ハリウッドなら却下される動機
魔王城の地下区画。昇降機のスペースを使って落下し、エロメロイは猫の様にしなやかに着地した。
「っし、とりあえずお出迎えは無しっしょ」
ナターシャとヤヤ達は上へ向かい魔王の遺体の回収へ向かった。ヴィオレットは城の中央部で醜悪な二つ頭の巨人の足止めをしてくれた、それぞれが別れた中でエロメロイは地下へ向かい魔王城の制御を奪おうとする敵の排除へと望んでいる。
慎重に気配を殺しながら、待ち伏せや敵がいない事を確認し周囲を警戒しながら勝手知ったるという足取りで暗闇の中を進む。
地下だから月明りは届かないし、証明一つない。それでも夜目の利くエロメロイは特に問題なく進めた。
「っ!?」
だが突然、視界が真っ白に染まる。それは突然出迎える様に照明がついたからだ、眩しくて目を塞ぐエロメロイは、敵が既に動力部に辿りついたのだと悟り舌打ちする。
警戒は最大限に、それでも早歩きで先を急ぐ。
そんなエロメロイに気づいたのか、機械的な音が響く。
『やぁ、君は悪魔で合ってますか?』
「場内音声か。そういうお前は何もんっしょ! あ? 人様の家で勝手に遊ぶなって親に教わんなかったか?」
『残念ながら親から何かを教わった記憶は無い物で。少し話し相手になって頂けませんか?』
進む足は止めず、相手が魔王城の施設を使えるくらい魔道歴の遺物に詳しい相手なのかと顔を顰めながら、機械音声の人物の姿が鮮明に浮かぶ。
学者風の真面目腐った顔の眼鏡だろうな、と。実際それは当たりで、今動力部で魔王城の制御を奪おうとデバイスを操作しているのは、白衣を着た眼鏡の男。オルランドなのだから。
動力部。巨大な魔力炉心を前に、オルランドは淡く光るキーボードを忙しなく叩いている。魔王城はそれそのものが魔道歴の遺物であり、現代では解明すら難しい超文明の遺産なのだ。
だけどオルランドの知識には魔道歴の遺物についても多岐にわたって蓄積されており、魔王城の複雑な装置を前にしても、天才的な頭脳で以ってその制御を奪うべく半透明なモニターに羅列される言語を全て眼球が追う。
キーボードを叩く手を止めず、時折モニターに流れる権限要求や防衛機構を突破しながらも雑談交じりに喋る余裕はある様子。
「魔王城の制御を奪うのは一筋縄じゃ行かないっしょ、手伝ってやろうか?」
『それはありがたいですね。ですがこういうのは自分の力でやるのが楽しいもので、それよりも折角来て頂いたんです、おもてなしさせて貰いましょうか』
オルランドが何か操作したのだろう、至る所で駆動音が鳴り響きサイレンがなる。
赤いランプが光り、それが何を意味しているのか知っているエロメロイは素早く影を漆黒の鎌に変形させて戦闘態勢を取った。
赤いランプは城内侵入者を排除する為の、防衛装置が起動した合図だ。ぞろぞろと至る所からガーゴイル型のゴーレムが現れる。
後ろに下がろうにも、一本道の真ん中に居るエロメロイを挟み撃ちすべく背後からも現れた。
動力を入れられただけでなく、既に防衛機構にまで干渉出来ている様だ。これは急がないと制御を奪われるのも時間の問題だろう。
「人様の城に土足で踏み込んでよく言うっしょ」
『まぁそこは言葉の綾ですかね。それよりこれ位でやられる程弱くは無いでしょう? 僕は悪魔についてあまり知らないので教えて頂きたいのです』
暢気な通信を聞き流しながら、前後から迫るガーゴイル型のゴーレムを相手取る。
魔王城のゴーレムは単純な命令を予めプログラムされた、半自動的な人形だ。数パターンの戦闘動作と、魔王城の認識装置によって敵と判断された対象を殺す事だけを目的と作られた存在だ。
故に、単体としての戦闘力は高くない。だから一番エロメロイが注意しなければいけないのは、その物量で潰される事。
だから戦闘を最小限に、ゴーレムの隙間を縫って前へ進む。避けきれない相手だけは、素早く静かに切り伏せてまずはこの挟撃を避ける事を目標とした。
(とは言えど、動力部はゴーレムの数が一番多い。それは動力部へ向かえば向かう程っしょ、馬鹿正直は流石に無理くせぇ)
じわりと汗が滲み、息が上がる。
エロメロイの身体は万全とは言い難かった。アレックスとの戦いの所為で、エロメロイの身体は決して無視できないダメージを負っている。治療は施したとは言え、激しく動けば傷口が開いてしまう。
腹の辺りがじわりと生温かくなるのを感じながら、常に冷静にと自分に言い聞かせて針の様に細い突破口を探る。
『僕はですね、科学者なんですよ。ですが歴史学者でもあってですね、とりわけ魔道歴に関しては自分で言うのは小恥ずかしいのですが一家言ありまして』
(うっせぇ! お前の事とかどうでも良いっしょ! こちとらお前が魔王城起動した時点で予想はついてんだよ!)
