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第十話 接触



 階段を三階まで上り、二つ目の教室を過ぎたところで、目的地である化学実験準備室の前と着いた。

「少し待っていてくれるかい? すぐに鍵を開けるから」

 そう言って、真城先生は一旦に段ボール箱を廊下に置いたあと、白衣の内側から鍵の束を取り出した。

 そんな真城先生の後ろ姿を見ながら、奏翔は言われた通りに解錠されるのを待つ。

「よし。開いた。さあ、先に入って」

「はい。失礼します」

 そういえば、化学実験室に入ったことは何度もあるけれど、その隣の準備室に入るのは初めてだなと頭の片隅で考えつつ、奏翔は荷物を持ちながら入室した。

 中に入ってみると、イメージ通りというか、多種多様な薬瓶や試験管などといった実験に使用する器具が棚に陳列されていた。一番大きな物で顕微鏡も何台か並べられており、中にはなんの実験に使うのかもわからない物までいくつか置かれている。興味深くはあるが、下手に触らないほうがよさそうだ。

「それで先生、この荷物ってどこに置けばいいですか?」

「ひとまず、奥の窓際に置いてくれるかな?」

「窓際ですか?」

 言われて奥を見ると、確かに黒いカーテンの隙間から朝の陽光がこぼれていた。全体的に薄暗いというか、廊下側からしか明かりが漏れてこないせいもあって気付かなかった。

 ともあれ、足元に注意しつつ、指示通りに窓へと歩く。本当なら照明を点けてもらった方が助かるのだが、奏翔は手が塞がっているし、真城先生も廊下にある荷物を取りに行ったのか、天井にある蛍光灯が点く気配はない。

 まあ全然見えないわけでもないし、このままでもいいかと慎重に奥へと進む。

 そうして窓際へと来たところで、奏翔は抱えていた段ボール箱をゆっくり床に下した。

「ふう。先生、ここでよかったです──」

 か、と言い終わろうとして、突如として顔に霧状の白い気体を吹きかけられた。

 思わず「ぶはっ」と口に入った謎の気体を吐き出す奏翔ではあったが、いくらか体の中に入ってしまったのか、次第に体が重くなってきた。

「な、んだこれ……。ね、眠い……」

 唐突に襲ってきた強烈な眠気。昨日の寝不足が今になって祟ったのかという考えが頭を過ったが、いくらなんでもこんな急に眠気が来るわけがない。となると考えられる要員はただ一つ、今しがた、振り向きざまに突然顔面にかけられたスプレーしかない。

 そして、そのスプレーを持った人物は──

「少しの間だけ眠っていてもらうよ、音無君」

 意識が薄れていく中、眼前にいたその人物は──真城十輝は、今まで見たことのない邪悪な笑顔を浮かべてそう言った。




 物音がする。それもすぐ前方──瞼を閉じた向こうから。どうやら、先ほどまで眠っていたらしい。

 しかし、いつの間に眠ってしまったのだろう。確かこうなる前は、学校に行って真城先生の手伝いをしていたはず──

 と、そこまで考えたところで、奏翔はハッと覚醒した。

 そうだ。手伝い途中でいきなり薬品のような物を吹きかけられて、そのまま意識を落としてしまったのだ。

 そして、その薬品をかけてきた犯人は──

「おや、目が覚めたのかい?」

 犯人──真城十輝は、横になったまま奏翔を見下ろしながら、普段となにも変わらない温和な表情でそう訊ねてきた。

「真城先生! これは一体なんのつもりで……!?」

 すぐさま飛び起きようとして、腕と足を縛られていることに今さらながら気が付いた。

「ああ、逃げられても困るからね。縄で縛らせてもらったよ」

「くそ……っ」

 強引に身じろぎして体を起こそうにも、両腕を後ろ手に縛られているせいでうまく起き上がれない。縄も相当念入りに締めたのか、頑丈過ぎてまるで解けそうになかった。

「先生……。なんでいきなりこんなことを……?」

「あれ? ひょっとしてまだ知らないのかい? おかしいなあ。当事者の君なら、もうとっくに知っているものかと思っていたんだけれど」

「僕なら……?」

 なんのことかわからず、一瞬思考が停止する奏翔ではあったが、すぐに思い当たって言葉を返した。

「エリクシア……!」

「なんだ。やっぱり知っていたんじゃないか。まあでも、それもそうか。そんなとんでもない代物を体の中に埋め込んでおいて、なにも知らないはずがないよね」

 正確には昨日知ったばかりだが、ともあれ、これで先生が──いや、真城がエリクシアを狙っている暗殺者だということは、これではっきりした。

 しかし、その暗殺者がまさか奏翔の通う高校に……しかも教師として紛れて込んでいたとは。昨日接触を図ってきた《調律研究所》の人の話だと、国家権力にまで手が伸びている組織もあると聞いていたが、教育機関にもその影響が及んでいたのだろうか。

