第5章 最終話 人生の終わりと始まり 2
「はぁ……つかれた……」
蜘蛛道との義兄弟の契りを交わしたその日の夜。俺は鎧波組を離れて葛城組の事務所に逃げ込んでいた。あのままあそこにいたら俺と関係を築きたい連中に延々と捕まっていただろう。上位団体の連中も来ていたし、下手に出てへこへこするのは御免だ。
「おかえりなさい、光輝」
「しっかりコネクションを作ってきましたか?」
そんな俺と護衛の舞を事務所で出迎えたのは結愛と龍華。
「いい事務所だね、こーくん」
だけでなく本来敵であるはずの藍羽までソファでくつろいでいた。
「……なんでここにいるんだよ」
「警察としてヤクザの事務所の場所は押さえておかないとね。しかもこんな厄介なところに作るんだもん。突入ルートは把握しておかないと」
どこまで本気で言っているのかはわからないが、正直あまり歓迎できる状況ではない。が、バレていてもあまり問題はないだろう。なんせここはタワマンの地下にあるただのマンションの一室なのだから。
「言っとくけどここは組の事務所じゃないからな。本拠地は別にある」
「こんな立派な代紋まで掲げてそれは通らないでしょ」
俺たちが今いるリビングは、入居当初とは様変わりしていた。俺はこの1ヶ月かなり忙しかったが、表に出ることのない龍華は怪我がひどくて学校に行けないのもあってかなり暇だったようだ。張り切って内装を整え、自作の代紋や組の名前が入った提灯、仁義と書かれた大きな掛け軸を飾ってみせた。どこからどう見てもヤクザの事務所だが、それでも実態はそうじゃない。
「光輝、お客さん来る時は事前に報告しろって言ってるよね」
隣の部屋から夜煌と雪が顔を出してくる。そう、ここは事務所ではなくこの二人が暮らす家なのだ。
「この部屋はうちの両親の名義で正式に借りた家だ。一応まだ表上はNPO法人の代表だからな。借りるのは簡単だったよ」
「でもご両親は今船の上でしょ? ヤクザに名前を貸すなんて犯罪……それは元々か」
「あいつらが捕まるなら捕まるでそれでいい。まぁそもそも自分の娘の家のために金を出すことは何ら不自然じゃないからな。星閃はこれからも友だちの家に住み込むみたいだけど、俺はあいつらの息子だしここにいる権利はある。それがたまたまヤクザの事務所っぽくなってるってだけだよ」
「ほんっとさいてー……。いつか絶対止めてやるんだから」
藍羽は悔しそうに笑うと結愛が立っているキッチンに戻っていく。そういえば今日は俺の組長就任祝いのパーティーをやるんだっけ……。理由はどうあれ楽しみだ。
「若様、改めまして組長ご就任おめでとうございます」
藍羽と話し終わるのを待っていたのか、舞がすすと擦り寄ってきた。
「何にもめでたくないんだけどな……」
「いえいえ。若様のすばらしさが知れ渡ったという証拠です。これからもっと盛り上げていきましょうっ。……それでですね。蜘蛛道との盃……どうでした?」
「いやまぁ普通に終わったけど。これで俺とあいつは義理の兄弟ってわけだ。嫌だけどな」
「そう……ですよね……」
舞がもじもじと何か言いたそうにしている。正直この情報だけで舞の真意を当てろというのは無理な話だけど……俺ならわかる。
「あとで盃もう一度交わそう。上書き、しときたいだろ?」
「い、いいんですか!?」
どうやらほしかった答えを出せたらしい。舞の顔がぱぁっと輝く。俺と舞の間の盃という言葉は、一般的なものとは異なる。しかし同じ言葉を他の奴にやられて嫌だったのだろう。舞は獣ではないが、マーキングはしっかりしておきたいだろうしな。
「若様と盃を交わしていいのは舞だけですっ。なので今夜は空けておいてくださいねっ」
「そこ。ベタベタしてないで手伝ってよね。舞ちゃんはメイドなんだから特にね」
「がるるるる……!」
藍羽に水を差され、舞が威嚇で返す。この二人も仲良くなったよな……一緒に一晩明かしたのがきっかけだろうか。
「それにしてもちょっと意外だったわね」
舞が吠えながらキッチンに向かうのと代わる形で結愛が俺の隣にやってくる。
「まさかヤクザ嫌いのあなたが盃なんて交わすなんて。もうご両親への復讐も終わったし、ヤクザでいる理由もないでしょう?」
「そうでもないよ。龍華の居場所作りに元玄葉組のシマの管理。両親が集めた若者の働き口の斡旋もある。何よりお前がまだヤクザを抜けられてないからな。辞める時は一緒にだ」
「……ほんとにそれだけが理由?」
結愛が見透かしたような目で俺を見てくる。今回の一件を経て、結愛の雰囲気が変わった気がする。ヤクザらしくなった……いや。大人びたと言った方が正しいだろうか。それは結愛だけではない。藍羽も舞も龍華も夜煌たちも。二ヶ月前と比べるとずいぶんと成長している。それはもちろん、俺自身も。
「守りたいと思った。俺がほしいもの全部、守れる力がほしかった。今までヤクザなんて将来抜けるものでしかなかったけど、今はそうじゃない。二次団体の若頭、三次団体の組長……使えるものは全部使ってやる。今ではそう思ってるよ」
もちろんヤクザが嫌いなことは変わらないし、真っ当じゃない自覚もある。だがヤクザに売られた過去はもうない。自分の意志で盃を飲み、自分からヤクザの世界のルールに従った。両親と決別し、被害者だった俺の人生は終わったのだ。
「ちょっと前までは、私のためだけに生きてくれてたのにね」
「その俺はもう死んだ。ここからが新しい人生の始まりだ」
俺の目的は変わらない。これからも人様に迷惑をかけず、真っ当に生きていくという夢が変わることはない。だが俺たちが幸せになる可能性はさらに減っただろう。ヤクザは存在自体が悪だ。幸せになってはいけない、社会全体で放逐すべき悪。それに自ら下った今、俺の人生がどう転がり落ちていくか。それは誰にもわからない。
「これからも俺に賭けてくれるか、結愛」
「もちろん。みんなで、この決まりきった人生を切り拓きましょう」
手が差し出される。料理の最中で少し汚れた、黒が滲んだ手が。俺もどこか汚い場所に触ってしまったのだろう。手は薄汚れていて綺麗じゃない。
それでも手を取り合い、俺たちは新しい家族と共に食卓を囲むのだった。
親によってヤクザに売られた俺は、いつしか若頭になっていた。 完




