第三章 信念は噓よりも危険な真理の敵ⅩⅡ
「え!? このホテルにガリア大公が!?」
ホテルの部屋にて、ステラが素っ頓狂な声を上げて驚いた。今しがた部屋に戻ったばかりのプリシラが、部屋の電話線を確認しながら頷く。
「はい、そろそろ食事を終えて部屋に入る頃でしょう。私たちはこれから、ガリア大公たちが部屋の中で話していることをここから盗聴します」
「盗聴!? どうやってですか!?」
立て続けに予想だにしない言葉を耳にし、ステラはさらに驚きで目を丸くさせた。
「ユリウスが、ガリア大公が食事中の間に宿泊予定の部屋に忍び込み、マイクを仕込んで電話線と繋げました。今は主配線盤に細工をして、この部屋の電話線と繋いでいる最中です。ちなみに、マイクとスピーカーはホテルの倉庫からくすねてきました」
淡々と今の状況を説明しながら盗品のスピーカーを見せつけてくるプリシラに、ステラは呆気にとられながら苦笑する。
「ユリウスさん、そんなことできるんですね。本当、騎士って怖いくらいに万能ですね……」
そんな噂をしていると、本人が部屋に戻ってきた。ユリウスの表情にはあまり余裕は見られず、事態が切迫していることを暗に示していた。
「向こうの部屋とこの部屋の電話線を主配線盤から繋げてきた。今からこの部屋の電話線とスピーカーを繋げるぜ」
ユリウスはプリシラから電話線を受け取ると、手早くスピーカーに繋げた。それから鋼糸を電話線に張り巡らし、魔術で微弱な電気を流し出す。すると、スピーカーから、ザァーザァーというノイズが鳴り始めた。
ステラは思わず、息を殺すように口を両手で塞ぐ。
「こっちの音はあっちに聞こえてねえよ。そんな間抜けなことしなくても大丈夫だ」
ユリウスが作業の片手間に言った。ステラは顔を少し赤くしながら両手を口から離す。
そうこうしている間に、ユリウスが流す電気の量を調整し続け、やがてスピーカーから鮮明な音が流れるようになった。
『――わ――の中で話さ――とも、レストラン――よかったのでは? ついさっき僕がホテルに到着した時、一階レストランにほとんどお客はいなかったですよ。お付きの人たちまで部屋の外に追い出して、そこまでの内緒話ですか?』
最初に聞こえたのは、落ち着いた男の声だった。歳はそれほど取っていないように聞こえるが、若いというほどでもない。三十代中盤といったところだろうか。
次に聞こえたのは、
『どこで誰が聞いているのかもわからんのだ。用心するに越したことはない』
偉そうな年老いた男の声――間違いなく、ガリア大公のものだ。
ステラたち三人は小さくガッツポーズを取り、スピーカーに耳を傾ける。
『まあ、僕はどこでも構いませんが。で、早速なんですが、ガリア大公はこの後どうするおつもりで?』
『なんの話だ?』
『このまま予定通り、ノリーム王国と軍事同盟を結ぶのか、ということですよ』
男の問いかけに、ガリア大公は小さく鼻を鳴らした。
『結ぶまでもない。あちら側がどう回答しようと、我々の思った通りにしかならん。とんだ茶番だ』
『やはり、ですか。いやはや、えげつないことをする』
男が呆れると、ガリア大公は大きな舌打ちをする。
『同じことを貴殿の上司に言ってやれ。まったく、教皇猊下ときたら……』
『教皇猊下に何かご不満でも?』
『あるに決まっている! あの男、ログレス王国の代理統治を認めたはいいが、本当に“それだけ”しか認めていないではないか! ログレス王国を統合したければ、ステラ王女を目の前に連れてきて話し合えなどとほざきおって! これではいつまで経っても話が先に進まないではないか! 十字軍結成のために、いったいどれだけの援助をしたと思っている!』
突然、激昂したガリア大公の怒声がスピーカーから放たれ、ステラは思わず耳を塞いで顔を顰めた。その一方で、ユリウスとプリシラは表情一つ変えずに聞き耳を立てている。
「ガリア大公は誰と話してんだ? さっきレストランで見かけた時に一緒にいた連れじゃないのか?」
「わからない。だが、聞いた限りでは教会関係者のように思える」
そんな二人の疑問には構わず、スピーカーの先ではさらに話が進められる。
『でもまあ、そちらが最初に提示した条件がそれでしたし。ガリア公国が、国家元首不在となったログレス王国の代理統治を認める――現状と何も乖離していないのでは?』
