表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
九条葵は償いたい ~その献身には理由がある~  作者: 神崎水花
第二章 突如始まる、秘密で甘い同居生活

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/58

第28話 初めて見る朝の風景

「そうなんだ。じゃあ俺も用意を急ぐとするかな」

 

 そうだよな、一緒に生活しているんだ。別々に家を出るなんておかしな話さ。まだ半分寝ている頭で、そんな当たり前のことに遅れて思い至る。


「一緒にいってくれるの?」

「うん」


 蕾がゆっくりと開くように、優しく微笑む彼女。あまりにも計算のないその笑顔が、何だか無性に照れくさくて、いてもたってもいられず、

「ね、眠気覚ましに、顔でも洗おうかな!」

 

 捨て台詞のようにそれだけを言い残し、逃げるように洗面所へと向かった。


 洗面台のレバーを上げ、あふれ出る水に顔を埋める。

 冷たい水が、昨夜の非現実的な記憶と、たった今見せられた極上の笑顔で沸騰したままの脳を、強制的に冷却していくような感じ。伝わるだろうか。

 それから鏡の前で、寝癖で跳ねた髪を必死に濡らして直した。


 そうして、歯を磨こうと、備え付けのコップに視線を移して理解する。

 そこには、昨日まで無かったはずの、真新しい青い歯ブラシが一本、彼女のものと並んで立てられている。それはもう、仲睦まじく、ね。

 

 彼女が、──九条さんが強引に、こうして俺の日常に飛び込んできてくれたから。

 そのお陰で、俺の、あの色褪せていたはずの日常は、あまりにも強烈な光を放つ日々へと変わり始めていた。それはもう、直視できないほどに眩しく輝いて。


 鏡に映る自分の顔がどうにも、にやけるのを止められないでいる。

 並んだ赤と青の二本が、どうしようもなく嬉しくて、同時に、とんでもなく恥ずかしいと知った。

 冷水で冷やしたはずなのに、もう耳まで熱くなっていくのが分かる。


 顔を洗い終え、髪の毛を整え終わると、彼女が待つリビングへと戻る。

 足取りは少し軽い。


 昨日、彼女が用意してくれたあの、新品の制服に袖を通していく。まだ糊が効いているためか、少し硬い感触が妙に心地いい。

 自然に気持ちまでシャキッとしてくる。

 

 だけど、ギプスと添え木が邪魔で、着替えるのにも一苦労だったり。

 いつもごめん、九条さん。そして、ありがとう。

 

「水無月くん、朝ご飯にこれ、どうぞ」

「ありがとう。頂きます」


 そう言って差し出されたのは、昨日までの食卓を決して裏切らない、お洒落なグラスに入った緑色のドロドロとした液体で。

 そう……スムージーってやつだと思う。

 ふぅ、所謂、意識高い系『美人メシ』というやつだね。


 ようし、あふれる葉緑素で、今日も光合成を頑張るぞ! 

 ──って、なるか!


