第5章 第14話 55枚目のカード
「こんなことだろうと思ってこーくんのお義姉さんに聞いておいたんだ。こーくんが何を企んでるのかをね。お義姉さん怒ってたよ? 自分だけ置いてきぼりだって。ということで一緒に来ちゃった。お義姉さんは下でお義兄さんたちのサポートをしてるけどね」
事もなさげに語りながら乱入してきた藍羽。彼女は俺の隣に並ぶと、父親に指を向けた。
「ということであなたたちは暴行の現行犯でわたしが逮捕する。覚悟しなさい」
「それだと俺や結愛も逮捕されるんだけど……」
「だったらわたしより先にこの人たちを何とかしないとね」
まったく……本当に藍羽には敵わない。助けられるどころか、発破までかけられるとは。
「藍羽ちゃんっ」
「結愛ちゃん、一緒に行くよ」
結愛も俺たちの隣に並び、これで三人。いや、三人だけじゃない。
「二人とも。舞と龍華の様子を教えてくれ」
「舞ちゃんは扉の前で暴れてたよ。見なかったことにしたけど、すっごい元気」
「龍華は意識はあるけど骨が折れてるのかまともに動けなさそう……つまり覚悟があれば多少は動ける」
「よしわかった……最後の勝負だ」
俺は懐に手を伸ばし、新たにスタンガンを取り出す。その内の二つを結愛と藍羽に渡した。
「結愛、卑雷針を使え。当たればどんな奴でも確実に倒せる。組長を倒してくれたら助かる」
「へぇ……うわぁっ、すっごいビリビリする! これ光輝痛くなかったの!?」
「藍羽は悪いけど普通のスタンガンを使ってくれ。改造して多少威力は上げてるからそれなりの武器になる。お前は俺の両親を頼む。感情的にならない分俺がやるより相性はいい」
「…………」
「俺はこの低威力の凪でいい。こいつで百田を潰す」
結愛が卑雷針の威力に驚き、藍羽は不満げに俺を見つめてくる。俺が知っている二人の反応だ。本当に、大好きで大好きでたまらない。そんな二人にできることは、言葉を弄することではない。素直に俺の想いを告げることだけだ。
「俺の一番は結愛でもないし、藍羽でもない。絶対に守り切れるなんて約束できない。だから賭けてくれなんて言わない。それでもいいなら、俺を助けてほしい」
「「もちろん」」
二人の言葉を聞き、俺は駆け出す。作戦とは異なり、父親のもとに。
「百田なんか興味ねぇよ! まずはお前からだ!」
「それで裏をかいたつもりか馬鹿が!」
光を伴わないスタンガンの殴打を軽くいなす父親。やはり完全に読まれているようだ。
「おい百田ぁ! 真昼に傷一つでもつけたらぶっ殺すからなぁ!」
俺のお願い通り母親に向かっていった藍羽の前に百田が立ちふさがる。拳銃を拾う時間はなかったようだがあの鍛え上げられた肉体相手じゃその有無は誤差のようなものだろう。
「じゃあこっちは総大将同士、潰し合いましょうか」
「一丁前に同格気取りか? 舐めるなよガキが……!」
結愛は作戦通り組長との一騎打ち。だが正直単純な戦闘力では普通の女子高生である結愛が不利だ。それは結愛だけでなく、藍羽も俺も同じ。どの対戦カードを取っても相手の方が格上だ。
その中で最も早く勝負がついたのは、一番戦闘力で乖離のある藍羽だった。しかし百田にやられたのではない。
「そ……れぇ……っ」
「あははっ! ヒーローぶって登場した割にはずいぶん情けないわねぇお嬢ちゃん」
藍羽の手からスタンガンがぽとりと落ちる。母親が取り出したのは、藍羽の弱点。いや、俺のせいで生まれてしまった、人生を狂わす存在。イルヘイムが入った瓶だった。
「舐め……ないで……! こんなものに……わたしが屈するわけが……!」
「ふぅん」
母親が一錠、クスリを入口の方へと放り投げる。その後の藍羽の行動に、彼女自身の意思はなかった。まるでおもちゃを遠くに投げてもらった犬のように、転がるようにしてクスリのもとへと駆け出していく。
「ほんっと情けなぁい。ちょうどいいわ、このままシャブ漬けにして風呂に落としてあげる。ツラや身体はいいし、ロリコンの変態にはウケるでしょうね」