『とぼけたことを言うな! それだけが我々の目的ではないことを知っておろうに!』
『ああ、忖度してほしかったんですね。ゆくゆくは、ガリア公国がログレス王国を完全に吸収するようにと。申し訳ございません、そこまで気が回らず』
男の嘲笑混じりの声が、ガンッという何かの衝突音にかき消された。恐らく、ガリア大公が、テーブルか何かを蹴り飛ばしたのだろう。
『クソ! これ以上調子のいいことばかり言うのなら、こちらにも考えが――』
『やめた方がいいですよ。その選択肢を取った途端、恐らく教皇猊下はガリアを滅ぼしに行くと思いますので』
『は、はったりだ! 仮にもガリアは、大陸四大国の中でも最強の軍隊を持――』
『十字軍はもはや、世界最強の軍隊です。あの聖王騎士団すらも尻込みするほどの軍事力を、今は持っているのですよ』
直後、スピーカーの先は暫く無言になり、ガリア大公が悔しそうに唸る声が微かに混じる。
ガリア大公をここまで手玉に取る人物はいったい誰なのだろうと、ステラたち三人は同じ疑問を持っていた。特にユリウスとプリシラは、どこかすっきりしない面持ちで顔を顰めている。
「おい、本当誰だ、こいつ。十字軍についてやたらと詳しそうだぜ?」
「私が知るわけないだろう。だが、とんでもなく嫌な予感がする」
スピーカーの先で、会話はさらに続けられる。
『ところで、ガリア大公。話を戻しますね。明日の調印は、どう進めるので?』
『調印はどのみち行われない。明日の午前中、“この国すべての亜人がグリンシュタットへ亡命する”からな』
突然、ガリア大公から衝撃の言葉が放たれ、ステラたちは揃って目を丸くさせた。
『なるほど。それを口実に、ガリア公国はノリーム王国に報復し、完全な占領下に置く。そうすれば、ガリアは小国地帯のど真ん中に軍事拠点を置くことができるわけですね。さらには、亜人の集団亡命は、グリンシュタットによる同盟妨害の工作活動として、かの国へ侵攻する大義名分を得ると。さすがは、現代における覇権主義国家。大胆な企みだ』
ガリア側の計画が話され――ステラとプリシラは同時にユリウスを見遣った。両者の双眸からは、責任を問いかける眼差しが放たれている。
「ユリウス、どう始末をつけるつもりだ? 懸念していたことが、本当になりつつあるぞ」
「いや、どう考えても俺のせいじゃねえだろ! ガリアがもともと企んでいたことだろうが!」
ユリウスとプリシラが言い合いを始めるが、ガリア大公たちの話はまだ終わっていない。ステラはすぐにスピーカーに耳を傾けた。
『一方で、その計画を成功させる目途はついているのですか? この国に住まう亜人を一斉に亡命させるなんて、よほどのカリスマを持つ人物でないと、到底実現なんてできそうにありませんがね。それこそ、革命家のような』
『毒はすでに仕込んである。ラルフ・オズボーン――いや、今は、ラルフ・アンダーソンという名か。こちらが提示した亜人引き渡しの条件を煽りに使い、そのラルフとかいう若造に亜人の集団亡命を唆す。明日の朝、亡命に必要な舞台がすでに整っていれば、あとは勝手に動くだろう。亜人を積んだ汽車がグリンシュタットに向かって走り出せば、この件は一件落着だ』
ラルフの名が会話の中で出たことで、ステラたち三人は顔を見合わせながら驚く。
『そのラルフ・アンダーソンという男は何者で?』
『ラルフ・アンダーソンは、一年ほど前に崩壊したこの国の貴族、オズボーン家の嫡男だ。今なおこの国で奴隷同然の扱いを受ける亜人たちからは、最後の希望としてもてはやされているらしい。だが、数年前、教会魔術師になれず、周囲の期待を大きく裏切ったことで、この国では針の筵の状態になっているそうだ。まあ、そんな哀れな男に、今度こそ英雄になれる機会が、突然、降って湧いて与えられるというわけだ。大好きな亜人たちを亡命させることができるとわかれば、食いつかないわけがない』
『とことん、えげつないことをする。英雄になるための行動が、まさか大国間の争いを引き起こすきっかけになりえるとは。英雄に担ぎ上げられたピエロほど、滑稽なものもない』
男は、笑いをこらえきれないように声を震わせた。続けて、
『ですが、そのラルフ・アンダーソンという男をどうやって唆すので? 急にぽっと出てきた輩が扇動したところで、さすがにそんな大胆なことはしないでしょう』