 なんにせよ、これは非常にまずい。幸い、口は塞がれていないことだし、大声を上げて助けを呼べばなんとかなるはず!

「無駄だよ」

 と、大声を上げようと口を開いたところで、不意に真城からそんなことを言われた。

「今、助けを呼ぼうとしたでしょ? でも残念。君は普段ここに来ないから知らないだろうけど、この時間帯はだれも実験室のそばなんて通らないんだよ。だから、大声で助けを呼ぶだけ無駄さ」

「けど、窓からなら──」

「閉じたままなのに? よしんば窓越しに声が響いたとしても、この校舎の裏手は林しかないから、だれにも聞こえやしないよ」

 そういえばそうだった。声させ出せれば、すぐに助けが来ると思っていたのに……!

「考えが甘かったね。ま、それでも助けを呼びたいと言うなら好きなだけ叫ぶといいよ。喉が嗄れるだけだろうけどね」

「けど、ひなたはどうするんです? 僕の帰りがあんまり遅いと、心配したひなたがここまで来るかもしれませんよ?」

「問題ないさ。そこまで時間をかける気はないから。とは言っても、少しの間だけ痛い思いをすることになるだろうけどね」

 こともなげに恐ろしい言葉を吐く真城に、奏翔は思わず身震いした。

 怖い。とてつもなく怖い。今にも泣き叫んでしまいそうなほどに。

 だが、怖がっているばかりではなにも事態は好転しない。このままでは悪戯に時間だけが過ぎているばかりだ。

 冷静になれ。思考を止めるな。この危機から逃れる術をひねり出せ。

 そうして、真城がブルーシートやビニール袋などを準備(あまり想像したくはないが、エリクシアを取り出すのに使う道具だろう)をしている間に、奏翔はふとある言葉を思い出していた。

『この時間帯はだれも実験室のそばなんて通らないんだよ』

 あの時、真城は確かにそう言った。だったら、人が通るようになるまで時間稼ぎをすればいいのでは? 

 正直言って、人が通るまで時間稼げる自信なんてないし、必ずしも人が通るという確証すらない。それ以前に、真城が奏翔の口を塞がないままでいる理由もない。

 だが、体を拘束されて身動きが取れない以上、どのみち口で時間を稼ぐしか方法はないのだ。望みは薄くても、そこに藁があるのなら縋りたい。

「ま、真城先生はどうしてエリクシアが僕の体の中にあるって気付いたんですか?」

 どうにか心を奮い立たせて、震える声でどうにか口を開いた奏翔に「この状況でまだ俺を『先生』って呼ぶとか、君も律儀だねえ」と真城は失笑しながら言葉を返した。

「ま、それはどうでもいいか。えっーと、俺がエリクシアの在り処に気付いた理由だったっけ? エリクシアが元々どこかの秘境にある遺跡から持ち出された物で、それがだれかの人体に埋め込まれたってところまでは知ってる?」

「ええ、まあ」

 どうにか話に乗ってくれたことに内心安堵しつつ、奏翔は首肯した。

「その話を上に──ああ、俺のいる組織の上司みたいなものなんだけれど、その上に聞かされた話の中で、エリクシアを埋め込まれた者の胸には、それとわかる手術痕があるとか言っていてね」

