激情ラブロマンス
魔王城の上層部。左手には地面が遠く感じる程高く、半壊して風通しが良くなった窓ガラスが続く。先頭を進むナターシャに続き、ヤヤとフランは四方を警戒しながら険しい表情を浮かべている。
暫く一言も言葉を発せられることなく、ただ真っすぐに進む三人の中でヤヤだけは後ろを気にして何度も振り返っていた。
「二人が気になるのは分かるけどぉ、集中した方が良いわよぉ」
「わ、分かってるデス」
注意されて慌てて前を向き、少し離れてしまった二人に小走りで追いかける。
自分のやるべき事は分かっている、魔王の遺体を敵より早く奪取しなければいけない。この先に居る敵を倒さなければいけない。その為に、エロメロイもヴィオレットも犠牲になったのだから。
だけれども、簡単に切り捨てられる訳も無くひょっこりと合流してくれないかと淡い希望と、無事なのだろうかと言う不安で後ろを気にする素振りは止まらない。
いまいち集中しきれていないヤヤにため息をつき、ナターシャは足を止めて振り返った。
「ねぇヤヤちゃん。もし気になるなら戻っても良いしぃ、何ならそのまま帰っても良いわよぉ」
膝を折って、ヤヤの青みがかった灰色の瞳を黒白目に浮かぶ真紅の瞳で覗き込みながら、至って真剣な表情で挑発にもとれる言葉を投げかける。
そんな事を言われたヤヤは、小さな手を無意識に握りこんで怒ったように口を開いた。
「な、なに言ってるデスか、馬鹿にしてるデスか」
「そうよぉ」
「!?」
馬鹿にしないで欲しいと言った言葉への返答は、至極端的な肯定の言葉だった。
余りにも呆気なく、真剣な表情のままで言われた所為でヤヤは驚き固まる。だがそんなヤヤへ何か代わりの言葉を掛けるでもなく、その肩に両手を置きながらナターシャは更に語り掛ける。
「戦いの場に迷いのある人は要らないわぁ。ましてや、ヤヤちゃんは何の関係も無いんだからねぇ」
王国で、ヤヤは戦おうという意思があった。もうあんな惨劇を起こしたくないという思いがあったから、だからヤヤが同行する事をナターシャは認めたのだ。
だが、今この場においてその意思のなんと脆い事か。
「戦いってのはぁ、時には非情な選択をしないといけないわぁ。先へ進むためならぁ、例え血を分けた家族だってぇ見捨てなくちゃいけないの。お姉さん達に出来る事はぁ、信じて目の前の戦いに集中するだけよぉ」
意思の脆さは、非情な現実を突きつけられて更に揺れる。そうしなければいけない、それしか無い。そんな諦念にも似た感情を持たなければ戦う事なんて出来ないのだ。
戦争を経験したナターシャだからこそ言える言葉、彼女も嘗ては仲間や友の屍を踏み越えて、先へ行けと託されて多くの人間を殺した。一人を見殺して二人殺す。そんな過酷な経験の積み重ねが、今の言葉となった。
子供に語るには重たすぎる、しかし戦う者としては必ず心に刻んでおかなければいけない、本来なら身を以って知らなければ理解できない事を、せめてもの優しさからはっきりと告げる。
ここが分水嶺だ。
その覚悟が無ければ、ここから先へ進むべきではない。黙って引き返して仲間を助けに行けばいい、逃げればいいと。
「でも……ヤヤは……」
「もぉあの惨劇を見たくないって、止めたいって気持ちは分かるわぁ。でもねぇ、ここから先は生半可な覚悟は仲間の足を引っ張るだけよぉ。それなら、要らないわぁ」
縋るようにヤヤはフランへ視線を向けるが、当の彼女は何を思ってるのかもわからない無表情のままじっとヤヤを見つめるだけ。
口を開く様子は無く、それが好きにしたら良いと言っている様にも、ほら見た事かと嘲られている様にも感じてしまう。
俯き、拳を握りしめてヤヤは固く唇を噛んでしまった。
