276 Kiss Kiss Trouble4
「太一君に言われたからじゃないけど過ぎたことするわ。ある意味これで引き分けだもの」
響は愛の隙をついてぼそっと耳打ちしてきた。
こいつも相当な負けず嫌いだな。
愛を気にしなくても、今の状態なら多分聞いてないから大丈夫だぞ。
俺の腕を取って一緒に歩いてるけれど、一人百面相してるから。
「うふふ。明人さんたら、なんだかんだ言って愛のこと好きなんですね。明人さんが望むなら愛は何でもご奉仕しちゃいますのに。でも、すぐに身体を許してしまったら愛に飽きちゃうかも。――ああっ、もしかして明人さんは本物の〝どえす〝? 焦らして愛をいぢめて楽しんでる? お勉強を教えてくれた時もそんな感じがしてましたし。……もしかして、これが焦らしぷれいというやつですか。それなら愛はもっとまぞい方向に方針変換するしか……」
何やらぶつぶつとおかしいことを言ってるけれど、違う世界に一人旅立っているようだ。
突っ込みを入れたり、相手したりすると引きずり込まれる可能性が高い気がする。
この辺の対処は美咲で経験済みだ。下手に絡むとひどい目に合うのが定石。
ここはあえて、放置しておこう。
下駄箱近くに着いたところで、響と愛は腕を同時に離す。
「今日は部活があるので愛もここまでです。また明日です」
「私も生徒会に行くわ。また明日ね」
「ああ、また明日」
二人に挨拶を終え下駄箱へと足を進める。
靴を履き替えていると、二人の話す声が聞こえた。
「愛さん、また生徒会室まで連れて行ってほしいのだけれど」
「……響さんまたですか。これで何回目なんですか」
「だって、どう行けばいいのかわからないんですもの」
「あー、愛も部活あるんでもういいです。いいから着いてきてください」
「ありがとう。助かるわ」
――何やってんだか。
「ところで手は大丈夫なの?」
「まだちょっと痛いけどだいじょぶです。響さんこそ手はだいじょぶなんですか?」
「ええ――」
二人の声が段々と遠ざかっていく。
争いの種である俺がいなければ、あの二人の仲はいいのだろう。
ああやって互いに思いやっているのだから。
☆
てんやわん屋に着いてバイトを始めたのはいいが、非常にやばい状況になっている。
まあ、よくあるパターンに近いことだが、現在進行形で美咲に命を狙われている。
着いたときに、美咲のいつもの(氷のような)笑顔を見たときから嫌な予感はしていた。
まさかとは思っていたが、今日の学校での出来事が美咲の耳にすでに入っていたようだ。
一応、この間怒られたばかりなので、隠し事せず何もかも話してみたものの――
「――それで平等にした方がいいかなって考えた俺は、苦肉の策で愛ちゃんのおでこにキスをしたんだよ。そしたら響にぼっこぼこにされてさー」
と、言った途端、美咲からぷちっと小さな音がした。
かつて、今まで見たことがないほど怒り狂った目で睨みつけてくる。
「……ホントだったんだ?」
「え、何のことでしょう?」
「……明人君が愛ちゃんにキスしたってこと」
俺の知らない美咲の声が聞こえた。
美咲の背中にどす黒い炎が見えるのは気のせいだろうか。
もしかして地獄の業火っていうのは、今見えてる炎のことかもしれない。
「……んふ。今日はいつもみたいに……楽に逝かせてあげないよ」
口端を歪めて笑いながら美咲は言った。
言葉だけ聞いていると艶っぽい言葉だが、行動的には悪魔と化した美咲が俺を襲う。
俺は椅子を手に美咲の行動をブロックし、近寄らせないようにひたすら防御。
なんとか防御できているが、やられるのも時間の問題のような気がする。
少しでも緩和しなければ、何をされるか分かったものじゃない。
「待て。落ちつけ。話せば分かる」
「ふーっ。ふーっ。ふーっ」
すでに美咲は興奮しすぎて声も出なくなっている。
やばい。悪魔要素たっぷりの獣になってる。
目を逸らしたり、隙を見せたら駄目だ。
集中だ。美咲の一挙一動に集中するんだ。
何とかカウンターの外に脱出するんだ。
カウンター越しにさえできれば話すチャンスはある。
ちらっとカウンターの出入り口を確認したのが間違いだった。
がしっ!
その一瞬の隙をついて、美咲が俺の持っている椅子の足を掴む。
椅子を捉えた美咲は、椅子越しに歪んだ笑みを浮かべる。
「……痛いのは最初だけだよ? そのうち麻痺するから」
怖すぎるわ!
