反撃の狼煙
更新が遅くなってすみません、納得のいく物が出来上がらず時間がかかってしまいました。
ただその分ストックは出来たので、ここからは毎日更新させていただきます。
今後ともわたママをよろしくお願いします!
ずしんずしん……と、醜悪な二つ頭の巨人が何かを探すようにさ迷っている。
その後ろ姿を、探されている紫髪のメイドが息を潜めて見送る。
「BURuuuuu……」
「はぁ、はぁ……行ったようですね」
先ほどまでヴィオレットが足止めしていた筈だが、そのヴィオレットは既に足止めの必要が無くなると何とか身を隠す事に成功した様だ。
こめかみから滴る血を拭い、一息ついたヴィオレットは鈍く痛む身体に鞭打って物陰から立ち上がると、巨人が去っていた方を注意しながら先へ進む。
「皆さんは無事に行けたでしょうか。いえ、今は自分の心配をした方が良さそうですね」
また襲われたら堪らないと慎重に気配を消しながら、ただでさえ足止めに体力も魔力も持っていかれた為、人形を偵察に使う魔力も惜しんで自分の目と耳を頼りにさらに上を目指して進む。
どうやら巨人以外に邪魔者は居ないのか、思いの外会敵する事は無くやや拍子抜けだと思いながらも上階へ向かう為の階段を駆け上がる。
音も無く、気配すら残さず闇の中を生きる狼の様に素早く階段を駆け上がれば、このまま何事も無くナターシャ達に合流できるのではと淡い希望が生まれる。
「あれ? お前ひとり?」
「っ!」
だがそう簡単には事は運ばず、頭上から響く男の声にヴィオレットは顔を上げるよりも先に目の前の廊下に飛び込んだ。
間一髪で飛び退くヴィオレットのメイド服の裾を、飛来した槍が引き裂く。その槍も声も覚えがある、壁を背にナイフを構えるヴィオレットは顔を顰める。
態々投げた槍を回収しに、その男は降りて来た。
「あー、他の奴らはやられたって訳じゃないだろうしなー。また仕事できねえって嫌味言われちまう」
「イライジャ。何処まで鬱陶しい男ですね」
「そうつれねー事言うなよ、本当は会いたかったんだろ?」
クリスティーヌの実兄でありながら、ある日突然姿を消した憎い男イライジャ。傭兵なんて身に堕ちて好き勝手して、その所為でクリスティーヌがどんな目にあったのかも気にしない最低な奴だ。
ヴィオレットは怒りに顔を歪ませて睨みつける。それでも一度の敗北の苦渋を晴らす機会に思わず恵まれたからか、口端が上がった。
「なぁ、クリスは居ねえの?」
「何ですか、お嬢様に懺悔でもしたくなりましたか? でしたら手足を千切って芋虫の様にお嬢様の前に膝まずかせてあげますよ」
「こわ。しかしそうか、あいつはいねぇのか、どうしたもんか」
なんて顎を撫でながらそっぽを向いたイライジャは、ノーモーションで心臓めがけて槍を放り投げる。片手一本で投げたとは到底思えない、空気を裂きながらの致命の投槍。
不意を突いた一撃だが、簡単にヴィオレットのナイフに弾かれて見事に足元に帰って来た。
良い反応速度だ、地面に刺さる槍を抜きながらイライジャは笑う。
「前より強くなってねぇか、なんかした?」
「さぁ、その空っぽの頭で考えればよろしいのでは?」
イライジャの腕に収まっていた槍が、カタカタと震え一人でにイライジャの顎を柄で穿つ。
槍を弾き返した瞬間、ヴィオレットは極細の糸を付けており、それを使って槍が一人でに持ち主を攻撃したかのように見せたのだ。
顎を突き上げられ、天を仰ぐイライジャに追撃を加えようとヴィオレットは腕を引き、今度は槍の穂先で貫こうとする。
だがそれは、イライジャが力強く槍を払ったことで糸が切れて阻止された。
「くははっ! やっぱ前よりつえぇな、今のはなかなかいい一撃だったぞ」
