第5章 第12話 人の性
「思ってたよりずっと、歯ごたえがねぇな」
「ぐ……は……」
論馬組舎弟頭、百田。論馬組ナンバー2の武闘派の前に、俺は瞬殺されていた。生命線の二つのスタンガンは死守しているが、うつ伏せに倒され背中を踏まれることで身動き一つ取れなくされていた。悔しいがクソ親の言う通り、一度晒した札はどんな強力なものでも切札ではなくなる。完全に動きを読まれ、たった三発でノックアウトだ。こうなることは想定内とはいえ痛いものは痛い。
「おいおい光輝ぃ、もっとがんばってくれよぉ」
「せっかく大穴狙いであんたに賭けたってのにさぁ、これでさっきの勝ちがパーじゃん」
自分の息子が文字通り足蹴にされている姿を見下ろし、両親が高そうな酒をヤケのようにあおる。しかもすぐに俺に興味をなくし、もう一つの賭けの結果に注視している始末だ。
「それに比べてあっちはいいな。散々裏社会を歩いてきたが、最近じゃ滅多にお目にかかれねぇ空気を感じる。ありゃ本物だな」
もう一つの戦い、結愛VS龍華。まだ決着自体はついていないが、その結果は既に明らかだ。
「いや……! ごめんなさい……来ないで……ひぃ!」
涙を流しながら許しを請う龍華の顔の横を一発の銃弾が通り抜ける。わずかでも手元が狂えば人の命を……ずっと一緒にいたいと願っている龍華の命を奪いかねないという状況で。結愛は何の躊躇もなく引き金を引いていた。
「あなたの成り上がりたいって気持ちはよくわかったわ。だったらつく方を考えないとね。ヤクザの世界に二階級特進なんてないんだから」
結愛は特に身体を鍛えていないし、喧嘩だってしたこともない。ただずっと、見てきた。ヤクザの喧嘩を、ケジメの取り方を、人の追い詰め方を。嫌でも目を逸らせる環境にいなかった。だから結愛は模倣しただけだ。数多くのサンプルから抜き出した、邪悪な面を。
「安心して。あなたを殺すつもりはないわ。だって私、龍華とずっと一緒にいたいもの。だからもう二度と裏切ろうなんて思えないように、徹底的にその身体に教えてあげないとね」
当然だが暴力団は暴力が強ければ上に上がれるというシステムではない。それは今より金を稼ぐことが主目的ではなかった昔からそうだ。どれだけ鍛えたところで、一部例外の強者を除けば武器の前には敵わないのだから。
「あぐっ、やめ……あぁぁぁぁっ」
殺すことが目的じゃない以上、結愛は銃弾を直接当てるようなことはしない。ただしそれ以外のことは、何でもする。飾ってある花瓶、小さなテーブル、ただのボールペン。小さな身体でそれらを振り回し、人体と物体を破壊する。やがて龍華は倒れ、そんな彼女の身体をまたいだ結愛が木製の椅子を両手で振り上げ叩きつける。何度も、何度も、何度も。
「ゆるして……あぐぅっ、もう裏切りませんから……ゆるしてあがぁっ!?」
「もちろん許すわよ。あなたが何度裏切ろうと許す。だって龍華、本当はこんなことしたくないでしょう? 私のことを裏切りたくないけど、でもどうしても成り上がりたいって気持ちは消えなくて、だからしょうがなくこんなことしてるのよね? 私も同じ。私だってあなたを痛めつけるようなことはしたくないわ。でもしょうがないわよね、あなたが悪いんだから。悪いことをしたら報いを受ける。それをしっかり教えないと、いつまでも同じことをしなくちゃいけないから。だからこれはしょうがないことなのよ」
龍華の悲鳴と、常に一定の音程を保った結愛の言葉。そして椅子と龍華の身体が壊れる音だけが広い部屋に響いていた。もうとっくに椅子は壊れただの木の板と化しているが、それでもひたすらに振り下ろし続ける。子どもを平然と売れる親に暴力団の組長。とんでもないクズが集まる中、彼らすらも息を呑ませる、圧倒的な狂気。これが本物の、極道だ。
「う……動くな! こいつがどうなってもいいのか!?」
この狂気が自分に向いたら……おそらくそう思ったのだろう。俺を踏みつける百田が叫んだ。見えないが頭に拳銃を突きつけられた感触がある。しかし結愛は一度俺に目を向けたが、すぐにリンチを再開した。
「お……おい! 聞いてるのか!?」
「あなたたち龍華のことなんかどうでもいいでしょう? それに撃つならさっさと撃てばいいじゃない。それをしないってことは、つまり撃つ勇気なんてないってこと。警察に捕まるリスクが怖くてしょうがないんでしょう? ヤクザとしての覚悟がまるでないのよ。交渉なんてする価値ないわ」
無表情に淡々と返され、俺の頭の上の拳銃がカタカタと震えた。馬鹿にされて怒っているのか……それとも恐れているのか。これこそがヤクザの真髄。恐怖と狂気による支配。一流のヤクザですら慄く彼女の姿は、まさに女傑。俺以外からしてみればだが。
「結愛、よくないとこ出てるぞ」
腹に力を入れてそう叫ぶと、始めて結愛の手が止まった。そしてボロボロになった木の板をぽとりと下ろし、その場にへたり込む。
「ごめんなさい……私……龍華を助けにきたのに……こうするのが一番だって思って……! 龍華……大丈夫……痛くない……?」
「お嬢……様……?」
さっきまでの平坦な声音じゃない。感情溢れる涙声で龍華を抱きかかえる結愛。その姿に父親が疑問の声を上げる。