「お願いだから落ち着け」
「無理」
ぎりぎりと力を加えて椅子をどかせようとする美咲。
これがアリカや愛の馬鹿力なら負けていただろう。
美咲の力もいつもより力強く感じるとはいえ、これなら耐えられる。
それよか、このタイミングでちっこいのまで参戦してきたら俺は終わる。
あの妹思いの姉が、俺の行いを許すとは到底思えないからだ。
確実に終わる自信がある。運が悪ければ本当に死ぬ気がする。
早く何とかしないと。
「美咲、待てって。キスって言ってもおでこだぞ」
「場所はどうでもいい……明人君からしたっていう事実は変わらない……」
うわ、目までどす黒くなってる。マジで怖いんだけど。
しかも響と同じようなこと言ってるし。
生命の危機をひしひしと感じる。
――うん。これは命乞いをしよう。
「美咲頼む。命だけは助けてくれ」
「やだな~。死んだほうが楽だって気持ちにしてあげるだけだよ」
あ、これ逆だ。いっそ殺してくださいの方があってる。
機嫌だ。とりあえず機嫌を取ろう。
このままやられるより、少しでも助かる可能性に賭けよう。
「美咲からハグし放題で手打ちはどうでしょう?」
「却下」
あっさり却下された!?
俺としてはかなり奮発した条件だったのに。
くそ。これならどうだ。
「俺からハグでどうでしょう?」
「……却下」
今、少しだけ美咲の返事が遅れた。
どうやら少しばかり付け入る隙があるらしい。
ここか。ここなのか?
俺からというのがキーポイントなのか?
やばい。早くしないとマジでちっこいのが来そうな気がする。
こういう時の勘だけは当たるから嫌なんだ。
「じゃ、じゃあ、美咲は俺にどうしてほしい?」
「……生き地獄を見てほしい」
あ、聞くの間違えた。
そうだよね。今まさにそうしようとしてるんだもんな。
「えと、その、えーと、あれだ」
「……」
「じゃ、じゃあ、美咲にもキスするってことで!」
俺は何を言ってんだ。
焦りで訳が分からなくなってきている。
求めてきた愛ならともかく、求めてもいない美咲にそんなのが通用するはずがない。
終わったか俺。
「…………採用」
「――え?」
美咲からどす黒い炎が消え、さっきまで悪魔のようだった顔も元に戻っている。
「約2カ月の苦心が実る。ようやく明人君がデレるのね」
やけに嬉しそうに言うんだけど、分かってんのか?
「じょ、冗談だよな?」
「――え、冗談なの?」
またメラッと美咲の背中から黒い炎が現れる。
「やります! します。させてください」
「じゃあ、お願いしまーす」
美咲は椅子に腰を掛けると両手を広げて言った。
「えと、言っときますけど……おでこですからね?」
「うん。それでいいよー。さすがにそれは分かってるよ」
これ何の罰ゲームだよ。
愛の時みたいに気軽にできない。
そう上目遣いにじっと見詰められたら余計に緊張する。
「ほれほれ、さっさとする」
焦らすな。くそ、これ絶対面白がってるな。
美咲のおでこに手を当てて、髪をかき上げる。
さらっと細く柔らかい髪。
しっかり持ってないと指からこぼれ落ちそうだ。
何だか顔が熱い。
「ほらほら早く。くぅー、明人君が照れてる。これが見たかったー」
見たいのはデレだろ?
