17話 彼が去った編集部の惨状【編集長、浮気相手】
窓際編集と馬鹿にされた男、岡谷 光彦。
彼がいなくなったあとの編集部は……どうなったかというと。
「ちょっとそれ、どういうことなの!? 木曽川くん!」
編集長の十二兼 利惠は、デスクにて。
編集者……木曽川を叱りつける。
「さ、さーせん……原稿、落としてしまいまして……8月刊に間に合いません」
「またなの! これでもう5本……8月刊の本、全部発売延期じゃないの!」
TAKANAWAブックスは毎月だいたい5,6本のラノベを刊行している。
来月に発売される予定の本が……全部落ちてしまったのだ。
「一体何やってるの!?」
「い、依頼していたイラストレーターのかたが、体調不良だったらしく……」
木曽川がしどろもどろに答える。
「だったらしいって……なんで確認取らなかった!?」
「い、いやぁ~……だって、ねえ? 向こうは金もらってるプロなんだし、期限通りにあげてこない向こうがわる一つーか……」
びきっ、と十二兼の額に血管が浮かぶ。
「クリエイターたちのスケジュール管理も、編集者の仕事でしょうが!」
ドンッ……!
木曽川は気おされてしまう。
「す、すみません……。あ、で、でもほら! 発売を来月に回せばいいじゃないっすか! ねえ!」
「そんな単純な話じゃないの! 流通や印刷所にもスケジュールは既に送ってある! それらに謝るのは一体誰の仕事だと思ってるのよ!」
「え、あ……えっと……」
はぁ……と十二兼はため息をつく。
もうここ数日まともに眠れていない。
仕事がまったく上手く行かなくなったからだ。
8月刊行のラノベが全部発売延期になった。
7月刊行も、結局1本(カミマツ新作【僕の心臓を君に捧げよ】)しか予定通り刊行されない。
(ここまでうちの編集部って、ダメなやつらの集まりだったの……?)
岡谷が抜けてから、すべてが上手く行かなくなった。
ほかの編集者達の話を聞くと、彼が全部、細かい雑事をこなしていたことが判明したのだ。
たとえばイラストレーターの場合、岡谷は細かく進捗を聞いて、スケジュールに遅れが出ないように調整していた。
たとえば作家の場合、岡谷は打ち合わせを頻繁に行って、メンタルケアを行い、適切なスケジューリングで、本を作っていた。
そのほかにおいても、岡谷は自分以外の編集者が、サボっていることや、取りこぼしていることのフォローに回っていたのだ。
……そう気づいたのは、7月に発売される予定だったラノベが、1本しか販売されなかったときだった。
「……もういいわ、さっさと自分の仕事に戻りなさい」
「す、すんませんでした……利恵さん、怒ってる?」
木曽川が泣きそうな顔で言う。
それを見ていると、これ以上怒る気になれなかった。
「……もう良いわ。次から頑張って」
「ありがとう利恵さん! ……今夜楽しみにしてるっすよ」
木曽川が声を潜めて言う。
「ば、ばか……仕事中よ。プライベートの話はあとでね……」
十二兼は頬を染めながら言う。
「利恵さん、愛してるぜぇ」
木曽川がデスクに戻ったあと、深くため息をついた。
「…………」
岡谷が出て行ったことで、編集部全体のレベルが低いことを十二兼は思い知らされた。
だがその中でも特に、木曽川は、最低だった。
報連相がまずなってない。イラストレーターやそのほかの部署と必ずトラブルになる。
……しかも、そのトラブルを隠しているのだ。
怒られるのが嫌だという、浅ましい理由で。
だが十二兼は木曽川をチームから外すことができなかった。
なぜなら、すでに男女の仲になっているからである。
「仕方ないわ、部下のミスは、私がカバーしないとね……」
十二兼は受話器に手を伸ばす。
電話をかけると、数回のコールで相手が出た。
『開田です』
女性の声だった。
「お世話になっております。私、TAKANAWAブックス編集部の、編集長を務めております、十二兼と申します。開田るしあ先生……流子様はご在宅でしょうか」
『流子お嬢さまにどのようなご用件でしょうか』
「先日、部下が無礼を働いたので、その謝罪と思いまして」
先日、人気作【せんもし】の最終巻が発刊された。
新シリーズを依頼したところ、るしあに断られた。
木曽川はあのあと、直接会いに行って、謝ったが断られた。
……その事実を、だいぶ後になって、というか今朝報告があったのだ。
『大変申し訳ございませんがお嬢様は外出中で……え? ちょっと……会長?』
『贄川、代われ』
受話器の向こうで、別の声がした。
『貴様がTAKANAWAブックスの編集者の、十二兼 利惠だな?』
聞こえてきたのは、老人の声だった。
「え、ええ……そのとおりです。あの……失礼ですがどちら様でしょうか?」
『流子の保護者だ』
「な、なるほど……失礼いたしました」
開田るしあ、本名、開田流子はまだ18歳である。
保護者と同居していても何も問題ない。
……問題なのは、十二兼 利惠が、流子の保護者が【開田高原】……。
日本を裏から牛耳る大御所と、今話していることを、知らないことだ。
「このたびは、流子さまにご無礼を働き、大変申し訳ございませんでした」
『まったくだ。いきなり自宅に押しいって、あの子に怖い思いをさせよって。貴様の指示か?』
「い、いえ……部下の独断です」
『そうか。なるほど……部下が部下なら、上司も無能というわけか』
……なぜ【一般人】にそこまで馬鹿にされなければいけないのだろうか。
『それで、貴様の要求はなんだ?』
