そして奇跡は起こった
入った小屋の中は、外観同様、簡素な作りだった。
床と壁は板張りだが、ところどころ隙間が空いていて外の空気が入ってきそうである。
室内は一部屋で、思いの外広めではあった。
入ってすぐに丸テーブルが置かれており、その中央ではランタンが柔らかい灯りがを灯している。
奥にはベッドだ。
その周りには厚手のコートが下がっている。
ベッドの足元には木箱が置かれ、着替えや他の荷物はそこにしまってあるのだろうか。
そして足元には無数の酒瓶が……
ない。
おかしいな、酔っ払いなのに酒瓶がないとは。
ないことはないのだ。
数本の空の瓶が置いてあるだけ。
それにしては、なんだか小屋の中に生活感がない。
いや、生活しているんだろうが、単に寝て起きるだけの場所といった感じでこざっぱりとしている。
どういうことなのだろう。まだここに来て間もないとか?
「何もないが、座れ」
と、彼は奥から背もたれのない質素な造りの椅子を二つ引っ張り出してテーブルの横に並べた。
私たちも勧められるまま、そこに腰を下ろした。
彼はベッドに腰掛けている。
例の鞘はその傍に立て掛けてあった。
「あ、あの! 私たち! どうしても護衛が必要なんです! ですから……」
「その話は何度も聞いた。答えは変わらない。ノーだ」
彼にピシャッと言われ、お嬢様はうなだれてしまった。
私は気になったことを聞いてみることにした。
「あの、あなたが口にした、人の心を忘れたって言うのは? どういう……」
それを聞いて、私はビクッと肩を震わせた。
彼の、私を見る目に鋭さが宿ったからだ。
研ぎ澄まされた、それこそ鋭利な剣のように鋭い目……
それが彼の目となったようで、すぐにでも斬られるかもしれない。
そんなことが頭をよぎり、体がわずかだが震え始めてしまった。
どうしよう……震えが止まらない……
「信頼している者に裏切られた」
彼はその目のまま、静かに口を開いた。
「命を預けられる者に命を奪われそうになった。そうなったら……誰だって人を信じられなくなる」
「……」
そう言う彼を前にして、私は次の言葉が出せなかった。
その目は変わらず鋭い。が、口から出るのはなんと物悲しい声色だろうか。
それにどことなく雰囲気も物悲しい……
「やはり、あなたは心に傷を……」
「お前たちには関係ない。泊めるのは今夜だけだ。明日には出て行け」
ぶっきらぼうにそう言うと、彼は手元にあった瓶を握るとグイッと煽った。
あぁ、空じゃなかったのか。
一口酒を口に含むと、ゴクリと喉を鳴らし立ち上がった。
そして私たちに近付くと、頭上から私たちを……
あれ? これってもしかして品定めか?
明日には帰れと言いながら、私たち二人をひん剥いて慰み者にでもするのか?
よく考えれば、男の一人やもめ。
人肌が恋しくなったところに、若くてピチピチの女性二人が小屋に舞い込めば、そりゃ心も踊るだろうに。
お嬢様、私たちは浅はかでした。
こんなムードもクソもない掘っ立て小屋で、初めての禊をすることになるとは……
それも強引に奪われる形で……
なんて考えていると、彼はプイと横を向いて窓際に掛かっていたカップを二つ取り出してヤカンの中身を注ぎ始めた。
あ、今気が付いた。
ヤカンの下にはコンロがあったのだ。
そして湯気立つカップを私たちの前に置いた。
お嬢様と私は顔を見合わせた。
「ヤギのミルクだ。身体が温まるし、疲れも取れる。飲んでおけ」
そう言われ、私たちはクスリと顔を綻ばすと、カップを口につけた。
甘い。
甘いけど生臭さが際立って、私は思わず顔をしかめてしまった。
「味にクセはある。だが、栄養価は高い」
それだけ言うと、彼はまたベッドに戻り、瓶を煽った。
「あなたはとてもお優しいのですね」
「ん?」
お嬢様は、はにかみながらそう口にした。
なんだか嬉しそうに見える。
「見ず知らずの私たちにミルクを下さいました。あれだけ迷惑を掛けたのに、家に招き入れて下さっただけでなく、このような施しも」
「別に。ただ、こんな夜に森の中に置いておくわけにもいかんだろう」
「そのまま見て見ぬ振りもできたはずです。けれど、あなたはそうせずにこうして施しをして下さる」
お嬢様は立ち上がると、男に向かってまた、深々と頭を下げた。
「あなたには大変失礼なことを申し上げてしまいました。あなたは人の心をなくしてなどいない。とても心優しい方です。本当に申し訳ありません」
なんと……
お嬢様が見知らぬ相手にお詫びをお伝えされるとは……
私はまた、呆気にとられたような顔でお嬢様を眺めてしまった。
「別に気にしてなどいない。頭を上げてくれ」
そう言われ顔を上げたお嬢様の目には、うっすらと涙が出て滲んでいた。
「私も裏切られました」
「裏切られた?」
「はい。実の兄に。聞いておりませんか、カムリ家の騒動を」
