第34話 全力で回避すべき夫婦ランチ
それからも、休み時間のたびに誰かがやってくる。
物珍しさ半分、九条さんへの興味が半分。その中には今朝、俺の怪我を心配してくれた高階さんの姿もあった。
「水無月くん、大変だね」
なんて同情の言葉をかけつつも、その視線は隣で涼しい顔をして文庫本を読んでいる九条さんに釘付けだったりする。
当の九条さんは、挨拶されれば「ええ、ありがとう」「おはよう」などと完璧な微笑みで返すものの、いつも決まって、すぐに視線を何処かに戻してしまう。
今はその対象が本といったところか。
「どうしても、九条さん目立っちゃうからねえ」
「ホントだよ」
俺は、そんな『台風の目』の中心で、愛想笑いを浮かべ続けるしかなかった。
そうして、恐れていた昼休みのチャイムがとうとう鳴る。鳴ってしまう。
いつもならここで、予鈴と同時に前の席の健太が、
「っしゃあ! 蒼、メシだメシ!」
と、椅子ごとくるりと身体を反転させ、俺の方へ向き直ってくるはずなのに、おかしい。今日に限って、その背中は微動だにしないじゃないか。
むしろ、気配を殺して石になろうとしているフシさえある。
「……おい、健太」
俺はたまらず、その背中をペンの後ろでつついてみた。
「今日は一緒に食わないのか?」
「え、いや、だってよ……」
健太は、恐る恐る顔だけを半分こちらに向け、チラリと俺の隣──優雅にお弁当の準備を始めている九条さんを見て、声を潜める。
「その……俺、邪魔だろ?」
「は?」
なんだって? お前は何を言っている?
「だってよぉ、そんな『背景に花が咲いてそうな空間』に割って入る勇気、俺にはねえよ……。お前一人で、ごゆっくりどうぞ」
健太は『裏切りじゃないぞ、配慮だぞ』と言いたげな顔でウインクすると、そそくさとコンビニ袋を持って席を離れようとする。
待て! 行くな! 頼むから行かないでくれ!
俺は、とっさに動いた。
慌てて立ち上がり、離れつつある友人を追いかける。
ギプスではない左手──とはいえ、薬指と小指に添え木が当たっている不自由な手で、逃げようとする親友の袖を、教室の中ほどを過ぎた辺りで勢いのまま掴んだ。
「は、放せよ。お前、指折れてるんだろ? 無理すんじゃねえよ」
「いいから座れ。俺たち友達だろ! 見捨てるな!」
「無理っ! 俺はリア充の当て馬になるのは御免なんだよ!」
「誰が、リア充だ!」
「お前だよ!」
幸い、九条さんが座る席から数メートルは離れている。ここなら、小声で話せば彼女には聞こえないはず。
俺たちは低レベルな揉み合いを演じながら、ひそひそと攻防を繰り広げる。
「頼むよ、健太。一緒に食ってくれよ」
「二人で食えばいいだろ。俺は御免だ。……あ」
抵抗していた健太の動きが、不自然に止まった。
俺の手を振りほどこうとしていた彼の視線が、俺の肩越し、遠くにある俺の机の上に釘付けになっているような。
「おい、蒼。……あれ? お前の飯、いつもと違うくね?」
そこにあるのは、いつもの俺の茶色い手作り弁当ではない。
俺の席には、シックな黒のランチバッグ。
そしてその隣──九条さんの席には、それと全くお揃いのデザインの、鮮やかな赤のランチバッグが並んで置かれている。
さらに、彼女は持参したスリムな水筒から、湯気の立つお茶を二人分、トクトクと注いで待っているではないか。
広げられた包みの中には、怪我をした俺が片手でも食べやすいように気を使ってくれたのだろう。手頃なサイズに丸められた可愛らしいおにぎりが、いくつも綺麗に並んでいるのが見える。彩り豊かなおかずの容器も添えて。
黒と赤。
夫婦茶碗ならぬ、夫婦ランチバッグ。
そして、甲斐甲斐しくお茶を入れて夫(?)の帰りを待つ妻(?)の姿。
「……なあ、蒼」
「……なんだよ」
健太は、ゴクリ、と喉を鳴らした。そんな風に聞こえた気がした……。
その視線は、俺の机の上の昼食に釘付けになっている。
「もしあれが、本当に九条さん手作りの弁当だとしたら……これから先、俺に食う機会あると思うか?」
「まあ、ないだろうな」
「だよな。よし、俺にも一口寄越せ。いや二口だ」
「は? お前何を言って」
「それが滞在費だ」
コ、コイツ……!
