口付けの距離
お義兄様はとても背が高い。
わたくしはお義兄様の胸くらいまでしか身長が届かない。
十八歳の誕生日を過ぎてから、お義兄様はわたくしの額や頬に口付けをするようになっていた。
わたくしの十八歳の誕生日は、お義兄様の二十三歳の誕生日と共にお茶会で祝われた。
お茶会にはヴィクトル殿下と奥方の隣国の王女殿下、ダヴィド殿下と婚約者の令嬢が来てくださった。
ヴィクトル殿下はお義兄様の背中を叩いて、悪戯っぽく笑っていた。
「アデライド嬢が十八歳か。もうすぐ結婚だね」
「アデライドが学園を卒業したら結婚します」
「そうだよね。十八歳といえば、この国の成人年齢でもある。本当におめでたいね」
「何が仰りたいのですか、ヴィクトル殿下?」
「おめでたいねってことだよ」
含みがある様子で言ってくるヴィクトル殿下に、お義兄様は呆れたようにため息をついていた。
その夜、バルテルミー公爵家の王都の別邸で、部屋まで送ってくれたお義兄様が、わたくしを引き留めて、わたくしの前髪を上げて、額に口付けをしてくれた。
「おやすみ、アデリー」
「お休みなさい、お義兄様」
わたくしは多分、耳まで真っ赤だっただろう。
これまでも親愛の情を込めて額に口付けたり、頬に口付けたりしてくれることはあったが、今日のお義兄様の目は熱っぽかった。その熱に当てられたかのように、わたくしは体中が火照って、ドアを閉めるとその場に座り込んでしまった。
それから、お義兄様の態度が前よりも更に甘くなった気がする。
ずっとお義兄様は優しかったけれど、それ以上にわたくしに優しくしてくれる。
夏休みは両親と一緒にバルテルミー公爵家の領地に戻ったが、お義兄様はわたくしが馬車から降りてくるのに気付くと、玄関まで小走りで来てくれて、わたくしを抱き締めてくれた。
親愛の抱擁は何度も受けていたし、小さなころはお義兄様に抱き上げられることもよくあった。
けれど、力強いお義兄様の腕に抱き締められると、これまでとは全く違うような気がして、わたくしは心拍数が上がる。
わたくしを抱き締めるお義兄様を、両親は微笑みながら見守っていた。
領地経営をしているお義兄様は、王都の別邸にはあまり来られない。バルテルミー公爵家の領地で執務をなさっているのだ。
お茶会以来のお義兄様との再会にわたくしは胸を躍らせていたが、お義兄様もわたくしを待っていてくれていたようなのだ。
「アデリー、明日は休みにしてある。町に歌劇を見に行かないか?」
「歌劇ですか? 嬉しいです」
お義兄様は以前にもわたくしを歌劇に誘ってくれたことはあったが、そのときにはお義兄様と出かけるだけで胸がドキドキしてしまって、歌劇をゆっくりと見る余裕がなかった。
今のわたくしならば少しは落ち着いて見られるのではないだろうか。
喜んでいるとお義兄様がわたくしの耳に囁きかける。
「町のカフェでお茶をして、歌劇に行こう。ボックス席を予約してある」
「ボックス席をですか!?」
ボックス席とは劇場で一段高い場所に設けられた、仕切られた個室のような座席のことである。プライベートな空間で歌劇を楽しみたいときに使われることが多い。
前回歌劇に行ったときには、前方の席を予約してくれていたが、歌手の歌声がよく響いて素晴らしかった。今回はボックス席を予約してくれているというのだ。ますます楽しみだ。
夕食を終えてわたくしが部屋に戻ろうとすると、お義兄様はわたくしをエスコートして部屋まで送ってくれた。そこで、今日は頬に口付けしてくれる。
お義兄様からの口付けはいつも優しくて、胸が高鳴ってしまうのだが、わたくしは少し不満があった。
それは冒頭に戻る。
お義兄様の背が高すぎること。
わたくしがお返しに口付けをしようとしても、どれだけ背伸びをしてもお義兄様には届かないのだ。
「お義兄様、屈んでください」
「どうしたの、アデリー?」
「わ、わたくしも、く、くち、くちづけ……」
はっきり言ってしまうのが恥ずかしくて躊躇うわたくしに、お義兄様は悪戯っぽく微笑んでいる。
「口がどうしたの?」
「もう! お義兄様ったら!」
どうしてスマートにできないのだろう。
これも全部お義兄様の背が高すぎて、わたくしの背が低いのが悪いのだ。
その日はお休みなさいの口付けはわたくしからはできなかったが、いつかは必ずするとわたくしは気合を入れていた。
翌日は馬車で町まで出た。
お義兄様がカフェに寄ってくれて、わたくしは紅茶とケーキを注文する。お義兄様はコーヒーを注文していた。
ケーキは季節のフルーツのタルトで、今の時期は桃だった。艶々とした桃が乗ったタルトを食べて紅茶を飲むと、とても幸せな気分になる。
カフェで一休みしてから、わたくしとお義兄様は歌劇場に行った。
歌劇場のボックス席に通されて、ゆったりとした広さのそこで座って飲み物を楽しみながら歌劇を見られるのだという。
わたくしは成人していたが、お酒はあまり好まないので紅茶にしてもらうと、お義兄様もわたくしに合わせて紅茶を飲んでいた。
歌劇は幼い少女が、同じく幼い少女を毒牙にかける幼女趣味の変態貴族を断罪し、愛する義理の兄と結ばれるというストーリーだった。
「この話、なんだかわたくしと似ていますね」
「アデリーがモデルなんだよ」
「そうなのですか?」
「それで、アデリーに見せたかったんだ」
わたくしがオーギュストを断罪したことは歌劇になるくらい語り継がれているようだ。
クラリス嬢の件に関しては、クラリス嬢がセドリック殿と結婚して落ち着いているので、題材にはならなかったようだ。
歌劇が終わって礼をする歌手たちにわたくしは大きな拍手を送った。
その日はお義兄様がホテルに予約をしておいてくれて、ホテルのレストランで夕食も食べた。
夕食まで食べて帰ってきて、お義兄様はわたくしを部屋まで送ってくれた。
お義兄様がわたくしの前髪を持ち上げて、額に口付けをしてくれる。
わたくしはお義兄様の体が離れてしまう前に、必死でお義兄様のテールコートのジャケットを握っていた。
「お義兄様、屈んでください」
「アデリー、大胆だね?」
「お義兄様の背が高すぎるんですもの!」
文句を言うわたくしに、お義兄様は笑いながら屈んでくれた。
お義兄様の頬に口付けて、わたくしはお義兄様のテールコートのジャケットを放した。
「アデリー、早くわたしのものにしてしまいたい」
「お義兄様……」
「大好きだよ、アデリー。お休み」
「わたくしも大好きです、お義兄様。お休みなさい」
熱っぽく囁かれて、わたくしは部屋に入ると、なかなか今日は眠れない気がしていた。
この度は、「死に戻ったわたくしは、あのひとからお義兄様を奪ってみせます!」がコミカライズされました。
配信されております。
その記念にこのSSを書かせていただきました。
コミカライズの応援もよろしくお願いします。