顎に命中したというのに、口から血を流すだけでダメージを負った様子は無い。高ぶって腹から笑うイライジャへ、それ以上その五月蠅い口を開くなと言いたげにヴィオレットはナイフを数本投げる。
「今度は何を見せてくれるんだァ!?」
隙を突いた訳でも無い投擲は簡単に弾かれた。しかし想定内とヴィオレットは冷静に唇を動かすと、それを起点に弾かれ空中を舞うナイフが一様に爆発する。
セシリアの手りゅう弾に劣らない爆発は、地面を揺らし土埃が舞う。その土埃の中で、イライジャのダメージは服が焦げただけ。
「なるほど、刀身を可燃石に加工して、爆発の術式の威力を高めた訳か」
また一つ面白いネタを見せてくれた事に笑い、鬱陶しいと槍を払って土埃を払う。
だが何処にもヴィオレットの姿は無く、眉を潜める。
(逃げたか? まぁ状況的に殺り合う理由は無い訳だが、にしてはあっさりしすぎだな)
戦闘狂らしく笑っていた姿に反し、彼の頭は常に冷静に状況を俯瞰している。
例えば今までの小手調べ、普通に考えるなら逃げる為の布石でろう。態々イライジャは余裕ぶって距離を詰めなかったのだから。ヴィオレットからすれば今ここで戦う理由は無く、イライジャとしても無視して先を進まれるのが一番手痛い。
だがもしそうならもっと早くにすれば良かった訳だし、少なくとも土埃に紛れてイライジャを足止めする手段を残しておくのがセオリーだ。
「さて、となると次は……」
顎を撫でた彼の天井が、突然崩壊し大小さまざまな瓦礫が降り注ぐ。
これもヴィオレットのトラップだろう、一瞥することなく蠅を払うように槍で瓦礫を打ち壊して回避する。
これで終わりだろうか。
「ま、そうなるわな」
降り注ぐ瓦礫に混じり、完全な死角からナイフが頸動脈を狙って振り下ろされるがそれすらも背中を向けたまま槍で受け止める。
肩越しに覗けば、紫の瞳が目の前にある。鍔迫り合う槍とナイフが火花を放つが、二の太刀は来ない。
「っち」
奇襲に失敗すると舌打ちを鳴らし、すぐさま飛び退いてまた姿を隠す。
これでヴィオレットが先へ行くという線は消えた。どうやら彼女は正面戦闘を避けて戦うつもりらしい。
怪我が治りきっていない故か、はたまたこれがヴィオレットの本来の戦い方なのか。どちらにしても、無視されている訳ではないという状況がイライジャにとっては充分。
「ほらハンデだ! 俺は一歩も動かねぇからよ、存分に滾らせてくれよ! ヤリ合おうぜ!」
股間を膨らませながら、どこかに隠れているヴィオレットへ向かって吠えれば、返事の代わりに斧が飛んでくる。
尻へ向けて飛んできた斧は、これがお似合いだと言いたげだ。
斧を払い落し、そっちに居るのかと身体を向けたイライジャの背後に、ヴィオレットが現れ地面すれすれに身を低くしながらナイフを振り上げた。
今度は一気に急所を狙う一撃では無く、ナイフ特有の細やかさを活かした攻撃で腿、腹、腕と浅く素早く切りつける。
「っ! はぇな!」
反撃に振り向きざまに槍を払うが、空気を裂くだけで既にヴィオレットはまた飛び退いて闇の中に消えていった。
それからも闇の中から矢が飛んできたり、時には爆発ナイフや岩、それも一方向からだけでなく前後や左右など搦手を交えて何処からどれだけ来るのかに判断を裂かせてくる。
それは効果的な作戦だ。飛んでくる凶器は急所を狙い、しかも何処からどれだけ来るか分からない、しかし飛来物にだけ気を付けていては時折姿を現し直接攻撃してくるヴィオレットには対処できない。しかもそのヴィオレットがじわじわと失血死を狙うような細かい傷ばかりつけてくるのだ、相手にするには最悪で合理的な攻撃。
