第122話 それからのこと その⑭
美紗子の独り言の様な小さな声も、水口は聞き漏らしてはいなかった。
「そう、あなたが復学して、社会復帰する為のチームよ」
だから自分の考えに少し興奮でもしているのか、目を輝かせながらそう切り出す彼女。
美紗子はその目に少し不安を感じては戸惑いながらも、言われた様にインスタントのコーヒーだけを入れたカップにお湯を入れると、もう一つのカップにはスティックタイプのカフェオレの粉を入れてはお湯を入れ、それからそれらをトレーに載せてキッチンを出た。
そして水口の言葉にどう返せば良いのかも分からぬまま無言で側まで行くと、テーブルの水口の前にブラックコーヒーを、そしてその向き合った場所にカフェオレの入ったカップを置いては、トレーを脇の床に置き、自身もカフェオレの置かれた場所に静かに腰を下ろした。
美紗子には、説明が必要だったからだ。
そして水口は大いに語り出す。
「何の事か分からないという表情をしているけれど、まーそれはそうね。学校を去って家に引き籠っていたあなたにしてみれば、状況は把握出来ていないでしょうからね。だからちょっと考えてみて、もしあなたが明日からまた登校し出したとして、上手くやっていける? 元の生活に戻って行けると思う? もう途中で逃げ出したりしないと自分に誓える? きっとそんな事は考えたくもないし、まともに考える事も出来ないでしょう。多分頭まで布団を被って、自分に都合の良い事ばかり考えているのが関の山」
その瞬間、美紗子はドキリとした。
何故ならばそれは、美紗子が家に引籠もる様になってから毎日の様に繰り返していた行動を彷彿させたからだ。
「でもそんな空想や妄想は、現実には何も反映されない。いくら美紗子が願っても、あの日起きた事件は無かった事にはならないし、こうやってあなたが引籠もっている内は、尚の事クラスのみんなからその記憶が消える事もない。それからあなたにとっての山崎君がどういう存在だったかは知らないけれど、みんなの前で振られた様な形になった事も事実だし、それも何もなかった様に消え去る事はない。つまり夢の様な事を私達は考える事は出来るけれど、それは所詮空想で、現実ではないのよ。そして倉橋美紗子、あなたが学校にも行かず引籠もっているこの家もあなたの存在も現実で、現実というものは容赦の無いものなの。幾らあなたが引籠もって布団の中に逃げ込もうが、現実の中では時間だけは容赦なく進むの。布団の中のあなたはいつまでも小五のままで変わらないつもりでいても、周りの世界はどんどん変わり続けて行く。このまま行けば、あなただけを残して私も他のクラスのみんなも小学校を卒業して中学生になるでしょう。更に時が進めば、中学からも卒業して殆どの生徒が高校へと進学するでしょう。どお、怖い? 恐ろしい?」
水口は最後は静かに美紗子へと問いかけた。
それはきっと、美紗子自身も気にはかけてはいた筈だと確信していたからだ。
そうでなければ今日自分がこの家のチャイムを鳴らした時、彼女が出て来る筈もない。
(彼女がもし馬鹿なのでなければ、もう数ヶ月、相当な不安を感じていた筈だ。社会という組織から外れた事への不安は大きい。それは道標を失うからだ。人は直ぐ自由を掲げるが、大抵の人間は出来上がった社会構造の中にこそ実際は安心感を得る。それは義務を果す事で『そこにいていい』と認められるからだ。そしてそれが私達ならば小学校へ通うという事なのだ)
そして美紗子は、水口の望む答えを口にした。
「うん、怖いと思っていた。学校に行ったらみんながどんな目で私の事を見るのかと思うと怖かったし、それに根本さんの事も考えるだけで今も怖いし。でも行かないでいるのもどんどん自分だけが取り残されて行く様な感じで不安になって怖かったし」
「あー、根本かおりなら大丈夫よ♪」
「えっ?」
美紗子は軽くそう言う水口に驚いた。
何故ならば美紗子の中では根本は、最後こそみっちゃんに倒されたがそれまではクラスの誰もが敵わずにいた人物なのだ。当の水口でさえ、根本にはあの時やられていたではないか。
「その件はとうに決着済み。後でみっちゃんから聞いて理解したけれど、そもそも根本に群がってあなたに意地悪していたグループは、最後のあの件の時には『もう付いて行けない』と離れていたみたい。だから彼女はひとりぼっち。ホント、あの時は何かに憑かれてでもいたのかも知れないわね、驚異的な凄さがあったし。それからあの子、あの後どもる様になったのよ」
「どもる?」
「そう、だから多分それが恥ずかしいんだろうね。休み時間には教室に居ないで何処かに行っちゃう。まー、居ても誰も相手にしないからやっぱり一人ぼっちなんだろうけど。ほら、あんなの見ちゃったら、誰だって根本かおりに関ろうとは思わないでしょ。その上本人も意気消沈したのか大人しくなったし。前みたいに戻ったのよ。元々彼女ってクラスでウザがられていた所あったでしょ。ま、私は副委員長だから、クラスのみんな同様、根本の事も平等に見てはいるけれど」
「一人ぼっち…」
そう思うと美紗子は、根本の事を可哀想に感じた。
(自分がこうやって引籠もり、不安の中で過ごしていた間。根本さんもまた、学校で一人ぼっち、孤独の中にいたのだ…)
「だからって、可哀想だとか思っちゃ駄目だからね」
咄嗟に美紗子の表情から心情を読み取ったのか、水口は冷めた目で嗜める様にそう口にした。
つづく





