第20話 まさかのスーパーポンコツ属性
電源を入れると、コミカルで可愛らしい起動音が鳴った。
「……すごい。本当に、テレビに映るのね」
直前の、恥じらう熱など忘れたかのように、切れ長の瞳をきらきらと輝かせて、純粋な感動の声を上げる九条さんがいる。
「はは、まあね……」
ついさっき、素敵な胸元を盗み見て、盛大に自爆した俺だから。
彼女の無垢な輝きがそれはもう眩しすぎて、まともに目も合わせられない。
俺は、そのどうしようもない気まずさを振り払うように、半ばヤケクソで、もう一つのコントローラーを手渡した。
「せっかくだからさ、九条さんも一緒にしようよ」
それは、俺がこの家に連れてこられてから、初めて口にした明確な誘い。能動的な言葉だった。不意打ちとも言える提案に、彼女の、きらきらと輝いていた表情がはっきりと揺らぐ。
「え、でも……、私はそういうの、したことがないから」
「ええっ!? ホントに? ゲームをやったことない人なんているの??」
わざとらしく大げさに返してみる。
このご時世、そんな天然記念物みたいな奴、そうそういないだろ……な、なあ?
「う……いじわる言うの?」
潤んだ瞳でこちらを睨むその声は、どこか幼い子供のようで。
──くっ、そんな顔は反則だろ。
「え、いや、ごめん。でも、これはこれで、楽しいよ」
「でも……きっと、ちゃんとできないから」
本当に珍しい、彼女の自信なさげな声。
あの、完璧超人たる九条 葵が、初めて見せた純粋な『弱音』の音。それを聞くと俄然、そこに優しく触れてみたくなるのが、男心というものでは。
優しくリードしてあげたいような。少しばかり、苛めてみたいような……。
これって、俺だけ?
「大丈夫。二人でやれば、一人でするよりずっと面白いはずだから。ちゃんと俺が教えるし。ね?」
「あー、それにほら、俺はこの手だろ?」
俺はそう言って、ギプスで吊られた右腕と、まだ添え木が当てられた左手を軽く掲げてみせた。少し大げさにね。
「まともにコントローラー握れるかも怪しいんだ。だから、九条さんがメインで、俺は必死にサポートするよ」
「え、でも、それじゃあ……」
「いいから。俺が九条さんとゲームしたいんだ」
真っ直ぐに笑いかけると、彼女は数秒のあいだ視線を彷徨わせ、逡巡したのち、
「しょうがないわね」
と、小さな覚悟と少しの緊張感を漂わせて、こくりと頷いてみせた。
俺は、何本かあるソフトの中から、この世で最も有名で、操作が簡単な部類にはいるであろう、あの『髭の配管工がカメを踏むゲーム』を選ぶ。
これなら、彼女でも大丈夫なはず。いくら不慣れであってもね。
さあ、始まりの草原フィールドだ。
この軽快なBGM。いいね。テンションが自然と上がってくる。
「この……おじさんを、動かせばいいの?」
……おじさんて(笑) 真横でいきなり変なツボを刺激するのはやめてほしい。笑いを堪えるのが大変じゃないか。
「そうそう。俺も出来るだけアシストするから、頑張って」
「わ、わかったわ」
画面の右からゆっくりと、茶色い栗が歩いてくる。世界で一番踏んづけられているであろう栗が、ノコノコと。ノコノコだって!? ふう、危ない危ない。
「……なに、あれ。可愛いわね」
「あ、九条さん、それ敵! 踏まないと!」
「踏む? どうして? こんなに可愛いのに」
「いいから、ジャンプして!」
あ……。彼女の『おじさん』は、その『可愛い栗』に優しく触れるように、トコトコと真正面からぶつかっていった。
ポポッポ、ポポポポーン♪
……あまりにも有名な『死亡音』が、部屋に響く。
うそだろ?
この世に、最初の栗で死ぬ奴なんているのか!?
だが、まだだ!
残機は十分にあるっ。
「……今、何が起きたの?」
「いや、あの、アイツ敵だからさ……当たると死ぬんだよ」
「敵!? あんなに可愛かったのに?」
「う、うん……よし、次いこう、次!」
気を取り直して、二機目。ちがう、おじさん二人目……か。
ふと横を見ると、彼女はいつの間にか床に正座していた。完璧な姿勢でコントローラーを握りしめている。……真面目か!
彼女は今度こそ慎重に、その栗を飛び越えた。
いいぞ! 九条さん。
さすがの対応力だ!
