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彼女は俺の魔法使い  作者: 虹色
第2章 相棒!
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6 彼女の笑顔


「で、『あ な た の 心 の 支 え に な る と 思 い ま す まる』と……。できた」


息をついてシャーペンを置き、やっとのことでマス目を埋めた紙を手に取る。図書新聞4月号の「先生のおすすめ本」の原稿だ。机の上にはインタビュー直後に書いたメモと『五輪書』。一緒に来た礼央は館内のどこかにいるはずだ。


原稿の締め切りが明日に迫り、2年2組のふたり組から今朝、気合の入った原稿を受け取った。俺も本を読み終わっていたので、昼休みを使って書こうと図書館に来たのだ。


閲覧・学習コーナーの机はほどよく埋まっていて、ほどよく静か。雑誌コーナーやカウンターのあたりから聞こえる和やかな声が、リラックスしながら集中するのにちょうどいい。とは言っても、それで文章が上手くなるわけではない。


「うーん……」


書いてみて分かったのは、他人が言ったことを文章にするのも、やっぱり文才が必要だということ。俺の文章はどうにも味気なく、これで七沢先生の伝えたいことが伝わるのかどうか、はなはだ疑問だ。


そして、インタビューのあとに作ったメモを使えば本を読まなくても原稿が書けただろう、ということも分かった。大鷹が言ったとおりだった。俺はずいぶん遠回りをしてしまった。


「景、できた?」


戻って来た礼央が声を落として尋ねた。


「うん、とりあえずね」


下手だと分かっていても、自分ではこれ以上どうしようもない。ただ、これが印刷されて全生徒に配られると思うと、図書委員のみんなに申し訳ない気持ちになる。努力はしたのだけれど。


「これでいいことにする。本を返してくるよ」


立ち上がって振り向くと、カウンター前に大鷹がいた。向こうも俺たちに気付いて笑顔を見せた。


「あ」


俺も微笑み返そうとして……迷う。彼女と俺はどのくらいの関係なんだろう? この前は相棒だと言ってくれたけど、あれ以来、挨拶しかしていない。もしかしたら、あの笑顔だって礼央に向けたものかも知れないし……。


足は前に進むけれど、心は足踏み状態だ。


「ここで原稿書いてたの? もう完成?」


近付く俺の手元に目をやってから、大鷹が俺を見上げた。いつものようにまっすぐ見上げる瞳と明るい表情がそよ風のように俺の迷いを吹き散らす。


――いいんだ、笑顔を返しても。


大鷹は俺を友だちだと考えている。でなきゃ、こんなふうに俺を見たりするものか。こんなふうに素直に、楽しそうに。


「一応書き終わった。でも俺、文章が苦手で全然ダメだ」


言いながら、思わずため息が出た。すると彼女は「そうなの?」と小さく首を傾げた。ちょっと小鳥みたいだ。


「……見てもいい?」

「うん。どこが悪いか言ってくれると助かる」


大鷹に原稿を渡し、自分は『五輪書』を返しにカウンターへ――行こうとすると、「あ、待って」と彼女の声。


「その本、返すの? それならあたしが借りたい」

「え? これ?」

「うん」


彼女がうなずいた。


「鵜之崎くん、それ、最後まで読んだんでしょ?」

「うん、読んだ」

「だったらあたしも読む」


どこか決然とした表情で見上げる彼女。なぜそんなに真剣な顔をしているんだろうと考えていたら、隣で礼央が小さく笑った。


「なんだか景と張り合ってるみたい」


たしかにそうだ。彼女の目付きはまるで俺に挑むようで。


礼央の指摘に、大鷹は少し恥ずかしそうにうつむいた。


「だって、ちょっと悔しいんだもん」

「悔しい?」

「うん」


そしてまた挑むような目を俺に向ける。


「鵜之崎くん、本はあんまり読まないって言ったでしょ? それなのに、名著って言われてる作品を読み切った」

「まあ、仕事だから……」

「あたしはもともと本を読むのが好きで、結構いろんな本を読んでいるのに、その本はまだ読んでない。それが悔しい」

「悔しいって……、悔しい?」


きっぱりと言い切られて戸惑いを感じている俺の隣で礼央がまたくすくす笑う。それを見て彼女も肩の力を抜いた。


「その本、あたしが返却手続きして、自分で借りる。いい?」

「うん。……ありがとう」


差し出された手に『五輪書』を乗せると、彼女はにっこりして受け取った。「ちょっと待っててね」とカウンターに向かう後ろ姿がいそいそと嬉しそうだ。一冊の本を読んだか読まないかが、彼女にとってはそれほど重要らしい。


