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九条葵は償いたい ~その献身には理由がある~  作者: 神崎水花
第三章 あなたを追いかけて

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第49話 男は叩かれて育つ

「急ごう……!」


 廊下を駆け抜け、俺たち三人は息を切らして教室のドアに滑り込む。

 だが、無情にもチャイムは鳴り終わり、教壇にはすでに腕組みをした吉岡先生が仁王立ちしていた。

 残念、どうやら間に合わなかったみたいだ。


「あーあ。予鈴、鳴っちゃったわねえ」


 先生はニヤリと笑うと、手にした出席簿で掌をパンパンと叩く。

 その乾いた音に、俺たちは観念して教壇の横で一列に並んで頭を下げた。


「すいません、遅れました……」

「ごめんなさい」

「先生、申し訳ありません」


 三者三様の謝罪。

 先生は「はいはい」と頷くと、出席簿の角をコツコツと手のひらに当てて、まずは一番端の九条さんの前に立つ。


「あらやだ。九条さん、貴女が予鈴に間に合わないなんて初めてじゃない?」

「はい、初めてです……」

「ま、反省してるならよし」


 パコン。

 先生は出席簿で、九条さんの頭を優しく撫でるように叩いた。

 もし効果音をつけるなら、間違いなくこれは『パフン』だ。痛みの欠片もない、そんな音。

 こんなものは、ただの儀式に過ぎない。


 さて次は、真ん中にいる俺の番か。

 一応身構えて先生を見ると、ふわりと石鹸の匂いが鼻先を通り過ぎていった。

 うん、通り過ぎていったよ……。

 

「……あれ?」

 なんで?

 

 先生はなぜか俺を無視して、つかつかと反対隣の高階さんの前に立ってしまった。

「次は高階さんね。あなたまで一緒とは、一体どうなってるのやら」

「はは、話が盛り上がっちゃって」

「ほどほどになさいよ」

 ポスッ。

 こちらも、じゃれ合いのような軽いツッコミ。悲鳴のひの字もない。


 両脇の二人が済み、なぜか真ん中の俺だけが取り残される

 ……待って。これ、一番嫌なパターンじゃない?

 先生は、くるりと踵を返すと、ゆっくりと真ん中へ戻ってきた。

 そうして、俺の目の前でピタリと足を止めると、目を細め、ジロジロと俺の顔を見ている。

 くそう、悔しいけどやはり美人だな、先生は。

 大人の余裕を感じる。

 

「……ふーん。どうやら犯人は君ね」

「へ?」

 なんですと?

「朝から学年の二大美女を侍らせて予鈴に遅れるとか、ちょっと大物すぎない?」


「はぁ、先生、君の将来がとっても心配になってきたわ」

 先生は呆れたように溜め息をつくと、出席簿を大きく振りかぶり──


「いくわよ! 歯ぁ食いしばんなさい」

 スパーンッ!

「いってぇぇぇ!?」


 俺の脳天に、小気味いい破裂音が炸裂した。

 衝撃で、視界がチカチカと明滅する。

 あ……星だ。今、日中なのに星が見えたような。

 

 いや、おかしいって!

 前の二人と比べ、明らかにスイングの鋭さが違ったぞ!?

 これは明確なる差別ですよ、吉岡先生!


「いてて……先生、自分だけ差別が酷くないですかね……?」

「何言ってるのよ。これは愛よ、愛。男の子はちょっとくらい叩かれた方が大きく育つの。頑張んなさい」

「そんなぁ」

 そういう前時代的な指導は、健太だけにしてくれよう……。


 先生はケラケラと笑って教壇へと戻っていく。

 俺はジンジンする頭をさすりながら隣を見た。すると、九条さんが口元に手を当てて、クスクスとそれは嬉しそうに笑っているんだ。

「……九条さん?」

「ふふ。ごめんなさい。なんだか、こういうの……初めてだったから」

 

 彼女の瞳が、微かに潤んで揺れている。

 友達と一緒に廊下を走って、一緒に先生に叱られる。

 優等生すぎた彼女にとって、それはあまりに新鮮で、何よりの青春の一コマだったのかもしれない。


「はは。今の音、結構凄かったね。でも水無月くん、ナイスリアクション!」

「リアクションじゃないわ! 本当に痛かったんだよ!」

 

