第58話 ポンコツな花と、柄にもない俺
沈黙が続く。
カゴの中に、どんどんと商品が積み上げられていく。
普段の彼女なら、「これは高いわね」とか「こっちのほうが新鮮そう」なんて言いながら、楽しそうに選んでくれるはずなのに。
……といっても、それは今の俺の、勝手な空想でしかないけれど。
二人でこうして買い物に来るのは、今日が初めてなのだから。
今の九条さんは、まるで何かに追われるように、手当たり次第に商品を掴んでカゴへ放り投げていた。
しばらくして。
ふと、我に返った俺は、ずっしりと重くなり始めたカゴの中身を見て──我が目を疑う。
「……あー、九条さん?」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
恐る恐る声をかけると、彼女はビクッと肩を震わせ、裏返った声で振り返る。その挙動不審さは、まるでいつかの健太じゃないか。
上気した顔に、潤んだ瞳。
その破壊力に再び撃ち抜かれそうになるのを必死で堪え、俺はカゴの中を指差し示した。
「あのさ……野菜多すぎないか?」
「え……?」
「いらっしゃいませ~! カゴお預かりしますね」
指摘したのと同時。
テキパキとした店員さんが、サッ! とカゴを回収しスキャンを始めてしまった。……ああ、どうやら俺も気づくのが遅かったらしい。
後ろには次の客も並んでいる。今更「これ戻します」なんて言える空気じゃない。
参ったな。二人して、どうにかしていた。
ピッ、ピッ、というバーコードを読み込む電子音が、俺たちを現実(野菜地獄)へと引き戻すカウントダウンみたいに、無機質に響く。
「キャベツが一点、レタスが一点、白菜が一点、長ネギが三点、玉ねぎが一点」
「はわわ……」
隣であの完璧なる『高嶺の花子さん』が、聞いたこともないような情けない声を漏らしている。だが、店員さんの読み上げは止まらない。
「大根が一点、人参三本入り一点、小松菜が二点、キュウリ三本入り二点、水菜が、え~三点ですね。ブロッコリーが二点、ミニトマト、豆苗、パセリ……」
おい、さすがに緑色過ぎるだろ!
なんだ? 八百屋の仕入れか? それとも定食屋でもするのか!?
俺たち二人しかいないんだぞ。量がおかしすぎるって!
待て待て。肉はどこだ? 魚は? 麺は?
メインを張れる食材はいったいどこに隠れているんだ?
……ない。
そんなものは、ついぞ現れなかった。
隣りのカゴに移されていくのは、見渡す限りの緑。
『葉っぱ』と『根菜』の山だった。
野菜、野菜、野菜。
「お会計、5,322円になります」
嘘だろ、野菜だけで5千円突破だと……!?
生まれて初めてみたぞ、そんなレシート。
「あ、あわわ……。えっと、お財布、お財布……!」
九条さんが慌ててカバンをまさぐるけど、どうも上手く探せていない様子。後ろの列からの「早くしろよ」という無言の圧力が、物理的な重さとなって背中に突き刺さる。
……ダメだ、見ていられない。
俺は小さく息を吐くと、焦る彼女の手を優しく制して、自分の財布からカードを取り出した。
「大丈夫。俺が出すよ」
「えっ!? あ、蒼くんっ!?」
「カードで」
俺は彼女の静止を待たずに、カードを端末に差し込む。
「はい。お支払い回数はどうされますか?」
「一括でお願いします」
店員さんは一瞬、真っ赤な彼女と、平然を装う(内心バクバクの)俺を見比べ──それから、ふふっと微笑ましそうに目を細めた。
「はい、承りました。……ふふ、仲が良くて羨ましいです」
店員さんの生温かい誤解(?)に、俺たちは顔を見合わせ、再び茹でダコになるしかなかった。やばい、これは恥ずかしいが過ぎる。
「後ろ、つっかえてるから。と、とりあえず行こう」
「は、はい」
