第5章 第4話 決別
「結愛……少しいいか?」
その日の深夜。舞が寝静まったのを確認し、俺は結愛の部屋を訪ねた。ヤクザであることを否定するかのように、ファンシーな人形や飾りがつけられたヤクザの組長の家とは思えない一室。そこで結愛は、拳銃のメンテナンスをしていた。
「どうしたの? ちゃんと寝ないともたないわよ」
俺も世話係の皆川さんも、結愛に武器を持たせることはしなかった。俺たちが守ればいいから。だが取り回しの知識がないわけではない。5年前俺の家に取り立てに来たように、ヤクザとしての技能は一通り習得させられているからだ。望んでいようといなかろうと、教育はさせられている。今までは徹底的に嫌がっていたが、望みと技能が一致した時結愛は……。
「いや……龍華に二重スパイやらせただろ。上手くできてるかなと心配になって……」
「無理じゃない? 光輝も私と同じ考えだと思っていたけれど」
自分が命じたにも関わらず、こともなさげに失敗を予見している結愛。完全に捨て駒扱いだ。ヤクザの組長としては実にいい判断をしている。
「あの子、偉そうなこと言っているし知識はあるけれど実践に移したことはないでしょう。私みたいに教えられていたとしても四次団体の仕事なんて私たちに比べたらたいしたことないでしょうし。論馬組相手に通じるわけがない」
「ああ……だろうな」
「論馬組が返り討ちにあっているのにも関わらず何度も監視をよこしているのと同じよ。続けることに意味がある。攻撃の手を緩めるつもりはない、警戒し続けろとストレスを与えるのが目的。むしろ感づかれないと意味がないわ」
「ああ……その通りだと思うよ」
本当に非の付け所がないヤクザとしては百点満点の回答。だからこそ、認められない。
「なぁ。この抗争、俺たちの負けでよくないか」
結愛の光のない瞳が俺の顔を見つめる。品定めするような、一人の人間をただの物としか見ていないような、裏の世界の住人の瞳。怖くて怖くて仕方がない。
「鎧波組のことも論馬組のこともどうだっていいだろ。向こうがシャブを売ろうがカタギを傷つけようが俺たちには関係ない。俺たちの目的はカタギに戻ることだ。違うか?」
「不思議なことを言うのね。一番復讐したいのはあなたでしょう? 自分を捨てて親友の藍羽ちゃんを傷つけた両親に怒りを覚えていたのはあなたじゃない」
「ああ。でも復讐しても俺たちの人生がよくなるわけじゃない。復讐に拘って人生がめちゃくちゃになるくらいなら、そんなものは捨ててしまえばいい」
「主語を間違えない方がいいわよ。俺たち、じゃなくて私、でしょう? あなたは自分のことなんて勘定に入れていない。私のことしか考えていない。変な遠回りはしないで素直に私に極道の道に堕ちてほしくないって言えばいいじゃない。でもあなたに私は止められないわよ。私のために動く飼い犬、それがあなただからね」
……俺は結愛のことを立てていたつもりが過小評価していたのかもしれない。本気になった結愛が、これほどだとは。
「初めは光輝を刺して裏切った龍華を助けることが目的だった。龍華は許されないことをしたけれど、まだ私の手でどうとでもできる状況だった。私が謝れば光輝は許してくれるだろうからね。でも龍華の裏切りが原因で何も悪くない藍羽ちゃんが傷つけられた。そのケジメは取らないとね」
「だからそれがどうでもいいだろって言ってるんだよ。藍羽はお前を怨んでない。藍羽だってお前にこんなことはしてほしくないはずだ」
「じゃあ藍羽ちゃんの父親は? 自分の娘が傷つけられて、その原因になった存在を放置している私たちを許してくれる? カタギに戻りたいからこそ、警察に目を付けられるわけにはいかない。逆にここで誠意を見せれば組を抜ける時に力になってくれるかもしれない。そうでしょう?」
「それは……そうだけど……」
結愛の発言はもっともだ。現実に藍羽の父親から暗に論馬組を止めろと指示は受けているし、俺個人ではそうするつもりだった。でも結愛が絡んでくるなら話は変わってくる。
「俺は……結愛にはそんなことしてほしくないんだ……」
「私だって同じことを思っていたわよ。光輝にもヤクザのようなことはしないでほしかったし、度々言ってきたわよね。でもあなたは動いた。だから私も同じ。私はヤクザとして、論馬組を潰すわ。何を犠牲にしてでも」
結愛の覚悟を秘めた暗い瞳に、俺は何も言い返すことができなかった。言葉で戦ってきた俺が、状況的に何も言い返せない。結愛の方が正しい。結愛にこんなことをしてほしくないと思っているのは、全部俺個人の正当性の欠片もない感情だからだ。
「この抗争が始まる前……言ったよな。二人でこの決まりきった人生を切り拓こうって」
だからもう、これしかない。口先だけの交渉や煽りではなく、感情をぶつけるしかない。
「お前にヤクザなんてやってほしくない。絶対に……どうしてもだ」
「だからあなたが嫌でも私は……」
「それでも嫌なんだ! 理屈なんてどうでもいい! お前に龍華を捨てる判断なんてしてほしくない! お前には普通の人生を送ってほしい! 俺が嫌だからやめてほしいんだよ!」
状況や理屈の伴っていない俺の発言に、結愛が初めて動揺の感情を見せた。それでも結愛は止まらない。
「……私のやりたいことを叶えるのがあなたの役割でしょう」
「今までの俺なら……そうだな。でもそれで理想のお前が消えるくらいなら俺は、その関係を捨てる」
この5年間。俺はこれだけを心の支えにして生きてきた。結愛を助けるためなら何でもできると、嫌なヤクザの仕事を受け持ってきた。それでも、俺は。
「今日限りで、鎧波結愛の付き人を辞めさせてもらう」
結愛だけには真っ当に生きてほしいのだ。




