第33話 作動、絶対九条防壁
授業の終了を知らせるチャイムが鳴った。
お馴染みの、ウェストミンスターの鐘の音。
その余韻を含んだ音色が、今日は不思議とやけに柔らかく聞こえたよ。今の俺にとってはまさに、救いの音色かもしれないと。
そうであってくれと、願っていたせいも多分にあると思う。
「よし、じゃあここまでだ。号令」
先生がチョークを置くと同時に、隣で布擦れの音がする。
さっきまで俺のパーソナルスペースをぐいぐい侵略し、甘い香りをせっせと充満させていた張本人が、背筋を伸ばして立ち上がる。
「起立。──礼」
よく通る涼やかな声。
その一言で、クラス全員が一糸乱れぬ動きで頭を下げる。完璧なる号令。
彼女は、才色兼備を地で行くこのクラスの委員長でもあった。というか、彼女を差し置いて誰が務まるというのか。
俺? 俺には無理だ。そんなガラじゃないし、そもそもなりたいとも思わない。
「ありがとうございました」
挨拶が終わり、小林先生が教室を出て行った途端、張り詰めていた空気が一気に弛緩して、ざわ、とクラス全体が動き出す。
「水無月くん、お疲れ様」
着席するなり、彼女は委員長の仮面をさっさと脱ぎ捨て、また花が咲くような笑顔を俺に向ける。
この切り替えの早さよ。
公私の使い分けが完璧すぎて、さすがとしか言いようがない。
「九条さん、ありがとう。助かったよ」
「ううん。次の数学もよろしくね」
当たり前のように継続を宣言する彼女に、俺は慌てて待ったをかける。可及的速やかに、言わなければならないことが、ある。
「あのさ。休み時間だし、一旦席を離さないか?」
これだ、これをどうしても、言いたかった。
「どうして?」
彼女は不思議そうな瞳で、俺を見ている。
「また次の授業が始まったら、どうせくっ付けるのに。二度手間じゃない?」
ぐ……、理屈はそうさ。何も間違ってはいない。合理的で、効率的。
でも、周りをみてくれよ。
俺は、教室全体をぐるりと見渡して、小さく長い息を吐く。
休み時間の教室。
友人同士で机を囲む奴らはいても、こんな風に、男女二人きりでピッタリと机をくっつけ合っている奴らなんて、どこにもいない。
整然と、幾何学的に並んだ机の列の中で、ここだけが異様な『密』を作っている。付き合ってもいないのに、漂うこのバカップル感はなんだ!?
おまけに、その相手はあの『九条 葵』ときた。
学校一の高嶺の花と、休み時間になってもゼロ距離で密着している。そんなの、おかしすぎるって!
「いや、それはそうなんだけどさ。その……俺たちだけくっ付いてるってのが、絵面的にちょっと厳しいかな~って」
俺が遠回しに、しかし切実に訴えると。
彼女は瞳を柔らかに緩め、楽しそうに微笑んだ。
「ふふ、変な水無月くん。私は気にしないわ」
いや、俺が気にするんです。
なに、もしかして君、鈍感なの!? それとも確信犯!?
見てよ、この空気を!
ここは今、ある意味台風の目といっていい。あるいは不可侵領域の中心のようなものか。
誰もが気になっているはずなのに、誰もその空気に圧されて近寄れない。
遠巻きに、ヒソヒソと俺たち──正確には、俺の隣で優雅に教科書を閉じている彼女を窺っているのが分かる。
まあ、その視線の中に? 何人か程度は俺のことを気にしてくれている(主に「あいつ大丈夫か」的な意味で?)子もいるにはいるみたいだけど。
大半は、嫉妬と羨望の眼差しだろうな。
この、誰も踏み込めない『絶対九条防壁』に、空気も読まずにズカズカと踏み込んでくる勇者なんて……嘘だろ?