オルランドの放送を無視したいが、地下中に響く音声は意識的に無視しても頭に入ってくる。
だがそれで集中が乱れる事は無い。彼もまた苛烈な戦争を生き残った戦士の一人なのだ、悲鳴や戦闘音で耳が潰れるような戦場に比べれば小鳥の囀りにも等しい。
ただひたすらに四方八方から迫るガーゴイルの攻撃を避けながら、避けきれないガーゴイルは叩き潰して先へ進む。
『その中でも特に好きなのが、魔界と悪魔の事なんですよね。だって面白くないですか? 神ですら偶像で、神の世界なんて存在してるか分からないのに、魔界や悪魔だなんて存在だけはある事が分かっているんですから、調べたくならない訳がありませんよ』
「俺らには! その! 感じは分かんねぇっしょ! 神や天使とか! 遠くの異国って感じだしな!」
息つく暇も瞬きをする余裕も無い乱戦の中で、このまま勝手に喋らせたら負けだという気持ちが湧立ち、今も暢気に椅子に座って魔王城を奪おうとする敵に返事する。
エロメロイから返事があったのが嬉しいのか、放送越しに聞こえる声がワントーン上がる。
『あぁ貴方方の世界では普通の事なんですね、羨ましいです。悪魔については文献も少ないので、是非お友達になりたいですね』
「ははっ! 格子越しなら歓迎っしょ!」
話しながら戦いつつ、気づけば何とか致命的な傷を負う事なくガーゴイルの壁を突破することに成功した。
突破した先にまだガーゴイルが居る。なんて最悪な展開は幸いなく、滝の様な汗を流して思わず膝をついた。乾燥しきって血走った眼を見開き、張り裂けそうな肺に必死で酸素を送る。
息を吸うだけで全身が痛い、気怠い身体と薄らと霞がかる視界を何とかすべく、限界まで深く息を吸い、そして肺の空気を全て吐く。
無理やり呼吸を整え、鎌を支えに立ち上がって背後から追いかけてくるガーゴイル達から逃げながら制御室へ向かって走りだした。
『悪魔とは何なのでしょうか? 見た目以外で人間と違う点はあるのでしょうか? ゴブリンやオークと言った生物は悪魔の子孫と言われていますが、果たしてそうなのでしょうか? 個人的見解としては、そういった種族の悪魔の子孫だと思っているのですが合っていますか』
「ご明察っしょ、魔界にはそういう種族はたくさんいるぜ。悪魔だって寿命以外人間と変わんねぇよ!」
全力で走りながらT字路の角を曲がったが、廊下の先から沢山のゴーレムが迫ってくるのを見て踵を返す。
反対を振り返ってもゴーレムが起動する音が響いて来る。
このままじゃまた挟まれる。素早く直ぐ傍の扉を蹴り開けて室内に入りカギを掛ける。壊してでも開けようというガーゴイル達の衝撃に、大した時間稼ぎにはならないだろうと、部屋の中を改めて口端を引いた。
(運がいい、武器庫か。なら何か使える物が残ってる筈っしょ)
散乱して、誇り被った部屋は嘗て武器庫として使われていた部屋だ。剣や鎧なんかが散乱している。
使える物が無いか、普通の武具には目もくれず奥の厳重な扉を開けて目的の物を探す。
余裕が出来たか、オルランドへ声を掛ける。
「お前らは何がしてぇの、戦争?」
『当たりです。僕らの主は戦争をしようとしていますね。高尚な志を持った女性ですよ』
「くっだらねぇ」
目的の物を見つけたのか、誇り被った布を被せたまま重たいそれをえっちらほっちら扉の前まで運ぶ。
不機嫌さありありと言った表情のまま、吐き捨てる。
「戦争なんてクソ以下の所業っしょ。何があってそんな事を考えたのか知らねぇけど、戦争しようなんて事考えた時点で手前が嫌いなクズと同類になるんだよ」
『流石戦争経験者、言葉の重みが違いますね』
戦争なんて軽蔑すべき物の最たる例だ。
高尚な理想を掲げて戦争をする奴は安全な所でふんぞり返って、血みどろの戦場で戦う奴は何のための戦争なのかも知らずにただ殺し合う。目を瞑れば鮮明に思い出せる。
恐怖を怒りで押し隠して戦う敵の強張った顔、血と臓物の不快な匂い、水も食料も尽きて仲間の身体を貪り自殺した仲間の姿、気づけばまた一人と形見すら残らず死んだ仲間達。
