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彼女は俺の魔法使い  作者: 虹色
第4章 漸進
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2 図書館にて


決意を固めて昼休みに図書館に来たけれど。


「うーん……」


途方に暮れている。


ここにいる誰もが自分の目的を承知して動いているように見える。一緒に来た礼央だって、さっさと雑誌コーナーに行ってしまった。途方に暮れているのは俺だけだ。自分が場違いな場所にいるように感じて、ますます気後れしてしまう。


読書を趣味にしようと決めたのは、宗一郎に対抗することだけが理由ではない。読書ならすぐに始められることと、図書委員という“理由”がつけられるから。しぃちゃんに不思議がられてもちゃんと言い訳ができる。けれど……。


読みが甘かった!


“すぐに”始めるなんて無理だ。始める前に躓いている。このものすごい数の本の中から一冊を選び出すなんて!


朝、考えたように、俺が気に入る本はきっとあるだろう。でも、どうやったら見付けられる?


並んだ書架には分類を示す表示があることは教わった。情報、哲学、心理学、歴史、地理、政治、科学――まだまだある。俺はどの棚に行けばいい? 俺は何が読みたいんだ? 何なら読めるんだ? 考えただけでくらくらしてきた。


とりあえず端から回るべき? たぶん、しぃちゃんは小説を読んでいるのだろうから、そこだろうか。でも、それだけでも相当な量だ。


「あれ? 景先輩だ」

「わあ、景先輩、こんにちはー」


誰だ? 俺を「景先輩」なんて呼ぶのは……って、この子たちか。図書委員の絵島(えじま)見浦(みうら)コンビ。


そう言えば、きのうの帰りに礼央が会ったって言ってたっけ。それにしても「景先輩」なんて、そんなに仲良くなったつもりはないのに……。


「先輩、今日は本を借りに来たんですか?」

「どんな本が好きなんですか?」

「いつも何を読んでるんですか?」

「いや、まあ、これから選ぼうと……」


やっぱりこの押しの強い感じが苦手だ。どうにか言い訳して離れたいけれど……。


「あ、じゃあ、先輩、ミステリーは好きですか? お薦めがあるんですよ! 学校で起こる事件を天才高校生が解決するシリーズなんですけど」

「うん、あれいいよねー! あ、でも、もしかしたら先輩には感動する本がいいかも。スガマサヒトって知ってます? まだ大学生の作家なんですけど、メチャメチャ泣けるんです!」

「ああ、そうそう!」


いいかも知れないけれど、きみたちと一緒に選ぶのは遠慮したい。どうにかして――あ、雪見さんだ! 雪見さんに訊けばいいじゃないか!


「ありがとう。でも、ちょっと雪見さんと話してみるよ。じゃあ、また」


ついて来られる前に逃げよう! そして雪見さんなら――。


「こんにちは」


近付く俺に気付いて先に声をかけてくれた雪見さん。穏やかな笑顔にほっとする。薄いブルーのボタンダウンシャツにいつもの黒いエプロン。薬指にはめた飾りけのない指輪が幸せな家庭を連想させる。


「雪見さん。面白い本、ありますか?」


俺の質問を聞いた雪見さんは軽く眉を上げると、にこっと笑った。


「一番難しい質問をしてきたね」

「え? 難しいんですか?」


司書の雪見さんならお茶の子さいさいだと思ったのに。


「そう。一番難しい、でも、一番楽しくて嬉しい質問だな」


楽しくて嬉しい……。


たしかに雪見さんは嬉しそうだ。面白い本を尋ねただけで喜んでくれるなんて、ちょっとびっくりだ。


「何か希望はある?」

「え、希望……」


まさか質問が返ってくるとは思わなかった! しぃちゃんと宗一郎の会話に出てきた言葉は覚えているけれど、それを口に出すのはためらってしまう。


「じゃあ、今まで読んだ中で好きだな、と思ったものは何かある?」


答えられない俺の心中を察して質問を変えてくれた。それなら答えられる。っていうか、たいして読んでないのがバレてしまうな。


「この前の『五輪書』」

「ああ、あれね。そうか」


うなずいて、雪見さんが歩き出す。どうやら心当たりがあるらしい。


「面白い本はたくさんあるんだけど」


歩きながら雪見さんが言った。


「紹介した一冊で僕と読書の評価が決まると思うと、いつもチャレンジの気分だよ。よく借りる子は好きそうな本が分かるから、それを薦めればいいんだけど」


そうか! 雪見さんは面白い本をたくさん知りすぎていて、一冊に絞るのが難しいんだ。そのたくさんの中から俺が気に入りそうな本を選んでくれるって考えると、ずいぶん贅沢な話だ。


「鵜之崎くん、動物は好きかな?」


雪見さんが立ち止まったのは今月の特集「文系も理系も楽しめる! 読む理科本」コーナーの前。俺に向けて手にしているのは黄色っぽい表紙の本だ。『ソロモンの指環』と書いてある。


「これはね、動物行動学っていう分野を最初に研究したドイツの博士が書いた本なんだ。学術書っていうよりも、実際の研究の思い出話って感じかな。研究の経過とか面白かったこと、それから苦労話なんかがつづってあってね、少しのんきな性格だったみたいで、思わず笑っちゃう話もいろいろあるんだ」