上擦ったこの返事一つで、彼女がいかに軽いパニック状態なのかがわかる。
会計を済ませ、逃げるようにサッカー台(袋詰めエリア)へと移動する二人。
カゴはずっしりと重い。
目の前に築かれた『緑の山脈』を前に、九条さんはしゅん、としおれた野菜のように小さくなっていた。
「ご、ごめんなさい……。私、どうしてこんなことに。なんだか心ここにあらずで……あまり覚えてないの。ああっ、そうだわ、お金! すぐ返すわね」
彼女が慌てて財布をまさぐろうとするのを、俺は片手で優しく遮った。
「いいって。いつも色々と世話になってるし、食費くらい出させてくれよ。これくらいじゃ、全然足りないくらいなんだから」
「でも……」
「それに……」
俺は大根を袋の底に詰めながら、一度言葉を切る。
それから、照れ隠しに少しだけ顔を背けて、ぽつりと付け足した。
「その髪型への、お礼も兼ねて」
「え?」
「そのポニーテール。……見られて、嬉しかったんだ」
自分の言った些細な好みを、彼女が即座に叶えてくれた。
それが嬉しかった。
それを聞いた彼女は、カゴの縁を握りしめたまま、数秒間フリーズし。
やがて、許容量を超えた感情が爆発したように、顔を真っ赤に染め上げてしまう。
俺の心臓と同じくらい、どうやら君の心臓も忙しそうだ。
「あう……」
言葉にならない、消え入るような悲鳴。
甘すぎる俺たちには、野菜たっぷりのヘルシーな夕食くらいがちょうどいいのかもしれないな。九条さん。
なんてな。
袋詰めを終えると、そこにはパンパンに膨れ上がった袋が二つ鎮座していた。中身は大根、キャベツ、白菜などの重量級野菜がぎっしり。
その重さは推して知るべしだ(笑)
「……よいしょ」
九条さんが、その細い腕で重い袋に手を伸ばそうとする。
けれど、それを黙って見ていられるわけがない。
「ああ、待って。俺が持つよ」
すかさず差し出した俺の手が、持ち手に伸びた彼女の細い指を、上から包み込むようにして捕まえた。
……あ。
これは、その、不可抗力だ。
わざとじゃないんだ、信じてくれ。
「あっ……」
何度目だろうか。
触れた瞬間、彼女の身体がビクリと、また可愛らしく跳ねる。
俺の体温が伝わった指先から、熱が感染したみたいに。彼女の頬が、耳朶が、白い首筋が、みるみるうちに林檎のような朱に染まっていく。
そのまま数秒、あるいはもっと長い時を見つめ合っていたかもしれない。
けど、ふと俺の包帯姿が視界に入ったのか、彼女は弾かれたように我に返った。
「っ、じゃなくて。だ、だめよ蒼くん」
真っ赤な顔のまま、今度は血相を変えて俺の手を振り払おうとする。
恥じらいよりも心配が勝るのが、いかにも君らしい。
「そ、その怪我で持てるわけないじゃない。もし何かあったらどうするの」
眉を下げて訴えるのも無理はない。今の俺の右手は三角巾で吊られ、左手の指も二本、固定具でガチガチに固められているんだから。
客観的に見れば、荷物持ちなどできる有様じゃない。
「君にこんな重い物を持たせるわけにいかないだろ」
「で、でも……っ」
「いいから。ほら。九条さんには悪いけど、ここに掛けてほしいんだ」
「えっ……ここ、に?」
「そう。指じゃ掴めないからさ。ここなら問題ないだろ?」
俺は肘を曲げ、袋の持ち手を通せるように突き出した。
彼女は戸惑いながらも、俺の怪我に触らないよう慎重に、恐る恐るその持ち手を俺の腕に通してくれる。
ずしり、と。野菜の重みが腕にかかる。
けれど、上着を通して伝わる重力すら、今は心地いい重みに感じられた。
至近にある君の綺麗な顔。
重なる視線。俺は逃げずに、彼女の瞳を真っ直ぐに覗き込む。
「何かあったら? ……その時は俺と君のこの生活がまた少し、長くなるだけさ」
もう、何の後悔もない。