「……時間は無いわぁ、すぐそこに搬送用の昇降機がある。無事なはずだから、それを使って下に降りなさぁい」
その姿を見てヤヤを見捨てた。もう無理だろう、背を向ける。
だが天井から埃が落ち、足元が不規則な揺れ方をしたのを感じた瞬間ナターシャは勢いよく振り返って、自分達が歩いてきた方を、険しい表情で見つめた。
フランも、ヤヤも同じように背後から迫る何かに気づいて振り返って生唾を呑んだ。
「何の……音デス……」
「細かくて、間延びの無い振動。まさか」
「あぁもう最っ悪!」
全員の脳裏に最悪の予想が過る。
そしてその予想が外れる事も無く、予想通りの光景が広がった。
廊下の向こうから、大挙して押し寄せるガーゴイル型のゴーレムの波。数を数えるのすら億劫になる程、打ち鳴らす振動と轟音は天災にも等しい。
飲み込まれたあっという間に藻屑と化すことが必須な、暴力の濁流が王の眠る城を犯す侵入者を排除しようと襲い掛かって来た。
一も二も無く、三人は逃げる様に駆けだす。
「もうっ! あと少しなのにぃ! 走ってぇっ!」
必死で走る。追いつかれたら魔王の遺体を回収、先を進むエリザベス達を排除する所ではない。
振り返る余裕すら無い程に焦燥に駆られながら、走り続ける。
「見えたわぁ! 玉座の間の扉は頑丈よぉ、頑張ってぇ!」
視界の先に玉座の間への扉が見えた。あそこまで行ければ安全だと。ナターシャの言葉を信じるなら、そこがゴールだ。
だが一番目の良いヤヤが、何かに気づくといきなり立ち止まって踵を返し、弓矢を構える。
「何してるのぉ! あの数は無理よぉ!」
「分かってるデス! でもあの扉は半壊してたデス! だからヤヤが、ヤヤが足止めするデス!」
ヤヤの言葉に、他の二人も遅れて気づく。そのゴールがただのチェックポイントにしかならない事に。
玉座の間の扉が、半壊していた。それでは大挙するガーゴイルを止める事は出来ないだろう。
目的地に辿り着いても、ガーゴイルも交えながら戦うなんて土台無理な話。だからヤヤは勝つためにこの場でガーゴイルを止める。先ほどナターシャに言われた、勝つ為の覚悟を示したのだ。
「はやく行くデス! フランちゃん、天井を壊して廊下を塞ぐデス!」
震えながら、歯が恐怖でカチカチとなりながらも吠える。ヴィオレットも、エロメロイも勝つために犠牲になったのだ。たった一人で戦う道を選んだのだ。今度はヤヤの番。
背後でナターシャが舌打ちしながら駆けだす足音と、フランが魔道ブラスターの光弾で天井を打ち抜き瓦礫が落ちてくるのを捉えるとヤヤは今一度弓を握りしめ、恐怖で竦みそうになる心を頬を叩いて奮い立たせた。
眼前には数えるのも億劫になるほど、廊下の向こうまで埋め尽くすガーゴイルの波が迫っている。
今は瓦礫がバリケードになっているが、果たしてどれだけの時間が稼げるだろうか、深く息を吐いて矢を番える。
だが、すっと視界の端に映った白い髪を見てヤヤは目を丸くした。
「敵は大体100、行ける? ヤヤ」
「デ!? フ、フランちゃん!? 何でいるデス!?」
「ヤヤだけじゃ時間稼ぎにもならない、これは合理的判断。問題ない、玉座の間には戦闘員は一人しかいないから……多分」
「そういう問題じゃないデス!」
何故か先に行った筈のフランが、肩を並べて立ちながら義手の調子を確かめつつ、相も変わらず恐怖も感じていないような無表情でヤヤの言葉に小首を傾げている。
何でそんな事を言うのか心底分からないと言った風に、小さな唇を開いて暢気な挨拶でも交わすような口調で会話する。
「どうして?」
「だって幾らフランちゃんが強くても、あの数相手じゃ勝てる筈なんて——」
「そんなの、やらなければ分からない」
ヤヤの弱気を、フランは力強く、語気強く一蹴した。