「手術痕……」

 思わず自分の胸に視線をやる奏翔。そういえば昨日無線機で会話した《調律研究所》の人も、胸の手術痕を危惧するような発言をしていたか。

「つまり真城先生は、僕の手術痕を見てエリクシアの所在に気付いたんですか? でもどうやって? 普段は服の下に隠れているのに……」

「この間、雨に濡れて学校に来たことがあったでしょ? ダメだよ。あんな見てくださいと言わんばかりにシャツを濡らしたら。シャツが透けて手術痕が丸見えだったよ?」

「あっ……」

 真城に指摘されて、奏翔は今頃になって自分の迂闊さを悔いた。

 いや、当時は自分の胸にエリクシアがあるなんて知らなかったし、どのみちどうすることもできなかったとは思うが、それでも過去の自分に怒りを感じずにはいられなかった。

「け、けど手術痕を見たのは、この高校に赴任してからのことですよね? それなのにどうしてここの教師になろうと思ったんですか?」

「自分からなろうしたわけじゃないし、教員免許も偽造なんだけどなあ」

 と犯罪行為をさらっと語りつつ、真城は依然として飄々とした口調でこう続けた。

「エリクシアの所有者がこの学校にいるって情報を前々からうちの組織が掴んでいたみたいでね、その確認のために俺が派遣されたってわけさ。ま、ここまでやれとは言われてないけど」

「えっ? じゃあ、どうしてこんなことを……」

「知的好奇心を満たすためさ」

 言いながら、真城は白衣の内側からメスのような刃物を取り出した。

「ち、知的好奇心……?」

「そ。知的好奇心。そもそも俺が君を監禁して拘束したのも、ただ単にエリクシアを取り出すためじゃないし。むしろ、エリクシアはそのままにしてもらわないと困るんだよね」

 予期せぬ言葉に、奏翔は「え……?」と当惑した。

 一体どういうことだろう。昨日得た情報では、確か《新世界創造連盟》はエリクシアを奪取するのが目的で、もう片方の敵対組織である《現人十字教団》は、エリクシアの破壊を目的していたはずだ。

 まだ真城がどっちの組織に属しているかは、今の話だけでは判断できないが、とにもかくにも、どうやら真城は組織の指示に反して独断で動いているようだ。ひょっとすると、昨日フェンスや軽トラックの事故も、真城が仕組んだものだったのかもしれない。

 でも、だとしたら、一体真城はなにが目的でこんな真似を──?

「俺さー、今はこうして化学の教師なんてやってるけど、別に適当に選んだ教科じゃなくて、個人的に好きな分野なんだよね。だから実験とか大好きなわけ。まあつまり……」

 言って、メスをくるりと指で回転させたあと、真城は口端を吊り上げてこう続けた。

「エリクシアがどれだけ伝承通りの力を持っているか、試してみたいってわけさ。たとえば、このメスで腹部を切開したらどうなるのか──とかね」

 と、おぞましいことをさも愉快げに語る真城に、奏翔は背筋を凍らせた。

「せ、切開って……!?」

「え? そこまで驚くようなこと? だってエリクシアって、どんな傷や病でも治すことができるんでしょ? 実際、君の心臓の病気だって、そのエリクシアの力で進行を食い止めているんだよね? だったら、どこまでなにができるのか、実験好きとしては試さないわけにはいかないよね~」

「──っ!?」

 そんな理由で、奏翔の腹を裂こうとしているのか? 麻酔もなしに……?

「い、嫌だ! やめてくれっ!」

「残念だけど、その頼みは聞けないなあ。こうして君をここまで誘い出せたわけだし」

「なっ! じゃあ、あの時僕に荷物を運ばせたのも……?」

「うん。先に言い出したのは笹野さんだけど、そうでなけりゃ俺の方から頼んでいたよ。唯一想定外だったのが、いつもよりだいぶ早い時間に登校してきたことかな? 決行するなら今日だと思って、早朝から色々準備はしていたけど、窓から音無君の姿が見えた時は本当に驚いたよ。おかげで慌てて荷物を運ぶ羽目になっちゃった」

 ギリギリ間に合ったからよかったけどねー、と子供のようなあどけない笑顔で言う真城に、奏翔はただ瞠若するしかなかった。

 てっきり、たまたま奏翔と二人きりになれたのを狙った場当たり的な犯行だと思っていたのに、まさか真城の計画の内だったとは。エリクシアを狙う組織がこんな身近に……それも奏翔が真実を知る前から暗躍していただけでも驚愕を禁じ得ないのに、品行方正を絵に描いたような真城が、こんな狂人だったなんて。

