第20話 杠、モーニングルーティン、連行
「良太、起きて……良太……」
遠くから声が聞こえてきて、俺ははっと飛び起きる。横には心配そうな表情をした亜麻色の髪の少女の姿があった。
「良太、大丈夫? なんかすごいうなされてたけど……」
「ひ、姫花かっ?」
「いやわたし、杠だけど……」
そう言われ、俺はやっと自分が夢を見ていたことに気づく。
体中が汗まみれで、布団までしっとりしていた。弱々しい朝日が、控えめに差し込んで俺の頬を照らしている。
なんだか、生気を感じさせない朝日だった。夢の続きにまだ寝転がっているような気持ちになる。
「良太……もしかして泣いてるの?」
そう言われ、杠は俺の目元にそっと手を伸ばそうとする。
だけど、俺は反射的に体を横に向けて、その手を拒む。自分で触れてみると、たしかに俺の瞳は濡れていた。
「驚かせてすまない……なんか、変な夢見てたみたい」
「そうだよね、すごく苦しそうだったから」
「でももう大丈夫。心配かけてすまない」
「わたしは平気だけど……ホントに大丈夫なんだよね?」
杠の問いかけに、俺は小さくうなずく。自分でも自信がないのか、顎がほとんど上下しなかった。
「……」
その間も、杠はじっと俺のことを見ている。心配、不安、恐怖……そう言った感情が色々ないまぜになり、でも聞くことができずに戸惑っている……そんな雰囲気だった。
姫花の夢を見た直後ということや、自分の心が現在進行形で無防備になっているような気がして、反射的に焦ってしまう。
「なんだよじっと見て」
「あ、いや」
「もう大丈夫なんだけど。それとも、まだなにかあるか?」
結果、そんな言葉が出る。口調が強くなるのを、抑えられない。
「言いたいことって言うか……」
すると、杠は明らかに遠慮した面持ちを浮かべたあと、
「その、今日、モーニングルーティンの撮影なんだけど、どうする?」
脳内から焦りや反発、羞恥、怒りと言った感情が一気に霧散した。急速に自分の思考が冷静になるのがわかる。
「あ、そっか。そうだったなすまない」
「いやわたしは全然いいんだけど。良太の体調が悪いなら延期でもいっかなって」
もともとこの日、俺たちはモーニングルーティン動画を撮影する予定だった。
モーニングルーティンは、文字通り、朝のルーティンを写したもの。YouTubeにおける鉄板企画のひとつで、多くの人気YouTuberが必ず一度は出している。その魅力は「ありのままの日常を見ることができる」とか「家の内部を見ることができる」ことなどだ。
しかし、女子小学生のモーニングルーティンというのは、日本ではまだほとんど存在しない。杠は妹ライクな容姿と、姉ライク、というかもはやお母さんライクな内面とのギャップが魅力的なので、ヒットする可能性があると考えていた。
……という理由で撮ろうと話しており、今日がその撮影日だったのだけど、夢のせいで、うっかり忘れてしまっていたらしい。
「……いや、撮ろう。動画撮らないと、YouTuberはYouTuberじゃないから」
「わかった。準備するね」
俺の言葉を待っていたかのようにそう言うと、杠は隣の部屋へと消えていく。
「はぁ……」
自然と、肩から力が抜けた。
ついさっきまで見ていた夢は、姫花が亡くなり、そして俺がカケルチャンネルから抜けることになった日の出来事だ。
兄弟にフォーカスを当てるイベントを直前にやっていたこともあり、俺がカケルチャンネルに出演しなくなると、ファンの人たちは不審に思い始め、ネット上でも不仲説が出るようになったし、心配した同業者からツイッターでDMが来ることもあった。
だけど、姫花を失って心にぽっかり穴が空いていた俺は、そのどれにも反応せず、翔もまた同じように沈黙を貫いた。どちらも説明の責任を果たさなかった。
明らかに不自然な沈黙だったけど、次第に視聴者はなにも言わなくなり、DMも来なくなり、ただネットの匿名掲示板やアフィブログに不仲説だけがまことしやかに残った。そして俺の胸にファンへの罪悪感が生まれ、しこりが確かな結晶に変わった。弥生さんたちにも話していないけど、YouTube界に居残ることに積極的になれない理由のひとつになった。
と、そこで杠が部屋に入ってくる。
「ごめん、準備遅くなった」
「いや、全然だいじょ……」
俺はそこで矛盾に気づいた。
「あのさ、杠」
「ん? なに?」
「モーニングルーティンってのはだな、寝起きのシーンから始まるんだぞ」
「知ってるよ。寝る前にカメラ回したらSDカードいっぱいになるから絶対に撮る前に一回起きてるのに、あたかも今起きたみたいなの演出するあの感じでしょ」
「そうそう。そこツッコまないのは視聴者もお約束……って、だから準備したらダメだろ」
「そうだね。でも、顔くらい洗っておきたいなって。女子小学生でも乙女だから」
そう言うと、杠はニコッと優しく微笑む。
俺にはわかる。この子が俺に気を遣って、理由をつけて部屋を一旦出てくれたということが。
