第23話 悲しきアンビバレンス
甘い吐露と、悲痛なまでの痛み。
その二つが混在するアンバランスな姿こそが、彼女の美しさの秘密だったりするのだろうか。俺にはまだ、わからない。
君が時折見せる熱は、確かに俺に届いている。
『あなたのだから』という、あの言葉のように。
それなのに、その熱は、まるで彼女自身を内側から焼いているかのように、いつも痛々しさを伴うのはなぜ?
俺は、その熱をどう受け止めればいい? 差し伸べられているらしいその手を、掴んでもいいのかすら、わからなくなる。
けれど、色々と理由を付けてみたところで、何も変わりはしない。
なんのことは無い、結局俺は、そんな危うさを抱えた君に、どうしようもなく魅入られている。本当に、そう思うよ。
「……変なこと言ってごめんね」
先にその重い沈黙を破ったのは、君だった。
彼女は、俺の答えなんて求めていないのだろう。時に誰よりも甘く、時に自分を戒めるかのよう厳しく律する人。
彼女は素早くゴミ袋の口をぎゅっと、強く強く縛った。
まるで、今こぼれ落ちた本音を、二度と漏れ出てこないよう封じ込める。そんな強い意志を、指先に込めて。
そうして、今のやり取りを洗い流すべく、洗面所で丁寧に手を洗い始める。
その一連の動作が、彼女なりのやり方で『いつもの九条 葵』に戻ろうとしている儀式なのだとすれば。わかった。俺も、それに付き合うよ。
そう望むなら……。
そして俺は改めて、目の前にある洗濯物の山を前に、途方に暮れる。
この不自由な手で、どうやって畳んだものか。現実的な問題に思考を切り替えていると、やがて彼女が戻ってきた。
その顔には、もうさっきのような痛々しい色はなくて、どこか決意を秘めたような、静かな表情が浮かんでいた。
少なくとも表面上は、いつもの彼女に戻っているようだった。
「あのね、水無月くん」
彼女は、俺の目を真っ直ぐに見つめて言う。
「お願いというか、私、思ったのだけど」
「うん、何を?」
「その……今日みたいに、またいつ何があるか分からないし。貴方が怪我をしている間は、特に」
彼女は一旦言葉を切ると、僅かに綺麗に片付いた室内をゆっくりと見渡した。
「定期的に空気の入れ替えとお掃除くらいは、来た方がいいと思わない?」
「まあ、そうだね。空気の入れ替えくらいはしたいかな」
彼女は強く唇を結ぶと、意を決したように続けた。
「……だから、私にも、合い鍵、もらえないかな?」
合い鍵って。
それは、あまりにも重くて、あまりにも親密な響きを持つ言葉だよ。昨日までの俺ならそれだけで狼狽し、戸惑い、訳も分からず頭が沸騰していたに違いない。
どうして君が!? ってな風に。
だけど今は、違う。俺はもう決めたんだ。
彼女の不可解な痛みも、抱える苦悩も、秘めたる危うさも。そして今、目の前にある『現実的な彼女』も。 全て受け入れると。
九条 葵さん、君がそう望むなら。
俺の答えは、もう決まっているんだ。
「合い鍵だね……わかった」
短く答えた。
速すぎる答えに、むしろ彼女の方が目を見開いているぐらいだ。
俺はベッドの脇にある、小さなローチェストの一番上の引き出しを、不自由な左手で引いた。それからガチャガチャと音を立て、充電器のコードや古いキーホルダーに混じった、銀色の鍵が一つ顔を出す。
俺はそれをつまみ上げると、九条さんにそのまま差し出した。
「これで、いい?」
まるで、昨日借りたノートを返すかのように、当たり前のこととして。
俺がそう尋ねると、彼女は差し出された鍵をすぐには受け取らなかった。
「……こ、こんなに、あっさり。いいの?」
「九条さん、持っておきたいんでしょ?」
「それは、そう、だけど……」
「なら、いいんだ。持っててよ。別に返さなくていい」
「蒼くん……」
改めて鍵を差し出すと、彼女は、その美しい唇をわずかに震わせた。
