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九条葵は償いたい ~その献身には理由がある~  作者: 神崎水花
第二章 突如始まる、秘密で甘い同居生活

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第23話 悲しきアンビバレンス

 甘い吐露と、悲痛なまでの痛み。

 その二つが混在するアンバランスな姿こそが、彼女の美しさの秘密だったりするのだろうか。俺にはまだ、わからない。

 

 君が時折見せる熱は、確かに俺に届いている。

『あなたのだから』という、あの言葉のように。

 それなのに、その熱は、まるで彼女自身を内側から焼いているかのように、いつも痛々しさを伴うのはなぜ?


 俺は、その熱をどう受け止めればいい? 差し伸べられているらしいその手を、掴んでもいいのかすら、わからなくなる。

 

 けれど、色々と理由を付けてみたところで、何も変わりはしない。

 なんのことは無い、結局俺は、そんな危うさを抱えた君に、どうしようもなく魅入られている。本当に、そう思うよ。


「……変なこと言ってごめんね」

 

 先にその重い沈黙を破ったのは、君だった。

 彼女は、俺の答えなんて求めていないのだろう。時に誰よりも甘く、時に自分を戒めるかのよう厳しく律する人。

 

 彼女は素早くゴミ袋の口をぎゅっと、強く強く縛った。

 まるで、今こぼれ落ちた本音を、二度と漏れ出てこないよう封じ込める。そんな強い意志を、指先に込めて。

 そうして、今のやり取りを洗い流すべく、洗面所で丁寧に手を洗い始める。

 

 その一連の動作が、彼女なりのやり方で『いつもの九条 葵』に戻ろうとしている儀式なのだとすれば。わかった。俺も、それに付き合うよ。

 そう望むなら……。

 

 そして俺は改めて、目の前にある洗濯物の山を前に、途方に暮れる。

 この不自由な手で、どうやって畳んだものか。現実的な問題に思考を切り替えていると、やがて彼女が戻ってきた。

 その顔には、もうさっきのような痛々しい色はなくて、どこか決意を秘めたような、静かな表情が浮かんでいた。

 少なくとも表面上は、いつもの彼女に戻っているようだった。


「あのね、水無月くん」

 彼女は、俺の目を真っ直ぐに見つめて言う。


「お願いというか、私、思ったのだけど」

「うん、何を?」

「その……今日みたいに、またいつ何があるか分からないし。貴方が怪我をしている間は、特に」

 彼女は一旦言葉を切ると、僅かに綺麗に片付いた室内をゆっくりと見渡した。


「定期的に空気の入れ替えとお掃除くらいは、来た方がいいと思わない?」

「まあ、そうだね。空気の入れ替えくらいはしたいかな」

 彼女は強く唇を結ぶと、意を決したように続けた。


「……だから、私にも、合い鍵、もらえないかな?」


 合い鍵って。


 それは、あまりにも重くて、あまりにも親密な響きを持つ言葉だよ。昨日までの俺ならそれだけで狼狽し、戸惑い、訳も分からず頭が沸騰していたに違いない。

 どうして君が!? ってな風に。

 だけど今は、違う。俺はもう決めたんだ。

 彼女の不可解な痛みも、抱える苦悩も、秘めたる危うさも。そして今、目の前にある『現実的な彼女』も。 全て受け入れると。


 九条 葵さん、君がそう望むなら。

 俺の答えは、もう決まっているんだ。


「合い鍵だね……わかった」


 短く答えた。

 速すぎる答えに、むしろ彼女の方が目を見開いているぐらいだ。

 俺はベッドの脇にある、小さなローチェストの一番上の引き出しを、不自由な左手で引いた。それからガチャガチャと音を立て、充電器のコードや古いキーホルダーに混じった、銀色の鍵が一つ顔を出す。


