第二章 おかあさんⅨ
「ガイウス卿は、混血が禁忌に定められたのは何故だとお思いですか?」
まだ幼さを残す従騎士時代のシオンは、無邪気にそう訊いたことがあった。確かあれは、任務で初めて人を殺めた日――辺境の農村を苦しめる盗賊団の壊滅を終え、そのアジトで、エルフやライカンスロープといった亜人たちが奴隷として囚われているのを確認し、解放した直後の出来事だった。奴隷たちを守護しながら野営をしていた時、シオンはガイウスと寝ずの番で、焚火を囲っていた。
「教会が権威を保つためだ。亜人と人間は決して交わることがない――その真実さえ担保できれば、昔の馬鹿どもは、人類史における奴隷を使っての非道な行いを隠匿できると考えたのだろう」
奴隷たちが木立で身を寄せ合って寝ている姿を一瞥した後、シオンは不快な思いに眉を顰めて、焚火を見つめた。
数秒の沈黙の後、
「少し前に、俺が言ったことを覚えているか?」
ガイウスが、シオンの胸中を察したように、問いかけてきた。
「この世に真実という出来事は存在しない――それは真理だ。だが、真実と呼ぶべきものをヒトは無数に創り出す。お前のその疑問が生まれた原因がまさにそれだ。混血が存在するという事実に対し、それを許さないという真実が長い歴史の中で生み出されてしまった」
“師”の言葉を聞いて、シオンの溜飲が下がる。
「真実は、事実に主観的な価値観を肉付けした観測結果でしかない。だから真実は、一つの事実に対して無数に存在し、我々を都合よく惑わす」
ふと、ガイウスが自分たちのいる場所から少し離れた場所に目を馳せた。そこには大きな岩があり、すぐ傍には蠅に集られた猫の死骸が転がっていた。死んでまだ間もないようだが、すでに微かな異臭を放ち始めている。ここに来たときは存在していなかったはずだから、恐らくは休んでいる間に猫が力尽きたのだろうと、シオンは短い間に推測した。
「例えば――そこに猫の死体が転がっているという事実がある。猫の死という、誰の目に見ても明らかな結末に、ヒトは、いつ、どうやって、何が原因で、もしかすると誰かが、ここではないどこかで殺して運ばれて――といったことを考えて、真実を創り上げていく。その真実が、事実であるかは別にしてな」
まるで、シオンが思い浮かべたことを覗き込んだかのように、ガイウスがそう諭した。
ガイウスは続けて、シオンに金色の双眸を向ける。
「シオン」
その呼びかけに、シオンの背筋が自ずとまっすぐに正される。
「先人の教えは尊ぶべきものだ。それらは貪欲に、忠実に、誠実に学んでおけ。だが、何よりも優先するべきはお前の心だ。個の意思は有象無象に染まるべきではなく、また己の精神を殺す必然もない」
まだ十五歳にも満たない少年の胸が、“師”の教えを受けて、熱い何かに満たされるような感覚に陥った。
「それが、理不尽な現実という残酷な真実に立ち向かうための、唯一の“術”だ」
真実は存在しない――そう言ったにも関わらず、“師”は、そんな矛盾したことを静かに伝えてきた。
だが、この時のシオンは、その言葉が何かの救いになったような気分に陥っていた。
※
「正装というより、これじゃあ仮装だな……」
そう言いながら顰めたシオンの顔上半分は、金の差し色が入った白いドミノマスクで覆われている。首から下に纏うのは、中世の貴族を彷彿とさせるような、これまた派手な刺繍入りのコートとベストだ。黒の長髪はいつものポニーテールではなく、小奇麗な三つ編みにまとめられている。
通常の感覚であれば、この恰好で外を歩けば、派手好きを通り越して不審者とすら周囲に認識されるだろうが――今日この日の、この場においては、シオンのこの奇抜な装いですら“控えめ”なのである。
周囲を見渡せば、所狭しと集う誰もかれもが、シオン以上に珍妙な服装をし、奇妙な仮面を付けていた。
「兄貴、結構似合ってると思うけど」
そう言ったソーヤーの恰好も、シオンと同じような有様だった。顔の鼻先から上を隠す仮面に、学芸会で着る衣装のような服装をしている。
そうして並ぶ二人は、いうなれば大小の凸凹コンビ――もとい、ペアルックで祭りを楽しむ年の離れた兄弟だ。
不意に、正午を告げる鐘が、ラグナ・ロイウの中央広場に鳴り響く。同時に沸いたのは、熱狂に満ちた民衆の歓声だ。そんな喧騒に呼応するように、広場の至る所から一斉に花火が上がる。大道芸人たちがこぞって火を吹き、さらにこの場を盛り上げようとしていた。
そして――
「紳士淑女の皆さま! さあさあ、今年もやってまいりましたよ、総督主催のニューイヤーパーティに参加できる唯一無二の大チャンス――ラグナ・ロイウ総出の抽選ゲーム大会が!」
中央広場のど真ん中に設けられた大仰なステージ上で、司会者が抽選ゲーム大会の開始を声高に宣言した。
「今年の抽選枠はなんと、去年より十人も増やした総勢三十人となっております! パーティには例年通り経済界の重鎮など、数々の大物が参加される予定です! 人脈を広げ、立身出世を叶えるためのまたとない機会! 働き盛りの紳士諸君、これはもう参加するしかないでしょう!」
男たちの野太い声が、冬の寒気を瞬く間に温めていく。
「淑女の皆さま、パーティには昨今の財界を賑わせる若き貴公子たちも多く参加されます! 玉の輿に乗るには今しかない! 約束された優雅な暮らしがすぐそこに待っている!」
女たちの甲高い声が、この上ない緊張の糸となって会場の空気を張り詰めさせる。
「くだらない口上はここまでにして、それでは早速参りましょう! 改めまして――ハッピーニューイヤー!」
それがまるで指揮官の号令であったかのように、再度、至る場所から花火が上がった。
会場の熱気はまさに最高潮――シオンは広場の中央から少し離れた最後尾の場所にて、少し冷めた眼差しでそんな開会式を見遣っていた。
「……いつもこんな感じなのか?」
と、シオンが何気なく隣のソーヤーに訊いてみたが、ソーヤーもまた、周囲と同じように拳を空に突き上げて雄叫びを上げていた。
どうやら、これがこの祭りの習わしらしい。
シオンは両腕を組んだまま、どこか虚ろな瞳で仮面の覗き穴から水の都を見つめていた。
やばいまだ四分の一くらい