今まで無表情だった顔に、確たる信念を帯びて。諦めなんて欠片も無く、勝つまで戦う。必ず勝つ、それを信じて疑わないと。
そんなフランの変化を見て、ヤヤの震えが止まった。不思議な事に、たった一人同い年の子供が増えただけなのに。フランの実力なんて知らないのに、勝率なんてほんの数パーセントしか変動していないのに、もしかしたら0パーセントなのかも知れないのに。
だけど、不思議とヤヤの心から恐怖が去った。
「ヤヤ、さっきあの悪魔の人は見捨てる覚悟こそが戦士にとって必須だと言っていた。それも一理ある。ボクも……沢山悪い事をした、許されない事もした。助けを請う人の手を見捨てた事だってある」
そんなヤヤを視界に捉えず、真っすぐに大挙して迫る暴力の濁流を見据えながら、告解でもするように静かに喋る。
返事や反応を求める物ではなく、最後になるかもしれないから誰かに、ヤヤに聞いて欲しいのだろうか。
ヤヤは、静かにただ耳を傾けた。
「だから躊躇いは無い。最終的な目的、勝利の為ならどんな手段だって取る事も厭わない。だからなのかも知れない、ヤヤのその誰かの為に。っていう気持ちが、ボクにはすごく眩しく思えたんだ」
ほんの少し目元を柔らげ、口元を綻ばせて首を傾げてヤヤを見つめる。
初めて会った時の事を思い出しながら、懐かしむように、大切な思い出を大事に胸に抱きしめる様に手を握りしめて。
「……そんな大層な物じゃないデス。ヤヤは、結局自分の為にしか行動出来ないデス」
だがヤヤは、そんな気持ちを向けられるのに相応しくないと顔を背けた。そのまま、悔しそうにフランの言葉を否定する。
「確かにヤヤはもう誰も死んでほしくない、もう誰も傷ついて欲しくないと思ったデス。思って居たデス……でもそれはちょっと突かれるだけで、間違っていたかもなんて思っちゃうくらい対した事ない気持ちデス……」
ナターシャに覚悟が無いと言われた時、咄嗟にヤヤが思ったのは『あぁ自分は間違っていたのだろうか』だった。自分の気持ちの、言葉のなんと軽い事か。挑発されて直ぐに言い返すことも出来ない。
そんな自分に、そんな風に言ってもらう価値なんて無いと否定する。
「別にそれでも良い」
「え?」
だが否定に帰って来たのも、否定だった。
「自分の為にという理由でも、ヤヤは誰かの為に行動する事が出来た。それは決して卑下される事ではない、誇るべき。誰の賛同も得られなくても、ヤヤだけは自分の気持ちを偽ってはダメ」
救いの言葉の様に、フランの静かな言葉がヤヤに染み広がる。
ナターシャによって折られた心に、温かい水が染み広がって本人ですら気づかなかった自分の気持ちが湧き上がる。
優しく、フランの言葉で、フランの手でヤヤの心が暴かれる。だがそれは決して不快ではなく、寧ろ心地よさすら覚えられた。
心が、疼く。
「だから教えて? ヤヤの気持ち」
「ヤ……ヤヤは……」
疼きが抑えられない。
口が開く。
今まで、誰にも言う事が出来なかった気持ちが。固く蓋をして飛び出さない様に圧し掛かっていた気持ちが、自らの意思を以って暴れだしてしまう。
「ヤヤは……本当の仲間になりたかったデス。力不足で、頼りないヤヤが背中を預けて貰えて、頼ってもらえる仲間になりたかったデス」
「それは半魔……セシリアの事?」
「デス……セシリアちゃんは仲間って言ってくれたデス。でも、ヤヤ自身が認められなかったんデス。だから、せめて胸を張って言える何かが欲しかったデス」
ヤヤにとって、仲間とはただの言葉以上の意味を持つ。
仲間とは第二の家族だと教わって来た、故郷の村でも仲間同士は揺るぎない信頼があった。父も、兄も、友も。そんな人たちの背中を見て育ったヤヤにとって、自分以上の価値がある物なのだ。
