第三章 信念は噓よりも危険な真理の敵ⅩⅢ
ユリウスは目にも止まらぬ速さで両腕を振るい、鋼糸をパーシヴァルの周辺に張り巡らせた。直後、彼が片手を力強く握ると、宙を漂う鋼糸が無数の刃となってパーシヴァルの体を斬り裂く。
しかし、パーシヴァルの体は、細切れになった途端、白昼夢のように掻き消えた。ユリウスがすぐに周囲を確認する。すると、パーシヴァルはいつの間にかベッドの上で寛ぐように寝そべっていた。
「クソが! こいつも副総長と同じかよ!」
物理的な攻撃がまったく効かないこの現象に、ユリウスはすぐにイグナーツと、彼が得意とする魔術を思い出した。自身の姿を模した死体ベースの人形を遠隔操作する魔術である。術者本体ではないため、どれだけ攻撃を加えてもダメージは入らず、欠損も瞬時に再生してしまう。おまけに、体そのものを目視できないレベルまでばらばらの状態にすることで、どこからともなく姿を現す瞬間移動のような動きも実現できる。ゾンビを操り人形にしたようで中々に悪趣味ではあるが、出会ってしまったが最後、こちらからの攻撃手段がほぼ完封されてしまう強力な魔術だった。
「君は相変わらず口が悪いね。ていうか、いきなり攻撃するの止めてほしいな、びっくりしたよ」
まったくそんな素振りを感じさせず、パーシヴァルは徐にベッドから上体を起き上がらせる。
ステラは、騎士に武器を向けられてなおここまで平然としていられるこの男に、異様な恐怖心と焦りを覚えた。そして、彼が名乗ったその名にも、表情を強張らせる。
「パーシヴァル・リスティスって、少し前にシオンさんが伝えてくれた……!」
プリシラが、ステラを自身の後ろに隠しながら頷いた。
「ええ。聖王教会の枢機卿の一人であり、十字軍を率いる司令官の一人です」
二人の騎士から尋常じゃない殺気が放たれる。しかし、パーシヴァルはそんなことなど意にも介していない様子で、眼鏡の汚れに気付いて拭き始めた。
「それにしても、ガリア大公の部屋を盗聴するなんて、君たちも随分大胆なことするね。あ、ちなみに君たちがこのホテルにいるってことは、入った瞬間から気付いていたよ。盗聴のやり方がまずかったわけじゃない。むしろ、かなりいい感じだった。多分、僕じゃなかったら誰も気づかなかったんじゃないかな」
磨き終わった眼鏡をかけ、パーシヴァルは、まるで弟子を褒めるような口調でユリウスたちの手際を称賛した。
ユリウスは、鋼糸を何かの生き物の触手のようにうねらせながら、パーシヴァルに歯を剥く。
「うるせえな。んなくだらないことを褒めるためにわざわざこの部屋来たわけじゃねえだろ」
「うん」
パーシヴァルは即答してベッドから立ち上がった。
「悪いんだけど、この国の亜人たちの集団亡命が済むまで、ここで大人しくしてくれないかな? そうすれば、こちらも悪いようにはしないから」
それを聞いたプリシラが、槍を握る手に力を込める。
「ガリア大公の指示か?」
「うん。僕ね、今日は彼のお守と監視でここに来たんだ。彼は彼で十字軍とは別の思惑で色々動いているんだけど、余計な事されたら困るからさ、教皇猊下が念のために見ておけって。その代わり、十字軍の活動に影響が出ない範囲であればガリア大公のお手伝いをしてあげるって約束になっててね。君たちもここで盗聴してたんなら知ってるだろ? 騎士二人を見ておけって僕が言われたの」
ユリウスとプリシラは、ステラを背に守るような位置取りを維持しつつ、じりじりとパーシヴァルとの間合いを詰めていった。パーシヴァルはそれを、子猫の威嚇を見たかのように嗤笑した。
「まあ、そうぴりぴりしないで。僕のお願い聞いてくれるなら、君たちには何もしないよ。もちろん、ステラ王女がここにいることもガリア大公たちには内緒にしてあげよう。悪い話ではないと思うけど、どうかな?」
パーシヴァルからの提案を受け、ユリウスとプリシラは数秒の間無言になり、落ち着いた面持ちで互いに目配せをした。それから、ゆっくりと武器を下げる。
「……願ったり叶ったりだ。本当にその言葉通りなら、俺たちはアンタの要求に応じるぜ」
ユリウスが提案を受け入れると、パーシヴァルはぱあっと表情を明るくした。
「ありがとう。余計な仕事が増えないで助かったよ。じゃあ、早速なんだけど、今から明日の正午まではこの部屋の中で大人しくしててくれないかな? その頃には、調印式も終わっているだろうから――もともと始まらないかもだけど」
パーシヴァルが最後に含みのある言葉を残したのは、敢えてのことなのだろう。薄ら笑いを浮かべる表情が、何よりの証拠だった。
ユリウスとプリシラがそれに嫌悪している傍らで、ステラが不意に前に出る。
「ひとつ訊いてもいいですか?」
「ええ、勿論です。何でしょうか、ステラ王女?」
パーシヴァルが少し背筋を伸ばし、傾聴の姿勢に入る。