動かないと自らが口にした言葉を律義に守るイライジャは、ただ翻弄され流す血がまた一滴と増えていく。
普通なら、死ぬのは時間の問題だろう。
「そろそろ、前戯の時間はしまいだな」
相手がイライジャでなければ。
「正常位だぜ女ァ!!」
槍を構える。穂先を地面に、身体は低く狼が唸るような前傾姿勢。翠の目をギラつかせ、ニヤリと笑えば彼の纏う空気が一変した。
異常なプレッシャーが一帯を支配し、気圧されたのか警戒したのかヴィオレットの攻撃の手が止まる。その隙を見逃さない、慌てて飛んできたナイフや矢が迫るも厭わず、イライジャは深く息を吸った。
「オラァ!!」
空気が震える程の声量で吠え、地面を穿つ。
魔法を使った訳でも無く、ただ渾身の力で地面に槍を突き刺したのだ。
たったそれだけで、彼を起点に地面に罅が走り崩壊する。
「なんて馬鹿力!?」
闇に紛れていたヴィオレットが、崩れた地面に巻き込まれて姿を現す。そこに混ざるクロスボウや剣を持ったクマ人形も自由落下しており、それが四方八方から攻撃出来たネタだとバレる。
下の階層に無理やり移動させられたヴィオレットが立つのは、開けた場所だ。月明りが差し込み隠れられる場所が無い。素早く周囲の状況を理解したヴィオレットは舌打ちを鳴らす。
「さて、幸運にもお誂え向きのフィールドとなった訳だが、次はどんな手品を見せてくれるんだ?」
完全に状況を一変させたイライジャは、身体から流れる血を気にした素振りも無く、また動く気配も無く大仰に煽る。
隠れられる場所がない以上、ヴィオレットに今までの様な戦闘は出来ないだろう。ヴィオレットにとっては最悪の、イライジャにとっては最高のリングで二人は睨み合う。
「……仕方ありませんか」
「お?」
ため息をついて、無事なクマ人形をスカートの中に仕舞いながらヴィオレットは腹を括る。
怒りつつも、冷静さを失わなかったヴィオレットが彼我の戦闘力を冷静に判断した上での、ヴィオレット本来の戦い方だったのだがそれがもう出来ないと分かれば直ぐに切り替える。
だがここからは、純粋な戦闘力だけが頼りの殴り合い。
回収できるだけのクマ人形を回収し終えたヴィオレットは、柄に分銅が着いたナイフを手に歩いて近づく。
「大変不本意です。一度負けたのも、持久戦に持ち込もうとして失敗したのも」
【傀儡魔法】によって生み出した魔力の糸を身体に纏わせ、更に自分の神経や筋肉に浸食させて肉体の限界を引き出す。
万全な状態ではない、右腕は神経が千切れ掛け全身の筋肉も悲鳴を上げている。多少治癒魔法で回復したとはいえ、更に身体に負担を掛けたこれにヴィオレットの身体は悲鳴を上げて目鼻から血が垂れる。
それでも、イライジャと正面戦闘するというならこれだけの無茶は必要だと臆さない。
「おいおい飛ばすねぇ、何もしなくても死ぬんじゃねぇか?」
「ご心配なく、余計な人形の制御が無いお陰か今までで一番調子は良いですから」
その言葉を証明する様に、涼しい顔で血を拭う。まるで暢気に散歩でもしているのかと思ってしまう程、歩いてくるヴィオレットの気配は穏やかだ。
それが、イライジャには不気味に感じさせた。
(なんだ? 気配が変わりやがった、さっきまでのピりつく殺気が消えた。何も感じねぇ、気持ちわりぃ)
上階で戦っていた時は、まだ殺そうという明確な殺気を放っていた。上手く隠してはいたが、ナイフが肌を切る度に気持ちいいと感じられたのだ。
だが今はどうだ、何も感じない。
それは存在感が薄いとか、気配の隠し方が上手いとかそういう次元の話ではない。目の前に居るのに、居ないと錯覚してしまう程に何も感じないのだ。