「ヤヤの故郷は帝国にある、一年を通して寒い山間の村デス。それで、とっても仲間意識が強くて。パパも、仲間は第二の家族って常に言ってたデス」
そんな風に育ったからか、故郷から出稼ぎに出て初めて出会った仲間。特に、思うように稼げなくて、狩りが上手くいかなくてひもじい思いをしながら仕送りをしないといけないという責任感で追い込まれていた時に、助けられた相手なのだ。
セシリアと肩を並べたい、真の意味で胸を張って仲間だと言える自信が欲しいと心の底から思ったのだ。
「結局、セシリアちゃんのパパを守れたら。セシリアちゃんの故郷を半壊させた敵を倒したら、ヤヤは自信を持てると思ったデス……」
でも現実は思うようには行かなくて、仲間の為に力になりたいと思っても力不足を思い知らされるばかり。ヤヤなんて居なくても、セシリアが困る事は無いと思う事ばかり。
いつも前に出て身体を張るセシリアを守る事は出来なくて、ボロボロにさせてしまう。
その度に、ヤヤは落ち込んでしまう。
「……ボクは、ヤヤがどんな人生を歩んできたのか。どんな辛い目にあってきたのかは知らない。だから、軽々しくそんな事が無いとは言えない」
落ち込むヤヤに、フランは慰めの言葉はかけない。
だが、彼女はヤヤから貰った灰色と青色が混じったミサンガを、首に巻き付けたそれを金属の手で撫でる。
「でもボクは知っている。ヤヤが優しい事を、困ってる人の為に行動できる事を、人の痛みを悲しめる事を。それで、どれだけ辛い目にあっても立ち上がれるだけの強さがある事を知っている」
慰める事は出来ないが、想いを伝える事は出来る。
フランがヤヤにして貰った事は、言葉にしてしまえば、傍から見れば大したことではないだろう。だけど、フランにとっては何よりも価値のある物なのだ。
「だから大丈夫」
たった一言。
何が大丈夫なのかもわからないが、その言葉を掛けられたヤヤは衝撃を受けた様に尻尾と耳を逆立たせた。
無意識の内に背筋が伸び、言いようのない気持ちが胸の奥から湧き上がる。
はぁ、ふぅ。と浮足立つ気持ちを落ち着かせるように深呼吸して、フランと同じように正面を見据えた。
「えへへ、何が大丈夫なのか全然分かんないデス……でも、気持ちは伝わったデス、ありがとデス」
にへらと笑ってしまう。敵が迫ってるというのに、ヤヤはその事を忘れてしまっているようだった。
それ位、気の抜けた笑い顔をしている。
そんなヤヤの尻尾をフランの、冷えた義手が握られる。
「ぴゃっ!?」
「おしゃべりはおしまい。戦うよ」
「デス!」
正面で、ガーゴイル型のゴーレムを押し留めていてくれた瓦礫のバリケードが決壊の兆しを見せる。
ほっぺたを軽く叩いて、ヤヤは気を引き締めなおして矢を番える。
フランも、【賢者の石】と呼ばれる赤い右目と魔道ブラスターを起動して備える。
二人とも、自然体でそこに立っている。
「【賢者の石】及び魔道ブラスター起動。同調開始。接続状況不安定、制限設定80パーセント。ボクが殲滅する、ヤヤは敵の妨害を優先して欲しい」
「すー、ふー。分かったデス、任せてほしいデス!」
瓦礫の隙間から、ガーゴイル達の腕が地獄の亡者の如くあふれ出る。瓦礫のバリケードが壊れるまで秒読み、後ろは瓦礫に塞がれている。
どうするのかと思ったヤヤの横で、フランは右腕を突き出して腰を落として構える。
「ヤヤ、危ないからボクの後ろに」
「何するつもりデスか!?」
「ぶっとばす」
フランの右目が、赤く煌めきだす。それは【賢者の石】が魔力をフランの魔道ブラスターに供給している証拠。
そしてそれに伴い、溢れる程の魔力がフランの右腕に供給され掌の銃口に光が収束する。
何をするつもりなのか察したヤヤは、フランの背中に隠れる。