そうして、おそるおそる、細い手を伸ばして、俺の手のひらから冷たい金属の鍵をそっと拾い上げるんだ。
受け取った鍵を、手のひらの上でじっと見つめている。
やがて、その視線が、鍵のリングにぶら下がっている小さなマスコットに留まった。それは、少しくたびれた緑色の、フェルト生地のカエルだった。
「……ふふ」
君が、小さく息を漏らすように笑う。
「カエルさんのキーホルダー。可愛いわね」
「あ……」
俺はその指摘に一瞬言葉に詰まり、照れくさくなって思わず頭をかいた。合い鍵というシリアスな場面には、あまりにも場違いで、子供っぽいアイテムだったからさ。
よりによってカエルだぞ……。
「それ……婆ちゃんがくれたやつなんだよ」
「お婆さまが?」
「うん。『無事カエル』ってさ。ホント……古いよな、もう令和だってのに」
「ううん」
九条さんは、その色褪せたカエルを、愛おしいものに触れるかのように、そっと指先で撫でている。
ころころ、ころころとカエルが揺れていた。
「素敵よ……『無事、カエル』」
彼女は、その言葉を反芻するように呟くと、マスコットごと、銀色の鍵を大切そうにぎゅっと握りしめていた。
それから、宝物を扱うかように、合い鍵(と、くたびれたカエル)を、履いていたパンツのポケットに、そっと忍ばせる。
ふふ、と一つ、満足そうな息をついて。
視線が、再び現実へと戻ってくる。
俺がベッドの脇に積み上げた、あの洗濯物の山へと。
「さて、と」
彼女は、『次のミッション』に取り掛かるかの如く、すっと立ち上がり、その洗濯物の山へと歩み寄った。
「これも片付けないとね」
「え?」
「水無月くん、その手じゃ畳むの大変でしょう? 私がやっておくわ」
待て。
待ってくれ、九条さん。違うんだ。
彼女は、あの『洋服屋の店員さん』の技を披露した時と同じように、何の躊躇もなく、その山の頂上にある俺のシャツを手に取る。
シュッ、シュッ、と本当に数回。たった数回、空中で布を捌くと、あっという間に完璧な四角形が出来上がる。すごい……とても早いし、何より形が綺麗だ。
だが、問題はそこじゃない!
頼むからちょっと、待ってくれ。
俺はあの時、シャツやタオルの山の中に、アイツらを隠した。
君に見られないよう、こっそりと。
俺の、あまりにも『プライベート』すぎる布たちを。
さっき決めたばかりだって?
彼女の不可解な痛みも、抱える苦悩も危うさも。全て受け入れると。
バカな、それと『恥』は違うだろ!
彼女の痛みは受け入れられるさ。だが、学校一の高嶺の花に、憧れだった女性に己のパンツを畳ませるという、この凄まじい『羞恥』は、断じて受け入れられない!
付き合ってる訳じゃないんだぞ?
ただのクラスメートでしかないのに、無理だろ。
「あ、いや、九条さん! 待って!」
「なに?」
彼女は、早くも四枚目のシャツを畳みながら、不思議そうに小首を傾げている。
くっ、こういう時の手際ほど厄介なものはない。
なんで、そんなにも早いんだよ。
「これは! このまま積んでおいてくれればいいから!」
必死に制止すると、彼女はやっと動きを止めてくれた。ふう助かった。
「でも、どうして? このまま畳んでしまえば、いいじゃない」
「だ、大丈夫! シワになってもいいやつだから」
俺の見え透いた嘘を、彼女はじっと見つめている。
その目が、スッと細められた
「ねえ、水無月くん、本当のことを言って」
「う……!」
彼女の、有無を言わせぬ静かな圧に、俺は一瞬で言葉に詰まる。
視線を泳がせ、何か別の言い訳を探そうとするけど、彼女の真剣な瞳から逃れられない。
ああ、もう。ダメだ。
「その……下着とかまで、君に畳んでもらう訳にはいかないだろと思って」
~あとがき~
第23話、お読みいただきありがとうございます。作者の神崎 水花です。
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