402 文化祭11
朝日が気持ちいい。
少し暑かった残暑も落ち着き、だいぶ走りやすくなってきた。
春那さんと運動を続けて、もうすっかり習慣になっている。
そのおかげか、朝食がやたら美味しく感じる。
運動が終わったあとは春那さんと一緒にストレッチ。柔軟性もかなり向上した。継続は力なりというけれど本当に実感してる。補助してもらえば、開脚したまま胸を床スレスレまで近づけられるようになった。
……春那さんには感謝しているけれど――なんでわざわざ俺の目の前に移動してストレッチするのか。谷間が見えて困る。わざととしか思えない、ちょっと嬉しそうだし。この人、本当にマゾだからな。普段からかってくるのも、俺だろうが美咲だろうが、どちらでもいいからお仕置きしてほしいからだ。これさえなければ、完璧なんだけど。
春那さんが朝食の準備をしている間に、シャワーへ向かう。
油断すると、春那さんが乱入してくる時があるので、警戒は欠かさない。
二階に向かう途中、リビングからニャーニャーと、ルーとクロの鳴き声がした。
文さんが起きてきたのだろう。
餌のおねだりは、二匹とも遠慮がない鳴き方をするからすぐ分かる。
自室で身支度を整えたあと、いつもの日課の美咲の部屋へ。
念のためノックするが、やはり返事がない。
ドアを開けると――ベッドの上には今日も布団の卵が形成されている。
毎度のことだが、この卵を見るたびに萎える。
美咲を起こすときは、中途半端な刺激を与えると、美咲が睡眠学習して進化してしまうので、起こすときは細心の注意が必要だ。
ベッドに上がり、卵をずらして足場を作る。
卵をひっくり返して、巻き込み口から手を突っ込む。
美咲の布団を掴んでいる手を解く。
美咲は布団に手を巻き込んでいることが多いので、丁寧に解除していく。ここで肝心なのは決して力任せにしないこと。力任せにするとそれが刺激になって、次の日には対策がされる。学習しているのは美咲だけではなく、俺もしている。
よし、うまく解けた。
ここで焦って急ぐことも禁物。美咲が感知してしまうと、防衛反応が働き抵抗が強まる。慎重かつ大胆に布団の端を引き抜いて、卵の解体を進めていく。
俺も手慣れてきたものだ。ここまでで2分ほどしか経過していないだろう。
卵の殻を剥くと、枕を抱きしめて赤子のように体を丸めて眠る美咲の姿がある。
まずは、布団を美咲の手の届かない場所に移動させ、身体を軽く揺さぶる。
「あにゃあにゃ」
寝惚けているのは定番。美咲は大抵この時間に夢を見ている。
聞いていると面白いことが多いのだが、油断すると深く眠ってしまうときもある。
そうなると無反応になってしまい、起こすのに余計な時間を食うことになる。
「美咲、起きろ。朝だぞ」
「ううう、すいません。無理です。バニーガールは無理です。春ちゃんを差し上げますので勘弁してください」
「春那さんを売るな。こら起きろ」
「うう……ほえ……あ、明人くんだ。おはよー」
おお、ラッキーだ。今日は比較的早く反応した。
「じゃ、おやすみ」と、すっと瞼を閉じる美咲。
「おやすみじゃねえ。朝だって言ってんだろ、起きろ」
「やだよ〜、まだ寝る〜」
「今日はみんな来る日なんだから準備しないと駄目だろ」
「えー、まだ眠いー」
枕を抱いたままコロコロと転がる美咲。
「駄々こねてないでさっさと起きる」
「むー、はいっ」
枕を手放して両腕を真上に上げる。抱き起こせという意思表示だ。
抱き起こしてもらう味をしめた美咲は、抱き起こす手段以外を選ぼうものなら、一気に不機嫌になる。
不機嫌になる方が、慰める時間が必要な分だけ非効率なので、俺は諦めている。
「ほら、しっかり捕まっとけよ」
「うへへへへ、明人君の匂いだ。うへへへへ」
一応シャワー浴びたんだけど。
美咲の背中に手を添わせて、抱き起こす。
美咲は俺の背中に手を回しぎゅっと力を込めるが、一瞬で解けるのが分かった。
「はれ? 力が抜ける。力はいんない」
「あ〜、まだ身体が寝てんのか。じゃあ、じっとしてろよ。よいしょっと」
美咲の背中と足を抱え込み、いわゆるお姫様抱っこの状態でベッドから下ろす。
狭いベッドの上でいるより、下ろしたほうが次のステップに移しやすい。
「下ろすぞ。立てるか?」
「うーん、なんかまだふわふわしてるっぽい」
「一旦、床に下ろすぞ」
美咲を落とさないようにゆっくりと下ろす。
足、お尻と着床させ、倒れ込まないように背中は支えておく。
