第1章 第5話 宣戦布告
ヤクザの事務所の外観は一般的な企業と変わらない場合が多い。うちのような大きい組はそのまま名前を出していることも多いが、小さな組は雑居ビルの一室に架空の会社名を付けて表向きは普通の仕事をしているように見せかけている。中にはヤクザとは知らずに就職し、いつの間にかヤクザになっていたということもあるらしい。
赤熱組は完全に後者のタイプ。繁華街の雑居ビルの二階。赤熱金融という名前を窓に貼り、法外な金貸しを行っているようだ。大きな組では警察にマークされていて派手なシノギはできないが、小規模だからこその無茶なやり方だな。
「どうも、組長さんいますか?」
インターホンも鳴らさず事務所に入った俺に視線が集中する。外観とは異なり内装はいかにもな事務所風だ。高そうなソファに赤熱組という名が入った大きな額縁。きっと知らずに入ってしまったら一秒で逃げ出したくなるだろう。内装より何より、人の見た目が怖すぎる。
派手な刺青を腕に彫っている奴や、顔に大きな傷を負っている奴。見知った顔も多いが、そんなの関係なく帰りたすぎる。でもビビってる場面ではない。あえて堂々と脚を組んでソファに座って出方を見る。
「なんだクソガキ。うちがどこだかわかってんのかバカヤロー」
「おいよせ! こいつが鎧波組の例のガキだよ」
下っ端っぽい若い奴が突っかかってきたが、それを元鎧波組の人間が静止させる。例のが何を指しているのかはわからないが、話は聞いているのだろう。信じられないようなものを見る目で俺を凝視している。
「オヤジは会合に行ってて今はいねぇな。何の用だ? 鎧波組の若頭さんよぉ」
そんな若い衆を下げて目の前に座ったのは50代ほどのスキンヘッドの男。確か若頭だったっけな。正直ヤクザの顔を見分けるのは苦手だ。怖いが前面に出過ぎてて全員同じ印象になってしまう。
「何の用って。そっちがいつまで経っても来ないからわざわざこっちから来てあげたんでしょう。弱小ヤクザが随分と舐めたことしてくれましたね」
事前に用意していた台詞を吐くと、組長の眉が困ったようにわずかに曲がった。おそらく小澤の件は上層部には伝わってないな。別の組に移籍すると大抵はまた一番下の立場からのリスタート。きっと元鎧波組の連中が自分たちの意思で俺たちに復讐しようとしていたのだろう。
「知らないようなので教えてあげましょう。連れてきて」
俺がそう指示を出すと、舞と皆川さんが小澤を連れて入ってきた。それと同時に組員たちがざわつき始めた。
「おい……あれってあの皆川だよな……? 若い頃この辺のチンピラを誰かれ構わずぶちのめしてた『鏖殺の皆川』……やりすぎて組長の娘の世話係になったって聞いてたのに何でこんなところにいるんだよ……」
「馬鹿野郎本当にやばいのはそっちじゃねぇよ! あのメイドのガキ……高城舞だ。あいつだけには関わりたくなくて鎧波組を抜けたってのに……なんなんだよ畜生!」
「そんな二人を引き連れてるなんて……このガキ何者なんだ……!?」
外野が騒いでいる間、俺は若頭だけをひたすら見つめていた。ヤクザは舐められないためにどんな状況でも表情を崩さない奴が多い。その傾向は上に行けば行くほどより強くなる。だから交渉を有利に進めるために、どんな表情の変化も見逃すわけにはいかない。……いやそんな必要もなかったか。若頭は冷や汗を垂らし、厄介そうに歯を食いしばっていた。
「この人はつい先日刑務所から出てきたうちの人間でね。どうもそちらの若い衆に唆されてうちを潰そうとしてたみたいなんですよ。実際俺も一昨日襲われましてね。小澤さん、共謀者は誰ですか?」
小澤に訊ねると、彼はふるふると震えながら鎧波組の元組員の三人を指さした。この事態を招いた三人を見て若頭の顔が一瞬で怒りに染まったが、構わず進める。
「いやこっちも申し訳ないなと思ってるんですよ若頭さん。実質的にはうちの組の問題でしょう? とはいえ今はそちらの組の構成員ですからね。喧嘩ふっかけてきておいて詫びの一つもないのかと昨日一日待ってみたんですけど、どうにもそちらには謝罪の意思はないようなので。じゃあこっちも相応の対応をしなくちゃいけないなと思ってわざわざ出向いたわけなんですよ」
俺がここに来た理由を説明すると、若頭は無言で立ち上がって机の中からドスを取り出した。内心怖くて仕方がないが、ここでビビるわけにはいかない。おそらくその矛先は俺ではないのだから。
「おいお前ら。こいつでエンコ詰めろや」
エンコ詰め……つまり小指を斬り落とせということだ。小指がなくなれば握力が落ち、得物を持つことが難しくなる。だからこそ昔からヤクザの世界では小指を詰めることが謝罪の意思として扱われている。
「うちの若い奴らが失礼しやした。それとこれ、少ないですが受け取ってください」
そのまま若頭は金庫から札束を抱えてテーブルの上に広げる。ざっと7個、ずいぶんな大金だ。
「でもオヤジ……こんなことで指を詰めるなんて……!」
「馬鹿野郎がぁ! てめぇら自分が何やったかわかってんのか!」
ドスを渡された男の日和った態度にブチギレた若頭がその顔面に灰皿で殴りかかる。嫌な音と派手な血が宙を舞うのを見て本当に嫌な気持ちになった。
なんで俺はこんなものを見させられなきゃいけないんだ。俺はただ普通に生きたかっただけなのに。どうして今俺はここにいる。
「まぁまぁ落ち着いてくださいよ若頭さん。彼の言うことはもっともです。下っ端の指を詰めた程度で収まる範疇をもう超えちゃってますから」
だが泣き言を言っていても仕方がない。やるしかないんだ。結愛のために。
「これは宣戦布告です。どちらかが潰れるまで、全面戦争と行きましょうか」




