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彼女は俺の魔法使い  作者: 虹色
第3章 変化
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1 休日の事件

第三章「変化」です。


大鷹と電話で話したあと、俺の中に小さな期待が育ち始めた。彼女と俺がいい関係になれるのではないかという期待。


けれど、翌日もその次の日も、俺は彼女に話しかけることができなかった。育ち始めた期待が、逆にプレッシャーになってしまったのだ。自分で自分にがっかりする。


結局、何もできないままゴールデンウィークに突入した。


「ああ、面白かったー。やっぱSF映画はいいなあ」


映画館のロビーで伸びをすると、礼央の弟、太河(たいが)がにこにこしながら振り向いた。


「テレビとはやっぱりスケールが違うよね! 映像も音も、映画館の方が何倍もドキドキする」


中学2年生になった太河は前に会ったときよりも背が伸びて、声も低くなってきた。でも、はしゃぐ姿はまだ子どもっぽい。ステップを踏むように歩く太河を、礼央が目を細めて見ている。


ゴールデンウィークの初日、礼央兄弟と俺の三人で臨海部の観光スポットに遊びに来た。映画館にショッピングモール、ホテル、芝生広場に遊歩道、観覧車などが並ぶ、一日中遊べる場所だ。俺たちは映画を見て、昼メシのあとは辺りをぶらぶらする予定。


少し離れた親戚の家で暮らしている礼央と太河は、それほどしょっちゅう会えるわけじゃない。でも、こんなふうに一緒にいるときはお互いに思い合っているのがよく分かる。だから、礼央が太河と暮らすために高卒で就職すると決めている気持ちも理解できる。ただ、俺は礼央と違う立場になってしまうことに淋しさを感じているのだけれど。


「昼メシ、どこにする?」

「あ、その前にトイレ!」

「そうか。ええと……」


トイレは通路の先、エスカレーターの奥だ。周囲の客はエスカレーターを過ぎるとぐっと減り、トイレ前には連れを待っているらしい数人の男女がいるだけ。女子トイレから出てきた一人が「お待たせ」と黒いキャップをかぶった男に声をかけた。見るともなしに見た俺の目に映った姿に思わず足が止まった。


「あれ?」


立ち止まった俺に気付いたカップルが視線を向けてくる。すぐに「あ」と声を出したのはデニムのワンピース姿の――。


「鵜之崎くん! わあ、偶然」


やっぱり大鷹だ。


ゴールデンウィーク中に会えたらいいな、と思っていた。でも、何もできなくてあきらめていた。なのに会えた。嬉しい……けど、彼女は男と一緒?


たしか、男とうわさになったことがないって言ってなかったっけ? 男のきょうだいがいるなんて聞いた覚えはないし、だとすると、相手の年齢的にデートの確率は90%以上か。しかも、相手は俺がどんなに頑張ってもなれないであろうイケメンだ。


「あれ? 大鷹ちゃん?」


礼央が俺の隣に立った。その笑顔はいつもと変わらず柔らかい。俺の複雑な気持ちを察してくれているのだろうか……と、なんとなくハラハラする。


「デート?」


突然尋ねた礼央の声に心臓が跳ね上がった。


――それを訊いちゃうか、今!?


驚きつつも、確認するために大鷹に視線を移す。


彼女はキャップ男と顔を見合わせて、視線で何かを確認している様子。それはかなりの親密さを表わすしぐさだ。答える前に確認しているということは、初デートか秘密の関係か。


太河もふたりをじっと見つめていることに気付いた。中学生には高校生のカップルをじっくり見るチャンスなどなかなかないだろうけれど、目をまん丸にしてなんて、ちょっと見過ぎじゃないだろうか?


「あ、あの、あの」


太河があわあわした様子で口を開いた。


「あの、あの、おれ、見ました。雑誌で。髪を――」


え?――と思う暇もなく、大鷹たちがいきなり真剣な顔になって近付いてくると、太河の肩に両側から手をかけた。


「え? え? え?」

「こっち来て。早く」

「ダメなんだ、ここじゃ」


太河の背中を通路の奥へと押しながら、大鷹が「一緒に来て」と振り返る。訝しげな視線を向ける周囲の客から逃れ、礼央と顔を見合わせてからあとを追った。




トイレ横の階段を上って到着したのは屋上庭園。海が見える広いデッキには散策路の間にベンチや花壇が設置されている。あまり存在が知られていないらしく――俺も知らなかったし――俺たちのほかには二組の姿だけ。


「すぐに分かった? ボクのこと」


太河から手を離し、キャップ男が尋ねた。襟足長めの髪と、ゆったりした白シャツに細身のジーンズがさり気ないのに決まっている。苦笑を浮かべた顔は肌が驚くほど綺麗だ。腰に手を当てている立ち姿は男の俺でも見惚れてしまうほどカッコいい。


さっき太河は「雑誌で」と言った。もしかしたら芸能界関係者かも知れない。大鷹の双子の知り合いか何かで――。


「は、はい、分かりました。くらんさんですよね? モデルの」

「え?」


太河は大真面目だ。真面目というか、頬を上気させて目を輝かせている。ふざけているわけではない。でも、くらん――「Kuran」っていったら……。


「え? 大鷹の双子って、男だったの?」

「景くん、違うよ!」


太河が俺に非難の目を向ける。同時に目の前のふたりが噴き出した!


