第22話
「それは、そうかも知れない」
幸一は素直に認めた。
「あら、賢い人って結構素直なんだね」
幸一の言葉に紙夜里はちょっと驚いた表情をすると、開いた手を自分の口に当ててケラケラと笑った。
「だからね、美紗ちゃんと一緒だった頃は本当に人見知りだったの。家庭も安定していて、何の不安もなかったし。パソコンとかもあの頃は殆ど弄っていなかったしね。この頃の私は、幸一君の推理だと大外れ」
「家庭って?」
紙夜里の話の中のその言葉に引っ掛かり、幸一は思わず呟いた。
「ああ」
その事かと言う様に、幸一の言葉に返すと、紙夜里は幸一の方から頬杖を付いたまま、正面、図書室の入り口の方へと目を向けて、再度口を開いた。
「それは、幸一君の推理の当たりの方の話ね」
何かを思い出す様な、遠くを見つめる様な目に、幸一は黙って横顔の紙夜里が話し出すのを少し不安な、心配な気持ちで待った。
「顔を見ながら話すのは嫌だから、こっちを向いて話すけど」
そう前置きをしてから、紙夜里は話し出した。
「五年でクラス替えになって、美紗ちゃんと離れた頃、丁度私には美紗ちゃんと離れ離れになった不安と同じくらいの不安がもう一つあったの。その所為で春先はストレスを溜めまくって、桜を眺める余裕もなかった。そんな中、ネットでそういう問題が沢山書かれている事に気付いて、私は毎日学校から帰ると結構夜遅くまでお父さんのパソコンを使って調べ物をしたの。友達の作り方。どうすれば好かれるか? 男の本音。女の本音。風俗」
「風俗?」
思わず知らない言葉に幸一は声を出した。
「風俗知らない? 女の人がHな事を男の人にしてくれるお店」
「ああ、TVとかで良く出て来るキャバクラみたいなの」
「もっとH」
幸一がその言葉を知らなかった事に紙夜里は思わず微笑んだ。
「ウチのお父さん、単身赴任で、週末は帰って来るんだけど。離れて暮らしているその街でね、その風俗のお店の女の人を好きになっちゃったんだって。浮気って言うの? お母さんより若い人だって。それが今年の春に分って、ずっと大喧嘩。別れる別れないって。ウチには私のほかにも妹がいるんだけれど、どっちがどっちを連れて行くとか揉めたりして。物じゃないんだから。ハハ」
自分で言いながら、紙夜里は笑った。しかし顔は一つも笑っていなかった。
「だから色々調べたの。どうして異性を好きになるのか? 何で浮気をするのか? 風俗の人って、どんな仕事をしているのか? どうして離婚をするのか? 大人はどうして、我慢したり諦めたり出来ないのか? 私のウチは、もう家族で楽しく過ごす事は出来ないのか? お父さんは何でお母さんよりもその人を好きになったのか? 本当に色々、気になる事は全て調べた。パソコンって便利ね。何でも教えてくれる。先生よりも凄いと思った。そして私は感じたの、人間は詰まらない。男なんて詰まらない。泣き叫んで、女の人の所へ行こうとするお父さんにしがみ付いているお母さん。女も詰まらない。こんな人間に気兼ねして、顔色を気にして、オドオドして、人見知りしている私も詰まらないって事に」
「フーン」
そういう事があったのかと、幸一はつい声を鳴らした。
「きっと今までは、私が何も知らなくて、怖くて話せなかったんだ。でも色々調べて、私も他の人も皆んな一緒なんだって分った。ネットの中には色々な人の色々な悩みが書かれていたし。例えば妬みや嫉妬はウチのお母さんだけにあるものじゃなくて、世の中の色々な人が持っていて、私にもあるものなんだと知った。幸一君にも」
「僕にも?」
「そう。今はまだ気付かなくても、何れ大切な何かを本当に失う時が来たら、きっと絶望に打ちのめされて、妬みや嫉妬に燃える時が来る。誰だって一度はそういう時が来るもんなんだって、ネットを見ていて思った。これは私的には望んではいない事だけれど、きっといつか美紗ちゃんにも…」
「……」
幸一は肯定も否定も出来ずにただ黙っていた。
それから、紙夜里は眩しそうに目の前に手をかざしながら、幸一の方を振り向いた。
午後四時を過ぎた頃だろうか。
西日が本棚の隙間を抜って紙夜里の辺りだけを照らしていた。
幸一の側から見ると、紙夜里とその前のテーブルが黄金の色に染まり、輪郭がぼやけ、溶け込んでしまいそうにすら見えた。
「うわっ、それにしても眩しい! 兎に角、本当に話したかった事は言わなくても良さそうね。美紗ちゃんはいつもこんなに眩しくなってもこの席で、幸一君が本を読んでいるのを見ていたのかしら」
「えっ?」
幸一から紙夜里の表情は手が邪魔をして良く見えなかったが、かざしている手の下から見える口は、笑った様に見えた。
「そういう人が、何か困った状況に追い込まれた時、きっと幸一君は自分を捨ててもその人を助けてくれると私は信じてる。さてと」
ガタッ
そう言うと椅子を後ろに押す音と共に、紙夜里は席から立ち上がった。
「あ、あれ? 結局話したかった事って?」
幸一は慌てて立ち上がった紙夜里の方を仰ぎ見て言った。
紙夜里は幸一の話を聞きながらランドセルを背負い、帰る準備をする。
「もういいの。言わなくても大丈夫だと分ったから。それに他の人からも言われたんでしょう? 私が言いたかった事もきっと同じだから。それから、美紗ちゃんが幸一君と直接話したがってた」
「えっ? でも今二人でいる所を誰かに見られたら不味いんじゃ」
「うん。見られたら不味いね~」
「それじゃあ今は…」
幸一は渡しそびれている『銀河鉄道の夜』を思い出して、下を向いた。
「でも私は、美紗ちゃんの為なら何でもしたいから」
そう言いながら紙夜里はまたもスカートのポケットの中を何か探し始めた。
「んん、あ~あった。これ」
紙夜里はそう言うと、二つ折りの小さな紙を手に持って、幸一の方に差し出した。
「今日の午後六時、この紙に書かれている場所に来れる?」
紙夜里の声に導かれる様に、幸一は顔を再び上げた。
「何処?」
「それは言えない。この紙の中に、時間と場所が書いてある。多分、誰にも見られない場所」
「そこに、美紗ちゃんが居るの?」
「そう」
幸一はゆっくりと手を伸ばして、紙夜里の手からその紙を受け取った。
「それじゃあ私は帰るから」
後はもう何事もなかったかの様に紙夜里は前だけを見て、幸一の後ろを通り、テーブルの角を曲がって、図書室の出口への一本道を歩き始める。
そして数歩歩いた所で、突然口を開いた。
「ところで、やっぱり私の話は面倒臭かった?」
振り向かず、歩きながら紙夜里は幸一に尋ねた。
その声に幸一は、開いて眺めていた紙から目線を前を行く紙夜里の後姿に移した。
「いや、面白かった」
幸一の言葉に紙夜里の口元は一瞬綻んだ。
「そう」
それから図書室を出るまで、紙夜里は一度も後ろを振り向かなかった。
手紙には、
ー午後六時。小学校の正門前で。ー
と、書かれていた。
つづく
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