藍羽を助けにいきたいが、今父親に背中を向けたら確実にやられる。攻撃を続けながら見守るしかない。藍羽の覚悟を。
「百田、そのガキ捕まえておいて。傷つけちゃだめよ?」
「はい」
クスリの魔力に引き寄せられて転びながら走る藍羽と、その背中をゆっくりと追う百田。ようやくクスリに追いついた藍羽が手を伸ばした時、そこに一人の男が割って入った。
「……よぉ、神室ぉ」
「蜘蛛道……さん……?」
舞につけられた激しい傷を晒しながら、部屋に入ってきたのは蜘蛛道海斗。あの傷でどうして動けているのか。立っていられるのか。その答えは、聞くまでもない。
「蜘蛛道さん……それ、ください……っ。何でも……するから……っ」
虚ろな瞳で、唾液を垂らしながら蜘蛛道の脚に擦り寄る藍羽。あの藍羽が、なんて思えない。これが薬物の恐怖。一度手を出したら逃れることのできない悪魔の代物。
「蜘蛛道、言う通り食べさせてあげなさい。……なにこれバッテリー切れ? ほんっと残念な息子ね。物の手入れもまともにできないなんて」
藍羽が落としたスタンガンを拾い、起動させようとするがうまくいかず投げ捨てる母親。奴は蜘蛛道に近づくと、瓶をそのまま渡す。
「何なら一気に食べさせてみる? おもしろい反応が見れるかも」
「……何がおもしれぇのか全くわからねぇなぁ」
蜘蛛道は受けとった瓶をそのまま床に投げ捨て、飛び出たクスリを靴ですり潰していく。
「あぁ……ぁぁぁあ……っ」
その残骸をもったいなさそうに拾い集めようとする藍羽。そんな彼女を見下ろし、蜘蛛道は口を開く。
「そいつに打ち勝て……なんて無茶な話だよなぁ。シャブの恐ろしさは俺が一番よくわかってる。そいつに呑み込まれた奴の末路もなぁ」
「ちょっとあんた! なんてもったいないことしてくれんのよ! この瓶一つでどれだけの人間をシャブ漬けにできたと思ってんの!?」
母親が蜘蛛道に掴みかかるが、気にせず奴は続ける。
「それでもあえて言う。こんなクスリになんか負けんな。乗り越えてみせろ」
「おい……カシラ。あんたなに言ってんだ?」
百田が困惑の声を出すが、構わず奴は続ける。
「お前が本当にほしいものがこいつなら文句はねぇ。でもお前がほしいものはこんなくだらねぇもんじゃねぇはずだ。5年間必死に追い求めたもんがあるはずだ」
「蜘蛛道……さん……」
床に倒れている藍羽の頭を優しく叩き、彼女に背中を向ける。自分が背負っている覚悟を。
「そんなお前に俺がやってやれることなんて一つもねぇが。それでも見ててくれ」
「カシラ……どうしちまぐおぉっ!?」
舞にやられ、俺にやられ。既に限界を超えた蜘蛛道の拳が、百田の顔面を打ち砕いた。大きく吹き飛んだ百田の身体がさっきまで奴らが囲んでいたテーブルに激突し、音を立てて壊れていく。殴られた百田はピクリとも動かない……俺が手も足も出なかった相手が一発でノックアウトか……やっぱすごいな、あいつ。
「蜘蛛道……お前何やってんだ! お前は論馬組若頭だろ!?」
「はっ、論馬組若頭ぁ? いらねぇなぁ、そんな肩書」
その暴挙に組長が怒号を上げるが、意にも介さず蜘蛛道は笑う。それも当然だろう。
「俺は牛鬼の蜘蛛道! それ以外に必要なもんは何もねぇ!」
蜘蛛道が一番ほしいものは、もう手に入ったのだから。
「貴様……まさか裏切るぎぃぃっ!?」
「誰を相手によそ見なんてしてるのかしら」
結愛が放つ雷撃が、隙を見せた組長の身体を焼き焦がす。これで百田と組長、ヤクザの二人が落ちた。あと残っているのは戦力外の高城一郎と、俺の両親だけ。
「な……何が起こって……!?」
「……ありがとう蜘蛛道さん。おかげで、道を踏み外さずに済んだみたい」
「馬鹿野郎。俺のことなんか気にしてんじゃねぇよ」
味方であるはずの蜘蛛道の反逆に狼狽える母親。その前に立ちはだかるのは、正義の心を背負う藍羽。
「わ……わかったわ……。イルヘイムなら好きなだけあげるから! だから……だから……!」
