第5章 第3話 友だち 2
「よぉ、薬」
「これはこれは葛城の若旦那。今日はどういった入用で?」
龍華をとっちめたその日の昼休み。俺は夜煌に頼み情報屋の薬を校舎裏に呼び出していた。……いや、今日は情報屋として話をしたかったわけではない。
「ちょっと愚痴を聞いてほしいんだけど……」
「そいつぁ難しい相談だ。あっしはしがない情報屋。若旦那の悩みを受け止めきれるほどの度量はねぇや」
「そういうのはいいんだよ。ただの友だちとして話を聞いてほしいだけなんだから」
「友だち……ですかい? 立場上色々言わなきゃならねぇとこだが……まぁいいでしょう。大方鎧波のお嬢の話でしょう? 聞くところによると中々おもしろい状況になってるそうですね」
まったく……どこで情報を仕入れてるんだか。まぁ理解してくれてるなら話は早い。
「入学する前、龍華から指摘されたんだ。俺たちには一般常識がないって。当時はそう重く捉えてなかったんだけど……たぶん俺が自覚している以上に、俺たちは普通じゃないんだと思うんだ」
「そりゃそうでしょう。ヤクザの組長の娘として大切に育てられたお嬢に、犯罪ならなんでもござれの両親のもとに生まれてヤクザの世界でのしあがった若旦那。あっしのようなカタギとは住んでる世界が違うってもんでさぁ」
薬がカタギだということには疑問が残るが大まかにはその通りだ。
「俺たちさ、ゴールデンウィークを使って軽く旅行に行ったんだよ。もちろんただ遊ぶんじゃなくて視察がメインの遠出。龍華の父親がいる田舎に行ったんだ。組長には裏切者の様子見ってことにしたけど、実際は違う。俺たちがヤクザを抜けた時、必ず5年ルールが枷になる。その時どうするかの参考にするために行ったんだ。少なくとも俺は……そう思っていた」
もちろん結愛も同じことを思っていただろう。そして俺も結愛と同じことを思いついた。ただその比重が俺と結愛で異なっていただけ。その差を俺が受け入れていないだけだ。
「俺たちを裏切ってまで守り抜いた父親……それが龍華の弱点だ。脅しに使えば何でも言うことを聞かせられる」
だから結愛は龍華に二重スパイをやれと命令したのだ。こちらは父親の居場所を知っている。嫌がらせを止めた以上、再開させることも容易だ。だから言う通りにしろと、全てを説明せずとも暗に脅迫した。だがどうだろう。これはヤクザのやり方そのものじゃないか。
「俺のやり方は詐欺師だった両親の真似事だ。人の感情を動かし利用する。結婚詐欺に弱者を装った脅迫……もちろん最低としか言いようがないが、ある種優しいやり方ではある。一時的とはいえ夢を見せてあげるんだから」
小澤の反骨心を利用したり、舞の存在を匂わせた潜入がまさにそのやり方。しかし結愛は違う。
「あいつは心なんてどうでもいい。ただ状況さえ作り上げられれば。否応なく言うことを聞かせられる。相手の感情の機微なんて関係なく、状況で相手を縛り上げる。それが結愛が鎧波組に教え込まれた人の追い込み方だ」
龍華への対応の差が、まさしく俺と結愛の違いを表している。俺は龍華の罪悪感をくすぐり、彼女の心を変えようとした。一方結愛は、龍華の感情に呼びかけようとはしなかった。ただ機械的に、一切の情け容赦なく、指示をしただけ。
「……もちろん普段の結愛ならそんなことはしない。俺に藍羽と仲直りするよう勧めたり、龍華が裏切った時も必死に呼びかけていた。でも藍羽を傷つけられ、完全に敵だと判断したら。ここまで冷徹に物事を進めることができる。それが……なんだろう。言葉にしづらいけど……すごい、嫌なんだ」
俺と結愛の出会い。それは同時に生まれ持った性への否定だった。どうしようもない肉親とは違う。普通に真っ当に生きれるんだ。そう誓い合って俺たちの関係は始まった。だがそれから5年。俺たちはまさに肉親と同じことをしている。それがたまらなく、嫌だった。
「……それで。あっしに何をしろと?」
「言っただろ、ただの愚痴だって。今この状況で俺たちが止まるわけにはいかないんだ」