そして、残された人たちの絶望と怨嗟の姿。
その一つ一つ、全てを決して忘れる事は無い。忘れたくても忘れられない、最低最悪な記憶ばかり。
楽しかった思い出も、何が大切だったのかも気づけば塗りつぶされた。
『ではもし貴方が世界を変えようと思ったらどうしますか? 戦争以外で』
「ある訳ねぇっしょ、そんなもん。国一つ纏めるだけでも手一杯なのに、世界を変える? なに、そんなしょうも無い目的でこんな事してんの」
『残念ながら、女王陛下は本気でね』
エロメロイは、突破口になりうる兵器を弄りながらため息をついた。
似たようなお題目を掲げて、宣戦布告してきた魔族はたくさん見て来た。だがそのどれも、結局は自分の欲望の為にしか行動していなかった。
沢山殺したい、沢山犯したい、沢山奪いたい。そんな奴らを、エロメロイは暗殺してきた。数えきれないほどに、王の懐刀として。
だから鼻で笑う。その理想郷とやらの為に戦争する相手を。何も変わらない。
『素面で言っているんですよ、世界を変えるなんて妄言。おや? 悪魔さん……悪魔さんと言うのも可笑しいですね、自己紹介しましょうか。僕はオルランド。どうぞドクターオルランドとお呼びください』
「このタイミングで敵と自己紹介かよ。俺はエロメロイ、呼ばなくて良いぜ。どうせ後でぶちのめすっしょ」
暢気におしゃべりしているが、扉をこじ開けようとガーゴイルが叩く音が変わる。扉がもう限界の様だ、さながらホラー映画みたいに空いた隙間からガーゴイルの腕が滑り込んできた。
速く兵器を使えるようにしないとと、焦りながらも冷静に急ぐ。刻一刻と、扉の決壊が迫る。
そんな状況を知ってか知らずが、オルランドは軽快にキーボードを叩きながら暢気に宣言した。
『先に謝罪しておきますね、あと5分少々でここの制御は奪えそうです。ですので、止めたいならば急いだほうがよろしいですよ?』
「っち、秒で行ってやるよ!」
ガーゴイル達が扉を突破して、部屋へなだれ込んでくる。そのタイミングで、やっと危機回生の兵器の準備が終わった。
埃被った布をはぎ取り、300年前に放棄された兵器を構え、引き金を引いた。
「魔王様の玩具、有難く使わせてもらうっしょ」
キュイィィンという回転音と共に、六門の銃口から秒間10発の弾丸の嵐がガーゴイルの壁を木っ端微塵に破壊する。
薬莢の山が積り、瞬きする度に数えきれないほどのガーゴイル達はどんどん粉微塵と化す。
弾切れまで5秒。銃身が焼け切り、火薬の匂いが部屋に充満する。
ふぅっと一息つけば、部屋へなだれ込んだガーゴイルは漏れなく全てを蹂躙しきり向こうに見える壁は穴だらけ。
無用の長物になったガトリング砲を放り捨てて、脅威が去った事でエロメロイは駆けだした。
タイムリミットは約五分。一秒だって無駄には出来ない、だからエロメロイは最短距離を進む。
「まぁ自分たちの城ながら、このゴーレムの数は嫌気がさすっしょ。マジで当時の宰相様は顔も陰湿なら性格も陰湿かよ」
ついさっきかなりの量のガーゴイルを破壊したというのに、またしても見るだけで疲れてしまうような数のガーゴイル達が行く手を阻んでくる。
当時ここの防衛を担当した同僚に恨み言を言いつつ、漆黒の鎌を大きく構えて走った勢いのまま地面を滑った。
「っらァ!」
道を阻むガーゴイルを、横薙ぎの一閃で漏れなく叩き潰す。だが氷山の一角。壁は厚く険しい。更に奥から仲間の残骸を踏み越えて迫るガーゴイルへ、エロメロイは返す太刀でしなやかに、されど荒々しい動作で前へ進む。
大ぶりの攻撃で数を減らし、隙間が出来ればそこへ入り込む。戦闘は最小限にしつつ最大限の火力で突破する。
そうやって少しずつ前へ進んだ彼に、次なる試練が待ち構えた。
「はぁ、はぁ……全く、次から次へと」
『おや、そこまで辿り着いたんですね。素晴らしい、後はその実験体を超えたらもう直ぐですよ。頑張ってください』
制御室まであと少しと言う所なのに、最後の門番とでも言いたいのか今までの魔王城の防衛設備ではない、オルランドが持ち込んだ邪魔者が立ち塞がる。
