらに電磁気力を応用した推進力が、シオンの身体を弾丸の如く加速させた。五秒と立たずに目標の人影へと到達したシオンが手を伸ばすが、突如として無数のハルバードが上空から降り注ぎ、急停止を余儀なくされる。

 シオンの身体は、貫かれることこそなかったものの、複雑にかち合ったハルバードによって拘束された状態になっていた。


 しかし、シオンはそこから無駄に抵抗をすることなく、大人しく“天使化”を解除する。その間に、先の衝撃で立ち込めた煙を強風が取り払うと、シオンの眼前に立つ人影が正体を現した。


「――まさか、シオンか?」


 人影から、そんな怪訝な声が発せられた。

 シオンは小さく息を吐く。


「そういうアンタは、やっぱりハンスだったか」


 シオンの前に立つのは、議席Ⅸ番ハンス・ノーディンだった。さすがにこの吹雪の中では騎士の衣装ではなく防寒具に身を固めており、彼のトレードマークともいえるスキンヘッドには登山用の帽子が被せられている。齢四十を超えたその顔には厳格な性格がにじみ出ており、人形のような無機質さがありつつも眼光は鋭かった。


 ハンスの姿を確認したシオンは、自身を拘束するハルバードを退けながら周囲を軽く見渡す。そうしている間に、ちょうどユリウスが後ろから追いついた。ユリウスはハンスを見るなり、落胆したような、疲弊したような顔になって舌打ちをする。


「やっぱりハンスかよ。てことは――」

「おーい、ハンス、どうした? 何があった?」


 そこにまた、新たな人物の声が起こった。それなりの年齢を重ねた男の声だが、どことなく間が抜けている。

 シオン、ユリウス、ハンスの三人が声のした方を向くと、雪に足を取られながら、のそのそとこちらに向かって歩く一人の男の姿があった。


「おや。なんだってまあ、ユリウスにシオンくんじゃないの。何してんの、こんなところで?」

「リカルドもいたか……」


 そう言って顔を顰めるユリウスの双眸に映っていたのは、議席Ⅷ番リカルド・カリオンだった。浅黒い肌の顔は寒さで仄かに赤くなっており、ウェーブのかかった黒髪には雪が積もっていた。この寒さに耐えきれず、小刻み震える身体を両手で必死に擦っている。ハンスと同年代の男だが、彼ほどの威厳は露ほども感じられない。


 ハルバードを取り払ったシオンが、ハンスとリカルドに改めて対峙した。刀を構えると、ユリウスもそれに倣って身構える。

 すると、リカルドが大袈裟に両手を広げて首を横に振った。


「ちょ、ちょちょ、待ちなさいって。俺らは君らと敵対するつもりないから」

「信じられるか、クソが」


 ユリウスが心底嫌悪したように吐き捨てると、リカルドはどこか悲しそうに眉根を寄せる。


「ユリウスさー。俺、仮にも君の師匠なんだけど。その師匠に向かってクソがって言うの、そろそろやめない? おじさん、結構傷つくよ」

「黙れよ、色魔。師弟関係だったのはもう昔の話だ」


 にべもなく言い放ったユリウスに、リカルドはがっくりと肩を落とす。

 それには構わず、ハンスがじろりとシオンを睨む。


「お前たち、こんなところで何をしている?」

「知りたいなら、まずは先にそっちが同じ質問に教えろ。アンタら、教皇の護衛が主任務だったはずだろ」


 シオンの言葉を聞いて、ハンスは短い溜め息を吐いた。まるで、お前にそれを言われたくない、と言っているかのようだった。


「教皇の護衛はとっくに解任された。お前が聖都で暴れたせいでな。今は十字軍が護衛についている」

「教皇の動向を近くで探れなくなったのは痛手だけど、おかげでこうして俺らは聖都から出られるようになった。任務先で女の子と遊べるようにもなったし、シオンくんにはそれなりに感謝してるよ」