デレと照れは違うと思うぞ。
しかしながら、美咲が椅子に座ってるせいで少しばかり角度がきつい。
これではおでこにキスがしづらい。
さっさと終わらせたいんだけど。
「美咲、ちょっとだけ顔上げて。その角度だとしづらい」
「こう?」
――上げ過ぎだ。
美咲の視線と至近距離でぶつかる。
美咲も間近で俺の顔を見たせいか、照れが出たようだ。
少しばかり顔が赤くなってきてる。
あれ、気のせいか。目も潤んできてるような。
そういや前にキスしかけたときもこんな表情してたっけ。
あの時も美咲の目を見ていて吸い込まれそうになった。
……本当に美咲は奇麗な顔してるよな。
どくんと心臓が大きな音を立てたような気がした。
やばい。何だかおかしな気分になってきた。
美咲がさらに目をうるうるさせて、吐息交じりに囁く。
「……明人君がしたいなら……いいよ?」
このタイミングでそれは止めろ。
もう、止められなくなる。
「美咲はいいの?」
「……うん。いいよ。明人君だったらいい……」
美咲はそう言って、瞳を閉じた。
あと3センチもない。美咲の口からこぼれ出る吐息を感じる。
――あと2センチ。
――あと1センチ。
もう、美咲の体温がすぐそばにあると感じたとき、裏屋の扉が大きな音を立てて開いた。
びくっとなってすぐさま、美咲から離れる。
誤魔化すようにその場で大きく背伸びする。
「明人ぉおおおおおおおおおおお、あんた愛になにやってくれてんのよ!」
怒った顔のアリカは気にもせず、カウンター内に突っ込んでくる。
「いきなり来てなんだよ?」
「このスケベ。変態。あんた愛にキスしたらしいじゃないの!」
「キスって言ってもおでこにだぞ!」
「――へ? あ、おでこなの? 口じゃないの?」
どうやら正確に伝わっていなかったらしい。
どうせ、愛が「明人さんにきすしてもらった」と言ったのだろう。
アリカは勢いよく飛び込んできたからか、誤解を解いてもまだ噛みついてきた。
「おでこでもしたのはしたんでしょ。ちょっと食らいなさい」
俺に向かってアイアンクローをしようと手を伸ばしてくる。
「ちょっと待て。元はと言えばお前が愛ちゃんに言ったのが原因なんだぞ」
「う、うるさいわね。いいから食らいなさいよ」
俺らがぎゃあぎゃあと騒ぐ中、一人椅子に座って惚けている美咲。
ただ騒ぐ俺らを見ている。
扉の音がしたときに、ほんの少しだけ触れたような気がしたけれど……あれって、やっぱりそうだったのかな。
✫
美咲との帰り道。
あんなことがあったのに、バイト中の美咲の態度は変化が見られなかった。
今も俺の横で、最近コンビニで売ってるスイーツがちっちゃくなったとぶつぶつ文句を言っている。
俺はというと――後悔の中にいる。
ちゃんとした付き合いになるまでいかがわしい行為はしない。
自分で決めたことなのに簡単に流されて、美咲にキスしようとした。
……ほんのわずかだけど、触れた気もする。
俺の気のせいかどうか美咲に確認したいのだけれど、なかなか言い出しづらい。
「……明人君、聞いてる?」
「え、ああ、スイーツの話だろ?」
「もー、聞いてなかったなー。今、違う話してたの。今日の明人君変だよ」
そりゃ変にもなるって。
俺が美咲から目を逸らすと、美咲が目を追いかけるように寄ってくる。
だから、今日は近づくな。
「……もしかして、私とキスできなかったから拗ねてんの?」
――できなかった?
それじゃあ、あの口に触れたような感覚は何だったんだ?
「あれ、当たってなかったの?」
逸らした視線を戻すと、美咲は目をぱちくりとさせて頷く。
自分は当たったような気がしたと美咲に伝えると、
「あ~、それ鼻」
「へ?」
「私の鼻に当たってたんだよ。鼻をこすったって感じかな」
美咲は自分の鼻を指してこの辺と教えてくれた。
「……そうだったんだ。俺てっきり唇に当たったとばかり思ってた」
そうか。だから美咲は普段と態度が変わらないのか。
心の底からほっとした。
「今の表情は少しむかつく。今、心の底からほっとしたでしょ?」
だから何でわかるんだよ。
無駄に悩まされた時間があったせいか、ちょっとばかり意地悪というか、仕返しがしたくなる。
「美咲、俺もしかしたら美咲のこと好きなのかもしれない」
「へ?」
「付き合ってくれって言ったら付き合ってくれるか?」
美咲は目をぱちくりとさせるとにっこりと笑う。
「それは無理かな」
速攻で振られた。
いつもだったらこれで慌てたり、顔を真っ赤にして固まったり、真面目に受け取って悩んでくれると思ったのに。
「どうせ冗談でしょ?」
まあ、確かにそうなんだけど。
でも、なんだ。この感覚。
気のせいか。地面が揺れているような。眩暈がするような。
「明人君?」
「あ、うん、冗談。帰ろっか」
家に着いてからも、美咲の言葉が耳に残っていた。
『それは無理かな』
美咲は、あっさりしてたな。
何で俺はこうもショックを受けてるんだ?
――ああ、そうか。
俺は美咲が断るなんてことを考えてなかったんだ。
だから断られたことがショックだったんだ。
自分が大きな思い上がりをしていたんだと気が付いた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。