「カ、ピ? ケカカ……ケ?」
カタカタと身体が揺れた、人の身体に無理やり獣の身体を混ぜ合わせたような気色悪い化け物。
頭と骨格は人間の物、しかし腕はクマの様に太く強靭、足はバッタの様に歪に変形している。死者特有の濁った眼がエロメロイを捉え、カチカチと狼の様な歯が打ち鳴る。
その化け物は、首を傾けたと思ったらニイッと醜悪に笑って地面を蹴った。バッタの脚力は地面を砕き目で追えない程の速度を生む。
「がぁっ!?」
「ケカカカ!!」
残像しか見えずとも、咄嗟に構えた鎌の柄で振り下ろされる爪を火花を上げて受け止める。
真正面から飛び込んで来たのと、隙なく警戒していたお陰で首へ迫る凶爪は防げた。しかし上から押し込もうとする力は途轍もなく、身体強化を施している筈のエロメロイの身体にどんどん押し込まれる。
「っなめんなぁ!」
筋が切れる音を立てながら、エロメロイは身体を捩じって攻撃を弾くとその回転を乗せた大上段の振りかぶりをお見舞いする。
しかし大きく隙を見せた筈の化け物は、信じられない反応速度で後ろへ大きく飛び退けて避けた。
スペルディア王国で見た鈍重な化け物とは比べ物にならない、野生の獣の様な勘と反射神経を持っている。
思わず、冷や汗が流れる。
『それ、凄いでしょう? 僕の最高傑作の一つなんですよ。人と魔獣を組み合わせたらどうなるのだろうってある日思いましてね? 試行錯誤の結果、人に魔獣を混ぜるのではなく、魔獣に人を混ぜたらどうなるだろうと思いまして、実験体の精神を魔獣に入れ替えたんですよ。なのでそれ、強いですよ』
「ゴミが」
純粋な子供の様に笑うオルランドも、目の前の醜悪な被害者も纏めて軽蔑する。どっちもクソだ、救いようがない。
嫌いな人間その物だ。自己中で、誰かを簡単に犠牲に出来る。
魔王はこの世界を綺麗だと言った、だが果たしてそうなのだろうか。魔界も、人の世界も綺麗な物は簡単に奪われる、踏みにじられる。世界は悪意に満ちている。
「10秒で片付ける」
彼の雰囲気が変わった。
糸目を開き、全ての感情を切り捨てる。
ただ静かに、自分と言う存在を闇に隠す。闇の中こそ彼の居場所であり、闇とは自分であると境界を曖昧にする。
漆黒の鎌が、エロメロイの身体を浸食し身体中に黒い線が走った。
『ほう……! ほうほう! 影ですか! 魔法ではない、だけど生物でもない? まさか概念が形を?』
「キカガ!」
興奮して上ずった声を出すオルランドに反し、化け物は本能的に危機を察知したのか静かに鎌を構えるエロメロイを止めようと地面を蹴った。
学習し、真正面からではなく周囲の壁を縦横無尽に蹴って軌道を読めなくしている。ボールが跳ねまわる様に、どんどん速度を増し何処からどのタイミングで来るのかを悟らせない。
それを前にしてもエロメロイはビクともせず、ただ静かに何かつぶやく。
「ヘルベリア。力、貸してくれ」
ヘルベリア。それはエロメロイが使う漆黒の鎌の名前だ。魔法を使うためのキーワードの様に呟くその言葉に、影が答えたのかその姿を変えた。
影の女。はっきりとそう見える程、闇が形作りくっきりと輪郭が浮かんだ。
影の女は愛しい人の頭を抱くように、エロメロイの身体を抱きしめる。
『っ!?』
「カガッ!」
モニター越しだというのに、その姿を見たオルランドは悲鳴を零しそうになった。ただ暗闇を恐れるのとは桁違い、遺伝子に組み込まれた最も原始的な恐怖が呼び起こされた。
決して抗えない、闇と言うモノの底知れない圧倒的恐怖。
そしてそれは化け物も感じ、今ここでこれを殺さないと自分は確実に死ぬ。獣の本能が強いからこそ、それを感じた。
薬物患者の様だった虚ろな顔は、生命を脅かされた恐怖に決死の表情をしながらエロメロイを殺すべく飛び込んだ。
目に留まらぬ速さだというのに、エロメロイにはその光景が酷く遅く見えた。
時間が引き延ばされているような、自分だけ時間に置き去りにされたような。そんな光景に、影の女が覗き込んでくる。
——良いの?