 ハンスの回答に続いて、立ち直ったリカルドが軽い調子で余計な情報を捕捉した。


「そんなことで感謝されても嬉しくない。ここで何をしているのか、さっさと答えろ」

「何か俺にだけ辛辣じゃない?」


 そんなふざけた様子のリカルドは無視して、


「私たちはこの先にある軍の要塞基地に用があってきた。それ以上詳しいことは言えないが、少なくともお前たちに敵意はない。お前たちの処遇については、総長から話を聞いている」


 ハンスが答えた。

 シオンとユリウスは一瞬顔を見合わせ、ほんの少しだけ警戒を解く。


「なら、俺たちに攻撃を仕掛けたのは?」

「コボルトの群れと間違えただけだ。視界が悪かったとはいえ、すまなかった」


 恐らくは、シオンたちがコボルトの群れに襲われていたのとほぼ同時に、ハンスたちも同じ目に遭っていたのだろう。周囲を見ると、ハンスたちが仕留めたと思われるコボルトの亡骸が転がっていた。

 間違いで攻撃されたことにはそれなりの怒りを覚えるが、まともに周囲の状況を捉えられないこの悪天候を鑑みれば、一定の理解と納得もできる。


 シオンとユリウスは武器を収めた。


「……俺たちも目的地は同じだ。基地の医療施設から抗ウィルス剤を分けてもらうために向かっている」


 シオンの言葉を聞いて、リカルドが少しだけ驚いたように片方の眉を上げる。


「ぴんぴんしているようだけど、風邪でもひいたのかい? ていうか、すぐ近くに町があるからそこでもらえばいいじゃないのさ。なんでまた軍の基地に?」

「体調を崩したのは王女だ。王女はその町で休ませている。それに、医者にはもう診てもらった。だが、薬を切らしているせいで、効果的な治療ができないでいる」

「なるほどね、そりゃ一大事だ。今こうしている間にも、うら若きログレス王国の王女が苦しんでいると聞いちゃあ、ぐずぐずしてられない」


 急に妙なやる気を出したリカルドを見て、シオンが怪訝に眉を顰める。


「まさか一緒に来るつもりか?」

「どうせ目的地は同じだ。共に行動した方がいいという点については、私もリカルドと同意見だ」


 答えたのはリカルドではなくハンスだった。

 シオンとユリウスは警戒こそ解いたものの、どこか釈然としない面持ちになる。


「まあまあ。そんな顔しなさんな、若人たちよ。さっきハンスが言っていたじゃない? 君らとは喧嘩するなって、総長から言われているからさ。そこは信じてよ」

「いい加減な性格してるてめぇの言うことなんざ信じられるか」


 ユリウスが露骨に不快さを示すと、しゅんとなったリカルドに代わってハンスが口を開く。


「任務中に黒騎士と遭遇した場合には可能な限り協力すること――総長からはそう言われている。教皇と十字軍に睨まれている以上、表立った協力はできないが、ログレス王国の王女を女王にするという当面の目的は同じだ。目立たずに協力できる場面では、極力そうするつもりでいる」


 ハンスがそう言うのなら、と、シオンとユリウスは顔を見合わせる。顔は渋いままだったが、諦めるように納得した。

 そんな二人の反応を見て、リカルドが表情を明るくする。


「じゃあ、決まりってことで。ささ、そうとなれば善は急げだ。またコボルトたちが来る前に、さっさと要塞基地へ――」


 不意に、四人は耳をそばだてる。吹雪が大気を震わせる音――その隙間をか細く抜けるように、悲鳴のような声が聞こえたのだ。


「今の、ヒトの悲鳴か?」


 ユリウスが言うと、ハンスが頷いた。


「間違いなさそうだ。それに、多分女だろう。リカルドがもういない」


 彼の言う通り、いつの間にかリカルドがいなくなっている。

 シオンとユリウスは、呆れたように大きく息を吐いた。


「……女好きは相変わらずか」

「変わるわけあるかよ。最初の細胞分裂は下半身から始まったに違いねえって言われるほどだ、あのおっさん。弟子だった時にどれだけ苦労したか……」


 そんなユリウスの愚痴を最後に、シオンたちも悲鳴の聞こえた方へ駆け出した。

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