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彼女は俺の魔法使い  作者: 虹色
第3章 変化
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5 魔法の呪文


俺の試合を応援してもらったので、お返しにいちごとしぃちゃんが出るバレーボールを応援に行くことにした。……まあ、お返しじゃなくても俺は行きたかったのだけれど、ついつい言い訳してしまうのが俺の弱気なところだ。


女子のバレーボールチームは中学時代にバレー部だったという湯原(ゆはら)早智(さち)が中心になっているらしい。湯原と親しい2人も見た感じスポーツは得意そうだ。爪を気にしてブツブツ言っていた元山(もとやま)泉美(いずみ)道中(みちなか)このみは、試合前の軽い乱打で意外といい動きを見せた。いちごとしぃちゃんはどちらも体が小さいが、性格的に積極的ないちごの一方、しぃちゃんはおろおろしていて自信のなさがはっきり分かった。彼女が自分を運動音痴だと言っていたことを思い出した。


総勢7人のチームで、しぃちゃんは控えの選手。開始の礼のあと、ほっとした顔でコートから出てきた彼女を見て思わずにやにやしてしまった。


試合は比較的楽な展開で、うちのクラスが順調に点を重ねた。しぃちゃんを含めた応援団も盛り上がる。すると、あと数点で第一セットを取れるタイミングで、湯原が道中としぃちゃんの交代を指示した。点差が開いているので、上手くないメンバーを入れるのにちょうどいいと考えたのだろう。


声が掛かったしぃちゃんが肩をこわばらせたのが、後ろから見ていてもはっきり分かった。道中とすれ違ってコートに入るときも腰が引けている感じ。サーブのためにボールを受け取った顔は緊張で引きつっていた。かわいそうに……。


アンダーハンドのサーブはネットに引っかかってしまい、それで彼女がますます委縮してしまったのが分かった。さらに、落ち着かない視線は上がったボールにどう反応すべきか、コートの中でどこにいるべきか、一つひとつに彼女が迷っている証拠。体育の授業でやっているとはいえ、バレーボールの基本的な知識が足りないのだ。


「しぃちゃん! 落ち着いて!」


隣で礼央が叫んだ。彼女はうなずいて深呼吸をしたけれど、落ち着くのはたぶん無理だろう。


とは言え、少し点差が縮んだだけで無事に第一セットを取れた。笑顔で戻って来るメンバーの最後で、しぃちゃんはもう二度と出たくないという顔をしていた。


「……大鷹!」


盛り上がるクラスメイトから離れて小声で彼女を呼ぶ。第二セットがすぐ始まってしまうから、急いで伝えられることだけを選別する。


「あのね、バレーボールはね」


俺がアドバイスをするつもりだと気付いた彼女の表情が引き締まった。


「ボールが当たっても腕なら骨折することはないから大丈夫。あざは少しできることもあるけど」

「当たっても……? あ」


彼女が何かに気付いた。


「あたし、ボールを怖がってる?」

「うん。でも、ちゃんと構えてれば平気だから」

「構えるって、これでいいのかな」


アンダーハンドパスの構えをしてみせる彼女。


「そう。で、ここに三角形の板があるつもりで、ボールに対する角度を調整する」

「ボールに対する角度」

「うん。入射角と反射角みたいな。強いボールは当てるだけで跳ね返るから、球の威力に負けないように固定すればいい。腕が動くとずれちゃうから、とにかくしっかり固定」

「固定。はい」


彼女は「角度と固定」と言いながら腕を動かしてみている。ほんとうは体や脚の使い方も必要なのだけれど、練習する時間もないのでそこは省略だ。


「あと、想像力」


俺の言葉に彼女は不思議そうな顔をした。


「ボールが相手からこっちに来るときは、まっすぐか、斜め、どっちかしかない」


指で孤を描いて示すと彼女がうなずいた。


「だから、ネットを越えてくるときのコースを想像して、ここかなって場所に移動する。周りのメンバーと重ならないように考えて」

「ああ、そうか!」


納得した様子で彼女がぱちん、と手を合わせた。最低限の説明だけど、しぃちゃんには納得できる部分があったようだ。


彼女がコートに向き直る。


「ボールで骨折はしない。固定する。想像する」


一つひとつうなずきながら唱えると、振り返ってにっこりした。


「ありがとう」


同時に第二セット開始の合図。湯原がしぃちゃんを呼んでいる。後衛のスタメンで出すつもりらしい。しぃちゃんは「やってみるね」としっかりうなずいて駆けて行った。


相手チームのサーブで試合が始まってみると、しぃちゃんの表情がさっきとは違っている。足の動きは覚束ないながらも、ほかのメンバーとの間合いを調整しているのが分かる。実際にはほかのメンバーが彼女の守備範囲をカバーしているのだけれど。