原始的な恐怖を呼び起こさせる程の威圧感を持つ姿なのに、聞こえない声は不思議と柔らかく感じる。
「あぁ、時間がねぇ。お手柔らかに頼む」
——分かったわ、愛しい人。
「はは……」
どろどろとした重たすぎる愛をひしひしと感じる言葉と共に、影の女はエロメロイの首に顔を埋める。吸血鬼が生き血を啜る様に、恋人がこれは自分の男だと印をつける様に。
ただし啜るのは魂で、つけるのは呪い。
「っぐ!」
身体から何かが削られる激痛と喪失感が襲う。噛みつかれた首が異常に熱い。だがエロメロイは戸惑わない。
それが、代償ありきの力。寿命を対価に授かる時間制限ありの力だ。
全身を影が犯す。血管を、神経を、筋肉を影が食い破り新しく作り直す。血反吐を吐きそうになりながら、影の女が漆黒の鎌に戻り今まで以上の力で握り大上段に構える。
「闇の悪魔、ヘルベリアの愛憎劇、序章。聖女の悲鳴」
静かだった。音一つない、一閃。いっそ美しさすら覚える静かな一閃は、振るわれた瞬間を捉えた時にはもう遅く、何が起こったのか分からない化け物は飛び込んだままエロメロイの傍を通り過ぎる。
その視界に地面が迫ったが最後、化け物の身体はこま微塵に内側からはじけ飛ぶ。
『な……一体何が……僕の最高傑作が!』
凄惨な死体を一瞥すらせず、戦慄くオルランドがいる制御室の扉を叩き壊す。
そこには予想通り、目を見開くオルランドが椅子から半ば腰を浮かせた状態で居た。
ちらりと半透明なモニターを見れば、間に合った様だ。漆黒の鎌を緩やかに構えながら、歩いて近づく。
だがオルランドは恐怖するどころか、逆に一歩近づいて目を血走らせながら漆黒の鎌を見つめる。
「その影か、その影が何か力を? 知りたい、途轍もなく知りたい! あぁ、解剖して全て調べたい!」
どうやら彼からすれば、殺されるかもと言う恐怖よりヘルベリアの方が気になるみたいだ。
真の髄まで研究者気質なオルランドを、エロメロイは冷めた目で見下ろす。
「冥途の土産に教えてやるっしょ」
「いえ、不要です」
「?」
鎌を狙いつける様に掲げて言ったオルランドへの、思わぬ返答に眉を潜めた。
オルランドは今まさに命の危機だというのに、至って冷静に眼鏡を直しながら興奮と余裕を同調させている。
その余裕が何処から湧いてるのかが分からない、だけどオルランドは明らかに非戦闘員だ。一目見て敵にすらならないと分かる。
だから何かしてきても大したことないだろうと、エロメロイは言いようのない不安を頭から切り離して魔王城の制御を取り戻すべく鎌を振り上げる。
「じゃあ死ね」
鎌が振りかざされても、最後までオルランドは余裕を崩さない。まるで、自分が死なないのが分かっているかのように。
振りかざした鎌が命を奪う直前、エロメロイは背後に気配を感じて咄嗟に鎌を振るう。
背後から迫った何かを、切り裂く感触を感じ正面を向いたエロメロイは目を見開いた。
「っ! 何でこいつが」
「キカガ」
何故か殺した筈の化け物が今目の前に立っている。
ちらりと足元を見れば、今まさに切り裂いた化け物の死体が転がっている。出口の向こうを見ても、夥しい血の跡と肉片は残っている。
つまり、化け物は一体だけではなかったのだ。
「人から答えを教えてもらう事程つまらないものはありませんから、貴方の手足をもいだ後、ゆっくり解剖するとします」
オルランドを守る様に、十体近くの化け物が立ちはだかっている。
何処に隠れていたのやら、ご丁寧に雁首揃えて。
ただでさえタイムリミットありの戦いだというのに、最悪の展開にエロメロイは舌打ちしたくなった。
「後1分と言った所でしょうか」
「上等だよ、化け物如き秒で潰してやる」
深い穴倉の中で、獣の咆哮が響き渡った。
魔王城の制御が完全に奪われるまで、あと一分。




