『三年目の学祭は!(下)』✦ヴァン・マリエラ視点(三年後期)
さて学祭二日目の午後、窓の暗幕を全て下ろした講堂に全生徒が集まっている。光源は舞台のみ、暗闇に包まれて皆非日常感を楽しんでいる。
俺たちC組の演劇は三番手、無事に終わったところだ。俺もフィリップも裏方に回り、演出の幻影魔法をする係だった。題目は著名な舞台演劇を簡略化したもので、毎年一クラスは演るような定番のもの。その分、演出魔法を派手にした。
マリエラたち三年D組は五番手でトリ。順番は事前のくじ引きで決まる。一番目も嫌だが最後もプレッシャーがかかる。マリエラは演者として舞台に立つらしい。たぶん、押し切られたんだろうな……。
『続きまして、演劇部門最後のクラスとなります。三年D組による『月の女王、光の姫、そして時々恋慕の魔王』です』
恋慕の魔王……?
ブ――――――ッ と空気を断ち切るようなブザーが鳴り、舞台の幕が上がる。
舞台は王宮の玉座。魔法による爆破や斬撃による衝撃波の跡で、煌びやかであっただろう壁や支柱は傷だらけだ。騎士や王族らしき倒れている人間が黒い影となって表現され、生き残りは姫二人。着ているドレスは斬撃や焔に灼かれボロボロだ。
ソフィーさんは桃色のドレスを、マリエラは水色のドレスをまとい、恐怖と憎しみ、そして悔しそうに目の前の黒い侵入者を睨み付けている。
『どうして……っ!』
マリエラがソフィーさんを背後にかばいながら悲鳴のような声をあげた。あちこち破れたドレスからは太腿がちらちらとのぞく。見えそうで見えない絶妙な計算を感じる。誰ですかこれを考えた人は出てきなさい褒めてあげるから。
『どうして? アハッ! アハハハハハハハッ!』
男の哄笑が響く。黒髪に黒のマント、髪色は変えているようだがあれはロイだ。『月の女王、光の姫』の童話アレンジのようなので彼は魔王ということになる。
『私はどうなってもいい。妹には手を出さないでくださいますか、魔王』
『そんな、お姉様っ』
妹姫をかばう姿が普段のマリエラと似ている。――と、おそらく皆思っている。
『ふうん? 自分にはその価値があるとでも?』
愉しそうに蔑んだ声で言う魔王にマリエラは怯まない。姫二人だけ残っているこの時点で、おそらく魔王の目的は既に完遂されている。
『いいよ。そこの妹には手を出さない。お前は俺と共に来てもらう。マリエラ』
あ、役名はそのままいくんだ。
魔王はマリエラの顎をすくい上げて微笑む。首元に手をそえた次の瞬間、マリエラに首輪がはめられた。後方座席にも分かりやすいように分厚くゴツい、照明にキラリと反射する金色の首輪である。
……。
この趣味、リズベット嬢かな? 絶対一部の生徒が沸いてると思うんだけどぉ。
『お姉様っ……お姉様ぁっ!!』
ソフィーさんが悲痛に叫ぶ中、魔王とマリエラが消える。空間転移魔法な訳ないから、上手いこと幻術魔法で隠したんだろう。なかなか凝っている。
王宮に残された妹姫は姉を取り戻す決意を固め、生き残った家臣たちと共に国の立て直しと魔法の修行をする。がむしゃらに頑張る日々、天啓が落ちるように魔法の才が目覚める。その瞬間の演出は投影魔法や幻術魔法を駆使したもので、観客は妹姫とシンクロするような高揚感がわいてくるものだった。講堂全体が「おお……」と唸っていたし、俺も舞台に魅入った。
そして妹姫たちは自国の罪を知る。前国王や重鎮たちは魔族や魔物の子どもを攫い、奴隷貿易をしていたのだ。
そこで舞台が暗転し、魔王城のバルコニーに変わる。美しいドレスを着たマリエラが月を見上げて物思いにふけっている。ノースリーブで足首までストンと落ちたドレスはネグリジェのようにも見えるが、薄水色のうろこを散りばめたような生地で、照明の光を反射して虹色にきらきら輝いて眩しい。闇夜を泳ぐ人魚姫のようだ。
『マリエラ姫、ここにいたか』
上等そうな黒いシャツに黒いズボン、漆黒の闇に溶けるような雰囲気の魔王が舞台の上手からやって来る。
『……魔王。あなた、何がしたいの』
『それ、俺のセリフだけど。お姫様が魔王城で何働いてくれちゃってんの? そんなこと一言も言ってないよな? 囚われたお姫様はしくしく泣いてりゃいいんだよ』
『こんなの、捕虜の扱いじゃないわ』
『姫が捕虜だなんて一言も言ってないよね? 俺、タイプの女は愛でる趣味なの』
『……。あなたが父たちを襲撃した理由が、分かったわ』
マリエラは跪こうとした。それを魔王が両腕を引っ張り上げることで止める。
『俺、アンタに謝罪してもらうために連れてきたわけじゃない』
『だったら、どうして』
『可愛い女の命乞いを聞いた。ってことにしとけば?』
心底分からない、という顔をするマリエラに魔王は微笑む。ゆっくりと身を屈め、顔を近づけ、あわや本当にキス――のあたりでさっと客席に背を向けて分からないようにし、舞台が暗転した。
観客全員が息を詰めていた。
隣の席のフィリップが俺の腕をつつき、「ねぇなんかヴァンに似てない?」とかほざいた。
この脚本、リズベット嬢だよな!? ロイも共犯。俺に恨みでも?
