第二章 おかあさんⅩⅢ
第10回ネット小説大賞一次選考通過してました!
嬉しい!
抽選会を終え、無事に参加証の仮面を手に入れることができたシオンとソーヤーは、一度スラム街の酒場に戻っていた。時刻は十五時になろうとしている頃で、冬の太陽はすでに傾き始めている。
酒場は開店前で無人だった。入って早々、シオンは仮面を外して一息吐くと、カウンター席に腰を下ろした。ソーヤーも彼に倣って同じくカウンター席に座る。そうして二人が、それまで付けていた仮面と、参加証の仮面をそれぞれカウンターテーブルに置くと、不意に小さな拍手が起こった。
間もなくして、酒場の奥から、騎士らしからぬ、いつものみすぼらしい恰好をしたネヴィルが両手を叩きながら姿を現す。
「お疲れさまでした。無事、参加証の仮面を手に入れることができて何よりです」
シオンとソーヤーの目の前に立ったネヴィルが、労いの言葉をかけてきた。ソーヤーがそれに親指を立てて得意げに応じる一方、シオンは、両目を瞑って軽く項垂れていた。
「どうしたんです? まさか、体力お化けのシオン殿ともあろうお方が、疲れちゃいました?」
「気疲れだ。ああいう祭にあまり慣れてない」
首を左右に倒し、音を鳴らしながら深いため息を吐くシオンだったが、その隣では、ソーヤーが歯を見せながら悪戯っぽい笑みを見せていた。
「シオンの兄貴、抽選会にいた女の子にモテモテだったんだぜ?」
「なんと、それは羨ましい」
ソーヤーのそんな報告を聞き、ネヴィルは大袈裟に肩を竦めて意地悪そうな笑顔になる。
シオンが、辟易した様子で鼻を鳴らした。
「そんなことより、本当に大変なのはこれからだろ。参加証を使って騒ぎを起こさずにイザベラの宮殿に侵入できたとして、どうやって目的の恋文を探せばいい?」
「お、早速その話に入りますか?」
待っていましたとばかりに、ネヴィルは弾むような口調で声を発する。
「宮殿に入ったあとは、暫くパーティを楽しんでください。中には協力者のメイドがいるので、彼女からコンタクトがあるはずです。その時にイザベラの私室の場所を教えてもらって、合鍵を受け取ってください。あとは、トイレへ行くという体で宮殿の中に案内されるフリをし、そのままイザベラの私室に向かって恋文の捜索をお願いします」
すでにこちらの手の者が宮殿に侵入している事実を聞き、シオンは眉を顰めた。
「……合鍵まであるなら、いっそ全部その協力者のメイドにやらせればよかったんじゃないのか?」
「協力者といっても、ただの一般人なので。ソーヤーたちと同じように、このラグナ・ロイウの現状を良しとしない反体制思想の住民、というだけですよ。工作員や諜報員みたいな働きはできないです」
どこか釈然としないものの、シオンはとりあえず納得したと返事をする。
「恋文が保管されている場所に入るまでの手筈はわかったが、肝心の目当ての物――貢を証明する恋文はどうやって特定する? 前にアンタから聞いた話だと、書き直した物を大量にため込んでいるんだろ? まさか、一枚一枚確認するしかない、とか言い出さないよな?」
「いやぁ、それがそのまさかなんですよね」
ネヴィルが苦笑し、シオンは驚きと呆れで険しい顔つきになった。
「正気か?」
「でも、少しだけ見当はついています。前回の送金月が先月だったので、十二月に書いたと思われる恋文を漁ってみてください」
「その恋文が前の月に書いたかどうかなんてわかるのか?」
「何度も書き直して没になった恋文は、棚の中で月ごとに仕切りを立てられ、綺麗に整頓されているようですよ。イザベラにとって恋文の作成は、もはや一種の創作活動に近いのかもしれませんね」
シオンが、げんなりと顔を顰めて嘆息する。
「まさか自分の人生の中で、大量の恋文を読み漁ることになるとはな。今から気が重い」
「おや、恋文を読むのには慣れているのでは? シオン殿、現役時代にいつも大量の恋文を大陸中の女性から受け取っていたじゃないですか」
「……他人を揶揄うのもほどほどにしておけよ。しつこいと、さすがに怒るぞ」
「失礼。ちょっとやり過ぎましたか」
微かな殺気が込められたシオンの視線を受け、ネヴィルは少しだけ畏縮して肩を竦めた。彼はその後で、椅子を一個空けて、シオンと同じカウンター席に座る。