無謀な男が、どうやら一人だけいたようだ。
「よ、よぉ! 九条さん!」
快活な、けれどどこか上辺だけの声が降ってくる。
一応クラスメイトの田島だ。
流行りの髪型に整え、制服を少し着崩した、所謂『陽キャ』グループの一員とでも言うべきか。まあ、都内有数の進学校である我が校においては、陽だの陰だの、あまり意味をなさないことは確かだけど。
ちなみに健太曰く、普段から隙あらば九条さんに話しかけようと画策している(と噂の)男でもある。どこからそんな情報を仕入れてるのやら。
とにかく、美人は美人で何かと大変なご様子。
「災難だったよな。委員長だからって、吉岡先生も無茶振りが過ぎるだろ。いくら怪我人だからってなあ、同級の男の世話はないよな」
田島は、俺の方をチラリと見下ろすと、大袈裟に肩をすくめてみせた。
言葉では俺を気遣っているフリをしていても、その目は俺など見ていない。
その語尾の馴れ馴れしさと、「男」という強調。そこには、『なんでお前なんかが』という明確な嫉妬と、彼女と仲良くしたいという浅ましい欲望が透けて見えている。
「水無月のことはさ、俺ら男子で何とかするから。な、健太もいるしさ」
田島は俺や健太に向かって、ニカっと人の良さそうな(に見せかけた)笑みを張り付けた。
そして、同意を求めるように、俺の前の席の親友へと水を向ける。
「だよな、健太」
普段なら何でも「おうよ!」と調子よく答えそうなはずの健太の反応は、田島の予想を遥か斜め上に裏切るものだった。
「勝手に決めるな。俺は、パスだ」
見事に梯子を外された田島が、一瞬「は?」という顔をし、訴える。
「なんでだよ、健太。九条さん可哀想だろ」
「あのなあ、よく考えろよ。俺たちがしゃしゃり出て、蒼の手伝いが必要なくなったらどうなると思う?」
「どうなるってんだよ」
健太は真剣な眼差しで田島を見つめ、そしてチラリと、俺の隣(の九条さん)を見て、これでもかと力説した。
「九条さんが、元の席に帰っちまうだろうが!」
……おい、健太。そこかよ!
お前、親友のことよりも、自分の眼福と「半径2メートル」を優先しやがったな!?
田島が、ポカンと口を開けて固まっている。
愚直なまでに、本能に忠実すぎた理由での裏切り。だけど、それは、結果として田島の「男子で何とかする」という提案を、身内(男子)の手によって木っ端みじんに粉砕してみせたわけだ。
……はは、傑作すぎる。
ナイスすぎるぞ、健太。
今、俺は無性にお前に学食の『Aランチ』を奢ってやりたい気分だ。
動機は笑ってしまうほど不純極まりないが、結果オーライだ。お前のそういう、表裏のないところ、俺は嫌いじゃない。
よし、九条さん。
今だ、奴にトドメを刺してやってくれ。
「ふふ。ありがとう、田島くん」
彼女は、健太のアホな発言など聞こえていないかのように、委員長としての、非の打ち所がない完璧な営業スマイルで応じた。
「でも、大丈夫。これは先生から頼まれたことだから。責任を持ってやり遂げたいの」
まさに完璧な回答。
角を立てず、冷静に感謝を述べ、されど明確なる拒絶へと至る。
これには田島も、引き下がるしかない。
「そ、そうか……。まあ、委員長だしな。が、頑張れよ」
田島は、引きつった笑みを残し、すごすごと自分の席へと戻っていった。
これにて、撃墜完了である。
さすがの『絶対九条防壁』だ。
邪魔者が去り、再び俺たちの周りに平和な空気が戻ってくる。
すると。
彼女は瞳を三日月のように細め、俺の前の席の健太に向かって楽しそうに微笑みかけた。
「ふふっ」
「ひょ、ひょえ……!?」
さっき田島に向けていた『営業スマイル』とは違う。
俺に見せるものとも、また少し違う。
友人に向けたような、柔らかく、温かい笑顔がそこにある。
「小園くんって、面白いのね」
「は、はいっ!?」
「ふふ。……これからも、よろしくね」
ズキュゥゥゥン!!
たぶん健太の胸に、何かが今、深々と突き刺さってる!
彼は顔を真っ赤にして「うっす! うっす!」と、壊れた玩具のように繰り返している。
第33話、お読みいただきありがとうございます。作者の神崎 水花です。
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