舞台が明るくなり、変わって妹姫の方。魔国に謝罪すると決めたソフィーたちは魔王城へ向かう。すんなり城内へ導かれると魔国の幹部ダニエルが立ち塞がり、問答無用で戦いを挑まれる。白熱したソフィー対ダニエルの戦闘シーンだ。舞台上に魔法障壁を張ってあるようで、結構無茶苦茶に二人が戦っている。
ダニエルが押されたところで魔王が登場し、ソフィーの前に立ち塞がった。しかし防御一辺倒で全く攻撃しようとしない。疑問に思うもソフィーの攻撃は威力を増していく。そのとき、舞台の端っこにマリエラが現れる。彼女は魔王の戦いを見てハッとする――観客たちもそのとき分かった、彼は“妹には手を出さない”というマリエラとの約束を守っている。
『魔王!』
マリエラは二人の間に飛び出し、魔王の正面に両手を広げて立ち塞がった。突然の乱入者に二人の戦闘が止まる。
『お姉様!』
魔王は諦めたように剣を下ろし、ソフィーは姉の姿に立ち尽くす。
『約束を……守ってくださり、ありがとう』
『……』
無言でマリエラたちを見つめる魔王に、姉妹は跪いて心からの謝罪をする。魔王は剣を鞘におさめ、静かに言った。
『帰るがいい、人間の国の姫よ。今度は正式に使者を送って来い』
魔王が軽く手を薙ぎ払うと、マリエラにはめられた金の首輪がパキンと音を立てて割れ落ちた。呆然としたマリエラは首元に手をやる。魔王に何か言おうとして、でも何も言えず、口を閉じた。
『ダニエル』
『ハッ』
『彼らを送って差し上げろ』
『かしこまりました』
魔王は姉妹に背を向けて舞台を去って行く。ソフィーは涙を滲ませてマリエラに抱きつき、マリエラは魔王が去った方を気にしながら、優しく抱き返した。
『姫君と共の者たちよ。王の命により、国まで安全に送って差し上げる』
重苦しいダニエルの声を最後に幕が下りた。
えっ……と観客が思った直後、また幕が上がり、そこはマリエラ姫の戴冠式になっていた。女王に君臨したマリエラは真っ青なドレスを着て金色の王冠をかぶっている。ソフィーさんも新しいドレスに着替えていて、驚きの早着替えである。どうやったのだろう。
場面はすぐに変わり、今度は玉座の控え室のような場所でソフィーと共に冒険していた青年と三人で話すシーンに移った。
『あと数年、面倒なことは私が頑張るから、その間に二人は結婚しちゃいなさい。それからソフィーに王位を譲るから』
『そんな、お姉様!』『じょ、女王!』
マリエラはふふんと微笑んで、バルコニーへ出る。ソフィーと青年は上手へ退場、背景は夜空へと変わる。
『魔王! 魔王! 聞こえているのでしょう?』
マリエラが軽やかな声で叫ぶ。そうすると闇夜から舞い降りたように突然魔王が現れた。
『お前ね……』
『やっぱり来た』
艶やかに笑うマリエラに魔王は閉口する。
『私、頑張ります。だからあと数年、待ってくださいますか』
『何の話』
『それと半年後に舞踏会を開きます。そこに来てくださる? 最後に登場して、そのまま私とダンスしてください』
『どうして』
『でないと私、踊った殿方を王配に迎えないといけないかも』
『……。分かったよ』
心底面白くなさそうな魔王に、くすくす笑うマリエラ。その二人の様子がなんだか微笑ましく、見ていて和むような、こそばゆい感じがする。
『……じゃ、予行練習』
魔王がマリエラに手を差し伸べた。今まで恐ろしい雰囲気を出していた魔王が、せいぜい格好付けた青年のように見える。
『はい!』
マリエラが魔王の手を取り、微笑みあう。そこで二重の幕が下りてゆく。
魔法演出で『おしまい』と投影されると、会場から拍手が起こった。
……なるほどね、時々恋慕の魔王、ね。
でもあれ、なんか
「やっぱあの魔王ってヴァンじゃない?」
うすうす感じていたことをフィリップに言われた。無言で睨んだがニヤニヤと笑っている。
……いやいや、ロイが口調を俺に寄せてきてるからだろ!? ちょっと腹立つ具合に!