「動物行動学……」


初めて聞く言葉だ。でも、どんな学問かはイメージできる。


「タイトルの『ソロモンの指環』っていうのは大昔のソロモン王が持っていた、はめると動物とも話ができたっていう伝説の指環だよ。この博士は研究の結果、鳥の鳴き声の意味が分かるようになって、いくつかは自分の命令を伝えられるようにもなったらしいよ」

「へえ」


少し前に、カラスの鳴き声を研究しているひとがテレビで紹介されていた。でも、この博士はずっと前に意思疎通ができるところまでいってたってこと? それはすごいかも。


「この研究はなるべく自然な状態で観察するっていうのが基本でね、そのために博士は人前で恥ずかしい思いをしたりもするわけ。でも、研究をやめないんだよね。それに、研究対象に向ける目がとってもやさしいんだよ。ほんとうに生き物が好きなんだなあって思うんだ」

「ふうん……」


今は雪見さんがこの本をどれほど好きかが伝わってくる気がする……。


「あ、ほら、鳥のヒナの『刷り込み』って聞いたことない?」

「ああ、卵から孵って最初に見た相手を親だと思うって……」

「そうそう。それを発見したのがこの博士なんだよね。そのときのエピソードもすごく面白いよ」

「へえ」


なんだか興味が湧いてきた。受け取って開いてみると、少し字が細かい。もしかしたら内容が難しいのかも……?


「鵜之崎くんなら十分に読めると思うな」


まるで俺の迷いを見透かしたように雪見さんが言った。


「理科系の本では『ロウソクの科学』が有名だけど、僕はこっちの方が好きなんだ。借りる前に少し読んでみるといいかもね。それとも別の本がいいかな? 科学エッセイなんかも面白いけど」

「あ、いや、借ります」


雪見さんが読めると言うなら読めるのだろう。この前の『五輪書』だって最初は戸惑いを感じたけれど、やめずに読んでみたら面白かった。この本も、読んでみないと分からない。


「そう?」


嬉しそうに顔をほころばせながら、それでも雪見さんは「自分に合わないと思ったら、途中で返してくれてもいいからね」と言った。あくまでも読書の主体は俺、ということらしい。それは当たり前のことだけど、雪見さんのような立場のひとはもっと強く薦めてくるものだと思っていたので意外だ。


「あの、せっかくだからもう一冊……」


貸し出しは一人二冊までだ。この際だから、雪見さんに訊いてみよう。


「うん、いいよ」


雪見さんのにこにこ顔を見ていると、何でも話してみようという気持ちになる。


「あの、SFとかファンタジーを読んでみようかと思うんですけど」


好きになれるかどうか分からなくて迷っていたけれど、雪見さんなら上手に選んでくれそうだ。


「なるほど。そうだなあ」


今度向かう先は文庫本の棚らしい。


「鵜之崎くんはファンタジーよりもSFがいいような気がするな。どの辺がいいだろう……?」

「あのう……、あしもふって……?」

「あしもふ? ああ、アシモフね。あるよ。読んでみる?」


あるんだ。しかも、俺のアクセント、少し違ってたのにすぐに分かってくれた。有名な作家なのかも知れない。


「最初だから短編がいいかな。ええと……、有名どころの『われはロボット』。ロボット工学三原則っていうのが前提にあってね――」

「こんにちは」


「それだ!」と思った途端、後ろから声がした。


「あ、しぃちゃん」


肩の後ろににこにこしているしぃちゃん。雪見さんが笑顔で「こんにちは」と返してる。


「あ、その本」


彼女が雪見さんが手にしている本に気付いた。雪見さんが「知ってる?」と表紙を向ける。


「鵜之崎くんにどうかな、と思って」

「わあ。景ちゃん、面白いよ、その本! あたしもお薦め」


ぱっと顔を輝かせて話しかけてくるしぃちゃん。新しい髪型の彼女にまだ慣れなくて、なんだか恥ずかしくなってしまう。彼女と宗一郎の会話に出てきた本だけど、雪見さんが選んでくれた流れになっていて少しほっとする。


「そう……? じゃあ、読んでみる」


自分から探していた本……というのは内緒だ。


「面白いね。しぃちゃんと景ちゃんなんだ?」


俺に本を渡しながら雪見さんがにっこりした。


「アルファベットのコンビだね。CとKって」

「ほんとだ」

「コードネームみたいかも」


俺たちも顔を見合わせてニヤリと笑い合った。


雪見さんにお礼を言ってカウンターに向かうと、しぃちゃんが俺の手元を興味津々でのぞきこみながらついてきた。


「ねぇ? もう一冊はなあに?」

「ああ、これも雪見さんに紹介してもらったんだけど、鳥のヒナの『刷り込み』を発見した博士の本なんだって」

「へえ、小説じゃないんだ? 面白かったら読んでみたいから教えてね」

「うん、もちろん」


なんだか一刻も早く読みたくなってきた。さっきの雪見さんの口調から、きっと面白いに違いないという気がする。もうすぐ放課後のカウンター当番があるから、それまでに内容を説明できるようにしておこう。


それにしても、読む前にしぃちゃんとこんなふうに話せてる。読書の効果、すごいや!






参考図書

『ソロモンの指環 動物行動学入門』コンラート・ローレンツ/著 日高敏隆/訳 早川書房

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