「この、光ってる箱は、なあに?」
「あ、それ、下から叩いて! ジャンプで!」
「こ、こう?」
彼女の『おじさん』が、可愛らしくジャンプする。
モコモコモコ、と。
箱から茶色くて可愛い、キノコのようなものが飛び出した。それが下へ落ちると、彼女の『おじさん』めがけて進んでくる。
「えいっ!」
こんな時に限って、華麗なジャンプでキノコを飛び越える。
「ああっ!? なんで避けるのさ!」
「えっ、だって、当たると死んでしまうって」
キノコは、そんな彼女の狼狽などどこ吹く風で、そのままスルスルと進み続け、やがて画面の端へと消えていった。
……ああ、アイテムが。
ハハ、この乾いた絶望感はきっと、俺以外の誰にもわかるまい。
どこか必死な様子で、前のめりにプレイする九条さんがいて。
それが時折、こちらへ振り向いては色々な表情を見せてくれる。
不安そうな顔。
嬉しそうな顔。
ホッとした顔。
花咲くような笑顔。
それらがまた、とても可愛いんだ。
「わ、今度は端からカメさん。羽がついてるわ。これも、可愛……あ」
ポポッポ、ポポポポーン♪
芽生えたばかりの──繊細で詩的な感情が、容赦なく吹き飛ばされる。
まさかの、ポンコツという暴虐に。
不思議な軌道を描く空飛ぶカメに、真正面から当たりにいくのだから、もうどうにも救えない。小学生でも、君より上手いと思うぞ。
盛り上がりつつあった俺の情緒を返せ。
俺は、深く、長いため息をついた。
これは、想像以上に厳しい戦いになりそうだぞ……。
そして三人目のおじさんが、満を持して登場。
嘘つけ、満身創痍だろ。
彼女は、今度は戦略を変えたらしい。面白い着眼点だとは思う。キノコも、箱も、全てを無視して、ただひたすらに右へとダッシュしたんだ。
一陣の風のように。
「あ、九条さんそこ、穴! 穴だって!」
「え?」
ヒュゥゥゥゥ……。
彼女の『おじさん』は、この世で最もありふれた、至極簡単な部類の、あの『縦穴』に綺麗に吸い込まれていったよ。
──GAME OVER──
いや、終わるの早えよ!
うそだろ、最初のステージさえクリアできないなんて。
画面に表示された無情な文字と、流れるおどろおどろしたBGM。隣で呆然としている完璧美人の姿が、あまりにもシュールすぎて、俺はつい声を上げて笑ってしまった。
「プッ……! く、ふふ……っ」
こらえきれず、息が漏れる。
「あ、はは、あははは! ぐっ……い、痛たっ!」
肋骨の痛みがまるで罰のように、笑いの発作のたびに全身を痛く貫く。
だが、もうダメだ。その激痛すらもが、このどうしようもなく滑稽な光景の、最高のスパイスになっていた。
あの九条 葵がだぞ。最初の栗と、空飛ぶカメと、ただの穴に、完膚なきまでに叩きのめされたのだから。
ああ、なんだ。
この人、めちゃくちゃ不器用じゃないか。
それにして、下手がすぎる! 幼稚園児か!
「……ひどい!」
俺が痛みに耐えながら、息も絶え絶えに笑い続けていると、ソファの端から、絞り出すような抗議の声が飛んできた。
見ると彼女は、顔をこれ以上ないくらい真っ赤にして、潤んだ瞳で俺のことを必死に睨みつけている。ちなみに全然怖くない。
「だから、やりたくないって言ったのに……!」
あの『高嶺の花子さん』が、だ。
さっきまで正座していたあの姿で、カメに猛然と突っ込んでいく姿を思い出すと、俺の笑いのツボは、さらに深く刺激される。
オマケに穴だぞ? 何の抵抗もなく落ちていく。
「何回も、何回も断ったのに!」
「ご、ごめん。でも、あはは! い、痛っ……! あまりにも下手くそで……!」
謝罪になっていない謝罪。特に最後の「へたくそ」という言葉が、彼女の羞恥の導火線に、完璧に火をつけたらしい。
「ああっ!? そ、蒼くんの、バカ! もう知らない!」
ぽすん、と。彼女はコントローラーをソファのクッションに優しく(?)叩きつけると、ぷいっと、今度こそ俺から顔をそむけてしまった。
「もう絶対に、二度としないんだから!」
「ええっ、どれだけお願いしても?」
「う、どれだけお願いしてもよ!」
背中を向けて、本気で拗ねている。
激痛が走る肋骨と、それとは全く別の理由で、どうしようもなく高鳴る心臓を抱えながら。
この、あまりにも不器用で、あまりにも愛おしい『高嶺の花』を、どうやってあやしたものか、と途方に暮れるのも存外悪くない。