「流子様に、またうちで作品を作っていただけないかと思いまして」
『断る。流子はすでに、岡谷のもとで本を出すことになっている』
「おかや……? 岡谷 光彦のことですか?」
『そうだ。……おお、そうか。貴様か。岡谷を追い出したという、無能編集長とやらは』
……なぜ、岡谷をクビにしたことを、この電話の向こうの人物は、知っているのだろうか。
『わしも流子も、岡谷には大変感謝している。やつがTAKANAWAにいるのなら、流子も続きを書いただろう。だが……貴様がもう追い出したのだったな。なら無理だ』
開田るしあを失うとなると、かなりの痛手となる。
現在、ラノベ業界において、TAKANAWAブックスが頂点に立っている。
それは、自社レーベルに、3人の、天才ラノベ作家達を抱えているからだ。
業界のトップ・カミマツ。
アーツ・マジック・オンライン(AMO)のベテラン作者・白馬 王子。
そして……開田るしあ。
特にるしあは、3年前にデビューして、白馬に迫る業績を残している、期待の新人。
るしあを失うことは、レーベルとしてかなりの痛手を食らうことになる。
「岡谷以外にも、うちには優秀な編集がたくさんいます! 木曽川が気に入らないのなら、別のものに任せますのでどうか!」
『ふんっ。貴様のレーベルで使える編集など、貴様も含めて残っておらぬだろう。上松と佐久平は余所に移ったからな』
上松 副編集長と、若手ホープである編集・佐久平は、先日、編集部をやめて、新しいレーベル【SR文庫】を立ち上げた。
それを……やはりどうして、るしあの保護者は知っているのだろうか。
『孫の作る素晴らしい作品を、貴様らのようなクズの手で本にしてもらいたくない』
「な、なによ! さっきから……!」
散々馬鹿にされて、つい、十二兼 利惠は声を荒らげてしまった。
「何様よあなた……!」
『……わしか? わしは開田 高原という』
「は……………………?」
開田 高原。その名前を知らない人はこの日本に居ないだろう。
政治・経済に多大なる影響を与える、開田グループの会長だ。
「え……? なんで……?」
『貴様のような愚物にもわかるように言うのなら、開田るしあこと流子は、わしの孫だ』
「なぁっ……!? そ、そんな……! じゃ、じゃあ……」
『……よくも孫の想い人を、レーベルから追い出したな。覚えておくがいい、十二兼 利惠。貴様【も】制裁を加える対象としよう』
ぶつんっ、と電話が切られる。
「うそ……でしょ……なんで……開田グループの孫娘が、ラノベ作家なんてやってるの……」
呆然とつぶやいた、そのときだ。
プルルルルルッ♪
突如、デスクの電話がなった。
「は、はい……TAKANAWAブックス編集部」
『十二兼か!』
「本部長……?」
十二兼たちが所属する編集部は、出版部のなかの1部署だ。
本部長とはつまり、十二兼の上司に当たる人物である。
「どうしたんですか、本部長?」
『バカヤロウ!』
急に、どなられて、十二兼が困惑する。
『おまえ何やってるんだ!』
「え? なに……とは?」
『【カミマツ】が移籍を表明したぞ!』
「なっ……!? か、カミマツ先生が!?」
カミマツ。
業界トップの超大御所にして、レーベルの要である超人気作【デジタルマスターズ】の作者である。
『カミマツ先生だけじゃない! ほかの先生達もだ! 白馬 王子や黒姫 エリオ! そのほかうちの主戦力の出版権を、余所に委譲するよう上から通達があった』
「そ、そんな……!」
カミマツ、白馬などが抜けたらTAKANAWAブックスは崩壊する。
『しかもなぜかこのタイミングで! TAKANAWAの社長、【中津川】の不祥事が明るみに出やがったんだ!』
「なっ……!?」
驚きすぎて、十二兼はフリーズしてしまう。
十二兼の所属する会社の社長が、逮捕。
そうなればレーベルどころか、会社が倒産する……。
なぜこうも不幸が連続するのか?
確かに……思い当たる節はある。
つい先ほど、開田グループ会長を怒らせたところだった。
だが……電話を切って30秒も経ってないのに、こうも不幸が続くものなのか……?
『ウワサじゃ開田グループがからんでいるらしい。うちの大口の出資者だからな』
「そんな……」
ガタガタ……と十二兼が震える。
つまり自分が、開田グループ会長を怒らせたから……。
レーベルが、会社が……倒産する。
今は気づかれてないが、そのうちその原因が自分にあることを、多くの人たちが知ることとなるだろう。
そうなれば、社員達の恨みを、十二兼が一身に買う羽目となる。
「あ……ああ……」
かたん……と十二兼が受話器を落とす。
とんでもないことを、してしまった……。
十二兼は体を丸めて震える。
会社が倒産。当然、編集長はクビになる。
再就職は? 開田グループの会長に嫌われて、できるわけがない……。
つまり……
「利恵さーん。もう時間っすよー……って、どうしたんすか?」
脳天気な顔で、木曽川が声をかけてきた。
「あんたが……」
「へ?」
「元はと言えば、あんたのせいでしょぉおおおおおおおおおおお!」
十二兼は立ち上がると、近くにあった電話機を手に取って、木曽川を殴りつける。
「ぎゃっ……!」
彼が倒れたところを、十二兼は蹴りつける。
「あんたが悪いのよ! あんたのせいでお仕舞いよ!」
「な、なんすか? なんなんすかぁ……!」
情けなく涙を流す木曽川。
だが十二兼は止めることなく蹴りつける。
「くそぉおおおおおおおおおおおおお!」