「どういうことだ……? なんだこの変わりようは……!?」
「決まってんだろ。戦ってるんだよ」
こいつらにはわからない。結愛がどういう気持ちでここにいるのか。
「結愛の本性はヤクザだよ。ヤクザとして生まれ、ヤクザとして育てられて、ヤクザとして生きる運命にある。でもそんなの嫌なんだよ。カタギとして普通に生きたいんだ。だから戦ってるんだ、自分自身と。普通の常識なんてわからない。性根はどこまでいってもクズのまま。それでも真っ当に生きようと、こうやって藻掻いてるんだ。好きなように生きてるだけのお前らにはわからないよ」
そして。それだけが理由ならここに来る必要はなかった。学校に行けるようになったんだ。抗争や龍華のことなんか気にせず、毎日楽しく学校に通っていればよかったんだ。それでも結愛はここに来た。ヤクザとしての顔を見せることになるだろうと知っていながら、龍華を助けるためにここに来たんだ。
「初めてあなたがうちに来た時……うれしかった。私と同じ、親をヤクザに持つ女の子。悩みを共有して、同じ夢を見れる友だちができたって、すごいうれしかった。でもあなたはそうじゃなかったのよね。ヤクザとして生きていきたいって、ずっと思ってたのよね。ごめんなさい……あなたの想いを無視してしまって」
結愛の瞳から涙が流れる。友だちを想って泣ける、普通の女の子の涙だ。
「でもヤクザなんてだめに決まってる! 悪いことはしない方がいい! 私は私の中のヤクザの血と戦う! だから龍華も自分の血に負けないで! ヤクザになろうなんて思わないで! 成り上がれないかもしれない……あなたのお父さんみたいに惨めな思いをすることになるかもしれない。それでもヤクザでいるよりも幸せにするって、約束するから。私も覚悟を決めるから。だから私に賭けてよ……!」
……でも語彙がだめだな。賭けるだなんて、俺の影響を受けすぎている。しっかりと直していかないとな……俺も結愛も。
「……だったら早めに潰しておいた方がいいな。こいつに目覚められると、組の脅威になる」
俺に突きつけられていた拳銃が、外れた。つまり……!
「結愛! 逃げろ!」
叫ぶのと同時に、部屋に発砲音が響いた。百井がついに引き金を引いたのだ。俺ではなく一番厄介な存在である、結愛に。
「……不思議なものですね。裏切っても覚悟なんか全然決まらなかったのに。あなたを守りたいと思ったら、こんなに簡単に身体が動くなんて……」
銃弾は結愛には当たらなかった。抱きしめられていた龍華が結愛を突き飛ばして、盾になったから。
「龍華……龍華……!」
「わたくしは……ここまでのようです……」
力なく龍華の身体が崩れ落ちる。結愛はその身体を、盾代わりにして背中に隠れた。
「大丈夫よ。あなた防弾チョッキ着てるでしょ。このまま盾になって」
「いえ痛いものは痛いので……これ以上銃弾受けたくないです……!」
「だったらヤクザなんか辞めることね。続けてたらもっと痛い目に遭うかもしれないわよ」
「……確かに。こんな痛い思いをする覚悟は……全然できていませんでした……。もうこんなの嫌です……」
……やっぱり着てたか。いくら結愛がヤクザモードとはいえ、ずいぶん殴るなと思っていたんだ。まぁ防弾チョッキを着ていてもその衝撃は身体に伝わるし、そもそも守っていない箇所に当たれば致命傷だ。早めに俺も動かないとな。
「クソが……!」
「おいやめとけよ。今のでわかっただろ? たかだか舎弟頭に甘んじてるお前と結愛じゃ、ヤクザとしての格が違うんだ。覚悟がないんだったらそのままビビって震えてろよ」
「黙ってろ!」
銃弾を防がれたことに苛立った百井が再び引き金を引こうとするところを煽って止める。すると俺の口を塞ぐために手で後頭部を抑え込んできた。
……こいつの敗因は三つ。一つは焦って結愛に発砲したこと。結愛を引き合いに出せば感情的になると思っていた。二つ目は俺と会話してしまったこと。つまり、この時を待っていた。
「じゃあ試そうか。俺とお前に、どれだけの覚悟があるのかを」
そして俺は、卑雷針を自分の身体に当てた。
「「ぐああああああああっ!」」
俺と百井の身体に激しい電流が奔る。どれだけ鍛えようが、人は電撃には耐えられない。普段高電圧の電流を浴びる機会なんてないからだ。どんな強者でも当たりさえすれば確実に意識を持っていける。ただし、こういう時のために日々電流を浴び続けていた俺を除けば、だ。耐え続けることには慣れている。どんな地獄でもいつかは慣れるものだ。それがいいことか悪いことかは別としてだが。
「光輝、よくないとこ出てるわよ。すぐ自己犠牲に走るのはやめなさい」
「ああ……そうだな」
俺の身体の上に倒れた百井をどかし、立ち上がる。感情的になってくれたことでようやく素肌で直接俺に触れてくれた。靴越しの感電じゃ気絶までさせられたかわからないからな。切札はあくまで切札。卑雷針は俺の強さの本質ではない。それを理解できなかったのが百井の一番の敗因だ。
「せっかくのパーティーだ。見てるだけじゃなくて参加してけよ。ここからが第二ラウンドだ」
一番厄介な相手は倒した。ようやく本命。俺の両親との、直接対決だ。