「かなり成功」

「だね」


――意味が分からない。


助けを求めて礼央を見ると、肩をぽん、と叩いてくれただけ。礼央は理解したらしい。混乱している俺の髪を潮風がやさしく撫でていく。


「ごめんね、鵜之崎くん。この子、女の子なの。前に話したあたしの双子。(べに)色の蘭って書いて紅蘭(くらん)っていうの」

「大鷹紅蘭です」


キャップ男、いや、紅蘭さんに頭を下げられて、思わず「ぅえええええ」とうなってしまった。自分が男と女の区別がつかないなんて思わなかった!


「Kuranちゃん、俺、ファンなんです。いつもいとこが買ってる雑誌で見かけてて。今月は表紙でしたよね? すごくよかったです」


太河に「ありがとう」と微笑む様子は、女子だと思って見れば女子にも見える。そして、やっぱりカッコいい。


「俺、ファッション誌のモデルって聞いてたから、もっと……髪が長いイメージを持ってた」


まだ驚きから抜けきれないままつぶやくと、大鷹がにっこりした。それを見たら頭がはっきりしてきて、体と心が現実の世界に着地した。


「髪を切ったのは最近なの。ずっと伸ばしていたんだけど、お仕事の関係でね」


大鷹が教えてくれた。嬉しそうな太河と話している紅蘭さんを見ながらほっとしているようにも見えるのは気のせいだろうか。大鷹の落ち着いた態度のお陰で俺の驚きも徐々に去り、今度は彼女に会えた幸運が俺の中に広がっていく。


デニムのワンピースにポニーテールの彼女はいつものセーラー服よりもずっと軽やかで明るい雰囲気。でも、着飾らない感じがいかにも彼女らしくて、俺にとっては新鮮でありつつ気後れせずに済むちょうどよさ。


「あたしたち、ほんとうに似てないでしょう?」


紅蘭さんを振り返って彼女が言う。


「背の高さも15センチも違うの。くぅちゃん……紅蘭のことね?」


そう言って俺を見上げる瞳はいつもと変わらない。


「くぅちゃんは女の子の服装だとけっこう目立つの。顔とか身体つきだけじゃなくて、身のこなしとか、やっぱり訓練してるから。最近は顔が売れてきちゃったりもして、街を歩いていると、声かけられたり写真撮られたりすることも多くなってきて」

「そうか。プライベートでも気を抜けなくなっちゃうね」

「それで男装して世間を騙して楽しんでるってわけか」


不意に聞こえた尖った声。びっくりして隣を見ると、礼央が冷たい視線を紅蘭さんに向けていた。


紅蘭さんにも礼央の声が聞こえたらしい。太河と一緒にぱっとこちらに顔を向けた。


「騙して楽しむなんて、礼央、それは」


違うと思う――と続ける前に礼央がこちらを向いた。その体から発せられる冷たい反感に、舌の上で言葉が消えた。いつもふわふわと明るい礼央が、こんなふうに攻撃的な態度を表に出すなんて――。


「モデルなんて人を騙すのが仕事だと思ってたけど、プライベートでも同じなんだ?」

「れ、礼央?」


おろおろするだけの俺の前で、紅蘭さんが口を引き結んだ。そして。


「じゃあ、あんたは」


太河の前から紅蘭さんが一歩踏み出した。たぶん本気で怒っている。


「誰のことも騙してないって言えんの? 親にも友だちにも、ありのままの自分だって言えるわけ?」

「ちょっと待って!」


慌てて彼女と礼央の間に割って入った。でも……遅かった。


「太河」


駆け寄って肩に手をかけ、うつむいた顔をのぞき込む。さっきまであんなに上気していた頬が今は真っ白だ。やっぱりキツいひと言だったのだ。


「礼央」


振り向くと、礼央もうつむいていた。握り締めた手は怒りのためか後悔か。ゆっくりと上げた視線が俺で止まった。


「ちょっと……時間もらうね。太河と一緒にいてくれるかな」

「もちろん」


黙ってうつむく太河とその肩を抱く俺、何が起きたか分からずに戸惑いの表情を浮かべている大鷹姉妹。俺たちを残し、礼央が足早に建物の中へと消えていく……。




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