『案ずるな。すでに何年も前からスパイを送り込んでいる』
そんな疑問を口にしたが、ガリア大公が鼻で笑った。
すると今度は、コンコン、と扉をノックするような音が、スピーカーから流れる。
『ちょうど来たようだ』
ガリア大公がそう言った矢先、今度は扉の開く音が聞こえる。また新たな客人が、彼らの部屋に招かれたのだろう。
『紹介しよう。我が国ガリア公国が誇る、世にも珍しいエルフのスパイ――確かここでは、ミーアと名乗っているんだったか』
そして、その正体がガリア大公の口から聞かされ、ステラたちは吃驚に顔を歪ませた。
「嘘! ミーアさんがガリア公国のスパイ――」
「静かにしろ、聞き取れない。まずいぞ、あのエルフは俺とプリシラが騎士だってことを知っている」
ステラが取り乱しそうになるのを、ユリウスが強引に制止する。三人は冷や汗をかきながら、スピーカーから発せられる次の会話を待った。
『はい、ガリア大公。こうしてお目にかかることができて、大変光栄な思いです』
『このエルフには十年ほど前からこのノリーム王国に潜伏してもらっていた。グリンシュタットを陥落させるために、どうにかこの国を利用できないかと、色々と諜報活動をしてもらっていたのだよ』
得意げに話すガリア大公の台詞に、男の感心した声が混ざる。
さらに話は続く。
『わしは自他ともに認める大の亜人嫌いだが、このように従順で有能なエルフはその限りではない。オズボーン家の崩壊という好機を見逃さず、よく働いてくれた』
『恐縮でございます。しかし、ガリア大公。お疲れのところ大変恐れ入りますが、急ぎ、お伝えしたいことが』
『なんだ?』
スピーカー先の空気が、一気に不穏なものになる。それを感じ取り、ステラたちも息を呑んだ。
『この国――いえ、このホテルに、聖王騎士団の騎士が二人、滞在しております』
予想通り、ミーアからユリウスとプリシラのことが告げられた。
プリシラは嘆息し、ユリウスも露骨に舌打ちをする。
「やはり話したか」
「目の前で魔物を蹴り殺しちまったから仕方ないとはいえ、もっと慎重になるべきだったと反省しちまうな」
スピーカーの向こうでは、ガリア大公が若干の動揺に声を上ずらせていた。
『まさか、わしらの計画を悟られたのか?』
『いえ、その可能性は低いと思われます。極秘任務中ということ以外の情報は得られませんでしたが、今回の計画とは無関係ではないかと』
『すっきりせんな。本当に大丈夫なのか?』
ガリア大公が酷く慌てている様子は声だけでもよくわかった。それを滑稽に思ったのかどうかは知らないが、スピーカーの先では、男が小さく笑っていた。
『大丈夫じゃないですか? 僕も彼女と同意見ですよ。騎士団は今、十字軍の対応で手一杯の状況です。こんな小国の有事に構っている余裕もないでしょう』
冷静な男の声のあと、数秒の沈黙がスピーカーから流れる。
そして――
『……まあ、貴殿がそう言うのであれば、そうなのだろう。だが、その騎士二人は貴殿に監視してもらうことにするぞ、パーシヴァル・リスティス枢機卿猊下』
男の正体が、十字軍を率いる指揮官の一人――パーシヴァル・リスティスであることが明かされた。かつての議席持ちの騎士であるパーシヴァルが十字軍に付いたことは、すでにシオンからプリシラ経由で三人に伝わっていた。
刹那、ユリウスとプリシラが血相を変えて立ち上がる。それから二人は目にも止まらぬ速さで電話線を切り、荷物をかき集め始めた。
「今すぐこの国を出るぞ!」
まるで亡霊に追われているような表情でユリウスが叫んだ。
ステラは、二人の騎士が突然焦り出したことに付いていけず、呆然と首を傾げる。
「お、お二人とも、どうしちゃったんですか?」
そんなステラの手を、プリシラが強引に取った。
「説明は後です! 非常にマズいことになりました! 恐らく、この盗聴も――」
「うん、僕には筒抜けだったよ」
不意に起こった第三者の声は、この室内からだ。声の起こった場所は窓際のソファの上で、ステラたち三人は同時にそこへ視線を送った。
「久しぶりだね、ユリウス卿にプリシラ卿。最後に会ったのは、君たちが従騎士だった頃かな。それと、ステラ王女は初めまして。パーシヴァル・リスティスと申します」
そこにいたのは、丸くまとめられた栗色の髪と細い眼鏡が特徴的な三十代中盤の男――パーシヴァル・リスティスだった。