「面白かったね。なんというか……見所がいっぱい、って感じ」
「確かに。ってゆーかそれを目的に作ってるんだろうな」
「あは。そうだね。特にマリエラの首輪とか絶対そう。でも実際に入学前からやってる人を僕は知ってるけど」
「……」
「ごめんごめんそんな睨まないで。……あはっ」
「おまえ、優しい殿下とか言われてるけど中身全然違うよな。詐欺だよな。特にソフィーさんの前では思いっきり猫かぶってるもんな」
「いやいやヴァンに言われたくないよ」
フィリップは綺麗な笑顔を浮かべた。
胡散くせー。
◇ ◇ ◇
「みんなお疲れ様ー!」
「「「お疲れ様でしたー!!!」」」
舞台が終わったD組は控え室で健闘をたたえ合った。みんな晴れやかな笑顔である。多少気になるところはあるけれど、全体的に演劇は大成功だ。
「マリエラ様、演技すっごく良かったです! やっぱり首輪は最高でした許可してくださってありがとうございますご馳走様で……違った、素晴らしかったです!」
「リズベット様の期待に応えられて良かったわ。……ねぇご馳走様ってなに?」
リズベット様は答えずンフフフフフとほくそ笑みながら別の演者のもとへ向かった。まぁいいか……。
「お疲れ様ですマリエラ様。演技だとは分かっていても、一瞬どきりとしましたよ」
魔王のマントを脱いだロイ様はほっとした笑みを浮かべている。彼でも緊張するのか、と少し新鮮だ。
「お疲れ様です。ロイ様は流石でした。怖いところは迫力があって……あと、喋り方ヴァンに寄せましたね?」
「あはははははは。いやー例のシーンでは殺気が背中に刺さってビリビリしましたよ」
「……ヴァンに真似てること気付かれたんじゃないですか」
「あははははははは」
魔王の喋る抑揚がヴァンとよく似ていた。ベースは少し皮肉げに、ふいに優しく喋り、強者特有の余裕ある雰囲気と、斜に構えた立ち姿、黒髪で黒づくめ、最強の魔王。フィリップ殿下あたりがネタにしてヴァンで遊びそうだが、ロイ様も楽しそうだ。
そこにクラスメイトがやって来て、興奮した様子で私の袖をつつく。
「マリエラ様! その、お兄様がご挨拶に来られてます」
「えっ?」
聞いてない、と入り口の方を見ると次兄のルシオラお兄様がいた。「え、ほんとうになんで」
四つ上のルシオラお兄様は王宮に勤めていて、そこそこ忙しくしているはずである。外見は私よりも妹似の、愛嬌のある顔立ち。銀色の髪を後ろでちょこんとくくり、高い身長にモッズコートを羽織っている。涼やかだが可愛らしさもある、非常に整った美貌でにこにこと笑顔を振りまき、私に手を振っていた。
「かっっっっっっこよ!」「マリエラ様のお兄様だって? ひぇ」「遺伝子だな……」などなどクラスメイトが多分褒めてくれている中、小走りで向かう。
「ルシオラお兄様! 来てくださったのですか」
「うん。本当は父上も兄上も来たかったらしいんだけど、今日は外せなかったんだって。劇良かったよ~面白かったし、うん、皆すごく良かった!」
お兄様はクラスの皆に拍手をした。皆、照れながらありがとうございますとお辞儀する。
「父上がね、映像記録撮ってこいって。ちゃんと撮れたよ。また皆で観よう」
「えっ」
「マリエラ上手だったねぇ。学校生活楽しそう。良かった」
「はい……楽しい、です」
うん、とルシオラお兄様が頷く。その安堵混じりの笑みに、ちょっと心配されていたんだなと実感した。
「ヴァン君にも会って行きたかったけど、もう時間ないや。よろしく言っといて」
「ルシオラお兄様もヴァンと交友があるのですか?」
「うん? そりゃ、もちろん、あるよねぇ……」
呆れたような、微笑ましいような、よく分からない複雑そうな顔をしてお兄様は苦笑した。
「ヴァンにはよろしく? 言っておきます」
「あはは。うん、よろしく言っといて。ではD組の皆さん、素晴らしい劇をありがとう。妹をこれからもよろしくね!」