お嬢様に問われ、彼はバツの悪そうな表情でボリボリと後頭部をかいた。
「悪いな。世間のことにはなるべく触れないようにしている」
「そうでしたか。私には兄がいるのですが、父の遺言で私が家を継ぐことになったのです。兄は自分が選ばれなかったことに対して腹を立て、家督を得るために私の命を……」
お嬢様が遺言と……
やはり旦那様はフェルディナント様に……
そう考えるほうが妥当か……
「血を分けた兄弟が家督を争う。貴族ならさも当然と思うがな」
「兄はとても心優しい人でした。剣士団に入り、戦争に行くようになってから気性の激しさが現れるようになって……。それでも、父の話は分かって下さるような気がしていたのです……」
「親父の決めたことに納得いかずに殺したということか。それで、なぜお前が兄に追われる?」
「あの場で聞いていませんでしたか? 兄は父殺しの罪を私に着せたのです」
お嬢様がそう言うと、彼の眉間がキュッと距離を縮めた。
目付きがまた鋭くなるが、さっきとは違う鋭さだ。
まるで怒っているような……
「私を父殺しの罪深い娘、妹として手配し、兄が捕らえる。そして兄弟の慈悲の元、私を処罰するつもりなのでしょう。自分の名を上げるために、名声を得るために私は生贄となるのです。兄の目には権力という欲だけが写っているのですから」
お嬢様の言葉に、彼はバツが悪そうな顔で舌打ちをした。
「隣国には母方の実家があります。そこまで行けば、私も、このエリーも何とかなるとは思うのですが……」
「実家には知らせていないのか? 手紙は?」
「この状況です。父は前もって文を送ったそうですが、私たちは慌てて何もできませんでした。それに兄のことです。国中に手配書を回しているでしょうから、今の私たちにできることは、ただ逃げることのみです」
そうはにかみながら、お嬢様は私に振り向き、「ごめんなさい、エリー」と言った。
何を仰いますか、お嬢様!
私はお嬢様に何があっても付いて行くと決めているのです!
そんな顔をなさらないで下さい!
「まぁ、大方の事情は分かった。貴族でも家族に裏切られるというのは、俺たち平民同様、キツイようだな。そういうものかと思っていたが」
「立場は違えど、同じ人間ですよ」
「そうか、そういうものか」
そう言って彼は瓶を煽る。
よく飲むな。アルコール中毒だな、きっと。
「今日のところはもう休め。ここはもともとは山小屋だ。壁にシェラフが掛かってるからそれを使え。古いが小まめに天日に干してるからそう汚れてはいない」
と言って体を横にすると、彼はすぐに寝息を立て始めた。
それを見てから、私は壁に掛かっているシェラフを下ろし、床に敷く。
うまい具合に二つあった。
両方を広げ、お嬢様が一つに潜り込むと、わたしはテーブルのランタンの火を落とし、シェラフへと潜り込んだ。
今日はいろいろあったな。
明日からどうするか……
そんなことを考えていると、ふと手に触れてくるものがあった。
お嬢様の指だ。
向こうのシェラフからお嬢様が手を出して私に触れてきた。
ひどく震えている。
「大丈夫ですよ、お嬢様。私はここにいます」
そう言ってお嬢様の手に私の手を絡め、しっかりと組んだ。
安心したのか、しばらくしてお嬢様から寝息が聞こえる。
私も寝よう……
瞼が次第に落ち始め、トロンとした微睡みがやってくる。
じきに、私の意識は微睡みの中へと落ちていった。
ーー
誰かが私の体を揺すっている。
眠い、まだ寝かせて欲しい……
私は一度、手で体を揺する何かを払いのけるが、また体を揺すられた。
そして聞こえる声。
「エリー、起きて下さい。エリー」
私はガバッと体を起こした。
目の前にはお嬢様の温かい微笑みと……
鞘を腰に帯び、仁王立ちでわたしを見下すあの酔っ払いの姿が……
「え、あれ?」
「エリー! 奇跡ですよ!」
「あ、お嬢様! 申し訳ございません! 寝坊するなど……」
「エリー、私の話を聞いていなかったのですか!?」
「お、お嬢様?」
お嬢様ははち切れんばかりの笑顔で私の手をギュッと握り締めた。
「エリー、ちゃんと聞いて下さい! 奇跡です、奇跡が起こったのです!」
「え、え?」
私はお嬢様と酔っ払いを交互に見やった。
酔っ払いの顔付きは、なんだかパッとしないが……
パッとしない表情で、彼はあのぶっきらぼうな口調だ呟いた。
「国境までだ。そこまでは一緒に行ってやる」
そう言われて私は目を見開いた。
「お、お嬢様!?」
「うん!!」
その朝、私とお嬢様は喜びのあまり互いに抱き締めあった。
奇跡が起こったのだ!
しかし、解せないこともある。
何故あの頑なな態度が一転したのか?
もしや、私が寝ている間にお嬢様と何か……!?
今度しっかりと聞き出しておかなければ!
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