 さりとて彼女へ文句を言うわけにもいかず、俺は覚悟を決めて、その飲みづらそうな濁った緑色の液体を一口、口に含んだ。

「……あれ? 意外と美味い?」

 見た目の青臭さとは裏腹に、バナナの甘みがしっかり効いていて、驚くほど飲みやすい。

 むしろ、果実の風味が爽やかでさえある。


 その予想外の美味さに、心の警戒が一気に緩んでしまったのか。俺はグラスを傾けながら、つい、胸の奥にあった本音をぽろりと漏らしてしまう。

 小さな、やらかし。

「とても美味いけど、やっぱり緑かぁ」

 俺のその一言に、彼女は「え?」と、少し不安そうに目を瞬かせる。

「野菜、好きって聞いた気がして、その、嫌だった?」


 野菜好きだなんて、言った覚えあったかな。

 記憶にないけれど、まぁ、いいか。別に嫌いではないし。


「ううん。始めて飲んだけど、とても美味しくて逆に驚いたよ。ただ」

 俺は、少し気まずそうに付け加える。

「ただ、たまには肉っ気が欲しいな、なんて思ったり」


「ご、ごめんなさい!」

 彼女は、ハッとしたように両手を合わせた。

「そうよね。育ち盛りの男の子なのに……つい、私の普段のメニューで」


 完璧な彼女が、心の底から申し訳なさそうに、しょんぼりと俯いている。

 俺のたった一言が、こんなにも彼女の心を揺さぶるのか。あの、鉄壁の九条葵が……。

 ああ、やってしまった。

 彼女の笑顔を、俺の手で曇らせてしまうなんて。


 そんな彼女を励ましたくて、つい口から飛び出た軽口が、こんなだったんだ。

「じゃあ毎日続けたら、俺もモデルになれたりして?」

「ふふ、もう、ほんとに……」

 その口元には、いつもの困ったような、でも優しい笑みが戻っていた。


 俺は、肉への渇望を心の圧力なべの奧底にぎゅっと押し込め、その健康的な朝食(?)を、覚悟と共に受け入れた。

 いや、味は美味しいんだよ。これは本当。ただ色が凄いだけで。


 食後の片付けも「怪我人だから」と彼女に押し切られ、俺はぼうっと、九条さんがテキパキと動く姿を眺めることしかできないでいる。

 やがて、全ての準備を終えた彼女が、キッチンカウンターに置いてあった、シンプルな黒いランチバッグを手に取った。


「はい、これ、水無月君の分」

「え……、これ、俺のなの!? うわ、ありがとう」


 受け取った手にずしり、と伝わる、確かな重みが嬉しかった。

 これ、あの、九条 葵の手作り弁当なんだぞ、と。

 でも……、喜びと同時に、新たな激しい問題が浮上する。昼休みに、親友である健太に聞かれたら、一体何と答えればいいのだろう。「九条さん特製のお洒落すぎる弁当」とは、言えないよなあ。

 一難去って、今度は教室に嵐を呼ぶ予感のする朝だった。


 そんな新たなる悩みを抱えつつ、俺たちは二人で部屋を出る。

 静かなエレベーターに揺られ、朝の光が差し込むエントランスを抜けて、二子玉川の駅へと向かう。

 その道すがら、隣を歩く彼女は、俺が昨日まで知っていた『九条 葵』とは、どこか違って見えた。


 彼女を構成する要素が、徹底して華やかさを殺しているんだ。


 目元は、生まれ持った完璧な美貌をあえて封じ込めるかのような、黒い縁の大きな眼鏡が隠し。皆と同じ、聖諒学院の制服なはずなんだけど、スカートの丈が、流行りに逆行するように長いときている。

 そして、鞄か。お洒落なブランド物ではなく、俺が持っているのと同じ、何の変哲もない、あの学校指定の鞄なんだ。


 へぇ……これが、九条さんの通学スタイル?

 真面目、というかなんというか。ひと昔前の、まるで学級委員長のような出で立ちだよな。

 俺の知らなかった彼女の一面が、そこにあった。


 「……意外だな、九条さん。もっとこう、通学時にお洒落とか気にしてるのかと」

 俺が素直な感想を口にすると、彼女は、黒縁の眼鏡の奥で、わずかに目を伏せた。


 「うちの学校、大学が併設されてるでしょう? あまり、目立ちたくなくて」

 「目立ちたくない? 九条さんが?」

 その言葉は、少し意外だった。モデルもしている君が?

 彼女はさらに声を潜めて、付け加える

「……それに、ナンパとか痴漢も、いやでしょう?」


 ──なるほど、そういうことか。

 

 俺の中で、全てが繋がる。彼女は、わが聖諒学院高等部が誇る『高嶺の花』であると同時に、守りの術を持たない、一人の普通の女性なんだ。

 日々、向けられる無粋で無遠慮な視線や、現実的な危険。

 この地味な装いは、彼女が自分自身を守るための……痛々しいまでの、『武装』であり、切実なまでの『処世術』というわけ。

 俺が思っていた真面目とは、全く違う次元のものだった。

 

 その事実に、俺は何も言えなくなる。

 ただ、何かの衝動に突き動かされるように、彼女を守りたくなって、ほんの少しだけ車道側を歩いてみる。俺の小さな意識、改革。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