「意外と負けず嫌いなんだね」


礼央がつぶやいた。もしかしたら、あれが本好きのプライドというやつか。だとしても。


「『悔しい』って、本人に言っちゃうんだなあ」


心の中で闘志を燃やすのではなく、ダイレクトに言うなんて。挑むような表情を向けてくるところも、しっかり者でおとなしそうな見た目とはちょっと違う。そう言えば。


図書委員会の初会合の日、彼女は俺がいちごの彼氏なのかどうか悩んだ末に、直接俺に尋ねたのだった。あれこれ悩むよりも、訊いてはっきりさせてしまおうと思ったと言っていた。あのときも、驚いたけれど勝手に気を使われるよりはずっといいと思ったのだった。


でも、それはそれとして。


気付いてしまった。大鷹にはちゃんとあるのだということが。自分の道が。


本が好きでたくさん読む、という道。ほかの誰かよりもたくさん読んでいるという自負。これからも読んでいくという意志。


俺は何も見付けられないでいるのに……。


貸し出し手続きを終えた彼女が俺の原稿を読みながら戻って来る。


「ねえ、この原稿だけど……」

「うん」


彼女が原稿を差し出して俺を見上げた。


「これ、全然悪くないよ? このままで大丈夫だと思うけど」

「え? そう?」


思いがけない言葉。気を使っているのだろうか。


半ば疑いながら原稿を受け取った俺に彼女が続ける。


「七沢先生が言ったことはちゃんと書いてあるし、文章もすっきりしてる。どこか気になるところがあるの?」

「どこかって……、なんて言うか、事務的な感じ?」

「んー、そうかな?」


自分でもう一度確かめようと、視線を手元に向ける。すると、礼央と大鷹が両側から一緒に原稿をのぞき込んできた。


不意に近付いた大鷹との距離。滑らかな髪をかけた耳が間近に見えて、照れくささと気まずさが湧き上がる。でも、故意に距離をとるのは失礼だし、そもそも反対側には礼央がいる。ここはこのままでいるしかない。ただ、原稿を持つ手が緊張してきたのがバレないといいけれど……。


「前から思ってたけど、景って字が上手いよね」

「うん。読みやすくてきれいな字だね」


礼央と大鷹が俺をはさんでしゃべり始めた。自分が話題に上っていると口をはさみにくい。


「景は何かのたびに、文章が苦手だって言うんだよ」

「そうなんだ? 本人の思い込み? 染井くんはこれ、どう思う?」

「ん、ああ、俺のことは『礼央』でいいよ。みんなそうだから」


――ん?


会話に混じった気になるフレーズ。礼央の笑顔はいつもと変わりない。大鷹は?


「あ、そう……? うん、分かった」


ちょっと恥ずかしそう? 嬉しそう? そうするってこと? じゃあ、俺は? 俺のことは?


「ねえ、鵜之崎くん?」


――……だよな。


俺が自分から言わなきゃ、苗字で呼ぶに決まってる。今までどおりってことだ。


「これね、文法的に間違ってるところはないし、先生のお薦め本だから、このくらいのテンションでいいと思うよ?」

「……そう?」

「うん。最初の内容紹介のところも、読んだだけあって分かりやすく書けてるし」

「え、そうかな?」


読んだ甲斐があった? ほんとに?


「うん。あのメモだけだったらこうは書けなかったと思う。読んだ成果が出てると思うよ」


しっかりと俺を見上げ、真面目な顔でうなずく。これを信じない理由などあるだろうか。


「それにね」


そこで彼女がにっこりした。


「あんまり名文を書かれたら、あたしが困っちゃう。だからこのくらいにしておいて?」

「え……」


こんな言い方ってあるだろうか。こんなふうに、お願いするみたいに可愛らしく……。


「ん……、じゃあいいや。これで完成」


彼女が悪くない文章だって言うなら、ほんとうにそうなのかも知れない。得意とは言わないまでも、苦手からは脱出できていたのかも。それなら図書新聞に載るのも、さっきほど気が重くない。


もしかしたら、彼女はものすごい褒め上手なのではないだろうか。


だとしても。


ここで大鷹に会えて良かった。彼女の笑顔はかなり大きな効果がある。




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