第4章 第14話 悪性のくすり
俺の手の中で雷が爆ぜる。切札である卑雷針を切ることに何の躊躇もなかった。次なんていらない。もうここで終わってもいい。だから徹底的に潰してやる。俺を売ったことを、星閃と夜煌を捨てたことを、何の反省もせずに俺たちの前に姿を現したことを、後悔させてやる。
「光輝、悪かった」
だが轟音の中に聞こえてきた言葉は、予想だにしなかった謝罪だった。
「星閃も夜煌もごめんね。急に家を出ちゃって。悲しかったよね、寂しかったよね、本当にごめん」
父親に次いで、母親が頭を下げる。ありえない、なんてことはない。
「反省したフリか? できるよな、お前らは。言葉をただの手段としか思っていない、嘘つきの詐欺師だ。お前らの謝罪なんて一円の価値もない。そんなくだらない真似で俺を騙せるとでも思ってるのか?」
「今さら謝ったところで信じてもらえるわけないよな。わかってる、俺たちはそれだけのことをしたんだから」
「いいから黙ってろ。命乞いなら後でじっくり聞いてやるよ」
こいつらと会話する価値なんてない。こいつらはこれまでの人生を言葉を弄し、家族を切り捨て、真っ当に生きている人間を食い物にしながら生きてきた人間だ。星閃や夜煌のような子ども故の浅慮さではない。身体の芯までどっぷりと浸かった、根っからのクズ。俺と同じでな。
「話だけでも聞いてあげたらどうだ?」
「部外者は黙ってろ三下。てめぇから潰してやろうか」
命知らずにも話に割り込んできた組長を一蹴する。蜘蛛道のケツにぶら下がっている小物に構っている場合ではない。しかし組長は薄く笑いながら二人を紹介するように腕を広げる。
「君はこの方々をひどい人間のように語るが、彼らはそんな人たちじゃない。NPO法人を運営する人格者だ」
「あぁ……!?」
NPO法人……非営利活動をする団体のことか……? こいつらが……金儲けとは正反対のことを……!?
「ありえない……」
「だが事実だ。家族に恵まれず、家にも帰れない路頭に迷った子どもたち。難民として逃れてきたはいいものの職のない子どもたち……。そんな人々に手を差し伸べ、家族として迎え入れる活動をしているんだ」
「……事実だよ」
組長の言葉に同意したのは、両親の情報を調べていた夜煌。
「うちのクソ親がそんな聖人じみたことをやってるのは事実……裏も取ってある。でもだからこそ余計に許せない……! 見ず知らずの他人を助けている暇があったら! あたしたち本当の家族を助けるべきなんじゃないの!? 光輝を売ってあたしたちを見捨てて……それでやることがこれ!? 頭おかしいんじゃないの!?」
親に捨てられたことで、星閃と夜煌は生きるために道を外れるしかなかった。半グレとして暴れ、夜の街で働き、屈辱にも耐えてきた。そんな子どもを見捨ててやることが慈善活動……夜煌の叫びはもっともだ。
「……そう変なことじゃないですよ」
俺や夜煌が叫ぶ中、ただ一人冷静な藍羽が口を開く。
「恵まれない人々を救う活動……そんなお題目で国からお金をもらい、立場上逆らえない……逆らう頭もない人たちを無料の労働力として使う……よくある話です。その組織図は、言ってしまえばヤクザそのもの。語弊を恐れずに言えば、こーくん。あなたの両親はヤクザの組長になった」
もちろん全ての団体がそういうわけではない……むしろほとんどが善意で人を救おうとしている素晴らしい団体だ。しかし、その善意のシステムを悪用するゴミがいるのも事実。そしてそれが、俺たちの両親。
「やっぱり潰すしかないな……!」
「落ち着いてこーくん。今こーくんがやるべきことはそれじゃないでしょ?」
スタンガンを握る手に力が入る。だがその熱くなった頭を冷ますように、藍羽が倒れながらもはっきりとした口調で諭してくる。
「ご両親を見て感情が抑えられないのはわかる。でも今最優先するべきなのは抗争を終わらせること。違う?」
「ああ……でもこいつらは……!」
「こーくんいつも言ってるよね。自分は結愛ちゃんのために生きるんだって。だったらやるべきことは迷わないで」
「……ふぅ。ありがとう、藍羽。その通りだ」
藍羽に諭され、口から自然と息が漏れた。危うく自分を見失うところだった。俺個人の事情なんてどうでもいい。今優先するべきなのは、組長と交渉して抗争を終わらせること。それ以外にないのだった。
「……ずいぶんひどいことを言うね、君は。光輝個人の想いはどうでもいいって言うのかい?」
まるで穏やかな老人のような笑みを浮かべていた父親の表情が、少し変わった。いや本性を現したと言うべきか。口調は穏やかだが、卑しい人間の表情が零れている。
「個人の想いがどうでもいい……その通りです。個人個人の想いをまとめて形にすることが法の役割。あなたたちは法律が裁きます。悪事を働く人間は、法律が……警察が許しはしない」