普通、人はそこに居るだけで何らかの気配を出すものだ。息をすればそこに居ると分かるし、歩けば空気の揺らぎが起こる。
だがどうだろうか、確かに息をして衣擦れているというのに、何も感じられない。
静寂。
今のヴィオレットは、その言葉が当てはまる程にその姿が朧気だった。
「……不思議な気分です。今まで、お嬢様の目となり耳となる為に数えきれないほどの人形を国中に忍ばせていましたが、その枷が無いだけで身体が軽い。死ぬほど身体は痛いですが」
そこにイライジャが居ないかのように穏やかに喋る。流れる血が、程よく頭から血を抜いたからか。怒りも痛みも感じていないかのように静かに、穏やかに居る。
一歩一歩、構えも無く歩いてくる姿は隙だらけだ。だが不思議と、イライジャは手を出せないでいた。
その姿が、一挙手一投足をつぶさに警戒していた筈なのにまるで霧に包まれたかのように消えた。
「っ!?」
ガキイィィン……という音と火花がイライジャのうなじ辺りで走る。
何処から来るか分かった訳ではない。ただ全身の毛が逆立つ危機感と、傭兵として培ってきた経験が無意識にイライジャの身体を動かし、死角から迫ったナイフを間一髪で防げた。
何故反応出来たのか自分でも理解しきれず、目を見開いたまま背後へ視線を向けようとしたイライジャの腹に横薙ぎの蹴りが叩き込まれる。
「っげはっ!?」
受け身を取ることも叶わず、イライジャの身体が閉じた扉ごと吹き飛びほこり塗れの客室だろうか、放置されていた見事にソファの上に納まる。
一拍置いて泥の様な血がイライジャの口からあふれ出る。
蹴り飛ばしたヴィオレットが、吹き飛んだ扉を踏み越えて客間に踏み入る。
「スラムで子供が生き残る方法を知っていますか」
「……かはっ!?」
(やべぇ、一瞬意識飛んでた! なんだあの速度、動いた瞬間を捉えられなかったぞ!?)
コツコツと穏やかに距離を詰めるヴィオレットに、血反吐を吐きながらイライジャは槍を支えに立ち上がって隙なく槍を構える。
先ほどまで余裕ぶっていた表情は無く、突然の変貌への驚きに満ちている。しかし本能の部分が予想外の強さに興奮しているのか、知らず口角が上がり痛い位勃起していた。
「息を殺し、相手が無意識に見せる隙を虎視眈々と狙う。息をするのも忘れてしまう程に気配を消さなければ、殺されるのは自分ですし、確実な隙を突けなければ盗みに失敗して殺されます。そんな風にしなければ生きていけない世界が世の中にはあるんですよ」
(また消えた! 次はどこから来る……!)
そんな風に春の風の様に穏やかに独り言ちながら、またしても瞬きをした瞬間に気配一つ残さず姿が消える。
一切の油断なく見ていた筈だ、瞬きだって意識的に左右の目をずらして目を離さないようにした筈なのにやはりイライジャは動いた瞬間を捉えられなかった。
「ッ! そこかァ!」
だが今度は攻撃が繰り出される空気の揺れを、肌で感じられた。反射的に背後へ向かって槍を払うが、槍に当たったのはヴィオレットが持っていたナイフだけ。
投げた筈ではない、イライジャは確かにナイフが振り払われた気配を感じたのだ。だからナイフごと腕を切り飛ばそうとしたのに、そのヴィオレットの姿が無い。
「っ! 下か!」
「遅いんだよクソ野郎」
否、頬が地面に着きそうな程すれすれに身を低くしたヴィオレットが、拳を振り上げたのに気付いたのはもう手遅れなタイミングだった。
渾身のアッパーカットがイライジャの頬を穿った。骨が折れる音が軽快に響き衝撃に後ずさる。
咄嗟に距離を取ろうとしたイライジャの腕が、ヴィオレットに掴み抑えられた。
「逃がさねぇよォ!!」
スラム訛りの下品な口調で吠えながら、先ほどまでの静謐な気配とは一転して荒れ狂う怒気と殺気を籠めて右手一本のラッシュを掛けた。