「いつもすまないねー、けほっけほっ」
「つまらない演技やってないで、もう大丈夫か?」
「このままハグするー」
「いいけど寝るなよ?」
美咲を抱きかかえると、いつものように俺の胸に頭をグリグリと擦り付ける。
まだ力が入らないのか、手は俺の身体に軽く添えただけだ。
「よしよししてー」
「はいはい」
じわじわと身体が起きてきたのか、添えていた手に力が加わってくる。
ハグにかける時間も、日によってバラバラで、今日は比較的いつもより長い。
美咲の気分次第なので仕方ないと思っている。
一段階ぎゅっと力が上がったかと思うと、ふっと力を緩める美咲。
解放の合図だ、どうやら満足したらしい。
「明人くんおはよう。今日も頑張ろうね」
後半で無駄に時間をかけたが、合計10分以内に抑えられたので、まだましとしよう。
☆
全員が揃ったところで朝食とそれぞれの予定を報告しあう。
文さんは用事があるので朝から出かけ、夕方5時頃には帰宅とのこと。
春那さんは仕事で、9時頃に出勤し、帰宅は夜の8時頃になる見込み。
俺と美咲は、10時頃からみんなを受け入れ勉強会だ。
日曜日の夕方から俺と美咲はバイトの予定なので、勉強会は日曜の昼食までを予定している。今日は完全休みでバイトもないから、丸一日やれる。とはいえ、愛や太一はあまり長い時間続けると気力が持たない。それに集まる面子を考えると、色々と脱線することになるだろうから、休憩は多めに取っていくことになるだろう。
朝食が終わり、後片付け。春那さんが出勤する予定なので、ここから家事は俺が担当する。美咲もできる範囲で手伝いしてくれる予定だ。台所を片付けしている間に、春那さんはシャワーを浴びに、文さんも出かける準備のために自分の部屋へと戻っていった。
台所を片付け、美咲と一緒にみんなが使う布団の準備。以前、母親が使っていた部屋に入ると、布団の他に洗濯済みのシーツや枕カバーが籠に用意されていた。おそらく、春那さんが気を利かせて用意しておいてくれたのだろう。
ダブルサイズの布団が3組にシングルサイズが1組、シングルサイズは太一用だから俺の部屋へ持っていく。女子たち分は、前回の泊まりの時も、ダブルサイズの布団を繋げてたから、同じでいいだろう。
誰がどこで寝るかは分からんが、前回の時みたいに自分たちで適当にするだろう。
窓を開けて換気。目立つような埃はないけれど、布団を干したら掃除機はかけておこう。
途中、文さんと春那さんを見送り、家事を再開。
布団を干すのは美咲と一緒にして、あとは俺が部屋の掃除、美咲が水回りの掃除だ。
リビングの準備は夏休みと同じ感じにすれば大丈夫か、みんなが来るまでには十分終わるだろう。
☆
用意が整い、美咲の構ってちゃんを相手にしながら待っていると、約束の10時ぴったりに愛と響、川上、柳瀬が到着。車で送迎されている響がそれぞれの家に寄って、拾って連れてきたらしい。
柳瀬の荷物がやけに多いが、家で使っているノートパソコンや機材を持ってきたようだ。
気分転換に、合間で文化祭用の動画作成もするそうだ。
数分後、太一と長谷川が自転車で到着。
いつものごとく太一は惰眠を貪っていたそうだが、長谷川に叩き起こされたらしい。
その話を聞いて、愛はニヤニヤし、川上と柳瀬は早く片をつけろと、無言のプレッシャーを太一に送っていた。
俺、響、愛のグループと、太一、長谷川、川上、柳瀬のグループに分かれる。
美咲は助言や教えて回る役割だ。
川上、柳瀬は、1学期の成績が芳しくなかった苦手科目を重点的にしたいらしく、響と美咲に相談中。
太一は、愛と同様に詰め込むことが苦手なので、平均点をクリアしている長谷川から教わりつつ、全体的に底上げを目指す方針。
愛はどん詰まりになっているので、まずは美咲に実際に見てもらって、解決策を探るところから始める。
愛本人が独特の感性を持っているので、うまくいくか心配なところはある。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、愛自身は勉強とはいえ、俺の家にお泊りできるので嬉しいらしい。更に大好きな姉のアリカもあとから合流することも決まっていて、家に着いたときからご機嫌だ。
「香ちゃんが、ここに来るの5時は回るって言ってました」
同じことは、アリカから昨日の寝る前のやりとりで聞いている。
アリカは土日ともに文化祭。