「消し飛べ」
極光が、瓦礫を溶解させる程の熱膨大な質量を以って眼前を薙ぎ払う。
一泊遅れて訪れた衝撃が突風を巻き起こして、ヤヤが後ろから押さえないと倒れてしまいそうな衝撃が襲い掛かる。
音すら置き去りにして振るわれた全力の一撃が、あれ程までに恐れた暴力の群れを一瞬にして塵すら残さずに消し飛ばした。
その威力たるや、嘗て街一つを簡単に崩壊させた黒龍のブレスにも匹敵する程。
「す、すっごいデス!!」
目を開けて広がる光景に、100近く居たガーゴイル達の大半を消し飛ばした威力にヤヤは興奮を覚えるが、フランが膝をついたのを見て慌てて顔色を変える。
「はぁっ、はぁっ……!」
「フランちゃん!? 大丈夫デスか!?」
「流石に、はぁっ。っ……大丈夫、まだ戦える。まだ敵は居る」
青白い肌が更に血の気を無くし、滝の様な汗を流して苦しそうに喘いでいる。
過剰な魔力を生み出す事の出来る【賢者の石】をもってしても、アイアスによって暴走上体を無理やり接続を断つ事で抑えられたフランは、不安定な状態で大技を使った事によるフィードバックで無視しかねるダメージを受けているのだ。
だがそれでもまだ全て倒したとは言い難く、新しいガーゴイル達がこちらへ向かってくるのを知覚して歯を食いしばって立ち上がった。
そんなフランの姿を見て、ヤヤは守る様に一歩前へ出る。
「今度はヤヤの番デス! バーストアロー!!」
ヤヤは矢を番え、風魔法を使い矢に螺旋の風を纏わせて放つ。
ヤヤにフランの様な火力は無い。無尽蔵の魔力だって無い。それでも、頑張って戦ってくれたフランの為になりたいと、ヤヤは頭で考えるよりも早く意思が最適解へ辿り着かせた。
姿勢を低く、地面を這うように矢を放つ。
普通に撃っては一体しか倒せない、だが足元を狙い、螺旋で多くのガーゴイルの足を削りながら風圧で態勢を崩せれば、それだけ時間稼ぎが出来る。
火力も魔力も無いヤヤが、瞬時に選ぶことの出来た最適解はまさに正しく、想像以上の効果を見せた。
「やった! 敵が詰まったデス!」
先頭のガーゴイル達の足を削りながら風圧で態勢を崩せば、それに躓いて後続も倒れる。そしてそれがドミノ倒しの様に連鎖し、面白い位に防波堤の役割を果たした。
しかしすぐさま更に後続のガーゴイル達は、仲間の壁を乗り越えて襲い掛かる。
直ぐにヤヤがまた同じように矢を放つも、学習したのか数体が転ぶ程度で効果は見られなくなった。
だがヤヤが稼いだ数秒は無駄にはならない。
「ありがとう、少し回復した」
息を整える事の出来たフランが、横にずれたヤヤの後ろから両手を構えた状態で姿を見せる。
両手に魔力を充填し、発射準備を整えた状態で迎え撃つ。出力を暴走しない限界まで抑え、しかし大挙するガーゴイルを一網打尽に出来る威力。慎重に狙いを定め、最も効果的で確実な場所を狙う。
突出したガーゴイルが目の前まで迫り、爪を振りかざしても微動だにしない。
信じているから。
「バーストアローデス!」
ヤヤの矢が、フランを攻撃しようとしたガーゴイルの頭を吹き飛ばす。
僅かに生まれた自分達と敵の間合い。この刹那の間合いこそ、フランが狙っていた物。
「ヤヤ!」
「がってんデス!」
明確な言葉は無い、しかし何をすべきかを理解したヤヤは矢を三本纏めて番えて見当違いの方向に打ち込む。
二本の矢は廊下の左右の端に、残り一本は天井に。ただの意味も無い行為に見えるが、ヤヤは上手く刺さった事に小さくガッツポーズを作って風魔法を起動した。
それと同時に、フランも限界まで魔力を貯めた両腕を解き放つ。
「新技デス! ウィンドミラー!!」
「弾幕一斉掃射!」