「おっと、ついつい長話しちゃった。さて、人が来る前にそろそろ始めようか」

 言って、真城は奏翔のシャツを掴んで強引に仰向けにさせ、メスを構えた。

 その刃先を、奏翔の腹部目掛けて。

「さあ、実験開始だ──!」

「ひっ──!?」



「真城先生、監禁は立派な犯罪ですよ~?」



 と。

 真城のメスが奏翔の腹部に突き刺さろうとしたその瞬間、そんなどこか能天気な声が、開くはずのない戸口から聞こえてきた。

「ていうか、余計な問題を起こさないでくれませんかねー。面倒事とかマジで勘弁してもらいたいんですけど~」

「よ、宵町先生……!?」

 唐突な闖入者──もとい宵町竜子の登場に、真城はぎょっと弾かれるように後ろを振り返った。

「ど、どうして宵町先生がここに……? いやそれ以前に、どうやってそこの鍵を日 ここの鍵は俺が持ったままのはずなのに……!」

「鍵? ああ、それならピッキングで普通に開けましたけれど?」

 なんて、実にあっけらかんとした口調で答える宵町先生に、真城はあっけに取られた表情で「ピ、ピッキング……?」と繰り返した。

「そ。ピッキング。所詮は学校内の施設ですからね~。校門や正門と違って簡単に開けられましたよ? まあ、いちいち道具を用意するはめになっちゃいましたけれど」

 言いながら、上着のチャックを開けて懐からピッキングの道具を見せる宵町先生。

「いやいや! 空き巣ならともかく、どうして宵町先生がそんな道具を持っているんですか!? ここ、学校ですよ!?」

「それはこっちにセリフですよ。メスなんて持って、うちのクラスの生徒になにをするつもりだったんですか~?」

「……っ。こ、このメスは──」

「先生! 宵町先生っ!」

 と、それまで突然の急展開に唖然としていた奏翔であったが、そばで口ごもる真城を見て、好機とばかりに大声で宵町先生を呼んだ。

「おう、音無。おはようさん」

「あ、はい。おはようございます……って呑気に挨拶している場合ですか!」

「なんだよー。たまには社会人らしくちゃんと挨拶しようと思ったのに~。出鼻を挫かれた気分だよ」

 やれやれ、と溜め息混じりに呟きつつ、宵町先生は戸にもたれて真城を直視した。

「ま、いいや。とりあえず、音無を解放してもらえます? できたら疲れるようなことはしたくないので」

「……まるで、解放しなかったら痛い目を見るとでも言いたげですね」

「あれ? そう言ったつもりなんだけど?」

「………………」

 平然と言い切った宵町先生に、両目を凄ませて押し黙る真城。そして屈めていた腰を上げて、臨戦態勢に入った。

「ありゃりゃ? もしかして私と闘う気満々? ええ~? 運動なんてしたくないのに~」

「ずいぶんと余裕ですね。先ほどのピッキングや、今になっても一切動揺を見せない態度からしてただ者ではないのは確かなようですが、逃げるなら今の内ですよ?」

「私もできたら帰って寝ていたいところなんですけど、これも仕事なんでね~」

「仕事? ああ、そういうことですか……」

 宵町先生の話を聞いてなにか得心するものでもあったのか、真城は一人納得したように頷いたあと、こう続けた。

「宵町先生もそっち側の人間でしたか。それも、どうやら我々と敵対関係にあるようだ」

 だったら──と言葉を途中で切ったあと、真城は驚くほどの俊敏さで一気に宵町先生との距離を詰めた。

「あなたには、ここで死んでもらい──!?」

 と、真城がメスを勢いよく振り下ろそうとした、その瞬間。



 真城の体が宙に浮いた。



 いや違う。正確には宵町先生が真城のメスを持った腕を取って、軽々と投げ飛ばした。

 そうして真城はまるで受け身も取れないまま「がはっ!?」と壁の柱に背中を強かに打ち付けたあと、そのまま頭から廊下へと落ちて、それっきりゼンマイが切れた人形のように動かなくなった。