小学生に配慮される……大人として、いやプロデュースを引き受けたプロとして、自分の務めを果たさないといけないと思う。
「じゃ、撮るか」
「うん……よろしくお願いします!」
語尾が変化し、仕事モードに入ったことがわかった。
俺はカメラを三脚にセットし、自然光を取り入れるためにカーテンを開ける。本当はライトを使ったほうがはっきり撮れるが、寝起きシーンなのでリアルさを重視して……そんなことを思いながら、杠と相談しつつ、画角などを調整していく。
気づけば、いつの間にかいつもの仕事モードに戻っていて、悪夢のことや翔のこと、そして姫花のことも、頭の奥に一旦沈んでしまったのだった。
○○○
「杠、もうちょっと待って。そこで一旦止まってくれるか?」
「止まります」
「はい、歩いてきてくれ」
杠は俺に言われたとおり、こちらに向かって歩いてくる。俺は後ろ向きに歩き、杠を撮影する。リンレンはそれを、少し離れたところに座って見ていた。
「んー、ダメだなやっぱ不自然だ。テレビの街ロケ番組みたいになっちゃうな……ほら杠」
「たしかに。YouTubeっぽくはないですね」
「うん。いい感じで撮れてるんだけどさ、やっぱYouTubeに合った映像じゃないとな。というワケで今度は横に並んで撮るわ」
「はい……あの、リョータさん。真剣に撮ってもらって言いにくいんですけど、そろそろ急いだほうが……」
杠は、リアルに言いにくそうな表情だった。
俺たちは今、モーニングルーティンの通学路パートを撮影していた。学校に向かうまでの映像を撮影するのだ。
「しかも、ここ住宅街なので……さっきから少し目立ってると言いますか」
周囲を見回すと、たしかに物珍しそうにこちらを見ている人がちらほらいた。
「それにリョータさんも、わたしを撮影してて……その、気になりません? 周りの視線とか」
杠が重ねるように言う。俺のことを心配しているのは伝わってきた。実際、近隣住民や学校へ入っていく小学生などの中には、不審そうに俺たちを見る人もいる。
だけど、俺としては、そんなのはとっくの昔に通ってきた道だった。
「俺は平気だ。べつに犯罪してるワケじゃないし通行人の顔にモザイク入れるし……ってか、そんなこと気にしてたらYouTubeなんかできないぞ」
「それは……」
「街ロケだって増やしてくつもりだし、家の中と違ってアクシデントもある。そういうときにうろたえず、どう動画にするのかなって考えるのがYouTuberだ。人生全部がコンテンツになるんだよ」
「そうですよね……」
真面目に話した結果、杠にも伝わったようだ。頬を赤く染め、恥ずかしそうにしている。自分の発言を悔いているのかな、と思った。
ので、叱るのはやめて、俺はなるだけ優しく伝える。
「それに、もう少しなんだ。俺の頭の中には映像がもうできてる。あと、杠が校門に走って入ってくシーンだけなんだ」
「……わかりました! わたし、しっかりやりますっ!」
「ねー、行かないと遅れちゃうよー」
「そーだよー、遅れちゃうよー」
と、そこでリンレンが間に入ってきた。
「時間的に一発勝負だな……じゃ、杠」
「はいっ!」
意気込むと、杠は笑顔を作ると、カメラに向かって、
「じゃっ、学校に行ってきまーすっ! 勉強がんばるぞーっ!!」
明るく元気よくほほえみ、校門へと入っていった。数秒後、杠が校門からひょこっと体を出す。
「……オッケー! このシーン終了!!」
「やったー、やっと終わったー」
「やっと終わったー」
「遅刻するかと思った」
と、レンがリンに続く前に、チャイムが鳴った。
「うわっ、遅刻だ!」
「じゃね、リョータ!」
「ゆず姉に話あっても学校終わってからでねっ!」
そう言い残して校門へと走っていき、杠を学校内へと連行。杠は最後までこちらを気にしているようだったけど、弟妹に力負けし、中へと消えていった。
「……さてと。いいの撮れたな」
念の為、カメラを確認すると、ばっちり撮れていた。
「いい感じ……やっぱ杠は被写体として最高だな」
「そうか、最高なのか」
「はい。明るくてかわいくて、理想のJSと言うか……」
「なるほど。小学生は最高なのか」
「そうですね、最高ですね……って、えっ?」
そう言いながら振り向くと、そこにいたのは警察官の制服を着た中年男性ふたりだった。虫の居所が悪いのか、険しい表情で俺を見ている。
「え……」
可能性としては二択。コスプレマニアの中年男性カップルがふたりして俺を驚かしてるか、本当に警察官かだ。実質一択だ。
「こんな朝早くからカメラ持ってなんの仕事かな?」
「しかも小学校の近くで」
「……いや、そっ、そのこれはっ」
「この小学校の近くで最近不審者が出るって聞いたことある?」
「不審者ですか? いや、初耳です」
「そうなんだ」
「不審者だなんて物騒ですね……じつに許せない」
「そっか、許せないか。同感同感」
「というワケで、ちょっとご同行お願いできる?」
「……」