フランの両腕から、尋常ならざる量の光弾が豪雨の如く放たれる。一発一発がガーゴイルの身体に大量の風穴を開け、更にヤヤが放った三本の矢が風の壁を作り出しており、それに反射して四方八方からの弾幕の嵐の檻が眼前に出来上がる。
目の前の敵を殺す事しか知らないガーゴイル達は、視界を埋め尽くす光弾が跳ねまわる檻の中へ飛び込み瞬く間に土塊へと戻る。
後は運よく切り抜けて来たガーゴイルを丁寧に撃ち抜くだけ。
二人はもう増援は無い事を悟ると、笑い合って程よく肩の力を抜いた。
「やった! やったデスフランちゃん! 切り抜けられたデス!」
「はぁ、はぁ……うん。ヤヤの援護のお陰で、間に合った……っ」
「フランちゃんのお陰デス! ヤヤだけじゃ足止めも出来なかったデス」
喋る余裕が出来る位、ガーゴイルの数は目に見えて減っていく。漏れて抜けるのだって数体だ、狩りより簡単な残党処理にヤヤも期待に浮足立ちながら頭を狙い撃つ。
フランも青い顔で援護しようとするが、せめて休んで欲しいとヤヤに止められ
て腕を降ろした。
後はもう時間の問題だろう。これ以上ガーゴイルが来る様子は無く、今目の前のガーゴイルも暫くすれば全て倒しきれる。
だからヤヤも、フランですらも忘れてしまっていた。まだこの城に、一番ヤバい奴が居るのを。
それはけたたましい戦闘音に惹かれて、少しずつ近づいていたのを。
「っ……出力が不安定……ヤヤ、無理はしないで……」
「平気へっちゃらデス! ヤヤだってこれ位出来るデス!」
勝ちが見えて、意気揚々と矢を放つヤヤは完全に周囲の索敵を失念している。フランの代わりに残りの敵を倒す、倒さなくてはいけないという気持ちともう敵の増援は見えないという慢心がただ目の前の漏れ出て来た敵を倒す事だけに集中している。
普段のヤヤなら僅かな振動や音を聞き漏らす事は無かっただろう。ただ今は、目の前で光弾が跳ねまわる騒音が耳を潰し、ガーゴイル達が倒れる振動がその感覚を鈍らせた。
だから気づかない。
先に気づくことが出来たのは、息を整える事に尽力し控えていたフラン。
彼女は言いようのない不安を抱えていたから、足元から響く重たい足音に気づけた。
咄嗟に、自分でも何故そうしたのか理解できないまま、最後のガーゴイルの頭を打ちぬいて喜ぼうとしたヤヤの襟を掴み引き込む。
「これでっ最後デっ……!?」
「っ!!!」
「BURRRRRUUUUUUUUUUUUAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!」
ヤヤの身体を抱き込むように後ろへ飛び込んだ瞬間、ヤヤが今の今まで立っていた場所を突き破って二つ頭の醜悪な巨人が現れた。
大量の瓦礫が飛来し、弾幕のバリケードも何もかもをぶち壊して現れたそれは光弾が肉を抉っても気にした素振りすら無く穴から這い出つつ、倒れる二人へ濁った眼を見下ろす。
「なっ……! 何で……! こいつはヴィオレットさんが!」
「倒せなかったんだよ、それで戦闘音に惹かれて来たんだ」
「じゃあヴィオレットさんは!?」
「そんな事より、今はボク達の心配」
想定外過ぎる敵の登場に、ヤヤは恐れ戦き身体を震わせる。ヴィオレットは無事なのだろうか、果たして自分達だけでこの巨人をどうにか出来るのだろうか。
更に状況は悪く、巨人の開けた穴を伝って新しいガーゴイル達が這い出てくる。
その数は、音を聞いただけで分かる。今の今相手していた数に匹敵するほど。
勝利の盤面は、たった一体の化け物の登場で土台から覆された。
「ど、どうするデスかこんなの……勝てるわけ」
「っ……ガーゴイルが敵と見なしてる。今のうちに、態勢を立て直す」
唯一幸いな事と言えば、ガーゴイル達が巨人を敵と見なして蟻の様に群がって攻撃を加えている事。