ようやく理解が追い付いた母親が、床に這いつくばって散らばったクスリを集めて懇願する。しかしもう、彼女の心に迷いはない。
「好きなだけ? 生憎だけど、わたしが好きなのはたった一つなんだよね」
「あぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
藍羽の拳が、母親の顔面を打ち砕いた。まるで誰かに倣ったかのように。
「……おい。拳は警察的にアウトだろうがぁ」
「わたし、警察なんてどうでもいいんです。それよりあなたにお礼を伝えるなら、これしかないと思って」
「はっ。本当にお前は、馬鹿野郎だなぁ」
……だからなんであいつらはあんなに仲良さげなんだよ。今すぐにでも二人の間に割って入りたかったが、それは後回しだ。
「クソ……クソが……! てめぇら全員ぶち殺してやる!」
子どもを捨ててもずっと一緒にいた妻を殴り飛ばされ、怒り狂ったクソ親父。こいつを潰すことが最優先だ。
「いつまでもよそ見してんじゃねぇ! 俺を見ろ!」
「っせぇんだよゴミがぁぁぁぁ!」
父親が電撃の光がない俺の一撃を軽くいなし、カウンターで腹を殴ってくる。悔しいがいいところをやられた。もうまともに立つこともできず、俺は床に這いつくばってしまう。正直もう一歩も動ける気がしない。
「お前のそのスタンガン……凪とかいうたいした威力もねぇ囮用の武器だろ!? んなもんで俺は止められねぇんだよ!」
「……はは」
「あぁ!? 何を笑っていやがる!」
こんな状況でも、そりゃ笑えてくるだろう。だってこいつ、俺の言っていることを信じてるんだから。そして準備は既に整った。
「……なぁ。俺がいつ、卑雷針が一つしかないなんて言ったよ」
瞬間、光を失っていた俺の右腕が、激しい雷撃に包まれた。大きく轟く光と音。結愛が持っているスタンガンと、同等の光だ。
「あぁ……!? そいつは……あのガキが……」
「卑雷針は伝説の武器でも何でもない。金と時間さえあればいくらでも作れるただの武器だ。それを一つしか用意してないわけがないだろ」
母親は藍羽が受け取ったスタンガンをバッテリー切れだと勘違いしていたが、そうではない。しっかりと起動していたんだ。光を発さない、凪の電撃が。
「藍羽は改造スタンガンなんて違法武器が大嫌いなはずだからな。絶対に使わないと思ってた。だから渡したんだよ。起動しててもしてなくても見た目からはわからない、凪を」
俺が用意した三つのスタンガン。元々持っていた凪を藍羽へ。卑雷針を結愛へ渡し、俺は隠し持っていた卑雷針を凪のように見せかけ電源を切ったまま振り回していた。これが最後の作戦だ。
「お前……いつからこれを……!」
「最初からだよ。監視をわざわざ卑雷針で潰してたのも、全部この時のためだ。卑雷針を注目させるため……それが手元にないなら怖くないと思わせるため。お前は初めから俺の作戦に引っかかってたんだ」
悔しいが両親が俺の上位互換なのは最初からわかっていた。だからそれを超えることにした。
「切札は二つ……お前らの教えだ。それを超えるには切札を三つ用意しておけばいい。単純な話だ」
息子に超えられた。その事実に父親の表情が歪むが、すぐに笑顔を取り戻す。
「はっ、勝ち誇ってるがお前、もう一歩も動けねぇだろ。当たらなきゃそんな武器何にも怖くねぇ。お前は結局俺には勝てねぇんだよ!」
「俺一人じゃあ! 勝てないことはわかってるんだよ。なぁ、舞!」
視線を横に向け、こいつらが化物と呼ぶ名前を叫ぶ。しかし俺の視線の先には舞はいない。代わりに父親の背後に人影が一つ。
「これでケジメ……つけられたでしょうか……」
「ああ。ありがとう、龍華」
俺がこの作戦を明かしたのは、ボロボロになった彼女が立ち上がり、ゆっくり。でも確実に進んできているのが見えたから。龍華が隙だらけになった父親の背中を押し、最後の手助けをしてくれた。
「……さよならだ、馬鹿親父」
雷鳴と絶叫が轟く中、俺の別れの言葉は誰にも届くことはなかった。