 反対隣では、高階さんまでもが楽しそうに笑っている。

 おいおい、人の不幸をそんなに楽しそうに。

 まいったな。

 二人して、なんていい笑顔で笑うんだよ。


「こらこら。叱られてるのに楽しそうにしない。それとも何? 水無月くん、もしかして『コレ』のおかわり希望なわけ?」

 教壇から先生の呆れたような、それでいて嗜虐的なツッコミが飛んでくる。


「「……!?」」


 二人は顔を見合わせると、示し合わせたようにピタリと動きを止め──ボンッ、と音がしそうなほど、同時に耳まで真っ赤にして縮こまった。


 ……なんだそれ。

 揃いも揃って、可愛いかよ。

 どういう生き物だよ。

 って、おかわりなんで俺だけなんだよ。

 

 その様子を見たら、俺の頭の痛みなんてどうでもよくなってしまった。まあ、これくらいの理不尽なら、甘んじて受け入れようじゃないか。


「はい、じゃあ席について。一限目はそのまま私の英語だから、教科書出しておいて頂戴ね」


 英語担当でもある吉岡先生がそのまま教壇に立つと、明らかに男子の授業態度が変わった。

 

 本人曰く「二十代ど真ん中」を頑なに言い張る吉岡先生。

 いやいや、先生。それだと計算が合わないよ。それじゃあ、ほぼ新任教師みたいな年齢じゃないか。

 それで、その落ち着きと貫禄は無理がある。

 どう見ても中堅以上のそれですよ。

 

 でも待てよ。俺が一年生の時、「担任を持つのは貴方たちが初めて」って言ってたっけ。

 なら、あながち嘘でもないのか……?


 そうやって、俺が頭の中で少し失礼な計算式を組み立てていると、教壇の吉岡先生が、黒板に文字を書く手を止め、くるりとこちらを振り返っていた。

 そして、何かを察したようにジト―っと、半眼で俺を見つめているではないか。


 ……え? 気配で察した? 嘘?

 女性の勘って、こわっ(笑)

 深い詮索はやめておこう。俺はまだ命が惜しい。


 まあ、実年齢がどうであれ、清潔感のある白のシフォンブラウスに、落ち着いたネイビーのスカートを上品に着こなす姿は、大人の女性そのもの。

 化粧っ気は薄いのに華やかで、意志の強さを感じさせる瞳がとても印象的な先生。おまけにスタイルも良いときているから、男子生徒たちは自然と背筋が伸びてしまうのさ。

 

 さっき俺の脳天を、フルスイングで引っぱたいた人とは、とても思えないけれど。


「……Here, this will be on the test.(はい、ここテストに出すわよ)」

 教壇に立つ吉岡先生の、流暢で且つ聞き取りやすい発音が教室に鳴った。

 ギプスで固定された右手は使えない。だから、慣れない左手で必死にペン先を走らせ、先生の言葉を一言一句聞き漏らすまいと耳を澄ませている。


 九条さんが時折、無意識に漏らす言葉。

 一緒に暮らし始めた初めての夜の『Hopefully, it will...』も、昨晩の『Good night, So-kun...』も。


 今はまだ、断片しか拾えていない彼女の唇からこぼれる、とても純粋な何か。

 俺はそれを、知っておかなければいけない気がする。

 

 彼女の心を、言葉の壁ごときで取りこぼさないために。


 ……と、格好いいことを思ってはみたものの、やっぱりさっき叩かれた頭がジンジンと痛む俺がいる。

 吉岡 七海先生の愛、ちょっと()すぎませんかね?

第49話、お読みいただきありがとうございます。作者の神崎 水花です。

「面白かった!」「この後の展開が気になる!」と、少しでも思っていただけましたら、ぜひ下の「☆☆☆☆☆」を「★★★★★」に変えて、応援していただけると嬉しいです。


ブックマークや感想も、どうぞお気軽に。次回も、よろしくお願いいたします。

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