だが当の巨人からすれば、ただ鬱陶しいと感じるだけなのか肉の鎧を軽く削がれるだけでダメージを受けた様子なんて欠片も無く距離を取ろうとするヤヤ達だけを狙いつけている。
不快な耳障りのうなり声を上げながら、肉の鎧を揺らして片手を振り上げたのを見てヤヤは咄嗟にフラン毎飛んで避ける。
だが巨大な体躯が生み出す衝撃は凄まじく、天井をぶち壊しながら床もろとも破壊して飛び散った瓦礫がヤヤの頭を直撃した。
ヤヤに抱きしめられて怪我一つ負わなかったフランが、腕の中で悲鳴を上げた。
「ヤヤ!」
「うぅ……大丈夫デス。かすり傷デス」
小さな瓦礫だった事が幸いして重傷こそ免れたが、頭から血を流し脳が揺れたのか意識が酩酊するヤヤはそれでも笑って立ち上がろうとするも、身体を起こした瞬間膝をついてしまう。
「あ、あれ?」
「脳が揺れてる、直ぐには立てない」
「大丈夫デス、ヤヤは、ヤヤはまだ戦えるデス」
弓を支えに何とか立ち上がろうとするも、その度に膝をついてどんどん顔色を悪くする。無理をして吐き気を催しているだけではなく、戦わなくてはいけないときに戦えないという気持ちが、ヤヤに焦りと不安を齎せた。
だがそんなヤヤの肩に、フランの手が置かれる。
見上げれば、静かに首を横に振った。
「少し休んでて、あいつはボクが倒す」
「そんな、無理デス……フランちゃんの顔色、死んじゃいそうデス」
本来ならヤヤが戦わなくちゃいけない。何故なら、フランの顔色は土気色を通り越して生気を失っているのだから。
それだけではなく、たった二度の魔道ブラスターの使用ですら身体に高負荷を及ぼす程な上、その影響で【賢者の石】が埋め込まれた右目の周辺は限界を示すかのように隆起した血管が広がっている。
それでも、覚束ない足取りでヤヤに背を向けるとフランは義手を構えた。
「だめデス! フランちゃん、ヤヤが! ヤヤが頑張るからそれ以上はだめデス!」
「違う、ヤヤは充分頑張った。これはボクの罪、ボクの責任。だから、ボクが倒す」
「フランちゃん! フランちゃん!」
必死で手を伸ばすが、立ち上がって欲しいと言う意思に応えてくれず這ってしまう。悲痛なヤヤの叫びを背に受けながら、フランの身体から今まで以上の魔力があふれ出た。
今まで暴走しない様にギリギリで抑えていた制限を、解いて構える。
「すー……【賢者の石】全制限解除、出力最大。同調安定率34%、安全装置解除及びバックファイア無効……魔道ブラスターに全魔力を充填」
「ダメ、フランちゃん。だめデス、ヤヤが……ヤヤが頑張るデス……だから、だから!!」
血涙が溢れ、過負荷によって熱された右目が顔を焼き、負荷に耐えきれなくなった身体が壊れだす。魔道ブラスターも耐えきれない程の魔力を濁流の様に流し込まれ、煙を吐き出す。
見て分かる、今からする事は確実にフランの命を賭けて行われる。命を削り、肉体の限界まで行使して、醜悪な二つ頭の巨人を殺そうとしている。
止めなければ、ヤヤだけが止められる。必死で止めようと地面を這って近づくヤヤは、フランの身体から発せられる熱に肌を焼かれて怯んでしまった。
「あっ!?」
「ヤヤ」
もしそこで怯まなければ、もしかしたら手が届いたかも知れない。だが怯んでしまったヤヤに、フランは静かに振り返ってほほ笑んだ。
血を流し、右目が焼け付きながらも穏やかに。感謝する様に。
その笑顔を向けられて、ヤヤは目を見開いて止まってしまう。あまりにも、余りにも美しいのに悲しすぎる笑顔だ。
何でそんな状況で笑ってしまうのか。
「フラ——」
「ありがとう」
ただそれだけを告げて、フランは正面を向いてしまった。
余りにも、余りにも呆気なく。最後の言葉として陳腐すぎる程に、フランらしくシンプルに。
