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彼女は俺の魔法使い  作者: 虹色
第4章 漸進
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6 小さな傷


翌朝、教室に着くとしぃちゃんが俺の机に来てくれた。朝の電車で『われはロボット』を読み終わったから話ができる――と思った、のに。


「ねえ、景ちゃん。副部長になったのって、立候補?」


あいさつもそこそこにぶつけられたのは副部長になったことへの質問だった。電話の効果で普通のおしゃべりをしに来てくれたのだと期待したのに、ちょっと力が抜ける。でも、きっとしぃちゃんはこれを確認したくて仕方なかったに違いない。そう思ったら、なんだか可笑しくなってしまった。


「いや、違うよ。先輩たちから指名されたんだ」

「そうなんだ……。前からそういう雰囲気あったの?」

「うーん、それは俺も考えてみたんだけど、何もなかったと思う。部長はなんとなくみんなが予想してたとおりだったけど、副部長候補に俺の名前は挙がってなかったよ。みんなが意外だったと思うな」


彼女がうなずきながら考える。そして。


「でも、引き受けたんだね。やりたいと思ってたとか……?」

「いや。俺よりしっかりしてるヤツ、いくらでもいるし」


答えながら気付いた。彼女は自分に来た主役と俺の副部長を重ね合わせて考えようとしているのではないだろうか。


「最初は断ろうと思ったんだ。でも、コウ……新しい部長が、俺が副部長なら安心して部長をやれそうだって言ってくれたから、そういうの、有り難いなあ、と思って引き受けることにした」

「ふうん……」

「でも、先輩から引き継ぎ受けてみたら、副部長って事務仕事の担当っぽくて、今は意外と俺向きかもなあって思ってる。部長が部員の心をまとめるシンボル的な存在で、俺は裏方」


そう。劇の主役とは重さが全然違う。残念だけど、しぃちゃんの役には立てそうにない。


「裏方?」

「うん。名簿と部費の管理とか、試合のエントリー手続きとか。まあ、マネージャー的な?」

「え、でも、そういうの、面倒がるひともいるでしょ?」

「ああ、そうかもね。でも、俺は気にならないから。むしろ、ほかで役に立たない分、雑用でいいならいくらでもやるし」

「景ちゃん……」


どうしてそんなに驚いてるんだろう? 俺らしくないことでも言ったかな?


と、しぃちゃんがほうっと息をついた。表情も穏やかに変わる。そういえば、向かい合って話すのは久しぶりかも知れない。俺を見上げる彼女の顔の位置がこんなに低いんだって、あらためて実感するくらいだから。


ひとつ瞬きをして、彼女が口を開いた。


「景ちゃんのそういうところ、」

「おっす、景、しぃちゃん」


低い美声と同時に肩に手が。そこにいたのは。


「宗一郎。……おはよ」


思わず「おはよ」に力がこもった。何食わぬ顔をしているけれど、俺としぃちゃんの邪魔をしようという意図があった疑いが濃厚だ。


しぃちゃんは親しみのこもった笑顔であいさつを返している。俺に言いかけた言葉など忘れてしまったようだ。


「おはよう、紫蘭!」


今度はいちごの登場だ。しぃちゃんの笑顔が一気に無邪気で楽しげに変わる。「いぇーい」と言いながらハイタッチをしたりして。


「なんの相談? もしかして、景ちゃんも劇に出たいとか?」

「まさか! そんなつもりは全くないよ」


いちごにははっきりと意思表示しておかないと。曖昧にしておいたら、面白がって俺を推薦しかねない。


「いちごはどうなんだよ? 出ないのか?」

「うーん、どうかなあ?」


本気で考えているらしい。冗談で言ったのに。


「まあ、若葉次第かな」


その言葉にしぃちゃんもうなずいた。


「大和次第? 理久は?」

「キャスティングは若葉が中心になると思うよ。脚本書くときに具体的に誰かを思い浮かべる方が楽って言ってたから、そのひとが指名される可能性が高いんじゃないかな」

「ふうん」


それなら俺は出なくて済みそうだ。大和が存在感の薄い俺を思い浮かべることはないだろう。


「あ、景ちゃん、今、俺は安心って思ったでしょ。目立たない性格だからって」

「たしかに景は他人事って顔してた。気楽なヤツだなあ」


いちごと宗一郎が言い、しぃちゃんがくすくす笑う。


「いいだろ? それに、名前出されてもそもそも無理だし」

「そんなに頑なにならなくてもいいのに。文化祭の劇なんて、ただのお楽しみなんだから」


宗一郎があきれた笑いを残して立ち去ると、いちごもしぃちゃんを連れて行ってしまった。


――いいじゃないか、安心してたって。


机の上に置いたままだったバッグから教科書を出しながら、もやもやした気分が胸に滞っている。最後にちらりと振り返ったしぃちゃんの表情が頭の隅にちらつく。あれは憐み? それとも同情?