人の弱みに付け込んで、堂々と要求してきやがった。
まさにド外道。
だが、今の俺にとって、健太という『厚き友情防波堤』は必要不可欠だ。このまま教室で九条さんと二人きりの『夫婦ランチ』に突入するのは、是が非でも避けたい。
あれはまさに、衆人環視の羞恥の牢獄。
悔しいが、背に腹は変えられない、か。
「あげたら、残るんだな?」
「喜んで居てやるよ。俺たち親友だろ?」
ニコっと笑う健太の顔が、今日一番輝いて見えた(ムカつくけど)。
「わかった、やる! やるから残れ!」
「商談成立だな! さっすが親友!」
俺たちは、それぞれの思惑(俺は保身、健太は渇望、九条さんは看守?)を胸に、妻(?)が待つ己の席へと戻っていった。
「九条さんごめん。蒼がどうしてもっていうから……お邪魔します!」
健太は、前の席から器用に椅子ごと反転し、俺たちの机の向かい側に陣取る。
剛者来来。
まさに、一騎当千の猛将がご到着だ。
頼もしすぎる援軍の到着に、思わず心が躍る。これで、彼女と二人っきりでの甘々ランチという緊張感から解放される。
そんな九条さんの反応は、俺の予想すら裏切るものだった。
彼女は、花が咲くように微笑んだのだ。そして。
「ふふ、いいの。水無月くんは、いつも小園くんと食べてたものね」
彼女は少しだけ寂しげに、けれど嬉しそうに目を細める。
「むしろ、私が二人の邪魔をしちゃってる感じなのかも、って思ってたから」
「そ、そんなことないって! 滅相もない!」
健太が首がもげる勢いで横に振る。
おい、その首取れてもしらんぞ。
「よかった。……これから私も、仲間にいれてくれると嬉しいかな」
ズキュゥン!
はい、本日二度目のご着弾。
健太の胸に、またまた何かが深く突き刺さる音が聞こえた気がした。
コイツ落ちたな。完全に。
「ふふ。じゃあ、いただきましょうか」
俺たちは机を囲み、改めて「いただきます」と手を合わせた。
いよいよ、彼女のお弁当とご対面だ。
上品な木製の弁当箱の中には、彩り豊かなおかずがぎっしりと詰まっていた。
黄色が鮮やかな卵焼き、おにぎりにとても合いそうな紅鮭。緑が映えるちくわキュウリに、真っ赤なプチトマト。
そして、端の方で愛嬌をこれでもかと振りまいている、真っ赤なタコさんウインナーが可愛い。最高かよ。
……何てすごいんだ。これを一人早起きして?
中身を見て初めて、その見た目の美しさ以上に、ある『配慮』に気づいたよ。
卵焼きは一口で食べられるよう半分にカットされ、紅鮭も小さめだ。これ、たぶん骨まで抜いてあるぞ……。
ちくわキュウリも、トマトも。
すべてが、左手しか使えない俺が、ピックで挿して食べれるサイズに統一されているんだ。
九条さん……。
その細やかな気遣いに、胸がじわっと温かくなる。
「悪いな。じゃあ、約束通り」
俺が感動に浸っている向かい側から、空気を読まない手がスウと伸びてきた。
「蒼、もらうぜ」
健太の持つピックが迷いなく選んだ相手は──
「ちょ、それは」
よりによって、タコさんウインナーだと!?
パクッ。無情にも、健太はそれを一口で口の中へと放り込む。
「~~~~っ!!」
こいつ……やりやがった。
喉の奥から、声にならない絶叫がほとばしる。魂が啼いた瞬間だ。
馬鹿野郎、ふざけるんじゃねえ!
お前、数あるおかずの中から、よりによってなぜ『それ』を選ぶんだ! 他にも一杯あるだろうが。
たかがウインナー? 加工肉だって?
違う、そうじゃない! そんなんでも、そんなんでもなあ。
俺にとっては、数日ぶりの貴重な『肉っ気』だったんだ。
しかもだ、彼女が朝早く起きて俺の為に作ってくれた、たった一つの……タコさんなんだぞ!