今日は文化祭のあとで俺の家に泊まっていき、俺の家から澤工へ行く予定。
アリカの家からよりも、俺の家からのほうが澤工に近いので、時間の余裕ができるようだ。
最初は澤工の文化祭を見に行けないかとも考えていたが、澤工の文化祭は毛色が違いすぎて、アリカ自身があまり見せたくないらしく、誰も招待するつもりはないと断言していた。澤工はお世辞にも柄の良い学校とは言えず、格好からして不良っぽいのが多い。
愛は、去年の文化祭を見に行ったが、イメージしていた文化祭とは程遠く、興味を引くものも特になく、それよりも周囲の学生が怖くてアリカから離れられなかったと聞いた。正直、行かなければよかったと後悔したそうだ。アリカ自身も止めたほうがいいと、愛に伝えていたらしいが、その時の愛には分からなかったようだ。
「寝床は夏休みの時と同じな。昼は12時、晩飯は6時くらいで考えてる。食事の用意は俺も手伝うけど、仕切るのは愛に任せるからよろしく」
「お任せください。一緒にお料理するのも楽しみです〜」」
「私も手伝うわね。この面子だとその方が無難だわ」
こらこら、美咲はともかく、長谷川、川上、柳瀬まで顔を背けるのは止めなさい。
「お夕飯は鍋ですよね。まあ、この人数なのでその方が無難ですけど」
「ご飯食べたあとのお片付けは私に任せてね。春ちゃんからも太鼓判もらえてるから」
うんうん。一緒に修行した甲斐があったと思う。水回りの掃除や片づけはできるようになったからな。
家事のさしすせそ、裁縫、躾、炊事、洗濯、掃除。
俺も未熟なところがあるから、春那さんから美咲と一緒に教わりつつ修行している。
「私の場合は花嫁修業になるけど、明人君の場合は花婿修行だね」と、美咲は冗談まじりに言っていた。
美咲の場合、太鼓判をもらえているのは掃除だけ。躾はともかく、他はまだ合格をもらえていない。洗濯は分別をつけられず、炊事は美咲以外全滅する危機を何度か作っている。見張りを厳しくすることで魔食率は下がったものの、目を離した一瞬の隙に何かをやらかしていることがある。一口目はマシだなと思ったやつほど、時間差で衝撃がくるって、本当に意味が分からない。
裁縫は、俺も美咲もボタン付けはできるようになったが、他は簡単なものしかできない。
素晴らしいことに春那さんは、刺繍もできるし、通販で買った服などの裾直しや袖の調整ができる。
春那さんはマイミシンを持っているからか、調整する時間もそれほどかからず、こなしている。
本当に家事全般は、春那さんがひょいひょい片付けてしまうので、俺にほとんど回ってこない。
性欲が強すぎるのと真性のマゾじゃなければ完璧なのに、本当に残念だ。
☆
いざ、勉強会が始まり、試験範囲を確認しつつ、勉強を進めていく。
案の定、30分もしないうちに愛と太一の集中力が途切れ始める。
愛は響にそろそろ休憩をと目で訴えるが、響の鋭い眼光で即座に却下され、しょぼんとする。
太一は、サボろうとし始めたところを、長谷川から鉄拳を食らい、渋々勉強を再開。
川上と柳瀬は、まだマシなようで、美咲から考え方や覚え方のコツを教わっている。
美咲は、二人に慣れたようで落ち着いている。これなら問題はないだろう。
美咲は、川上や柳瀬に対して、俺にする教え方と違ってゆっくり丁寧だ。
俺に教えるときも、そのゆっくり丁寧なやり方でお願いしたい。
ハイスピードで詰め込まれるの、かなりきついんだよ。
勉強を始めて1時間ほど――川上や柳瀬もどうやら集中力が切れてきたようで、頭から煙が出ているような感じがした。
響に合図を送り、休憩することにした。
「死ぬ。これ死ぬ」
「何ということでしょう。愛はまた一つお利口さんになった気がします。明日まで覚えていられるといいですけど」
太一と愛がなにか戯言を呟いているけれど、あえて放置しておこう。
「川上、柳瀬は勉強というものがよく分からなくなってきた」
「安心して、私も同じだから」
柳瀬と川上は混乱していた。頭の上でピヨピヨと鳥が回っているかのようだ。
どうやら、美咲がゆっくり丁寧に教えているように見えていたが、川上や柳瀬にとってはハイペースだったらしい。そういえば、前に美咲が愛に教えていたときも、似たようなことがあったな。
美咲って、普段は残念だけど、勉強に関してはすごいからな。
さすがは、大学の特待生枠にいるだけはある。
本当にすごいのは、ここまで美咲を成長させた晃なのだろうけど。