伸ばした手が届く事は無く、フランは最後の引き金を引いてしまう。
「BURAAAAAAAAAAAAA!!!!!!」
「ボクの研究で生み出された怪物は、ボクが……殺す!!」
巨人が、身の危険を感じたのかのフランに向かって腕を振り下ろす。
フランが、限界までため込んだ魔力の全てを放った。
「フランちゃぁァァん!!」
視界全てを覆う閃光が、音を置き去りにした。
太陽すら超える熱が全てを消す。
命を賭けて放たれた攻撃は、神の一撃の如き神々しさと残酷なまでの無慈悲さを以って、人間らしく傲慢に月へと手を伸ばすように遥か空の彼方まで轟いた。
弱者を振るい落とす様に後から巻き起こった突風が、這うヤヤに襲い掛かり目を開ける事すら叶わせない。
巨人と人間の戦いは、果たして刹那の間に決着が着く。
しかしながら、勝ったのはどちらか。人間の傲慢さが齎した化け物か、決死の覚悟を籠めた少女か。
「…………うぅ。どう、なったデス?」
不気味なくらいの静寂が訪れる。
鳥の鳴き声も、木々のざわめきも、風の呼び声も無い。
ただ恐ろしいほどの静寂の中で、ただ一人ヤヤの荒い吐息が響く。
土埃の所為で視界が悪く、フランの姿も巨人の姿も無い。ヤヤは弓を杖に立ち上がって探す。
勝てたのか、負けたのか。勝てても、無事なのか。ただそれだけを確認するために、心臓を握り潰されてしまいそうな不安だけに急き立てられてただ前へ進む。
「っ……」
「フランちゃん!」
土埃の中で、身じろぐ人影を見つけた。慌てて駆けよれば、虫の息のフランが倒れている。
両手の義手は完全に壊れ、唯一の生身である胴体と顔からは目を背けたくなるほどに血だらけで傷だらけ。
最もひどいのは右目の周辺か。ただの目ではなく、【賢者の石】が埋め込まれた右目はその影響で酷く焼け爛れている。
今すぐに適切な治療を施した所で、果たして命を繋げられるのかも怪しい程の危篤状態。
それでも、生きていた事にほっと胸を撫で下ろした。
「? 今何か音が」
「————」
だがそれもつかの間、瓦礫が転げ落ちる小さな音を大きな狼耳が捉えた。
もしかしたらガーゴイルの残党が残っているのかも知れない、ヤヤは弓を手に警戒する。
険しく目を細め、土ぼこりで一寸先すら分からない中で最大限に、土欠片一つフランに触れさせないという意思で矢を番える。
一つの静かな風が土埃を払う。徐々に視界が晴れ、天井から差し込んだ月明りが全てを明るみに晒す。
しかし待てど暮らせど何かが来る様子は無い。その代わり、何かが蠢く影が見えた。
「……ありえない、デス……」
うじゅると不快な音を耳が捉えた。肉が蠢く音だ。ガーゴイル型のゴーレム達には持つはずも無い、肉の音。
それを持つのは、この場において二人と一体しかない。
それはあり得ない筈。
「BUuuuuu……」
「何で、何で生きてるデス!!!!」
醜悪な二つ頭の巨人が、胴体を全て吹き飛ばされて散り散りになった肉が集まっていく。元の形に戻ろうと言うように、それぞれが自らの意思を持つ様に一つ、また一つと集まっていく。
決死の一撃を放ったフランの全てを嘲笑うかのように、少しずつ巨人の身体が元に戻っていく。
それを見て感じたのか、恐怖ではなかった。
「ふざけるなデス……!」
歯を噛みしめて鈍い音を鳴らす。
弓が折れそうな程、拳に力が籠る。
どれほどの覚悟を以ってフランが戦ったと思っている。死ぬと分かって、苦痛に溺れると分かっていて覚悟を決めたのだ。
その覚悟を、自我も無い化け物が嘲笑っていいものではない。生き汚く足掻いて良い物ではない。
「さっさと!!!! 死ぬデェェス!!!!」
未だ嘗てないほどの怒りを込めて、ヤヤは吠えた。