 まさに一瞬の出来事。てっきり助けでも呼びに行ってくれるのかと思いきや、予想に反した宵町先生の華麗な身のこなしに、奏翔は茫然自失としていた。

「やれやれ。余計な体力を使わせやがって。ただでさえいつもより早い時間に起床したせいで頭が重いってのに」

 気怠そうに首を回す宵町先生に、奏翔は「えーっと」と空転する思考で必死に頭の中の言葉を拾い集めながら、どうにか問いを投げた。

「……よ、宵町先生? 本当に宵町先生なんですよね?」

「はあ? なに寝ぼけたこと言ってんだお前は。私は正真正銘の宵町竜子だっつーの」

「そ、それじゃあ、宵町先生って一体……?」

「何者なのかってか? あー、それはだなあ……」

 と、なにか懸念することでもあるのか、若干逡巡するように「う~ん」と腕を組んだあと、すぐに「まあいっか。今さら隠すようなもんでもないし」とあっさり態度を変えてこう続けた。

「私は【観察者ウォッチャー)】……つまり《人類審査委員会》の人間だ」




「──よし。こんなもんでいいだろ」

 そう言って、パンパンと手を払う宵町先生。その足元には、縄で拘束されて意識を失ったままでいる真城が転がっていた。

 ちなみにあの縄は先ほどまで奏翔を縛っていたのを、宵町先生がそのまま使い回した物なのだが、ついさっきまで自分もあんな状態だったのが信じられない気分だ。

「まったく、余計な手間をかけさせやがって。まあエリクシアを奪われずに済んだし、騒ぎになる前に鎮圧もできたから、結果オーライってやつか」

「あの、先生……?」

 と、それまで真城が縄で縛られていく過程を静観していた奏翔は、人通り事が済んだのを確認したのち、おずおずと挙手した。

「そろそろ、詳しい事情を聞かせてもらってもいいですか?」

「え~? 面倒くさいんだけど~」

「面倒くさがらないでください! 僕、もう少しで殺されるところだったんですよ!?」

 怒鳴る奏翔に、宵町先生は「しゃあねえな」と嘆息を吐いて、おもむろに口を開いた。

「まずは、なんで私がこの学校にいるのかって話をするとだな。音無、お前を観察すると同時に、エリクシア関連で無関係の人間を巻き込まないように対応するためだ」

「《人類審査委員会》……基本的には静観に徹するスタンスの組織でしたよね?」

「そうだ。さすがにそのあたりは、昨日の《調律研究所》からの連絡で知ってたか」

「えっ? なんで先生がそのことを? だれにも話していないはずなのに……」

「私らが所属している組織は、かなりの情報通だからなあ。それこそ暗号化された国家レベルの機密情報だって調べられるくらいの人材が揃ってんだよ。だてに【観察者】は名乗っていないってわけだな」

「なるほど……。ところでさっきからから口にしている【観察者】ってなんですか? いや、なんとなく《人類審査委員会》の人達のことを指しているんだろうなってのはわかるんですけれど」

「なんだ? あいつら、そこまで説明しなかったのか? まあ別段知らなくても困るようなことじゃねえけどさあ……」

 と、そこで言葉を切って煩わしそうに頭を掻いたあと、

「しゃあない。私はこっちの方が言いやすいから説明するけど、こっちの界隈で使っている簡単な俗称みたいなもんだ」

「簡単な俗称……ですか?」

「ああ。簡単って言ってもちゃんとそれぞれ理念に沿った意味があるんだぜ?