「しぃちゃん、今度はちゃんとボールに集中してる」


隣に来ていた礼央が言った。


「景のアドバイスが良かったのかな」


見ていたなら、一緒にアドバイスしてくれてもよかったのに。……いや、気を利かせてくれたのかな。


「第一セット、かわいそうなくらいおろおろしてたから」

「そうだったね」


話している間もコートの中ではボールが行き来し、湯原のアタックで点が入った。選手と一緒に応援団も盛り上がる。


ローテーションでしぃちゃんは後衛の真ん中に移動。見回しているのは立ち位置を考えているのだろう。コートの外に出た湯原がサーブのボールを受け取ろうと手を上げている。


「よし。じゃあ、今度は俺が景に協力するよ」

「俺に?」


礼央はニヤリと笑ってコートに向き直る。そして。


「しぃちゃん! ファイト!」


隣のコートにも聞こえるくらい大きな声が響いた。周囲の視線が集まる中、しぃちゃんに笑顔で手を振る。しぃちゃんが真剣な表情でうなずいた。


「へへ、いちごちゃんの真似。景が『しぃちゃん』って呼べるように。さっき、呼べなかったよね?」

「礼央……」


ちゃんと気付かれていたのだ。


「この前から何度も迷った顔してたよ。俺と一緒なら大丈夫。すぐに普通のことになっちゃうよ」

「ん……、そうだよな」


とは言うものの、いよいよとなると頬が熱くなってきた。最初の最初が簡単じゃないのだ――と思った瞬間、相手の強めのアタックがしぃちゃんを直撃。正面から彼女の腕に当たったボールが高く上がった。


「やった! しぃちゃん!」


本人は尻餅をついているものの、ボールが上に揚がればラリーは続けられる。


フォローに入ったいちごが前衛に向かって高くボールを送る。タイミングを合わせて跳んだ芦野が軽くタッチして相手コートに落とした。


「やったよ! 取ったよ!」


礼央に向かって叫ぶ。偶然かも知れないけれど、しぃちゃんがアタックを受けたのだ。


礼央が笑顔で「しぃちゃーん!」と手を振った。振り向いたしぃちゃんに俺がガッツポーズをしてみせると、彼女は試合が始まって以来初めて嬉しそうな顔をした。


それから彼女の動きが変わった。硬さが取れて、上手ではないなりに、初めよりも少し積極的にボールに反応している。間もなく交代でコートから戻って来たとき、彼女は満足そうににこにこしていた。


試合は2セット連取で勝ち、メンバーも応援団もみんな笑顔だった。


「景ちゃん、ありがとう」


しぃちゃんはわざわざ俺のところに来てくれた。


「最初に受けたボールね、予想して立ってたところに飛んできたの。びっくりしちゃった」


いつもよりも少し早口なのは、きっとそのときの余韻が残っているからだろう。そんな彼女が不意にとても愛しく思えてきた。


「ちゃんと構える暇がなくて、ただボールが当たったって感じだったけど、予想が当たったって思ったらね、急に気持ちが変わったの。『来い!』って。『次は絶対取る』って。スポーツでそんなふうに思ったの初めてなの!」

「うん。1セット目とは動きが全然違ったよ」

「ほんと? 良かった。景ちゃんのお陰だよ。もらったアドバイス、こんなに効くなんて。まるで魔法の呪文みたい。すごく嬉しい」


はしゃいだ笑顔が胸の中を揺さぶる。アドバイスなんてほんの少しだったのに、こんなに喜んでくれている。これって、俺がしぃちゃんを喜ばせることができたってことなのか?


俺にそんなことができるなんて驚きだ。そして、どこか深いところから湧いてくる……何か、力強いもの。彼女は俺が魔法を使ったみたいだと言うけれど、俺にとっては彼女が喜んでくれることが、俺を強くしてくれる魔法だ。


「男子バスケ、そろそろだって! あたしたちも応援行こう!」


いちごが呼んでいる。出場する礼央がストレッチをしながら歩き出した。


しぃちゃんに視線を戻すのと、彼女が俺を見上げたのは同時だった。微笑んだ彼女の瞳に何かがひらめいたように思ったけれど、確かめる前に彼女はいちごのところに駆けて行ってしまった。あれは――。


「せーんぱい!」

「鵜之崎せんぱーい」


後ろから、聞こえた女子の声。俺を先輩と呼ぶ女子って誰だ?


「あ、図書委員の」

絵島(えじま)でーす」

見浦(みうら)でーす」


そうだった。名前がどっちがどっちかよく分からないけれど、あの日、俺としぃちゃんのことを勘違いしていたふたりだ。


「先輩、バレー部なんですよね? あたしたちにも教えてください」

「え?」

「さっき委員長に教えてたじゃないですかぁ。お願いしますー」

「あたしたちも上手になりたいんですぅ」

「え、ちょっと……」


並んで近寄られ、思わず後ずさりしてしまう。このふたりって、こういうキャラだっけ? そんなに親しくなったわけじゃなかったと思うのに……。


「鵜之崎せんぱい?」

「せんぱーい」


どうしてこんなに押しが強いんだろう? こういう甘ったるい話し方をされると怖い。しかもよく見たら……ってじろじろ見るものじゃないけど、体操服姿だと胸が目立つ。これも苦手だ。


「お、俺、友だちの応援に行かなくちゃならないから、ほかのバレー部員に頼んでみて。じゃ」

「あ! 先輩!」

「え〜、待ってくださーい」


まだ声が聞こえるけれど、振り返るのはやめよう。礼央がいれば適当にあしらってくれるのに……。


どうして女子ってときどき意味不明なんだろう。だから俺は女子が苦手なんだ。




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