第4章 最終話 最後の戦いの幕開け
「この度は大切なご息女を傷つけてしまい誠に申し訳ございませんでした」
薬の計らいによって論馬組事務所での抗争が終わって数時間後。俺は病院の個室で藍羽の両親に土下座していた。
「全ての責任は私にあります。もちろん医療費、慰謝料、全て私が負担いたします。お望みなら指も詰めます。許してほしいとは言いませんができる限りの償いはさせてください」
「……だめだよ。こーくんの薬指はわたしのだから……」
「いや……詰めるのは小指……だけど……」
弱々しい声がベッドから聞こえる。診察の結果、幸い藍羽の命に別状はなかった。どころか身体の不具合は何も起きていない。しかし虚ろな瞳と、いまだに口の端から垂れているよだれを見て。無事でよかったと胸を撫で下ろすことはできなかった。
「光輝くん……罪に感じなくていい。というより、罪に問うことはできないんだ」
藍羽の父親もそう言ってくれたが、固く握りしめられた拳は俺への怒りと、事の重大さを現していた。
「藍羽が飲まされた薬……通称イルヘイム。これを所持すること、服用することは日本において何の罪にもならない。健康上の危険は明らかになっていないからだ。だが服用した際の快楽性と依存性はいわゆる覚せい剤と何ら遜色はない……同様の扱いになっている国はいくつもある。我々警察もその危険性を国に訴えてはいるが、とある国会議員とその派閥がそれを阻んでいる」
いわば警察がしょっぴけない薬物……普通のシャブよりよほど厄介だ。そしてその国会議員というのが……。
「高城一郎……で間違いないですよね」
「ああ……その通りだ」
舞の父親、高城一郎。全ての点が線で繋がったという感じだ。俺の両親が仕入れ、論馬組が広め、舞の父親が守る。その結果得られるのは、自分たちの望み通り動く子どもたちと多額の金。クズ過ぎて言葉が出ないな。
「うちの両親は過去いくつもの犯罪をやっています。そこから引っ張れないですか」
「理論上は可能だ。だが現実的ではない。犯罪を立証するには時間がかかるし、ああいう連中はそれならそれでいいんだ」
おそらくイルヘイムはその内覚せい剤と同様の規制がかかるだろう。その内、というのが厄介だ。それまでの期間で売り抜いた稼ぎは違法にはならないし、たとえ犯罪になったとしても一度手を出した者がやめられるわけではない。加えてたとえ両親が捕まったとしても、罪に問えるのは数件の詐欺だけ……それも昔の話だ。どれだけの犯罪が立証できるか……。
「つまり警察では……正義ではあいつらを止めることができないってことですよね」
もちろん警察が無能と言いたいわけではない。多くの人を救うため、法律という絶対正義を基に活動してくれる尊敬すべき仕事だ。しかし悪人は常に、マジョリティのために作られたが故の法律の穴を突こうと模索している。それは昔からどうしようもなく生じている善意と悪意の連鎖。その補完をするのは、昔からヤクザの仕事だ。
「……私は既に警察官を引退した身。あくまでも一般人の独り言に過ぎないが……情報の発信が格段に発展し、悪事が圧倒的に働きやすくなった現代。そんな悪意の取り締まりが格段に難しくなった今。警察がわかりやすく締めだしたのは、昔から存在していた暴力団組織だ。悪意を垂れ流す暴力団組織がいると同時に、カタギに迷惑をかけず義理事を重んじる暴力団組織がいることなどわかっているのに。一纏めにして取り締まざるを得なかった。そんな不義理を働いておいて……今さら頼めるようなことでもないが……」
「ヤクザが正しいだなんて思っていません。善意で動いてようが、その手段が正しくないのなら悪なんです。間違っているとわかっていても、義理を欠いた存在を許せないのが俺たちなんです。だからこれ以上何も言わないでください。俺たちは俺たちがやりたいことをやるだけです」
元とはいえ警察の関係者がヤクザの若頭と一緒にいる姿を見られたらコトだ。俺が帰ろうとしたが、藍羽の両親が先に病室を出ていく。