 たとえば《人類審査委員会》だと『人類が正しい未來へ辿れるかどうかを見定めるために、陰から調査し観察する』……だから【観察者】。


《世界創造連盟》は『新しい世界を創造するために、今のこの世界を徹底的に破壊する』……だから【破壊者ブレイカー】。


《現人十字教団》は『いずれ神の座に至る人類のために、その妨げとなりうる存在を抹消する』……だから【抹殺者スレイヤー】。


《調律研究所》は『平和を守るために、ありとあらゆる外敵から重要人物を護衛する』……だから【護衛者バウンサー】」

 だいたいこんなもんだな、と人通り説明し終えたあと、宵町先生は一休止入れるように呼気を吐いた。

「……【観察者】に【破壊者】に【抹殺者】に【護衛者】ですか。それで、真城は今回どれに当たるんですか?」

「こいつは【破壊者】だな。ま、こいつら自身は【破壊者】じゃなくて【創造者クリエイター】って自称しているみたいだけど」

「つまり『新世界創造連盟』側の人間だったってことですか……」

 どうりで言っていることがどれも狂気じみていたわけだ。

 【観察者】である宵町先生がこうして出張ってきたのも、相手が敵対組織であり危険対象でもある【破壊者】だったからなのだろう。

「で、私がいつからこの変態をマークしていたかって話をすると、少し前からだな。正確にはこいつの眼をなにげなしに見てからだけど」

「眼……ですか?」

「そ、眼」

 繰り返しながら、宵町先生は自身の眼を指差した。

「人間ってのは、興味のある対象には自然と瞳孔が開くようになってんだけど、こいつが音無を見た時だけ、異様に瞳孔が開いてたんだよ。それもある日に突然だぜ? これはなにかあるなって思うのが普通だろ?」

「いや、瞳孔の大きさなんて普段から気にしたことがないので、説明されてもよくわからないんですけど……」

 というか、眼科医でもない人間が、普段から他人の瞳孔を気にすること自体、まともでないと思う。

 そう考えると、宵町先生がどれだけ常軌を逸した人なのか、よくわかるエピソードではある。まあ普段から不良教師なので、ある意味いつも非常識な人間ではあるのだが。

「んで、それとなくこいつを見張ってたんだが、昨日あたりから様子がますます怪しくなってきたっていうか、なんか陰でこそこそしていたから、念のために早朝から学校に来て色々警戒していたんだよ。とは言っても、まさかお前がいつもより早く登校してくるとはさすがに思わなかったけどな。しかもまんまとこの変態に捕まるときたもんだ」

「この度は大変ご迷惑をおかけいたしまして……」

「まったくだ。ま、これも仕事の範疇だし、ちゃんと金が出る分だけマシだけどな。個人的には休みたかったところだけど。これだから社会人なんて嫌なんだちきしょう……」

 心底嫌そうに吐き捨てる宵町先生に、なんとも言えず当惑した表情を浮かべる奏翔。《人類審査委員会》が一体どういう労働環境なのかはわからないが、教職との二足の草鞋なわけだし、奏翔には推し量れない色々な苦労があるのだろう。社会人って大変だ。

「そういえば、真城って今後どうなるんですか?」

「うちの組織に連れていって、あとは事情聴取という名の拷問になるだろうな。聞きたいことが山ほどあるし」

「ご、拷問っすか……」

 自業自得とはいえ、少しぞっとするものがあった。

「ま、まあなんにせよ、これで昨日みたいな事故も心配せずに済むってわけですね」

「は? それは違うぞ。だってあれは別の──」

 と、そこまで言ったところで、宵町先生はしまったと言わんばかりに慌てて自分の口を手で塞いだ。

 だがもう遅い。この耳でしかと聞いてしまった。

「ど、どういう意味ですか先生」

 自分でも声が震えているのを自覚しながら、奏翔は顔面を蒼白にさせて宵町先生に詰め寄った。

「別って、昨日のあれは真城の仕業じゃないんですか? というか、宵町先生は昨日の犯人を知っているんですか? 答えてくださいよ先生!」

「わかったわかった。少し落ち着けっての」

 がなる奏翔をあしらうように手で振り払う宵町先生。

 そうして、聞こえよがしに深い溜め息をついたあと、

「口を滑らせた私が悪いから少しだけ詳細を話してやるけどさあ、本当は機密情報なんだからな? 私が【観察者】だったということはもちろん、機密を漏らしたことも周りには絶対に言うなよ?」

「言いませんよ。そもそも、こんなこと話せる人なんて身近にいませんし」

「あ、それもそうか」

 だったらひとまず安心だわー、と宵町先生はだらけた姿勢で表情を緩めた。どうやら教職だけでなく、本職も不真面目にやっているようだ。この社会不適合者め。

「つっても、さすがに名前や人相までは教えられないぞ? 私にだってプロとしての矜持はあるし、そうほいほいと機密事項をバラすほど甘ちゃんでもないしな。せいぜいちょっとヒントをやれる程度だ」

「それでも構いません。教えてください、昨日の事故の犯人の詳細を」

 真摯に言う奏翔に、宵町先生も根負けしたように肩を竦めて、口を開いた。


「昨日、事故を装ってお前を襲った犯人──それは【抹殺者】だ。しかも音無、お前の身近にいる女の子の中に犯人がいる」



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