「でしょうね。決戦の時は近い。今さら日和るわけにもいかねぇでしょうからねぇ」
尋問などせずともこの情報はどこかから自然と流れてきた。5日後の土曜日。高城一郎が郊外のホテルを借し切って政治資金パーティーを開くらしい。表向きは善良な組織の俺の両親を招き、そして公表はされていないが論馬組もそこに集まるそうだ。急遽決まったらしいこのパーティー……明らかに俺たちを誘っている。
「お互い相手を潰したいと思っているのは同じ。そして長々抗争を続けたくないのも。要人が一堂に会するこの機会を逃せばイルヘイムの流通は阻止できない。鎧波組としてはここで動くしかねぇ」
「上手くやれば全員を潰すことができるし、下手を打てば鎧波組はまとめて処分される。……罠だとわかっていても止まる理由はない」
おそらく俺の両親の考えだろうな……俺たちの焦燥感を煽るいい作戦だ。悔しいけれど。
「それと言っておきやすが、今回あっしはあんたの味方はできねぇ」
「だろうな。蜘蛛道につくだろ?」
「おや。知っていたとは意地が悪い。どうしてそう思ったんで?」
「潜入の日、手榴弾を使っただろ。俺はそんな派手なやり方をしろなんて言ってないからな」
「ご名答。実はあっしは蜘蛛道の若旦那に依頼されていたんです。合図したら武器で全員まとめてぶっ殺せとね」
「蜘蛛道が言っていた切札……それがお前だな。そういえば蜘蛛道とは関係があるって言ってたっけ」
「ええ。ですが一つ勘違いしてほしくねぇのは、あっしは蜘蛛道の若旦那の依頼は断ってたってことでさぁ。無理矢理武器は渡されたが、明確にお断りしてやした」
「別にどっちでもいいよ。誰の味方でもないんだろ、お前は。そこを責めるつもりはない。ビジネスな面を除けば、俺は友だちだと思ってるけどな」
薬はしばらくポカンとした顔をすると、少し恥ずかしそうに鼻をこすった。
「へへ。あっしなんざを友人だと思っちまってる馬鹿な若旦那に一つサービスでさぁ。あっしが蜘蛛道の若旦那に協力しようと思ったのはゴールデンウィーク最終日の夜。直接若旦那があっしを訪ねてきたんですよ。最近の若旦那はどうにもつまらねぇ顔をしてたんでとんと興味がなくなってたんですがねぇ……どうやら人は変われるらしい。あの日の若旦那はやけにすっきりした顔をしてやした。つまらねぇしがらみを全部とっぱらった、ガキのような馬鹿な顔だ。その表情が気に入りやしてねぇ、協力することにしたんです。依頼も本当に馬鹿らしかったですからね」
ずいぶんと楽しそうに語る薬。俺にやられた後蜘蛛道にどんな心境の変化があったのか……いや。藍羽の言葉がどこまで響いたんだろうか。それは俺にはわからない……が。
「だから断言できる。そんな中途半端な覚悟じゃ、あんた今度こそ負けやすぜ」
真剣な顔でそう告げられて。実際その通りなのだろうと思わざるを得なかった。
「やりたいことできることやらなきゃいけないこと……色々しがらみはあるでしょう。だから一度話した方がいいですぜ。あんたは鎧波のお嬢に絶対服従を誓っているようだが、それの限界が来たってことでさぁ。人は嫌でもいずれ変わっていく。大人になるにつれ、現実をアップデートしなくちゃいけなくなる。でも蜘蛛道の若旦那のように、自分の意志でなりたいように変わっていくこともできるはずだ。きっとそれを、人は成長と呼ぶんだと思いやすぜ」
俺は結愛に命を救ってもらった。拾ってもらって、今まで生きていくことができた。だから俺はその代わりに、結愛に付き従うことにした。結愛のやりたいことなら何でも叶えようとしてきた。だからその結愛が間違った時、俺は彼女を止めることはできない。今までの関係では絶対に。だから……そうだな。
「ありがとう薬。助かった」
「いえいえ。あっしはあんたの友だちですから。当然のことをしたまでですぜ」
俺の人生の始まりとなった結愛と話をする。そして始めるのだ。新しい俺たちの人生を。