そう言って颯爽と去って行くルシオラお兄様に、クラスメイトの誰かが「あれはタラシ属性……」と呟いた。横を見るといつの間にかソフィーさんが右腕に抱きついており、入り口の方を見つめたまま小さく甘い吐息をもらす。
「お兄様、マリエラ様とよく似ていますね」
「えっ、どこが?」
「優しくて、面倒見良さそうなところです」
「ソフィーさん、私のことそんな風に思ってくれてるの?」
問い返すと、ソフィーさんが目を大きく開いてパチリパチリと瞬きする。それから相好を崩してもたれかかってきた。
「エヘヘぇ」
「わ、重い、重いわソフィーさん」
「ほんと二人仲良いよね。はい、こっち向いてー」
ロイ様にクラス記録保存用のカメラで写真を撮られると、あとは記念撮影会になった。魔王城の侍女役だったベリア嬢と二人で撮られたり、ロイ様やダニエルさんも加わって魔王城組、皆のお願いを聞くかたちで金の首輪をはめての写真撮影など、着替え時間のギリギリまで楽しんだ。
その後の閉会式で、我が三年D組は演劇部門最優秀賞を獲った。
◇ ◇ ◇
学祭を終えた翌日。
マリエラは知らないだろうが、写真部による学祭後夜祭が始まる。学祭中に撮った写真の闇市である。憧れの人、密かに想いを寄せている人、そんな人の素敵な写真をひっそりと購入できる……本人許可なぞ取っていないので完全にグレーな商売だが、知る人ぞ知る大人気祭りである。
ということで早朝、俺は写真部の部室扉を開けた。鍵? んなもん、魔法で強引に破った。
「おはようございまーす」
「「「ぎゃっ」」」
本日の発売に向け、早朝から準備していた八人が俺を見るやいなや潰れたカエルみたいな声を出した。
「どっどどどどどうされましたしヴァン殿」
「あは。如何してそんな怯えてんの? 挨拶しに来ただけなのに」
「いくらヴァン殿でもこれはっ、これは渡せません!」
「へー。それ、本人の許可取った?」
「ここここれは我がアカデミー伝統のッ、伝統のやつですからッ!」
「俺ねぇ伝統とか興味ない」
右手を軽く上に振り、彼らが必死に隠している写真の束を全て空中に浮かせた。そして俺の手前まで持ってきて、一枚一枚分かりやすいように空中で並べる。
「鬼! 悪魔! 悪鬼の所業ですよォォォオ!」
「やっぱり魔王! この御仁こそ魔王!」
「こんなの賊と変わらない! 断固として抗議するッ!」
色々ぎゃいぎゃい言っているが無視。
「これらは没収ね? 大元のデータは消せ、今、目の前で」
予想通り、マリエラが金の首輪をしている写真が多数、ボロボロのドレスを着た絶妙チラリズムも多数、これについてはソフィーさんの分もあったので回収(でないとフィリップがどう出るか分からない)。猫猫レストランでの猫耳カチューシャ写真もあった。いつ撮ったんだ恐ろしいなこいつら。
「そそそそんなぁぁぁ!」
「他のマリエラの写真はおいといてやってるでしょ。むしろ感謝しなよ」
「猫耳は! 猫耳はいいじゃないですか!」
「やだ。俺がやだ」
「ヴァン殿だったら猫耳でも犬耳でもこれから何でもしてもらう機会あるじゃないですかぁぁぁ!」
「……。へぇ」
俺が不自然に黙ったので、写真部員はぴたりと怯えて固まった。
俺とマリエラ、付き合ってるとでも思ってんのかな。ってゆか、そう思われてんのかな?
「首輪だって、普段から付けてもらってるじゃないスか……」
二年生だろう部員が小さく零すと、四年生の先輩が彼の口を手で塞いだ。「バカお前命惜しくないの」とか言っているが、俺のこと何だと思ってるんだろう。
「マリエラのチョーカーはね、いろいろお守り」
首輪じゃないよ(対外的には)。実際色々と山ほど加護をつけてるし……。
ニッコリ微笑むと部員たちはアハアハアハハと乾いた笑いを返してくれた。
こうして俺は一仕事終えたのである。
回収した写真は品質保持と保護魔法を重ねがけし、ソフィーさんの分はフィリップに渡した。
「よくやった、ヴァン」とガチめな瞳に感謝され、俺はあいつらを救ったんだなぁと理解したのだった。
廃部だったぞ。