「まるで人を犯罪者のように……我々は法律を犯してはいない」
「ではこの後警察に行きましょうか。何も悪いことをしていないのなら問題ないでしょう?」
「……面倒なガキだなぁ!」
豹変した母親が、蜘蛛道にやられて動けない藍羽に襲い掛かる。瞬間俺も震える足で駆けだしていた。
「藍羽に触れるんじゃねぇクソ野郎!」
「親に向かってその態度はなんだゴミがぁ!」
だがその俺の身体は、父親の蹴りによって壁に叩きつけられた。
「私たちは法律を破ってない……ただその隙間をうまーく潜り抜けているだけ。このクスリもそう」
「ぁ……ぁぐ……っ」
抵抗することもできず、藍羽の身体が髪を掴まれて宙に浮く。その苦しみに耐えかねて開いた口に、母親が何かを摘まみ入れた。
「ほぅら、そんなにほしいなら返してやるよ」
何かを飲まされた藍羽が、母親に蹴られて俺の身体に倒れ込む。
「藍羽……だいじょ……!?」
「こー……ぐ……ぐぶぶ……」
その口からは、泡が吹き出ていた。
「藍羽!? 藍羽!」
「ははは! 初回無料の出血大サービスだ! 安心しろよ光輝。そのクスリは法律上何の問題もない、ただのサプリメントだ……日本では、まだな。強い快楽性と依存性を持つが一粒飲んだ程度では健康上何の問題もない安心安全な薬物! 感謝してもらいたいくらいだぜ、そいつを求めてうちが飼ってるガキどもは無給で毎日必死こいて奴隷のように働いてるんだからなぁ!」
藍羽の瞳が上を向き焦点が合わなくなり、身体はビクンビクンと痙攣している。意識があるのかないのかわからないが、俺の身体を強い力で抱きしめている。まるで助けを求めるように。
「ついさっき論馬組の組長さんと契約を交わしたところだ。今までは拾ったガキどもに使うしかなかったが、ヤクザを使えばこの商売はもっと大きくすることができる……夢のようだぜ。俺たちはこのクスリを使い、この国の馬鹿なガキを支配する! お前らも試してみるか? そうすれば家族に戻してやるよ。そうしてほしかったんだろ!? なぁ!」
あぁ……そうか。そうだよな。何を俺は甘いことを考えていたんだか……。こいつらは潰すだけじゃたりない……。
「――ぶっ殺してやる」
一筋の涙と共にその言葉が漏れた瞬間、部屋の壁が爆風で消し飛んだ。
「正直失敗すると思ってやした、若旦那が頼んできた作戦は。なんせあっしを使うトリガーが、神室のお嬢の判断なんて言うんですぜ。お上の家の人間とはいえ、所詮はただの子ども……とっさの判断なんてできるわけないと思ってやした。だから切り捨てるべきだと進言しやしたが……謝んなきゃならねぇようだ」
壁がボロボロと崩れ落ちる中、一人の少女の声が響いてくる。
「神室のお嬢が、葛城の若旦那の危機だと感じたらボタンを押す。それを合図にあっしが乗り込む……。最高のタイミングじゃねぇですか、若旦那。この勝負、あんたの勝ちですぜ」
その少女の名は相良薬。抜いた手榴弾のピンを指で回しながら、俺の顔を眺めてくる。その姿に論馬組の組長が慄いた。
「どうしてこのタイミングでこいつが……! どんなに金を積まれても気に入った人間しか助けない狂人……『悪性の薬』がここにいる……!?」
薬……最高のタイミングと言っていたがその逆だ。
「どいてろ薬……俺はこいつらを殺さなきゃならない」
「そういうわけにはいきやせん。あっしは誰の味方でもない。ただ役目に忠実な情報屋でさぁ。今回あっしを使ったのは神室のお嬢だ。だったら神室のお嬢の意志を受け継がなきゃならねぇ」
無意識に胸元から取り出していた俺の拳銃を奪い、薬が言う。もう意識のない、藍羽の言葉を。
「あんたの家族はあいつらじゃねぇ。あんたを大事に思ってくれている仲間たちだ。あんなクズ共のせいであんたの人生を台無しにする必要はねぇですよ」
気のせい、だろうか。俺を抱きしめる藍羽の力が強くなったのは。
「この場はあっしの顔に免じて双方矛を収めていただきやす。構いやせんね?」
「ああ……もちろんだ」
組長が躊躇なく首を縦に振る。俺としてもそちらの方がいい。一刻も早く藍羽を病院に連れていかなければならない。だが……一つ。
「俺はお前らを殺さない。どんなに憎くても、それが俺の大切な人の望みなら。俺はそれに従うよ」
それでも。それでもこれだけは譲れない。
「俺の大切な人を傷つけたお前らは必ず潰す」
論馬組は蜘蛛道を倒され、俺は藍羽を傷つけてしまった。双方痛み分け。それがこの潜入の結果だ。しかし未来は違う。
「この世界で生きてると嫌でも思い知るんだ。世の中死んだ方がマシだってことはいくらでもある。恩返しだよ。俺を結愛や舞……組のみんなに出会わせてくれたあんたらへの恩返しだ。俺を売ったこと、後悔しながら生きていけよ」
結愛のためにも、犠牲になる何の罪もない子どもたちのためにも、そして俺自身のためにも。俺のやるべきことは決まった。