「亜人たちが集団亡命したら、ガリアはノリーム王国に難癖をつけてここを占領するつもりなんですよね? ガリアはどうしてそんなことをするんですか?」
「ガリア公国は、所謂、覇権主義国家です。この大陸が平和になる最善の手段は、自分たちがすべての国を支配下に置くことだと、本気で信じています。支配下に置くべき国家の対象は、大陸四大国であっても例外ではありません。事実、ステラ王女のログレス王国も、今は実質的にガリア公国の支配下にある状態でしょう? ガリア大公は、グリンシュタットにも同じことをしようとしているのですよ。そのためには、侵攻の拠点となる近場の土地と、侵略を正当化する大義名分が必要です。何となく支配したいからって理由だと、まず間違いなく騎士団が介入する事態になりますからね。それに今後は、十字軍も大陸の治安維持に係わることになるでしょう。さすがの軍事大国ガリアでも、騎士団と十字軍を相手取るのは無謀すぎます」
それを聞いて、ユリウスが胡乱げに眉を顰めた。
「大義名分なんざ、教皇と仲良しになった今となっちゃあ、あってもなくてもどうでもいいんじゃねえのか?」
パーシヴァルは肩を竦める。
「そうでもない。親しき中にも礼儀あり――というわけじゃないけど、教皇猊下がガリアに認めているのは、あくまでログレス王国の代理統治だけ。あの方は、それ以上の許可をガリアに与えるつもりはさらさらないみたいだ。君たちもさっき聞いていただろ、それでガリア大公が怒っていたの。ちなみにいうと、もしガリア大公が血迷って大義名分もなしにグリンシュタットを侵略しようとした場合は、十字軍が責任を持って阻止するつもりなので、あしからず」
ユリウスが、クソが、と短い悪態をつく。
「ラグナ・ロイウで街の五分の一吹っ飛ばした奴らが何ほざきやがる。仮にそうだったとして、同じようにガリアの軍隊をこの国もろとも吹き飛ばすだけだろ。なに平和の使者ぶってんだよ」
「平和を崩すのは武力だが、平和を築くのもまた武力だ。まあ、十字軍にしても、圧倒的な武力をちらつかせた抑止力である以上、本質的なところではガリア公国とやっていることが変わらないっていうのは素直に認めるよ」
あっさりと同意したパーシヴァルだが、ユリウスは、これはこれで気に入らなかったらしく、不貞腐れるように一人そっぽを向きながら椅子に座った。
それには構わず、ステラはさらにパーシヴァルに対して前のめりになる。
「あの、亜人の皆さんは亡命したあと、どうなるんですか?」
「質問はひとつ、という話でしたよね?」
パーシヴァルに指摘され、ステラは言葉を詰まらせる。
だが、
「まあ、正直言うと、僕もその後のことは知りません。特に興味もないので、ガリア大公から詳細を聞いてもないです」
意地悪を詫びるように、パーシヴァルは答えた。
それを聞いたステラは、どこか釈然としない思いで渋い顔つきになる。そんな彼女を見たパーシヴァルは少しだけ愉快そうに顔を綻ばせたあと、不意に、壁に向かって歩き出す。
「さて、話もまとまったし、そろそろいいかな。僕は早寝するタイプなので、ガリア大公と続きをさっさと話して、自室に帰らせてもらうよ」
パーシヴァルは振り返り、壁に寄りかかるような体勢になった。すると、彼の体が壁と同化するように消えていく。
「それじゃあ、ご機嫌よう」
そして、パーシヴァルの姿が完全に消えたのと同時に、部屋の天井、壁、床一面が、瞬く間に漆黒へと染まり上がった。
突然の異変に、ステラたち三人が驚きで言葉を失う。
ユリウスとプリシラは、すぐに部屋の扉と窓を確認したが、
「クソ、やりやがったあの野郎!」
「閉じ込められた!」
黒く変色した扉と窓は、それが始めから彫刻の作品であったかの如く、微動だにしなかった。どうやら、この部屋の中全体が、硬質な物体で固められてしまったようである。
ステラが青ざめた顔で二人に詰め寄る。
「え!? これ、まさか、明日の正午までずっとこうなんですか!?」
「恐らくは。壁、窓、扉、すべてがこの黒い物質に置き換えられました」
プリシラが黒い壁を撫でながら答える傍らで、ユリウスは窓だった部分に蹴りと拳を数発叩きこんでいた。次に鋼糸で切断を試みるも、全く歯が立たない有様だ。
「駄目だ、俺が殴っても蹴ってもヒビひとつ入らねえ。武器も駄目だ。おい、プリシラ。物体変形の魔術でどうにか壊せねえか?」
言われるまでもなく、プリシラはすでに黒い壁の成分を確かめるように凝視していたが、その表情は芳しくなかった。
「この黒い壁の材質が何かわかればできなくもないが、わからなければ当てずっぽうで魔術を実行し続けるしかないな。だが、もしこれが無数の化合物で構成されたものだとしたら、引き当てるのにとんでもない時間がかかるぞ」
「現状、それしか脱出手段が思い浮かばねえんだ。やるぞ」
そうして二人の騎士は、チョークを片手に様々な模様の印章を黒い壁に描き始めた。