 俺はそれをつまみ上げると、九条さんにそのまま差し出した。

「これで、いい?」


 まるで、昨日借りたノートを返すかのように、当たり前のこととして。

 俺がそう尋ねると、彼女は差し出された鍵をすぐには受け取らなかった。

「……こ、こんなに、あっさり。いいの?」

「九条さん、持っておきたいんでしょ?」


「それは、そう、だけど……」

「なら、いいんだ。持っててよ。別に返さなくていい」

「蒼くん……」


 改めて鍵を差し出すと、彼女は、その美しい唇をわずかに震わせた。

 そうして、おそるおそる、細い手を伸ばして、俺の手のひらから冷たい金属の鍵をそっと拾い上げるんだ。


 受け取った鍵を、手のひらの上でじっと見つめている。

 やがて、その視線が、鍵のリングにぶら下がっている小さなマスコットに留まった。それは、少しくたびれた緑色の、フェルト生地のカエルだった。


「……ふふ」

 君が、小さく息を漏らすように笑う。

「カエルさんのキーホルダー。可愛いわね」


「あ……」

 俺はその指摘に一瞬言葉に詰まり、照れくさくなって思わず頭をかいた。合い鍵というシリアスな場面には、あまりにも場違いで、子供っぽいアイテムだったからさ。

 よりによってカエルだぞ……。


「それ……婆ちゃんがくれたやつなんだよ」

「お婆さまが?」


「うん。『無事カエル』ってさ。ホント……古いよな、もう令和だってのに」

「ううん」

 九条さんは、その色褪せたカエルを、愛おしいものに触れるかのように、そっと指先で撫でている。

 ころころ、ころころとカエルが揺れていた。


「素敵よ……『無事、カエル』」

 彼女は、その言葉を反芻するように呟くと、マスコットごと、銀色の鍵を大切そうにぎゅっと握りしめていた。


 それから、宝物を扱うかように、合い鍵(と、くたびれたカエル)を、履いていたパンツのポケットに、そっと忍ばせる。

 ふふ、と一つ、満足そうな息をついて。


 視線が、再び現実へと戻ってくる。

 俺がベッドの脇に積み上げた、あの洗濯物の山へと。


「さて、と」

 彼女は、『次のミッション』に取り掛かるかの如く、すっと立ち上がり、その洗濯物の山へと歩み寄った。

「これも片付けないとね」

「え?」

「水無月くん、その手じゃ畳むの大変でしょう? 私がやっておくわ」


 待て。

 待ってくれ、九条さん。違うんだ。


 彼女は、あの『洋服屋の店員さん』の技を披露した時と同じように、何の躊躇もなく、その山の頂上にある俺のシャツを手に取る。

 シュッ、シュッ、と本当に数回。たった数回、空中で布を捌くと、あっという間に完璧な四角形が出来上がる。すごい……とても早いし、何より形が綺麗だ。


 だが、問題はそこじゃない!

 頼むからちょっと、待ってくれ。


 俺はあの時、シャツやタオルの山の中に、アイツらを隠した。

 君に見られないよう、こっそりと。

 俺の、あまりにも『プライベート』すぎる布たちを。


 さっき決めたばかりだって?

 彼女の不可解な痛みも、抱える苦悩も危うさも。全て受け入れると。

 バカな、それと『恥』は違うだろ!


 彼女の痛みは受け入れられるさ。だが、学校一の高嶺の花に、憧れだった女性に己のパンツを畳ませるという、この凄まじい『羞恥』は、断じて受け入れられない!

 付き合ってる訳じゃないんだぞ?

 ただのクラスメートでしかないのに、無理だろ。


「あ、いや、九条さん! 待って!」

「なに?」

 彼女は、早くも四枚目のシャツを畳みながら、不思議そうに小首を傾げている。

 くっ、こういう時の手際ほど厄介なものはない。

 なんで、そんなにも早いんだよ。

「これは! このまま積んでおいてくれればいいから!」

 

 必死に制止すると、彼女はやっと動きを止めてくれた。ふう助かった。

「でも、どうして? このまま畳んでしまえば、いいじゃない」

「だ、大丈夫! シワになってもいいやつだから」


 俺の見え透いた嘘を、彼女はじっと見つめている。

 その目が、スッと細められた


「ねえ、水無月くん、本当のことを言って」


「う……!」

 彼女の、有無を言わせぬ静かな圧に、俺は一瞬で言葉に詰まる。

 視線を泳がせ、何か別の言い訳を探そうとするけど、彼女の真剣な瞳から逃れられない。

 ああ、もう。ダメだ。

「その……下着とかまで、君に畳んでもらう訳にはいかないだろと思って」

 ~あとがき~

 第23話、お読みいただきありがとうございます。作者の神崎 水花です。


「面白かった!」「この後の展開が気になる!」と、少しでも思っていただけましたら、ぜひ下の「☆☆☆☆☆」を「★★★★★」に変えて、応援していただけると嬉しいです。飛び上がって喜びます。


 ブックマークや感想も、どうぞお気軽に。次回も、よろしくお願いいたします。

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