「ところで、シオン殿の方はどうするんですか? “紅焔の魔女”エレオノーラ・コーゼルに接触するという目的は」
不意に話題を自分の目的に変えられ、シオンは警戒心を引き上げた。それが表情に出ていたのか、ネヴィルは大袈裟に両手を挙げて愛想よく微笑する。
「別に邪魔しようなんて魂胆はありませんよ。むしろ、ニューイヤーパーティで僕に何かお手伝いできるようなことがあれば、協力してあげたいと思ってるくらいです」
「それができたら、始めから抽選会で参加証の仮面を手に入れるなんて回りくどいことやっていないだろ」
シオンがぴしゃりと言い放つと、ネヴィルは一本取られた、といった様子で自身の額を軽く叩いた。
「ごもっともで。でもまあ、入用の時は気兼ねなく言ってください。お互いに利害が一致しているうちは、持ちつ持たれつでいきましょう」
そう言ってへらへら笑うネヴィルを見るシオンの視線は、ますます鋭くなっていった。一時的に協力関係になったとはいえ、とどのつまりは騎士と黒騎士――敵対する立場にある。なぜこの男はこうもいい加減で適当な振る舞いをし続けていられるのか――シオンは、ある種の不気味さを覚えながら、短い溜め息を吐いた。
すると、
「そういえば、ちょっと前に電話でイグナーツ殿から聞きましたよ。シオン殿、背中の印章を“紅焔の魔女”にいじられたそうですね」
ネヴィルがそんな切り口で話しを続けてきた。
「あと、こうも言ってましたね。聖王祭でステラ王女を連れ去ったあとは、もしかすると“悪魔の烙印”を解呪させるために“紅焔の魔女”に接触するかもしれないって。だからこの街に黒騎士が来た場合は、すぐに騎士団に知らせろって言われました。あ、勿論、今は協力してもらっているのでそんなことしませんよ?」
「……だからアンタは、俺の目的がエレオノーラに会うことって知っていたのか」
「はい。自分の動きを制限するような印章を、シオン殿がいつまでも放っておくわけがないって聞かされましてね。いやはや、さすがは我らが副総長、見事、予想は的中しましたね。人をよく見ていらっしゃる」
このままニューイヤーパーティの時間になるまで世間話をするつもりかと、シオンは若干つまらなさそうにカウンターテーブルに肘をついて手に顎を乗せた。その際、ふと隣の椅子を見遣ると、ソーヤーがうとうとして船を漕いでいた。いつバランスを崩して椅子から転がり落ちるかわからない状態を見かねて、シオンは、ソーヤーを抱えてソファ席に横に寝かせた。
そんな時――
「お母さん……」
シオンがソファから離れる間際、ソーヤーが寝言で小さくそう呟いた。
それは、本来であれば、何の変哲もない、子供が母親の存在を愛おしく思う咄嗟の呟き――のはずなのだが、不意に、シオンは“あること”を思い出した。
「ネヴィル」
シオンが呼びかけると、ネヴィルは間抜けな顔で振り返ってきた。手にはビール瓶が握られており、今まさに蓋を開けて口をつけようとしているところだった。
「何です?」
「アンタ、イザベラの好物って知っているか?」
突然の問いかけに、ネヴィルは困惑した様子で眉根を寄せ、首を傾げる。
「何かのなぞなぞですか? 知らないですよ、そんなの」
こいつはいったい何を急に言い出すんだと言わんばかりに、ある意味で当然の反応だった。
しかし、
「ソーヤーはそれを知っていた。しかも、かなりの自信を持ってな」
シオンがそう言った途端、ネヴィルの目が細められる。
シオンはさらに続けた。
「それと、今わかったことがある。今までソーヤーは男の子だと思っていたが――こいつは女の子だ。子供だから遠目だと気付かなかったが、抱えて間近で見た時、骨格の特徴が女のそれだ」
そう言ってシオンは、ネヴィルを睨みつけた。
「ネヴィル。アンタ、俺に何か重大なことを言っていないんじゃないのか? そもそもとして今回の一件、どうしてソーヤーを同伴させる?」
「……それは――」
ネヴィルが口を開きかけた途端、彼の喉元に刀の切っ先が突きつけられた。シオンが、目にも止まらぬ速さで刀を引き抜いたのだ。
「洗いざらい、嘘偽りなく、すべて話せ」
シオンの双眸には、敵意にも似た猜疑心が宿っていた。