「……わたしってメンタル的に強い方だと思ってたんだよね」
病室が静寂に包まれる中、ぽつりと藍羽が漏らす。
「ヤクザを敵に回そうが、警察官になれなかろうが。わたしはわたしの守りたいものを守るんだって、5年間青春を犠牲にして一人の人間を追い続けられるくらい、何てこともなかった」
そこに普段の凛々しい声音はない。震え、涙ぐむように、揺らいでしまっている声音。
「……もちろん駄目なことだってわかってる。わかってるけど……たぶん、いや、でも、間違いなく。わたしはもう一度あのクスリを目の前に差し出されたら。何を捨ててでも、それを手に入れようとすると思う……」
薬物の恐怖。一度でも手を出してしまったら、どんな強靭な精神を以てしてもそれから逃れる術はない。たとえ無理矢理やられたとしても、否応なく、どうしようもなく、逃れることはできない。
「どうしよう……こーくん……。わたし……おかしくなっちゃったよぉ……」
大粒の涙を流し泣きじゃくる藍羽を慰める資格は俺にはない。全ては俺の責任だ。俺が巻き込み、俺が止めることができず、俺のせいでこうなった。
「頭の中がふわふわして……わけがわからないけど嘘みたいに幸せで……あの幸せがないのが不安で……どうしようもなく怖くて……ほしい……。もっと幸せがほしい……っ」
記憶から消えてくれない泡を吹き焦点の失った瞳で痙攣する藍羽の姿。あれは人間がしてはいけない姿だった。それでも藍羽自身はあの時を幸せだと語っている。お互い認めたくないだろうが、きっと俺たちが再会した時よりも、ずっとずっと幸せだったのだろう。そんな俺にどうすることができるだろうか。必要なのは医者による治療。それ以外にない。
「……藍羽」
わかっているのに、俺は藍羽の唇に口を重ねていた。自己満足だということはわかっている。こんなことをしても藍羽は救われない。でも俺にはそれ以外できないから。やるしかなかった。
「この先藍羽がどれだけ狂おうが、俺だけは必ず傍にいる。ヤクザなんかに堕ちた俺に寄り添い続けてくれた藍羽に報いるにはそれしかないから。絶対に俺だけは見捨てない。だから何かに依存するしかないのなら、俺に依存してくれ。俺が藍羽にあげられる幸せはクスリには敵わないんだろうけど、絶対に途切れさせないとだけは誓える。もう絶対に傷つけないから……頼む」
藍羽からの返事はなかった。その代わりに求められた唇に応え、俺は一旦病院を後にする。
「おつかれさまでした、若様。車の用意ができています」
「いや……その前にやりたいことがある」
病院の外で待ってくれていた舞を連れ、迎えの車を無視して路地裏に進んでいく。ついてくるのはコソコソ俺を尾行してくる論馬組の三下三人。
「ごめん藍羽……俺、嘘ついた」
どれだけ格好つけようが、俺もあいつらと同じクズだ。言葉に意味はないし、嘘だって平気でつく。こんなことをしたら藍羽は傷つくだろう。それでも我慢することなど到底できなかった。
「殺しはしないよ……それだけはしない。でもな……大切な人を傷つけられて。黙っていられるような人間にはなりたくないんだ」
人気がなくなった瞬間、舞が三人の追手を捕まえた。それと同時に俺も武器を引き抜く。
「だから俺に喧嘩売ったこと。死ぬまで後悔し続けろ」
暗い路地裏に、一瞬の光が爆ぜた。
これにて第4章完結になります。暗い話に、そして長い話になってしまい申し訳ございません。
次章は最終章……続くことになるかもしれませんが、一旦の話のピリオドを打つ話になります。
どうぞ最後までお付き合いいただけますと幸いです。
ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。おもしろかった、続きが気になると思っていただけましたらブクマや☆☆☆☆☆を押して応援していただけると幸いです。どうぞ何卒よろしくお願いいたします。