――目立たないのは仕方ないよ。


俺が目立たないからといって、誰かが困るわけじゃない。ただ、たまに得をすることがある、というだけ。学校生活全体を通して見ると、淋しさや不安を感じるマイナス面の方が多いのだ。


小学校のころからクラス替えやチーム決め、行事の写真を見たときなど、自分が忘れられていると思い知る場面が何度もあった。その度にあきらめ、少しずつ、自分の中にある<自分>という存在――認識? 自我?――を削ってきた。その結果が今の状態だ。ほとんど注意を向けられない状態が今の俺にとっては当たり前で安心で、注目されることは苦痛。


宗一郎やいちごのように如才ないタイプには、俺の性格は理解できないだろう。「人前で緊張するのは当たり前」「自分だって同じ」――こんな言葉をいろんなひとから言われた。あのふたりだって言うだろう。でも違うのだ。明らかに。


話しても反論されると分かっているから、もう今は、これについて説明はしない。礼央や何人かの友人たちのように分かってくれる友だちがいてくれれば、それで十分だ。たぶん、しぃちゃんも――。


「景! おはよう」

「ああ、礼央。おはよ」


いつも楽しそうな礼央の笑顔だ。こんな気分のときは特にほっとする。


礼央も如才ない性格だけど、宗一郎とは何かが違う。なんていうか……俺を信じて、好きでいてくれているところかな。


「そういえば、きのう、くぅちゃんと話したよ」


礼央の顔を見たら、自然とくぅちゃんを思い出した。


「え、いつ?」

「夜に電話で――」


――しまった!


これを言ったら、俺がしぃちゃんに電話をかけたことがバレてしまう。いや、もしかしたら、くぅちゃんに電話したと勘違いされる? でも、俺がくぅちゃんの連絡先を知らないって礼央は知ってるよな? いや、そんなことじゃなくて。


「景……」


ニヤリとした礼央が肩を寄せて来る。


「景が電話したの? それとも逆?」

「え、あの、くぅちゃんにじゃないよ?」

「分かってるよ、そんなこと」


呆れた様子で礼央が肩をすくめた。たしかに、俺がためらいなくくぅちゃんの名前を出した時点で、礼央に対して後ろめたさがないことは分かるに違いない。


「元気いっぱいだったよ、くぅちゃん」


安心して報告すると、礼央は「だよね」と笑った。


「俺、思ったんだけど……」


余計なお節介かも、と迷う。でも。


「礼央とくぅちゃんは顔を合わせて話す方がいいような気がする。ふたりが話してるところ想像すると、火花がいっぱい散ってるけど、すごく楽しそうだよ」

「それってさあ、めっちゃ気の合う友だちってやつじゃない?」

「あはは、でも、もしかしたら次は違う雰囲気になるかも知れないじゃん」

「うーん……、まあ、いいんだ、火花が散ってても。お互いに本来の自分でいられて、それが楽しければ」

「うん。そうだな」


本来の自分でいられるって、それほど簡単じゃない。でも、礼央とくぅちゃんならそれができるような気がする。


礼央と話して気が晴れたのも束の間、授業が始まってしばらくすると宗一郎といちごの言葉を思い出して、またもやもやした気分が戻って来てしまった。自分のこういうところが情けなくて、自己嫌悪に陥る。まあ、誰にも気付かれなければいいのだから……。


「景ちゃん」


2時間目の体育のために教室を出て行く前にしぃちゃんがちょこちょこっとやってきた。


「お昼休み、図書館で相談に乗ってもらえる?」


周囲を気にするような抑えた声に、思わず俺も反射的に小声で「うん」と答える。でも、俺に相談って、何を?


けれど、彼女は俺の返事を確認しただけでさっさと行ってしまった。まるで立ち止まりなどしなかったようにまっすぐ前を見て、背筋を伸ばして。俺の中にクエスチョンマークだけを残して。


……いや、違う。


彼女が俺の中に残したのはクエスチョンマークだけではない。不思議な、そして微かに振動する甘酸っぱさと期待。


お昼休み、図書館で……。


彼女は俺を相談相手に選んでくれたのだ。もしかしたら今朝だって、ほんとうの目的はそれだったのかも知れない。


だとしても。


相談って何だ?




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