殴る。
目にも止まらぬ速さで殴る。
殴って殴る。
一撃一撃が骨に響く重さで、顔をガードされればガラ空きのボディに響かせる。
殴って殴って殴りまくる。
自分の腕が負荷に耐えられずに血を噴き出して、腕が変な方向に曲がれば今度は足を使おう。
「これで……!?」
血に塗れたイライジャが天を仰ぐのを見て、トドメだと蹴り飛ばそうとしたその足がイライジャの手によって骨が軋むほど掴まれる。
何処にそんな力が残ってるんだと目を見開いたヴィオレットに、真っ赤に血濡れた顔面に満面の笑みを浮かべてイライジャが仰け反った身体を鼻がぶつかりそうな程近づけた。
片目がはれ上がって潰れ、骨が折れて血だらけなのにその翠の瞳は爛々と輝いている。
「お前良いな、イイ。最高にイイ女だ!」
「っさいなぁ、さっさと死ねばいいのに」
普通なら死んでいる程殴ったのに、顔が変形する程殴ったのにまだまだ元気有り余る様子で、骨が軋むほどヴィオレットの足を掴む。
振り払おうとするヴィオレットだが、出血の所為か無理やり身体を動かしている影響か彼女の目が霞かかった。
その致命的な隙を突き、イライジャは掴んだ足を振りかぶって壁に放り投げた。壁を突き破って隣の客室に吹き飛ばされたヴィオレットは、埃こそ被っているが上等なベットに身体が沈む。
「か……はっ!」
ベットのお陰で多少衝撃は緩和されたが、それでも苦し気に身体を起こそうとするだけで起き上がる事が出来ない。
腕を立てようにも右腕はひしゃげていて、神経に通した魔力の糸で自分の身体を操って疑似的にリミッターを外した戦いをしているヴィオレットの身体はもう限界なんてとうに超えている。
起き上がる事すら難しいヴィオレットを追って、イライジャがふらつきながらも姿を現した。
「お? 誘ってるのか? 良いぜ、三回戦はベットの上としけこもうか」
「だ、れが……! 一人で、マス……かいてろ!」
お互い酷い姿だ。
イライジャは顔面が変形する位血まみれで、良く生きているなと感心してしまう。
ヴィオレットも肉体の限界を超えた戦い方をした所為で、穴という穴から粘性の血が垂れて右腕はひしゃげている。こっちも、死んでも可笑しくない容態だ。
お互いフラフラなのに戦いを止めようだなんて欠片も思わず、どちらかが死ぬまで絶対に終わらないのだと言葉なく語る。
「ふーっ! ふーっ! マ、マリオネットロマンス!!」
上体を起こすので精いっぱいの身体に、更に無理を強いて立ち上がる。ズタボロの神経や筋繊維を魔力の糸で補強し、視界が霞めば唇を噛み切って意識を保たせる。
まともに動くのは左腕一本。それも震えて握りこむことも出来ない。だからメイド服の裾を千切ると、ナイフを左手に縛り付けて構える。
真っ白な太ももの付け根が覗けるくらい深いスリットの入ったメイド服を気にする余裕も無く、ヴィオレットはまだ終わらないと意思を保つ。
「く、くははっ! そうだ! もっとヤリ合おうぜ! もっと滾らせてくれ!」
対するイライジャも、今にも倒れそうな夥しい出血の所為で顔色は最悪だ。無事な所を探す方が難しいほど全身殴打痕が酷く、足元もふらついている。
だけど彼は軍用のを更に改造したドーピング剤を首に打ち込み、目を血走らせながら歓喜に吠える。
楽しい、もっとやりたいとただそれだけが彼を支配しているのが一目で分かるほどだ。
互いに、歩くだけでも精いっぱいと言うように一歩一歩地面を踏みしめながら、ふらふらと距離を縮めて、間合いを詰める。
「オらァ!」
先に動いたのは、当然間合いの長い槍を持つイライジャ。まるで斧でも振りかざすの様な豪快さと、それでいてナイフの様な俊敏さで迫る。
「ふっ!」
迫る槍を、ヴィオレットは浅く息を吐いて寸でで躱す。自分の心臓の音しか聞こえない、視界も気を強く保たなければ霞んでしまう。全身が悲鳴を上げているのは理解している、だからこそ最小限の動きで避け、自分の間合いに入るべく血が噴き出す足を前へ出した。
「これならどうだァ!?」
決して折れる事無く進むヴィオレットへ、今度は三方向から同時に槍が振るわれる。一振りしたようにしか見えない、だが神速で振るわれた槍は同時に三振りと言う人外の技となった。
首、胴、足を狙って振るわれる攻撃を避けるには後ろへ下がればいい。だがその後が無い、後ろへ下がればまた前へ進むことが難しくなる所かされるがままになる。
だからこそ、勝機を逃さぬために躊躇いは無かった。
「はは! 止めるか! これを!」
「ふっ、ぎ!」
ひしゃげた腕で受け止めてまずは速度を落とす、右腕が千切れ掛けても気にしない。左手のナイフで軌道を僅かに逸らして、最後に足への槍は構わず受け止める。
足に突き刺さった槍を、引き抜かせないように筋肉で締め付ける。咄嗟に引き抜くか手を放すかで躊躇ったイライジャの隙を突いて足に刺さった槍をそのままに更に前へ。
前へ出たその勢いを殺さないまま、槍を離したイライジャへナイフを振りかざした。
「っぐ、ああぁァ“ァ”!!!」
入った。イライジャの防御は間に合わないタイミングでの一撃だ、このままナイフを振り下ろすだけで頸動脈を断ち切れる。
あと少し、あとほんの少し力を籠めれば殺せる。一秒も要らない、瞬きも呼吸も忘れてただ左腕一本に全神経を集中させた。
だから気づくのが遅れた。
彼が笑っている事に。
「残念だったな」
「!?」
何故か、ヴィオレットの身体がベットに叩きつけられていた。
何が起こったのか理解が及ばず、空っぽの肺から血と僅かな息が漏れてヴィオレットは痙攣する。
夢か? 幻覚でも見ていたのか? と脳が混乱する。だが全身が千切れるような痛みと足に刺さる槍が決して幻ではないと悟る。
(何が? 何が起こった? 確かにナイフで裂けた筈だ、後ほんの数センチで殺せたのに、何で私は天井を仰いでいる!?)
「げほっ……こひゅー、ひゅー……」
「理解できないって顔してるな」
声が聞こえる。だが顔を動かすことも、身体を起こすことも出来ない。ただ意識が途切れない様に歯を食いしばり、血が絡む肺に必死で酸素を送るヴィオレットにイライジャは称賛するような声を上げながら近づいた。
天井しかない視界にイライジャの顔が入り込み、ヴィオレットの目が驚愕に見開かれる。
傷が、変形する程に殴り壊した顔が何事も無かったかのように綺麗に戻っていた。
「種明かしをしてやるよ、俺の魔法はな? 【全てを反転させる】魔法なんだわ。まぁ俺を中心に両手位の間合いにしか効かないんだが」
「こふっ……ばけ、ものが……」
つまり、イライジャに与えたダメージも全てその魔法があれば無かったことに出来る。どれだけ懐に入り込まれても、重力や空気を反転させて弾き返すことが出来る。
だからあんなに余裕ぶっていたのかと納得しつつ、じゃあどうやって殺せば良いのかと絶望に染まった。
もう右腕は動かない、足も動かない、全身がボロボロ。辛うじて生きているだけのヴィオレットに、抵抗する力も無い。
「さて、勝者の褒美と行こうか?」
ジャケットを脱ぎ、ベルトを緩めながらイライジャはヴィオレットに覆いかぶさる。
それが何を意味するのか理解できない訳が無いヴィオレットは、必ず殺すと唇を噛み睨みつける。
泣き喚き、諦めるような弱さは無い。そんな折れない目に、舌なめずりしたイライジャの影が、一つに重なる。




